ひどい目

小達出みかん

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舞姫人形よい人形(2)

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ぎぎっ…と、縄が背中に食い込む。少しでも手を動かそうとすると、全身に回った縄が動きを戒める。これ以上ないほど良い着物を着ているというのに、胸と足で着くずれ、ぐしゃぐしゃになったその上に縄が食い込んでいる。


(ああ。折角の着物が…あとで松風に頼んで丹念に皺伸ばししてもらおう…)


 ついそんな事を考えていると、夢政の手が伸びてきた。


「舞っている姿とその姿と、甲乙つけがたい程の美しさだ…千寿」


 夢政は笑みを浮かべながら、千寿の肌に触れぬか触れないかの所で手を止めた。縄の間からこぼれた白い乳房を見て、夢政は言った。


「これほどまでに無垢の肌なのに、お前は女郎なのだな、千寿」


 腰巻がめくられ、千寿の足の間が露になった。夢政お得意の残酷な遊戯の始まりだ。千寿は沈む気持ちを叱咤した。


(だめ、着物のことなんかいいから、しっかりお勤めしないと)


 と、その時、襖の開いた音がした。夢政が手をたたくと、布団の周りに張り巡らされた屏風の隙間から、下女が入って来た。千寿はぎょっとしてそちらを見た。


「お持ちいたしました。どうぞごゆっくり」


下女は床に盆を置き、しずしずと退出した。


「さて…」


 千寿は恥ずかしさに身が火照った。こんなあられもない姿を他の人に見られてしまうとは…。


「そう赤くなるな、千寿」


 はっと夢政に目を向けると、彼は良く切れそうな剃刀を手にしていた。千寿は思わず恐怖に身をよじった。


「な…何をなさるおつもりですか」


「お前が想像した通りのことだ。でも、その前に…」


 夢政の端正な顔が近づき、千寿の唇を捕らえる。機械的な動きで、何かどろりとしたものが口移しで流れてきた。逆らう事はかなわず、それを飲み下す。なにか生薬の匂いがした。


「さて、はじめようか」


 ぱしゃりと足の間に湯をひとすくい、浴びせかけられた。そしてそこに、剃刀があてられる。もともと毛は線香で焼ききって処理してあるので恥ずかしくはない。それより怖さのほうが勝つ。千寿は思わず目をつぶった。どのくらい、剃られるのだろうか…。

 だが、徐々に体の状態がおかしくなり、剃毛の範囲などどうでもよくなった。


(指先が、足先がとてもつめたい。なのに足の間が、妙に熱い…)


 刃先がそこをすべるたびに、じくじくと疼く。身動きすると、縄が容赦なくからだを締め付ける。それなのにもっと刺激が欲しくて、欲しくて仕方ない。


(嘘でしょ…これって…)


 寝乱れ髪か、長命丸か…とにかく先ほど使われた生薬のせいだ。その手のものには危険な薬もあるので、千寿は慎重に避けていた。それなのに…。千寿は胸中で毒づいた。

 毛がすべてなくなる頃には、そこから熱い液体がとめどなく滴っていた。


「すごいな」


 隠すものがなくなったそこに、夢政が指を滑らせた。


「うっ…あ…っ!」


 その瞬間、千寿は気をやった。体の中心を貫くような激しい快感だった。がくがくとゆれるからだを、さらに縄がしめつける。あまりにも苦しく、千寿は呂律の回らぬ舌で夢政に懇願した。


「お、お願いします…縄を解いて…くだ…さい…」


「だめだ、千寿」


 どうしてだろうか。薬をつかうような事はせず、じわじわと体力の限界を試して遊ぶのが夢政の好みなのに。今日は初っ端から限界だ。


「お、おねがいです…苦しっ…」


「なかなかの表情だ、千寿」


「な、なぜ…ですか」


 きれぎれに問う千寿を見下ろす夢政の目には情欲がにじんでいた。


「今日はお前の、理性も思慮も消えうせた顔が見たいのだ」


 そこで夢政は自らの帯を解いた。千寿は一瞬辛さを忘れ目をみはった。なぜならこれまで夢政の脱いだ姿を、見たことがないからだ。


―――夢政は、不能だからだ。


 いつも自分は快楽を得ず、千寿の体を存分にもてあそぶ事で楽しんでいたのだ。それがなぜ、今日は。硬くもちあがったそれを目の前にして、回らぬ頭で千寿は疑問をくりかえした。なぜ…?


