ひどい目

小達出みかん

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松の位のとばっちり

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年明けて幾日か。胡蝶屋は上へ下への大忙しだった。太夫鈴鹿が、大店の旦那に請け出されることになったからである。


 請け出しの際には、まわりへの挨拶、ご祝儀、そして街中をにぎわす盛大な宴を行う。これが、身請けされる遊女にとっての祝言だった。

 初売りの忙しさに加え、これらの準備で見世は灯紫から禿までおおわらわだった。もちろん千寿も仰天したが、皆と一緒に準備を手伝った。


 請け出しの朝、見送りの行列に加わる千寿に、鈴鹿が言った。


「また外で会おうね、千寿」


 いつもの飾らない調子で千寿に言う。この気さくな瞳に、どんなに元気付けられ、なぐさめられてきたことか。千寿は思わず、鈴鹿をぎゅっと抱きしめた。いつもの香の、いい香りがした。


「…先に行く私を許してね」


 おおらかで頑張りやで、何人もの禿を妹分として可愛がっていた優しい鈴鹿。彼女がいなくなったら、胡蝶屋の内部屋は火が消えたようになってしまうだろう。


「うん…外はきっと、ここより良いね」


 今まで生きてきた中で、心を打ち明けられる友と呼べるのは鈴鹿だけだった。

 こんな場所に売り飛ばされた中で、鈴鹿と出会えたことだけは幸運だった。だから別れは、正直に言って辛い。きっともう二度と会えないだろうから。


「千寿…」


「鈴鹿は、私のいちばん大事な友達。だから…ここから抜け出て幸せになれるんなら、これ以上嬉しい事はないよ」


 それも千寿の本心だった。鈴鹿の目じりが下がって泣きそうな顔になった。


(あんたにも、幸せになってほしい、千寿…)


 鈴鹿は強く思ったが、それを口には出せなかった。千寿はそれを望んでいないようなところがあるからだ。まるで何かを恐れているように。


(いつか、千寿が本当に愛する人に、会えますように…)


「…ありがとう、千寿」


 だから万感の思いをこめて、鈴鹿はただ返事をしたのだった。


(千寿の事、祈ってるからね。幸せになれるよう…)


 その祈りは、鈴鹿しか知らない。しかし思いもかけない形で早急にその祈りが叶う事を、鈴鹿も専修も知るよしもなかった。


 一度大門を出れば、もう鈴鹿は振り返らなかった。千寿はそれを承知していながらも、鈴鹿の後姿をずっと見つめた。店の者が室内に戻っても、鈴鹿の背中が消えても、とどまってずっと見送っていた。






 千寿が部屋に戻ると、そこには一足先に梓がいた。千寿はすこし身構えてしまった。

 あの牛車の事以来、二人きりになるのは初めてだ。荷物を全部置いてさっさと帰ってしまった梓を、千寿はちょっと恨んでいた。


「梓さん、どうしてこんな所に?」


 梓は畳の上の箱を指差した。


「これ、鈴鹿から。二人で分けてってさ」


「鈴鹿が…」


「でも俺の趣味じゃないし。だから全部千寿にやるよ」


「そんなぞんざいな・・・梓さんも一つくらい、形見にもらってはどうですか」


「やだね、娑婆に出た朋輩のものなんて。それに、千寿が使ったほうが鈴鹿も喜ぶだろ」


「…それもそうかも」


 千寿はふっと微笑んだ。だがそれは、さびしげな微笑みだった。


「おいおい、そんな落ち込むなよ。みんないつかは出てくんだから」


 梓が肩をすくめて言った。


「わかっていたつもりだったんです。でも、鈴鹿は…」


「鈴鹿は?」


「私なんかにも優しくしてくれて、それが本当に……って痛ッ!」


 千寿はおでこをおさえた。


「な、なにするんですかいきなりっ」


「なにって、デコピンだよ」


 ぬけぬけと答える梓に、千寿はため息をついた。


「はぁ~、すみませんね、梓さんの前でつまらない愚痴なんか言って。じゃ、鈴鹿の荷物はいただきますから…」


「・・・・なあ千寿、いいかげんその「さん」づけやめろよ」


「えっ?でも私のほうが目下ですし…」


「目下?」


 梓はイラッとした。鈴鹿の請け出しでいやにしょげかえっている千寿にもともとイライラしてはいたが、もっとイラっとした。鈴鹿のことは、普通に呼び捨てにしていたくせに。こいつ、自分で墓穴掘ったな。ぐっと梓は千寿に顔を近づけた。


