ひどい目

小達出みかん

文字の大きさ
17 / 54

撫子の花(7)

しおりを挟む
一方筝琴は、夢中で馬を駆っていた。


(たのむ、間に合ってくれ…!)


 やっとで夜の繁華街にたどりついた。馬から飛び降り、素早くあたりを見回す。


(どこだ!どこにいる!)


 走りながら探すが、どこにもいない。


(くそっ・・・・店を片端からまわるか)


 すると、視界に見たことのある男の姿がふとよぎった。

 肩をおとし、下を向いて歩く姿…顔は良く見えないし、服も変装しているのかいつもの格好でない。だがあの大きい背格好に覚えがある。たしか屋敷の気のいい下男の…五郎だ。


「おい!待て!」


 ぐっと肩をつかむと、必要以上にぎょっと飛び上がり、下男は振り返った。そして驚愕の表情を浮かべた。


「お、お師匠様…!」


「おい、姫をどこにやった!」


 とたんに五郎は泣き崩れた。


「も、申しわけねぇお師匠様…俺、奥方様に脅されて…」


 地面に手をつき、涙ながらに五郎は訴えた。


「手を貸さないと、お前が二度と働けないよう役場に申し立てると言われちまって…お松にも毒を盛って子どもも殺すと…」


 そこまで汚い手を使うとは。筝琴は唸った。


「お前のことはわかった。それで姫を、どこにやったんだ」


「この街の女衒に引き渡してしめぇました…」


 筝琴は蒼白になって五郎に詰め寄った。


「どの女衒だ!」


「すいません、わからねぇです」


「っ…!」


 怒りに我を忘れ、筝琴はおもわず拳をにぎった。五郎のような巨漢だろうと、筝琴にとって相手に不足はない。だが怯え、後悔の表情を顔ににじませる彼を見ると、瞬間的な怒りは消えて理性がその目に戻った。


(いかん、私としたことが。考えなければ。どうすれば姫を…そうだ)


