鬼を飼う、贄を喰う。

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第二幕 鬼と人形

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 鬼と贄の不可思議な関係があった。
 鬼は、必ずと言って良いほどに牡丹の側にいた。時に己が所有物であるかのように見せつけて、腕に抱えて屋敷の中を闊歩することもある。それは何とも奇妙に映ったことだろう。

 ――鬼が余暇を潰すための新しい遊びだろうか。
 ――ああ、悍ましい。
 ――自分でなくて良かった。
 ――次に喰われるのはきっと牡丹だ。
 ――可愛がるふりをして最後は……鬼が気まぐれに始めた人形遊びに選ばれたに違いない。

 そんな噂が、屋敷の中では常に囁かれていた。


 中庭には松だけではなく、様々な草花が咲き誇り季節を彩る。
 桜も散った皐月の頃。不知火家の屋敷は、都の中心から程遠い郊外。山林は目と鼻の直ぐ先で、塀の向こうでは山藤が咲き乱れて藤色に山を染めるが、春の終わりを告げるように散っていく。
 庭でもまた、藤と同じく春の終わりを知らせる牡丹の花が大輪を咲かせていた。よく晴れた午後。牡丹は縁側で柱を背に座る鬼の腕の中。赤紫色の並んだ庭を眺めた。

 牡丹の香りは弱い。清涼な風が山から吹き下ろせばあっさりと吹き飛び、山藤の濃い香りが庭まで届くと牡丹の香りなどかき消えてしまう。しかし、それもまた悪くはない。牡丹は噂の通りの鬼の腕の中。抵抗も恥じらいもない――眉一つ動かさない人形のように微動だにしないまま、庭を堪能した。そのような姿が当然、というよりは最早慣れだろう。

 それまでの人生で牡丹を甘やかすように腕に抱く者などなかった。所詮贄だ。愛情を注いだところでどうせ喰われてしまうから無意味。
 どちらにしろ、母は物心ついた頃に死んでしまい、父親は不知火の誰か程度にしか判らない。下女達は世話こそ焼くが、それだけだ。そんな境遇が牡丹の心を拗らせたのか、はたまた元より生まれつきなのか。鬼の腕に抱かれ慣れた心中もまた、何を思うこともない。
 七つの頃に鬼と言葉を交わし、それから五年の月日が経った。誰だって慣れる。それだけだった。

 そうやって、牡丹もまた自分の死までの余暇を過ごすように、鬼の遊びに付き合っている程度の心持ちだった。腕に抱かれるまま、鬼の膝の上で背を預け、ぼんやりと。何をするでもない時間が過ぎていく。

 縁側の外に放り投げるだけだった脚をぷらぷらと揺らし、の膝の上であることを気にしていないのか、揺れるたびに踵がコツコツと鬼の膝に当たる。しかし、それを阻む声はない。代わりに、風にそよぐ牡丹の髪を時折何かが絡みつく感覚があった。
 まあ、確認する必要はない。犯人は一人。鬼が手櫛で、髪を梳かすのだ。その感覚は常に優しさを感じそうなまでに丁寧で、牡丹は思わず鬼を見上げてしまう。

「どうした」
 
 その視線の先。鬼は何も無い顔をして、牡丹を見下ろすだけ。牡丹はゆるゆるとかぶりを振る。すると、何か思いついたようにニヤリと口角を上げた鬼は、それまで牡丹の髪を弄っていた手を止めた。代わりに、今度は牡丹の腰へと手を回し、軽々と引き寄せられる。その力も強引というほどではない。猫でも抱き寄せるように柔らかで、そうして首筋に顔を埋めた。
 すんと鼻を鳴らして、「美味そうな匂いだ」と、呟く。声は一際甘やか。しかし声音には欲も満ちているようでならない。首筋に掛かる熱い吐息が今にも牡丹の首筋に牙を立て喰らい付きそうで、牡丹がポツリと言った。

「食べないの?」

 再度、鼻を鳴らす音がして、わずかに首筋から鬼が離れた感覚があった。

、喰わねぇよ」

 実が熟した頃でも浮かべているかのように、鬼は一際楽しそうに答える。

「そう」

 凡その贄は喰われる年頃は十五、六歳だ。牡丹はもう三、四年か……程度に考えて素っ気なく答えた。牡丹の目が再び庭へと向かおうとした――そんな時、「ひっ……」と悲鳴にも似た引き攣った声が鳴った。瞬間、耳障りと言わんばかりに、鬼の腕が強張るのを感じる。その声の方へと目をやれば、縁側を辿った先――少しばかり遠巻きに下女が一人、怯えた様子でこちらを見ていた。

「……あの……牡丹様……お時間です」

 怯えて、今にも喉に声を詰まらせてしまいそうな下女のそれに、牡丹は「あ、」と予定を思い出した。
 同時に鬼も、「ああ、」と一つ間の抜けた声を出す。

 今日は、儀式の日だ。

 ◆◇◆◇◆

 薄闇に染まったような部屋。入り口から日が入り込んだところで、奥の方は闇に取り憑かれてしまったかのように暗いまま。そこは、儀式の間と呼ばれている――のだが、薄闇のせいなのか嫌に空気が重かった。

 窓は一つもなく、出入り口の扉は重厚な作のりの一つのみ。戸を閉ざせば完全なる闇が出来上がるだろうそこに、牡丹は臆することなく足を踏み入れた。既に、準備が整ったと言わんばかりに円を作って並ぶ水干すいかん姿の者達。綿布めんぷの所為で顔は見えず、隠された目がじいっと牡丹を見やっていた。

羅刹鬼様らせつきさまは、どうかそこでお待ちくださいませ」

 男と思しき声の水干姿の一人が、今し方扉を潜った鬼に言う。鬼は、その言葉に表情こそ浮かべなかったが、「邪魔はしねぇよ」とだけ言って、扉の直ぐ横の壁際に背をつけた。言葉通り、邪魔をする気はないようだ。

 牡丹は気にせず水干姿の者達の中心へと立った。同時に、重々しい音を立てて入り口の扉が閉じられ――儀式の間は冥冥たる闇に覆われる。しかし、次の瞬間には仄かな灯りで辺りが照らす。誰が点けたのか、儀式の間にいる水干姿の者達を囲うようにして、円の形で置かれた燭台に火が灯されていた。

「では、始める」

 それは、先ほど鬼に物申した男の声だった。牡丹はその場に座るように指示され、それに従う。慣れた様子で素直にその場に膝を落とし、正座姿で背中を差し出すように丸めた。
 その小さな背に一人が手を当てる。最初こそ変化はなかった。だが、それも指折りで十も数えた頃、ずる――と薄闇の中で何かが蠢いた。それは、今し方牡丹の背に手を当てた水干姿の男の身体に纏わりつくようにして、黒い靄のようなものが身体から滲み出たのだ。その黒い靄は身体を這うように移動して、牡丹の背に当てている手へと向かう。そして、牡丹の身体の内へと潜り込むように消えていく。

 一人が終われば、また一人、一人と。まるで、一人の器に水でも溜めているようにも見える。最初こそ、牡丹は何事もなく受け入れていた。しかし回数を重ねるごとに度に自重を支えられなくなり、身体が自然と前のめりに。どうやってか支えようと、腕を突っぱねる。そうして、その場の全員が終えた頃――牡丹は限界に達したのか、そのままその場へと崩れ落ちた。
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