ひどい目

小達出みかん

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撫子の花(6)

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そして次の日の昼。とうとう皆が帰ってきた。


「撫子、ただいま!」


 まぶしく笑う夕那は、少し日に焼けている。きれいな色白だったのに、とすこし撫子は残念に思った。


「はいっ、おみやげ」


 夕那はにこにこしながら、白い袋をさしだした。


「…糠袋?」


「そう、新しいの。これでこすると肌がぴかぴかになるって湯治場のおばちゃんが言ってたよ!」


 なんとも湯治帰りらしいお土産だ。久々に心が和んで、撫子の頬が自然と緩んだ。


「撫子どうしたの?なんだか具合が悪そうだよ?」


 撫子の微笑は、夕那には疲れた表情に見えたらしい。つっと夕那は撫子の頬に手をかけた。


「留守の間、何かあったの?」


 真剣に問う夕那に、撫子は言葉に詰まった。


「ゆ、夕那…」


 なんと言えば、いいのだろう。しかし撫子が言いかねているうちに、いつもとちがう部屋の状況に夕那が気が付いた。


「このたくさんの箱、一体なに?新しい舞の衣装か何か?」


「…それは」


「もしかして…留守の間に男の人が?」


 夕那はどう思うだろうか。でも、彼に隠し事はしたくない。そう思った撫子は意を決してうなずいた。


「……うん」


 とたんに夕那の表情が変わった。

 肩をぎゅっとつかんでから、夕那は撫子を抱きしめた。


「ごめん、僕がこんな留守にしなければ良かった…!」


 その反応に撫子は面食らって力が抜けた。


「何かされなかった?撫子…」


 撫子の肩口に顔を埋めながら、震える声で夕那が言うので、ちょっと撫子はおかしくなった。実際は何もなかったのだから。いつから夕那は、こんな心配性になったのだろう。



「大丈夫。師匠がついてくれて取次ぎをしてくれたから。私はほとんど誰にも会ってないよ」



「そっか、先生が来てたんだ、よかった…」


 夕那の体温を感じながら、撫子は久々に心から安心した。夕那はいつもいい匂いがする。お日様のようにあったかで、安心する匂い。


「ねぇ撫子」


 夕那が真正面から、撫子の顔を見た。


「撫子にたくさん、求婚者がいるって近江が言ってた」


 知っていたのか。撫子はしょうがなく、今の心境を告げることにした。勇気がいる。だが、言うなら今しかない…。


「そうみたい…。父上はまだ何も決めていないみたいだけど。でも、私は…」


 じっと夕那の目をみる。栗色の目が、心配そうな色を浮かべて撫子を見ている。


「嫌だ。夕那じゃない男に、嫁ぐなんて…」


 口を真一文字に結んで下を見る。ああ、言ってしまった。しかし夕那は撫子の葛藤をよそにきっぱりと言い切った。


「僕も嫌だ。撫子とずっと一緒にいるのは、僕だ」


 撫子と一緒にいたい・・・・・唇をかんで下を向く撫子を見て、夕那は改めて強く、その思いを感じた。撫子が、どこか別の家へ行ってしまうなんて。見知らぬ男の妻になってしまうなんて。

 花が咲き、実り、枯れ、また芽吹く。いままで幾度となく、撫子と一緒に過ごし見て来た四季の移り変わり。これからも、共に時間をすごすのは、撫子以外考えられなかった。その関係が姉弟から、夫婦と名前を変えようと…。


「撫子、僕の妻になって」


 千寿の目が、見開く。唇はわなないて、胸の鼓動は跳ね上がった。うれしくてたまらない気持ちと、恐ろしい予感とで頭の中はぐちゃぐちゃだった。だがそれでも、本心は水が杯からあふれ出すように、口をついで出た。


