鬼を飼う、贄を喰う。

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第五幕 鬼と贄

弐拾漆

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 喰らっている肉の味がしなくなったのは、いつだったか。
 当主・将平はを恐れていた。を恐れ、一心不乱に悪食を続けた。 
 悪食を続ける精神は残っていた。これも、不知火の血のおかげだったのかもしれない。不知火の霊媒は、そうそう悪鬼へと堕落することもない。だとて、限界はある。
 将平はもう、自身の限界がどこかは知れない。ただ、喰えるのだ。いつまでも、いつまでも。
 自己はまだある。それだけが、将平が己が悪鬼でないと証明できる唯一のものだった。

 いつ、悪鬼へと落ちるかの恐怖が全くないわけではない。それでも、喰わねばならないと感じた。これも、恐怖からだ。
 この不知火の屋敷に棲む、化け物に対しての――――。
 

 ふつと、一心不乱に悪食を続けていた将平が、顔を上げた。
 それまで、誰もいなかった部屋に、気配が現れたのだ。

『くせぇなぁ、ここ』

 部屋の中央だろう。将平は睨めるように視線をやって、静かに手に持っていた肉を置いた。

「何の用だ。儀式は明日。何か言いたい事でもあるのか」

 将平は至極冷静に言葉を吐いた。

『あぁ、明日は牡丹は喰わねぇと言いにきた』

 だが、その冷静さも崩れた。鬼は何時も思い通りにならない。鎮めていたはずの心はあっさりと冷静さを失った。

「ふざけるな!!!」

 相手が鬼であることを忘れたような激昂。しかし、鬼は異形の気配を携えながらも、いつもの鬼の戯けたような口調で返す。

『あれの食いごろは、まだ先でなぁ。もうちと時間が必要だ』
「そのような時は来ないのだろう。お前はあれを気に入っている。情婦などとして使いおって、あれの価値を考えろ」
『考えている。あれは、過去に喰ったどの肉よりも美味いはずだ。何せまだ穢れを溜め込める。お前と違ってな』
「何を言っている」
『年寄りが無理をしない方が良いぞ? 既に限界など超えている。直継の教えは守った方が身の為だ。直継とて、己の限界を知っていた。だから、人のまま息子にあっさりと殺されたのだ』

 鬼は嘲り笑う。
 
『この結界から一歩でも出てみろ。お前は人の形など訳無く失うぞ』
「かまわん。お前を調伏できたのなら、問題ない」

 将平の腹の中は憤怒一色だったろう。恐怖心と、鬼に調伏してみろと言われて悪食をし続けた。その結果をもってしても、鬼は将平を侮っているのだ。力関係は前ほど傾いているとは思えない。だのに、鬼の態度からしても完全に調伏しているとは考えられなかった。いや、わからなかった。
 そして、その煮えくりかえる腹を更に憤らせる言葉を鬼は述べた。
 
『なら、賭けと行こうや』
「何のための賭けだ。お前は牡丹を喰らえばそれで良いのだ」
『だからだ。最初に別の贄を用意しろ。それで満足できなかったのなら、俺はどうやっても牡丹を喰いにいくだろうよ』
「贄一体で満足したとして、次に喰らう期間が短くなるだけだ。何の意味がある」
『お前の言葉通り、俺は牡丹を気に入っている。あれはいい女だ。中々に惜しい。しかし、喰いたいのも事実。俺も迷っている。食い意地とやらに命運を任せるだけだ』
「今力は均衡だ。私がお前に喰らえと命じることも可能なはずだろう」
『やれば良い。妖など騙し討ちをするものだ。人がやって何が悪い』

 人の言葉を話したとて、鬼はやはり人でない。
 女が気にいっていると言いながらも、喰いたいと言う。
 女の命を先延ばしにしたいと言いながらも、その命をあっさりと天秤に賭ける。
 人であれば常軌を逸しているとでも言うのだろうか。だが、今、ここにいるのは人を喰らうことを当然とする悪鬼――羅刹鬼なのである。

『あぁ、結果がどうなろうとお前をどうこうすることはない。どうだ、のるか』

 将平は逡巡する。何かの罠か。今の力であれば、本性を表した鬼の意識を強制的に牡丹に向かわせることも可能かも知れない。
 だが、どうにも足が竦んでしまったように、口から答えが出てこない。

『どうした、怖気付いたか』

 またも、鬼が嘲り笑う。

『なあ、お前は何を恐れている』

 鬼はケラケラと笑う。将平が何を恐れているかを――心の内をのぞいたかのように、笑い続ける。

『お前は、牡丹が恐ろしくてたまらない。だから、俺に喰わせたくて仕方がないんだろう?』

 将平は反論しない。いや、できなかった。

『牡丹が恐ろしいと思うのに、不知火の貪欲な性質が、牡丹をただ殺すなど勿体無いと生かし続ける。だがもう潮時。お前は自分の身が心配だ――であれば、やはり賭けに乗るべきではないのか』

 将平に選択権などないように思えた。いや、鬼を説得することなど無理だ。一度、完全に本性を晒した状態。理性を消させてしまうことが一番の手立てでもある。

「良いだろう。お前の望み通り、最初の一体は牡丹以外の贄にしよう。だがその次は――」
『ああ、お前の好きにすれば良い』

 話は合意で終わった。
 これまでで、一番陰鬱で、悍ましい贄の儀式が、刻一刻と迫っていた。


 ◇


 昨晩の出来事が夢だったのでは。目覚めた牡丹は褥の寒さに、もう一度眠ってしまおうかとすら思えた。夜の余韻など片隅も残っていない部屋。雪は止んだのだろうか。寒いが、昨日ほどではない。でも、もしかしたらと考えていた温もりがないと知った途端、部屋は冷え冷えと感じた。曇天が続いているのか、部屋は薄暗い。それでも、日が昇った時刻であろうとは、障子窓を見ればそれとなくわかった。だが、はっきりとした頃合いだけは知れなかった。牡丹はぼんやりとしたままが続いた。だがもう起きなければ。何気なく上体を起こした――その時。牡丹は肌に感じる気配で、異常に気がついた。
 
 ――毒気?

 一瞬で思考は冴えた。あるはずのない鬼の毒気が色濃く屋敷に漂っているのだ。家の中は明るいのに、空気はどんよりと重いのだ。更には血の匂いまでもが牡丹の部屋まで漂い侵食する。その意味を牡丹が理解できないわけがない。

 ――どうして? 贄は私のはずでしょ?

 しかも、これだけの毒気。牡丹は目覚めるまで気が付かなかったのにも、不可解極まりなかった。しかし、犯人は想像に難くない。昨晩、可畏が牡丹が目覚めぬようにと、何か術を仕込んだのだ。

「可畏」

 昨晩のような、甘やかとは程遠い――恋人いろとして名前を読んだ時が嘘だったかのように恨みでも籠った声で、牡丹は名を呟く。
 その心は穏やかでなど、ありえない。凪いだ心は逆波立つ。
 今、牡丹が生きていて、可畏は別の贄を喰らった。
 この結末に、牡丹の感情が逆波どころか濁流となって溢れ出した。もう我慢などできるはずもなかった。

「もう良い」

 憤った心が生み出した、冷えた声音。鬼はまたしても牡丹の心を裏切ったのだ。
 もう、牡丹の心は決まったも同然だった。
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