 筝琴は五郎の肩に手を置いて問いかけた。


「お前だって、姫をだまして売るなんてしたくなかっただろう」


「はい…そりゃあ」


 五郎は、ぼたぼた涙を落としながらうなずいた。


「お前の身の安全は俺が保障する、絶対にだ」


 五郎が、へ?とあっけにとられた表情をした。


「だから姫を取り戻すのに協力してくれ!」








 撫子はふっと目をあけた。とたんに頭がガンガンと痛んだ。


「うっ…」


「目が覚めましたか、姫」


 撫子はぎょっとした。いつのまにか、見知らぬ薄汚れた風体の男がそばにいる。


「おっと、もう姫じゃあ、ありませんな」


 さっきまで自分の部屋にいたはずなのに…ここは一体、どこ?どういう事?撫子は半狂乱になって周りを見渡した。


「混乱してますな、ねえさんよ」


 男はニヤリと笑って撫子の体に手をかけた。


「こんな上物が年明けから飛び込んでくるとは、俺もツイてきたってもんよ・・・さて、中身をちょいと確かめさせてもらいますぜ」


 がっ、と男が着物の袷を開いた。


「嫌っ…!」


 必死で手足をばたつかせ抵抗する撫子に、男は慣れたように言った。


「なぁに手荒なことはしやせん。商品が生娘か確かめるだけでっせ。おとなしくしときなさい」


 下袴の紐に男の手がかかる。渾身のちからを振り絞って抵抗しているのに、体がだるくて思い通りにならない。


「むだでっせ、薬が抜けるまではね」


 そうか、薬…。妙に眠たくなったのは、そのせいか。誰かが私の食事に薬を盛ったのだ…。そう気が付いて、撫子の目の前は真っ暗になった。


「そうそう、あきらめがいいほうがこの先…っ!」


 男は言いかけて、ぎょっと後ろを振り向いた。


「だ、誰だあんた!」


 後ろに立っていたのは筝琴だった。男は驚いて筝琴につかみかかろうとした・・・が、次の瞬間には床に崩れ落ちていた。


「痛え…」


 男が蹲って呻いている。撫子は、驚いて筝琴を見た。


「乱暴な真似をしてすまない。じつはお前さんににひとつ商談があってね」


 筝琴は息ひとつ乱さず、男に話しかけた。


「な、何ですってい…?」


 男は呻きながら筝琴を見上げた。


「彼女を売ったのはそこの下男の手違いだ。返してくれ。もちろん金も返す」


「な…!そんな商売あがったりな事、できませんで!」


 男は怒鳴った。


「だいたいさっき売りに来たってのに、どういう了見だぁ!?」


 筝琴は腕組みをし、ため息をついた。


「だから手違いだって。あんたにゃ悪いけどしょうがない。…なんなら上乗せしてもかまわないよ。迷惑料ってことでね」


「そんなん承知できませんや!」


 男はわめいた。そりゃあそうだろう、こんな上物が安金で手に入ったのだから。ふう、と筝琴はため息をついた。その次の瞬間、素早く拳を男の鳩尾にのめり込ませた。


「ぐあっ!!」


 その拳を離す前に、もう一方の手刀を男の首に打ち込む。ドサリ、と音がして男の体が地面に伸びた。撫子が目を白黒させていると、筝琴が彼女を素早く抱き上げて外に出た。


「なにをぼんやりしているんですか、さっさとずらかりますよ」


 戸を開けると、五郎が見張りに立っていた。


「お師匠様」


 五郎の足元に、柄の悪い男が二人ほど倒れていた。


「お師匠様が中に入ってからこいつらが掴みかかってきたんで…」


「やはり徒党がいたか」


 撫子は目を白黒させた。


「あ、あの一体これは…?」


「説明はあとです。五郎、彼らに金を返して」


 五郎が慌てて、先刻受け取った姫の代金を倒れた男の懐にねじこんだ。


「さ、姫、ひとっぱしりしますよ」


「…どこに?」


 筝琴はさっと撫子を馬上に乗せ、自らも飛び乗った。五郎の馬を先に走らせ、それに続いて目にも留まらぬ速さで走った。


「屋敷へ戻って、母上に直訴しに行きましょう。正念場ですよ、姫」


「つまり、母上が私を…?」


「ああ、説明がまだでしたね。その通りです。姫と若の仲を嗅ぎ付けた奥方が、五郎の妻を人質にとってあなたを人買いに売りとばさせたのです」


「そう…ですか…」


 予測はしていたが、やはり。撫子は肩を落とした。


「殿が亡くなってから警戒はしていたのですが、ここまで大胆な手にでるとは」


「…ありがとうございます、先生…」


 撫子は怒りより、空しさを感じた。そこまで疎まれていたとは。姫の落胆の気配を感じて、筝琴は冗談めかして声をかけた。


「どうしますか、姫。屋敷に戻りますか。それとも…私と一緒に、逃げますか?」


 思わず撫子は笑った。


「…心配しなくても戻りますよ、師匠」







 屋敷は、まだ明々と灯りがともっている。この時間なのに、まだ起きている人間がいるようだ。筝琴は撫子を抱えてさっと馬から飛び降りた。五郎もそれに続く。三人が降り立った瞬間、五郎が撫子の前で土下座した。


「姫様、申し訳ありやせんでした!」


「五郎・・・」


「おれは、殿様に打ち首にされても…仕方がねぇことをしました」


 地べたに額をつけ、五郎が言った。

 確かに、五郎によって売り飛ばされるところだったのか、と思うと悲しい。だがそれは母が命じたことであり、逆らえばお松の命はなかったのだ。それを考えると、撫子はとても怒れなかった。


