ひどい目

小達出みかん

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恋愛成就のご商売

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「おお、さむい。北風が吹き始めたかねぇ」


 針の手を止めて、灯紫様が言った。


「まだ秋ですよ。気が早いですね」


作業の手を止めずに、千寿は言った。次のお客が来る前のつかの間の自由時間。千寿は灯紫にたのんでいた衣装を取りに来たはずだったのだが、着ていた着物のほつれを咎められなぜか針仕事をされられていた。


「暦の上じゃもう冬だよ」


「まあ霜月ももうすぐ終わりですからね…」


「そしたら正月の心配だよ、まったくせわしないったら」


「でもここは裕福でしょう」


「千寿っ!」


 いきなり灯紫様が千寿の頬をぐいとつまんだ。


「お客の手前はあるように見せかけてても、実のところは火の車なんだよっ!」


「は、はなひへくらひゃい」


「あんたたちにはもっと稼いでもらわないとね。繕いは終わったのかい?」


「あ、ここの袖のところが…」


「ちょっと貸してごらんなさい、まったく、ほつれた衣装で客の前に出るなんて」


 丁度折り目のところの縫い目が崩れている。しかし、しばらく根気良く取り組むかに見えた灯紫はすぐに着物を放り出した。


「ああもう、縫い物っていや!やっぱりお針に頼みましょ」


とそこへ、松風が入ってきた。


「灯紫様、今日は大見世の会合の日ですよ」


「あー松風、いいところに。ちょいと、これお願いよ。私着替えてくるからその間にサ」


そういい残し、悠々と奥の間に去っていった。


「はぁ…まったくウチの女性陣は…縫い物一つろくにできないとは情けない」


ぶつぶつ言いながらも見事な針さばきで崩れた糸目を修復していく。


「ところで千寿は、今晩お勤めでしょう。ここで何をしていたんですか」


「それ、あたしの着物なんです。あの、本当は衣装を受け取りに着たんですが…」


小言の匂いを感じ取った千寿は言い訳をした。


「ああ、どうりで柄が…これは年増では着れませんね」


「なにか言ったかい?」


すかさず灯紫様の声がとんでくる。


「いえいえなんでもありませんよ、ほんとにまったくもう、ええ」


「すごい地獄耳…」


「これを今晩着るのですね」


松風は隅においてある真新しい着物を手にとった。今夜はこの郭一番の高級揚屋、柏屋での遊宴に呼ばれている。その衣装の具合を灯紫様に確かめてもらいに来たのである。


「いい色ですね。作らせた甲斐があるというものです」


衣装を手に取り、松風が言った。今回の着物は、千寿には珍しい色の着物だった。夜色の地に、金の星や花の絵が豪華に散らされている。


「これなら、帯はこないだ仕入れた白銀の丸帯がいいでしょう。帯締めは、いつもので」


「はい」


「それと、いつものように仕事と思わないでも、良いのですからね」


松風が意味ありげに言った。


「えっ?」


 千寿はぎくっとした。実のところ今日の宴は千寿にとってわけありなのだ。迷った末に行く事にしたが…。もしかして、なにか見破られているのだろうか。


「たまには息抜きも良いでしょう」


 さらに千寿は首をかしげた。息抜き?


「とぼけても無駄よ、千寿」


 と、座敷の奥から灯紫様の声が飛んできた。


「今夜のお客の名を聞いた時の、お前の表情でわかったよ」


 すっと着替えを終えた灯紫様が出てきた。


「あのね千寿、ここへ来てからこっち、お前は売れっ子になってよく働いてくれてる」


「は、はぁ…」


 突然の優しい言葉に、千寿は内心びくびくしながらもとりあえずうなずいた。

 真面目な表情で彼女はつづけた。


「でもこんな商売だからね、辛いに決まってる。あんた、頑張りすぎててそのうちぷっつんしそうに見えるよ。だから何か楽しみがなくちゃあ」


 満面の笑みの灯紫は続けた。


「と、いうわけで今夜は遠慮なく泊まってらっしゃい」


「え?泊るって」


 仕事なのだからそれはそうするに決まっている。ぽかんとする千寿に松風が言った。


「要するに真夫を持てという事です」


「アンタの昔の男なんだろ?今夜のお客ってのは」


 壮絶な勘違いに、千寿は抗議した。


「はっ?ち、ちがいますよ!そんなんじゃないです!」


「いいんだよいいんだよ、遠慮しなくたって。ま、入れ込みすぎても困るけど」


 しかし二人はまったく取り合ってくれなかった。






(いらん勘違いをされてしまった。やっぱり客の名前を聞いた時、動揺しすぎたな…気をつけないと)


 考え事をしながら渡り廊下を歩いていると、後ろからきた人物に声をかけられた。梓だ。


「聞いたぜ千寿」


 一体何を聞いたんだ…千寿は身構えた。


「店公認の真夫なんて、お前やるなぁ」


 感心したようにいう梓。あの俄以たまにしか口をきいていなかったが、根も葉もないことを言われて黙ってはいられない。


「違います」


「照れなくてもいいって」


 と、それだけ言って梓は千寿を追い越していった。


「まったく、もう…」



 梓が知っているという事は、鈴鹿をはじめとし、胡蝶屋すべてに知れ渡る事となりそうだ。嘘の噂が。しかし、真夫というのは実はそんなに外れた憶測ではない。今夜の客本人ではないにしても…。


 まだ、忘れられないのか?いや、違う。ただ、知りたいだけ。彼の今の消息を…。未練たらしいとおもいつつも、自分にそう言い聞かせる千寿なのであった。



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