「喜んで。…私は、夕那だけのもの」


 そう告げる撫子の瞳から、無意識に涙が流れていた。


「何年ぶりだろう、撫子の泣き顔なんて」


 夕那も泣き笑いで言いながら、再び撫子を抱きしめた。


「この前見たときは、もっとずっと子どもだった」


「夕那はいっつも泣いてた」


 撫子と一緒に出かけられなくて、大泣きした夕那。

 裏庭で一人、悔し泣きをしていた撫子。

 今までの二人の、膨大な思い出達。

 思い出も体験も、これからその倍にもなって、二人の時間は進んでいくのだ。


「夕那、これからもずっと一緒だね」


「同じ部屋で起きて、食べて、寝よう。ずっとずっと昔みたいに」


「うん…」


 想像して、撫子はちょっと恥ずかしくなってしまった。夕那はその本当の意味に気が付いているのだろうか?しかし、それを確かめる前に彼は次の一言を言った。


「よし、父上と母上に言いにいこう」


「えっ!」


「僕たち、二人で結婚します、って」


「で、でも…母上は認めてくれるかな。少し待った方が…」


「先に父上に話そう。父上が納得してくれれば、きっと母上も従うはずだ」


「そう…だね」


 ふたりで立ち上がったその時、廊下のほうからドタバタと足音が聞こえてきた。


「若様!姫様!」


 スパンとすごい勢いで襖が開き、近江が部屋へ駆け込んできた。真っ青な顔で、あきらかに動転している。


「どうしたの近江!」


 慌てて二人とも駆け寄ると、近江は息をきらしながらじっと二人を見た。

「お二人とも急いでください。先ほど旦那様が、倒れられました」

 二人は顔を見合わせ絶句した。







母屋の座敷では、みな静まり返って沈痛な表情をしていた。義成の寝所には、葛野と侍女が数名傍に居て様子を見ているようだ。近江は夕那に、中に入るよう促した。



「姫様、私どもはここで待っていましょう」


「…わかった」


「でも近江、撫子だって!」


「今は夕那だけいった方がいい。すぐ傍にいるから大丈夫」


「そうでございますよ」


 夕那はしぶしぶ納得し、入っていった。


「おお、夕那や」


 中では、青い顔の母が布を絞り父の額の上へ乗せていた。父は目を閉じて横たわっている。


「母上、医者は?」


「今下男が馬を出して呼びにいったところだよ…」


「…父上はなぜ倒れたのですか?」


「帰ってきて旅装を解こうとしたら、いきなり倒れてしまったんだよ、全身が震えてて…」


 母は震えながら自らを抱きしめていた。

 父の意識はないのか。夕那は耳元で、父に呼びかけた。


「父上、夕那です、わかりますか?」


 反応はない。しかし、わずかに父の瞼が震えたように感じられた。


「父上、夕那も、撫子も居ります、お気を確かに!」


 すると、彼の口がわずかにふるえた。


「…夕…那…」


「!…父上!」


 葛野も侍女も、みんなが父を覗き込んだ。


「そこに…撫…子は…」


 夕那が侍女に目配せした。さっと立ち上がり、撫子を呼びに行く。青ざめた撫子が、硬い表情で床のそばに正座した。


「父上、撫子です」


 すると、義成が瞼を震わせながら、ゆっくりと老いた目を開いた。


「撫子…よく、育ってくれた…」


「父上、」


 義成のとぎれとぎれの言葉に、座敷の皆が全神経を傾けていた。


「そこの…箱を」


 さっと見渡すと、文机にひとつだけ、簡素な手紙箱が置いてある。手にとって開けると、中には手形の紙束がどっさりと入っていた。


「その中身は…お前のもの、」


 撫子はさらに青ざめた。怖くて葛野の顔が見れない。


「それを結婚の…持参金になさい…誰でも、お前の目にかなった男と…一緒になるといい」


 撫子は箱を手にしたまま固まった。私が結婚したいのは、夕那だ。それをここで言うべきか…。義成は迷っている撫子から息子のほうへ視線を向けた。


「お前には…」


「はい、」


「この家の、すべてを…。この家を、頼む…」


 義成の瞼が落ちかかる。夕那は必死で自分の決心を告げようとした。


「父上、聞いてください、私は撫子と…!」


 しかその瞬間義成の瞼は落ち、義成は最後の言葉を、つぶやいた。


「おお…常夏…今…」


 その場に居た全員が、沈黙した。


「…ご臨終です」


 侍女か誰かが、つぶやいた。








 それから、どっと忙しくなった。


 いったん撫子の結婚の話は保留となり、喪が明けるまで求婚者たちはとりあえず引き下がる事となっ

た。夕那と撫子は、二人の婚約を宣言する日を弥生の最初の日にすると決め、当面の間は現状のままで過ごすことにした。


 葬式や、親族への相続の手つづき。悲しむ間もないほど上から下までどたばたし、やっと収まりが付いた時にはもう如月が終わろうとしていた。


 忙しさが終わったと屋敷の誰もがほっと胸をなでおろす中、ひとり胸にどす黒い思いを秘める者が居た。

 そして、その思いにより撫子の運命は、予想もつかぬへ暗い濁流へ流れていくことになるのであった。








 その夜、めずらしく撫子は一人で食事をした。いつもは近江かそのほかの下女が給仕してくれるのだが、今日は夕那が生まれた日。ふつう生まれた日を祝う習慣はないが、この家では息子を愛してやまない奥方の意向で毎年ささやかな宴を催していた。それで人手が足りないのだった。