「五郎は悪くない」


 撫子はきっぱり言い切った。


「助かったのだし、もういいでしょう。それよりも」


 筝琴は撫子と五郎を交互に見た。


「いいですか、座敷に堂々と乗り込みましょう」


「母上は怒るのでは…?」


「怒ったところで、姫を売り飛ばす権利は奥方にはない。きっちり反省して頂かないと」


「五郎、お前も一緒に乗り込むんだ。必要とあれば、姫を守れ」


「はい、お師匠様」


 その瞬間、三人に連帯感が漲った。筝琴を先頭に、五郎、姫と屋敷へ歩き出す。土間をくぐり、敷居をまたぐと、いきなり近江が駆け出してきた。


「ひ、姫様…!」


 ぎゅっとこれまでにないほどきつく、近江が撫子を抱きしめた。


「良く…ご無事で…!」


 近江が腕を緩め、撫子と目をあわせた。


「からっぽの姫様の部屋を見て、先生が形相を変えて馬を駆っていって、生きた心地がしませんでした…」


「近江…」


「危うく人買いに売り飛ばされるところだったよ。やはり奥方の姦計だった」


「そんな…葛野様…ひどすぎます、こんな…」


 筝琴の言葉に、近江の目から涙が零れ落ちた。


「いくら、いくら常夏様が憎いといって、なんの罪もない姫にこんな仕打ちを…!」


 腕の中で、撫子には近江の怒りが感じられた。

 近江が、いつも優しく、世話焼きの近江が怒っている…本気で。


「近江…」


 筝琴、そして近江。こんなに自分のことのように、私のことを心配してくれるひとがいた。その気づきに撫子は目頭がじいんと熱くなり、不覚にも泣き出してしまった。


「…お、近江…ありがとう…」


「ああ怖かったでしょう姫、可哀相に…」


 近江は姫をひしっと抱きしめた。


「近江、奥方と夕那はどうしている?」


 筝琴が冷静に近江に問うた。近江ははっとして、表情を変えた。


「若様も奥様を疑って、尋問して行き先を聞き出そうとして…。奥様は知らぬ存ぜぬの一点張りで。でもこれで、嘘も終わりでございますね…」


 その瞬間、騒ぎを聞きつけたのか、夕那が廊下の奥から走り出てきた。


「撫子!」


 近江がやれやれと笑いながら撫子を抱いていた腕を解いた。自然と、撫子の足が駆け出す。二人は廊下の真ん中で、ぎゅっと抱きしめあった。


「撫子…戻って良かった…!一体、どこに?」


「人買いに売られるところだった」


 筝琴が答えた。夕那が息をのんだ。


「そうよ。そこの五郎を脅して姫を攫わせ、女衒に売り渡すはずだったのよ」


 背後で、葛野が氷のようにつめたい声で言った。

 いきなりの登場に、とっさに誰も気がつかなかった。夕那の腕が緩んだ隙に、葛野は撫子を床に引きずり倒し、その上に跨った。五郎と筝琴が動いたときにはもう遅かった。撫子の首もとに、鋭い刃があてがわれる。