「戸惑っているな、千寿。お前が…」


 夢政が千寿の入り口にものをあてがい、何か言いかけた。


「いや…いれるぞ、千寿」


 入り口は千寿の意思に反して、中に押し入られるのを待ち望んでいる。液体がさらに滴った。待ってという間もなく一気にそれがおしこめられた。


「くっ…」


 夢政がうめいた。彼の初めて見る苦しげな表情。だがそれを眺めるまでもなく、また快楽の波が来た。


「っ…あぁっ…夢…政…様っ…」


 中がぎゅっと収縮する。夢政の形を、はっきりと腹で感じる事ができるほどだった。


「…も、もう…」


 もういやだ、これ以上、突かれたくない。なのに夢政は動きを止めなかった。


「千寿、逃げるな…っ」


 いやというほど突かれた後、夢政は千寿を搔き抱き、中に精子を放った。夢政は、疲れたように息をついて千寿の上に倒れこんだ。抱きしめたままの腕がゆっくりと千寿の縄を、ゆるめた。


「はぁ…」


やっと開放された千寿は、安堵のため息をついた。体中に、縄目のあとがついていた。


「すまない、千寿…」


 千寿の胸に顔をうずめ、夢政が言った。久々の行為に相当疲弊しているようで、息が切れている。


「こんなに乱暴にするつもりは、なかった…」


 ためらいがちに指先が、縄目のあとをなぞっている。彼が乱れた姿で本心を漏らす事など、いつもの事なら考えられない。千寿は聞かずにはいられなかった。


「夢政様…なにか、あったのですか?」


 千寿はそっと、夢政を見つめた。夢政の表情がゆるみ、ふっと笑った。いつもの仮面がはがれた。そう思った千寿はさらに聞いた。


「何かあったんですね。話してください、良かったら…」


 目の前の夢政は、何か相当参っているようだった。そういえば今日は最初から口数が少なかった。かと思えば千寿を買い取ると口走ったり、どこか妙だった。千寿は夢政の手をとり、労わるように握った。