 撫子はひそかに、夕那に贈り物を用意していた。

 近江に頼み市で布を選んできてもらい、こつこつと小袖を縫ったのだった。すでに完成して、畳紙に包んである。


(よろこんでくれるかな…そうだ)


 折角だし、手紙を添えて渡そう。撫子は食事を片付け文机の前に座った。


(そういえば、夕那に手紙を書くのは、はじめてだ)


 どうせなら、それらしく歌などしたためた手紙にしたい。


「うーん…」


 考えに考えてようやく紙に書き付けたが、どうも納得いかない。


「なんかしっくりこない…これは反故にしよう」


 また真っ白な紙を目の前に考えているうちに、なんだか眠くなってきた。


(だめだ、まだ寝ちゃ…)


 そう、明日は夕那との婚約を皆に伝える日。これから夕那と近江と筝琴と4人で、最終打ち合わせをする予定なのだ。


 今のところ二人の関係を打ち明けたのは近江と筝琴だけだった。父亡き今、結婚を現実のものとするには、この二人の大人に協力してもらう他なかった。


(まだ、やらなきゃいけないことがあるのに…)


 不自然なほどの睡魔に抗えず、撫子は文机につっぷした。同じころ、葛野は上機嫌で杯を傾けていた。


「母上、少し量が過ぎるのでは…」


 息子が眉をしかめて注意する。かまう物か。彼がどんな表情をしていようと、隣にいるだけで葛野は幸せだった。


「いいんだよ、夕那…」


 侍女のお松が、怯えたように杯に酒を注いだ。

 お松――五郎の妻の表情を見やりながら、葛野はいっそうにっこりとした。

 もっともっと怯えるがいい。罪悪感に苦しめられるがいい。楽しげに心の中でつぶやく。


 そう、今日はあたしの新たな記念日だ。

 今際の際に、他の女の名前をつぶやいた夫。彼の関心は、永遠に常夏という女のものだった。この自分は、正妻でありながら常に二番目という苦い思いに付きまとわれ結婚生活を過ごした。


…思えば初めてこの屋敷に足を踏み入れた時から、その女はこの屋敷に住んでいて、葛野を苦しめた。新婚の夫は、毎晩毎晩、常夏のもとで過ごし、葛野と夜を過ごすのは週に一度だけだった。それすらも、常夏に指示されていた行動だという事を知った葛野は、夫にないがしろにされたあげく、妾にお情けをかけられているという悔しさで内臓が煮えるかと思った。


 これまで良家の娘として、よき妻、よき母であれと育てられ、幸せな結婚生活を夢見ていたのに。実際には誰にも必要とされず、ないがしろにされ、ただの苗床として扱われ、踏みにじられる毎日…


 葛野は、だんだん壊れていった。


…夫が死ねば、すぐにあの女を追い出してやるのに…。

 そんな凶暴な思いを抱き始めたころ、女は出産しあっけなく死んでしまった。葛野が喜んだのは言うまでもない。だが死んでしまった事で、かえって常夏の存在は、夫の中で絶対のものとなってしまった。


 そして壊れかけた葛野の心は治らなかった。表立って目立つものではなかったが、異常なほど生まれた息子を溺愛し、姫のことは疎み遠ざけた。姫の顔を見るたび、常夏の影が葛野を苦しめた。


 見てみぬふりをしながら時をやりすごすままに彼女は成長し、やっと屋敷を出て行ってくれるかと思ったら、今度は夕那をたらしこんで一緒になるなどという計画を密かに立てているではないか。なんという鬼の所業だろう。夫だけでなく、たったひとつの、大事な私の宝…夕那まで奪おうというなんて。


 葛野は地獄の業火に焼かれるがごとき憎しみをその身に感じた。ああ、自分は一生、この苦しみから逃れられないのか…?


 あきらめかけた時、わずかに冷えた頭の片隅で素晴らしい計画を思いついた。時間と嘘と金を搾り出し、細心の注意をはらって秘密裏に計画を進めた。


 そう、この苦しみも今日でおしまいなのだ。


 あの女に瓜二つの娘を闇に葬り去る。殺すなどと生ぬるい事はせずに、生き地獄を味合わせてやるのだ。


「うふふ…さあ、夕那ももう一杯」


 にこにこと笑いながら、葛野は蜜のような復讐の味を味わっていた。

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