「やめろッ!」


 夕那が無我夢中で叫び、母親に向かっていった。


「だめです!近づいたら姫が殺されちまいます!」


 五郎がそんな夕那をつかまえた。


「そう…わかってるじゃない」


 葛野が歌うようにいった。


「もうやめてください、葛野様!」


 近江が泣き崩れた。


「このような非道な振る舞い、本当は葛野様もなさりたくないはずです!」


 涙を浮かべ、必死に葛野に訴えかける。


「昔の、優しい葛野様に戻ってくださいませ!」


「…近江…残念だが、手遅れだ」


 筝琴が近江の手をとり、立ち上がらせた。葛野は冷たい目でそれを見ている。


「今の彼女には説得は無駄だ。かえって逆上させてしまう…」


 葛野を見据えながら、暗くつぶやいた。


「なぜなら、彼女は捨て身だ…。何だってやりかねない」


 その言葉にかぶせるように、葛野が言った。


「夕那、私よりも、この女を選ぶのかい?」


「選ぶ…?何を言うのですか、母上!僕は彼女と一緒になりたいだけだ!」


「ふふ…そうかい…」


 幽鬼のように、ぞっとするような微笑を葛野が浮かべた。


「やっぱり、その女を選ぶのだね。もう、私は疲れたよ…やっと終わると思ったのに」


「何が…?」


 夕那が恐る恐る聞いた。葛野はふわふわとした声で答えた。


「怒りや嫉妬に苛まれて一生をすごすのは、もう、終わりにしたいのだよ…五郎、夕那をお放し」


 その声は、この状況にそぐわず柔らかかったが、それがかえって不気味さをあおった。彼女は、何をするつもりだ?筝琴をはじめ、全員が緊張の中、動きを止めた。


「五郎、放しておくれな」


 彼女はなおも言った。五郎はおずおずと夕那を放した。


「…この女を選ぶのなら、私を殺しなさい、夕那」


 葛野の放った言葉に、その場の空気が総毛立った。


「は、母上、何をおっしゃる!」


「殺せないのなら、私がこの女を殺すまで」


 夕那の全身に、戦慄が走った。


「な…!正気に戻ってください、母上!」


「そうです、葛野様!目を覚ましてくださいませ!」


 近江と夕那が必死で呼びかけるが、葛野は泰然として動かない。


「私は十分、正気だよ。さあ、いつまでも待てない」


 葛野が刃を持つ手に、ぐっと力をこめた。撫子の首に、刃がわずかに食い込む。


「十数えるうちに、決めておくれ」


 そして、空ろに数字を数え始めた。


「十……九……」


 夕那がぐっと唇を噛む。


「八………七…」


 筝琴が、刀を抜こうと柄に手をかけた。撫子は下で抑えつかられている手を、抜こうと動かした。


「うっ!」


その瞬間、撫子の首からつっと一滴、血が滴った。


「だめよ、刀を抜いていいのは夕那だけ。下がりなさい…お前も、動くんじゃないよ」


「くっ…」


 筝琴は悔しげにうめき、刀を仕舞った。


「ふふっ……六……五……」


 夕那がぐっと顔を上げ、母を懇願の眼差しで見た。


「母上、どうか…!おやめください…!」


 夕那の言葉もむなしく、母は刀を下ろさなかった。


「………四………三……」


 夕那は腰の刀に手をかけた。


「仕方が無い…!」


 夕那が鞘を抜いた。夕那の刀が、きらめく。撫子の脳裏に、走馬灯のように次々と光景が浮かんだ。


 兎を捕まえようとして転び、泣いている夕那。


 一緒に正月の餅を盗み食いし、笑っている夕那。


 撫子が離れに追い払われた日の、怒っている夕那。


 初めてくちづけした時の、夕那。


 そして、走馬灯は未来への場面を撫子に見せる。


 母を殺し、重罪人となり、奉行所の役人に捕らえられる夕那。

 夕那の首から血しぶきがあがる、その首は獄門に晒される―――


「嫌…!」


 思わず撫子は大声を出した。


「そんなの、絶対に嫌!」


「…二…」


「お母さま、私を殺して!」


 葛野が数を止め、千寿にむかって目を見開いた。


「お前に言われずとも…」


 首の刀がさらに食い込む。


「だめだ!撫子!そんなの許さない!」


 夕那の必死な声が耳に届いた。刀を構え、夕那がたっと走り出した。

 撫子は気がついた。


――夕那に死なれたら私は死ぬほど苦しい、でも夕那だってそうなんだ!私に死なれたら、きっと夕那は…。


(だめだ、わたし達どっちも、死ねない!)