「話すだけで心が軽くなる事も、時にはありますから」


 すると夢政が驚いたように千寿を見た。


「…なぜだ」


「…え?」


「千寿、お前を苛む男に、なぜそんな優しくできる?なぜ、労わろうとできるのだ?」


「わ、わたしは…」


「遊女の言葉など、全て嘘とは承知の上だ。お前のそれも嘘なのか?私が、見抜けないだけなのか…?」


「夢政様…」


 千寿は夢政を見つめた。


「私は、優しくなどありません。本当に人に優しくできるのは、たくさん自分の手に幸せをもっている人だけ。私が出来るのは…ただ、受け入れることだけです」


 今度は、夢政が千寿を見つめた。


「私は、なにもそなたの事を知らなかったのだな…」


「そんな事はありません。でも…今日はいつもより、深くあなたを知る事ができたように思います」


 夢政が、千寿に向かって微笑んだ。今までのどこか冷淡な笑みではなく、思わず心からふっと浮き上がったような、自然な笑みだった。


「お前のような女が妻なら、さぞ毎日幸福なのだろうな、千寿よ」


 そして夢政は、語り始めた。


「私には一人、息子がいるのだ。それの母親はすでにこの世に居ないが」


 例の、妾の話か。



「元白拍子で、多情だが、優しい女だった。あれほど相性の良い女はいなかったから、妾として世話をした。しかしな」


 夢政は目を細めた。


「ある日たずねてみたら、彼女の家はからっぽだった。方々探し回ってやっと尼寺に居るのを見つけた。乳飲み子をかかえてな」


「赤ちゃんを…?」


「そうだ。誰の子かと問い詰めたら、私の子だという。しかし私は信じられなかった。私の子でないから、わざわざ家を出て寺などで産んだのだろうと彼女を責めた」


 その後の展開の想像がついて、千寿は辛くなった。


「本当は誰の子だと問い詰めて、彼女と口論になり、私はカッとなり…気がついたら血溜まりに彼女が倒れていた」


 やはり、噂は本当だったのか。千寿は目を伏せた。


「私は赤子を引き取った。あの子は…育つにつれだんだんと私に似てきた」


「夢政様のお子だったのですね…」


「そうだ。今では間違えようもない。あの女は、嘘をついてなどいなかったのだ…」


 夢政は頭をかかえて血を吐く様に話し続けた。きっと誰にも言えず、そのことをずっと苦しんできたのだろう。


「だが、私の子であるならなぜ、家を出て行ったのだろう。私にはそれが今でもわからない。お前にはわかるか?」


 千寿は、なんとなくだがわかった。子ができる。それは女にとっては人生の一大事だ。慎重に言葉を選んで千寿は言った。


「きっと、その人は…不安だったのではないでしょうか」


「不安?」


「女は子ができると、思い悩むものなのです。たとえそれが愛する人との子でも、相手が自分との子どもを喜んでくれるか…それを問うのが怖かったのかもしれません」


「…そんなこと…」


 夢政が低い声でつぶやいた。

 夢政の愛が信じられず、不安で逃げ出した女。誰の子だと問い詰め斬った夢政。

 もう少し、運命が違えば。どちらかが一歩踏み出していれば。今は二人で幸せに過ごしていたかもしれないのに。千寿は自らの事を思い出さずにはいられなかった。想いあっているから、引き裂かれる。


「辛かったですね…。でもその赤子は今は夢政様のもとで、幸せなのですよね…?」


 そうつぶやく千寿の目は潤んでいた。それを見て、夢政はその肩をそっと抱いた。


「お前はなぜ、私のためなどに涙を流すんだ…?だが…そんなお前のおかげで私は…助けられたのだ」


 夢政のらしくない言葉に千寿は彼の顔を見上げた。


「助けた?私が、夢政様を?」


「お前も知ってのとおり、私は不能だ。あの女との事があって以来、そうなってしまったのだ」


 やはり、不能はその女性が原因だったのか。


「父に命令されて、別の女を正室に迎えたが当然、子はできなかった」


 夢政の表情が、憂鬱げに沈んだ。夢政の苦しみはわかる。だが、昔の女の罪に苦しむ主人を見て、新しい妻はどう思ったろう。父、義家の顔が千寿の頭をよぎった。今も昔も、男は罪な事を平気でするのだ。


「何人もの遊女を召したが何も変わらなかった。そんな折、お前に出会った。お前がこの街に落ちたと聞いたときは嬉しかったよ。お前を思う存分玩具にできると思ったからな…」


 行灯の火が、しだいに小さくなる。夢政は語りつづけた。


「お前の体を知ってから、私の体も変わった。お前との事を思い出していれば…妻と一夜をともにする事ができた」


 そんな事情があったのか。眉一つうごかさずに千寿の体を責めていた夢政だったのに。千寿は内心驚いた。


「そしてこの秋、あれが身ごもったのがわかった。それからだ…あれが、息子を苛んで…息子はついにどこぞへと、消えてしまった」


 千寿は息をつまらせた。正妻の奥方に疎まれ、消えた落とし子。過去の自分が鮮烈に脳内によみがえる。


「消息を、絶ってしまったのですか…?」


 千寿は震える声で聞いた。


「そうだ。自分で屋敷を出て行ったようだ。ずっと探しているが、なんの手がかりもない…。かよわい子どもだ、もう命はないかもしれない…」


 夢政は俯いた。たしかにそうだ。貴族の子どもがいったん屋敷をでて庇護もなくふらふらしていたら…行きつくさきは想像しなくても、わかる。


「親の欲目もあるが、あの子は自分の子とは思えぬほど出来た子だった…お前には及ばぬが、舞の才もあってな。自慢の息子だった…」


 夢政の本心である苦しみに満ちたその告白は、千寿の心を乱れさせた。引き裂かれた親子の悲しい顛末。その少年は千寿と同じように、やむにやまれぬ状況になって自分を犠牲にしたのだろう。その気持ちを想像するとやりきれず、千寿の目から涙がこぼれおちた。それを見て夢政も目頭を押さえた。


「一緒に泣いてくれるのか、千寿…」

 
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