「………一


 その瞬間、夕那が刀を振り下ろそうとした。



「待って!!」


 撫子は渾身の力を振り絞り、素手で首に食い込む刀をぎゅっと握り、押さえつけた。葛野は慌てて刀を動かそうとした。歯刃がくいこみ撫子の手から血がどくどくと流れ出す。


「母上、お約束します」


「……何?」


「もう決して夕那の前に姿を現しません。この屋敷の敷居を二度と跨ぎません。わたしは…消えます」


「そんな約束、誰が!」


「母上!私を殺せば、母上が罪に問われてしまいましょう、そうすれば、この家はどうなります!」


「バカな娘。私は家などもう、どうでも良いのだよ」


「家だけではありません、夕那はどうなりますか!罪人の息子として、一生を過ごす事になるのですよ!」


 葛野は言葉につまった。これは効いたようだ。さらに撫子は畳み掛けた。


「今、この刀をどけて下されば、すぐにも門から出て行きます。もう二度と戻りません」


「……。」


 葛野が迷っているのがわかった。あともう一押しだ。


「お約束します」


 その一言のあと、無言で葛野が立ち上がり、刀を引いた。


「撫子!」


 夕那が撫子を助け起こそうと、さっと両腕をさしだした。だがその瞬間、再び撫子に刀の切先が向く。


「さあ、さっさと出てお行き。でないと刀は下ろさないよ」


 夕那の変わりに、筝琴が撫子を助け起こした。


……振り返らず、行かねば。でないとまた彼女は暴走するだろう。撫子は自分の甘さを悔いた。そしてはっきりと理解した。


 葛野がいるかぎり、二人が一緒になれる日はこないのだ。あらゆる手を使って二人を引き裂こうとするだろう。今日のように。


 だったらこれ以上誰かが犠牲になる前に。


(ああ、もう二度と、夕那に会えないのかあ…)


 首の痛みよりも手の痛みよりも、その事実が辛かった。一歩一歩、筝琴に助けられ進みながら、撫子はこれが最後だ、と思って言った。


「夕那…今まで、ありがとう。私の部屋に、贈り物があるから」


 あと一歩で、外だ。こらえきれなくなって、撫子は振り向いた。

 夕那の呆然とした顔が見えた。いつでも一緒だった、親しい腕、髪、目、唇・・・・。ああ、そんな悲しい顔をしないでほしいのに。夕那には、笑っていてほしいのに…。


「私のことは、忘れて…」


 あれ、あれ、夕那が見えない。最後の姿を目に焼き付けておきたいのに、滲んで、ぼやけて……。


「さあ、撫子」


 言葉少なに師匠が促す。お互い悲痛な思いをわかっていた。









 こうして撫子は家を出、筝琴の一番弟子となった。


「…心配することはないよ。まず私の所属する一座に身を寄せよう」


 旅のはじめに、二人は大きな川にさしかかった。この船にのって長く下っていくのだ。東の方へ。


「さあ、足元に気をつけて」


 そう師匠が注意したのに、撫子は上の空で船へと一歩をふみだした。


(夕那の居る場所から、離れていくんだ…)


 ふらついた足は船のへりを踏むことができず、空中を空しく蹴った。そして撫子は、川に落ちた。流れは速く、水は凍るように冷たかった。あっという間に撫子の体は沈んだ。


「姫!撫子…ッ!」


「だんな、あぶねえっ!」


 必死で身を乗り出した筝琴を、船頭が止めた。


「今日は流れが速え、あんたも流されちまうよ!」


 食い入るように川面を見つめる筝琴に、気の毒そうに船頭が言った。


「…悪いことはいわねえ、あきらめな…」


 撫子は泳げない。ただ水の動きのままに、ながされていった。息ができず苦しかったが、すぐに目の前が暗くなった。








 そこで千寿は目が覚めた。はれぼったい瞼をこすり、むっくりと起き上がる。


(ああ、嫌な夢)


 あれから「撫子」は奇跡的に川船に拾われ、蘇生した。その後は流れの芸人にまぎれ、その日暮らしの生活を続けた。だが、世間は弱者に厳しい。訳ありで身元不詳の「撫子」は程なくして芸人の棟梁の借金のカタにされ、結局この「胡蝶屋」へ売られる事となったのだった。


「ふぁーあ、起きなきゃ」


 過去は過去だ。悔いてもしょうがない。

 布団をたたみながら、呪文のように念じる。「彼」を諦めたのも、体を売るのも、しょうがない、生きていくにはそうするより他ないのだから。目立たず、日々食べていければいい。心から誰を求める事も、求められる事もなく、毎日仕事に励むのだ。ここに骨を埋めるその日まで。

 もう何かを得て、奪われるのはこりごりだ。だから、しょうがない。しょうがないのだ。

 あと一歩で壊れそうになる千寿の心は、そう予防線を張ることによって危うい平穏を保っていた。


「さて、今日もお仕事がんばるぞ」

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...