「鈴鹿はこの見世の一番のお職だったけど~?」


「えっ、そ、それは、鈴鹿が」


「それにあんな事までしたんだから、俺達はもう対当だろ」


 千寿はうつむいた。


「あれはただ梓さんが人助けしたってだけで…意味なんてないでしょう」


「無意味だっての?あれが?」


「そうです、無意味です。薬のことがなきゃしなかった」


「ふーん。じゃ、口付けしてよ。今」


「はっ?何でですか!?」


 千寿は面食らった。


「無意味な行為なんでしょ。だったらしてもしなくても同じじゃん」


「そんな…」


「できないんなら、その行為に特別な意味があるってことじゃないか。なぁ、千寿」


「なんでそんなムキになるんですか」


「さあな」


 梓はふてくされたように答えた。お互い、無言の時間が流れる。


「あーあ、本当、舞姫様はお高く止まってるな!」


 とげとげしく言い捨て、梓は部屋をあとにした。残された千寿は、途方にくれて立ち尽くした。


(私、なんか間違ったかな…)


 どうしてだろう、梓とはいつもこうだ。少し話すとすぐ喧嘩、その繰り返し。鈴鹿や菊染のように、朋輩として仲良くなれればいいのに。


(私と梓さん、性格的に合わないのかもな…)


 わからなくなり考えるのをやめ、鈴鹿のおいていった箱に手を伸ばす。中には、櫛や簪、着物などが入っていた。

 目も覚めるような水色に、桜の花びらが散る優雅な袷、黄縮緬の扱き帯。どれも千寿が憧れていたものばかりだ。


(素敵…でも、私には似合わない。鈴鹿にしか着こなせない…)


 その時、とたとたと廊下から足音がして、ゆきがやってきた。


「千寿姉さま、灯紫様がお呼びです」


「…わかった」


 千寿は箱を元通りしまって、灯紫の座敷へと出向いた。何の話があるのかは、もうわかっていた。





 座敷には灯紫と松風が待っていた。梓もいる。


「お待たせしました、灯紫様」


 千寿が座ると、さっそく灯紫様が口を開いた。


「単刀直入に言うけれど、次の太夫はあんただよ」


「…はい」


 あまり気は進まないが、繰り上げ式だから仕方ないだろう。実は陰間の梓を太夫にするわけにもいかないだろうし…千寿は頷いた。


「でも実質のお職は梓だから、お前と梓で鈴鹿の禿を分け合って面倒をみるんだよ」


 続いて松風がテキパキと言った。


「鈴鹿の禿は2人います。こすずを梓、りんを千寿が引き受けてください」


「へえ。俺がこすずでいいの」


「りんはこすずに比べてまだネンネだけど、舞の見込みがいくらかあるからねぇ。千寿、たのむよ」


「承知しました」


「じゃ、話はこれでおしまい」


 そういうと、灯紫様は奥座敷へと姿を消した。


「さて、もう昼見世の時間が始まってますね」


 松風は梓と千寿に向き直って言った。


「千寿、今日は初回のお客様が見えています。若い殿様です。くれぐれも粗相のないように。あなたなら、まあ大丈夫でしょうが」


「…はい」


「梓はひきつづき、いつづけのお大尽の相手を」


「わかってるよ」


「では、二人とも揚屋へ」


 座敷の外では、ゆきが律儀にお供にと待っていた。


「千寿姉さま」


「ああゆき、ちょうど良かった。今灯紫さまから話があって…」


 おりんの事をはなすと、ゆきはすこし顔色をくもらせた。


「…じゃ、ぼくのほかに、禿が?」


「そう。ここにいる年数はおりんのほうが上だけど、年は下だ。ゆきが先輩だから、面倒を見ておくれ

よ」


 千寿は頼んでみせたが、それでもゆきは硬い表情だった。競い合う相手ができて不安なのだろうが、仲良くやってもらうしかない。自室に戻ると、すでにおりんが正座して待っていた。


「千寿ねえさま、このたびはありがとうございんしたっ」


 そういって頭を畳にこすりつける様子は、いつもどおり幼い。年は十にも届いていないであろう。


「いいよ、りんの事は鈴鹿にもたのまれていたし。これからよろしくね」


「はいっ。千寿ねえさま、何かわたしの仕事はありますか?」


 ゆきと違って、りんははきはきしている性格のようだ。


「今のところは、ゆきと同じようなものかな。よくゆきに教えてもらってね。鈴鹿の時よりは暇だと思うよ」


「でも千寿ねえさま、太夫になってしまったからにはきっと忙しくなりますよ」


 ゆきが横でぽつりとつぶやいた。


「はぁ…そうかもね」


 太夫ともなれば、番付や浮世絵で広くまで名が知れ渡る事となる。その分多く客も来る。ふと、昔の誰かの面影が不安とともに浮かびあがった。


…だが日本広しといえど、高位の遊女と遊べるお大尽など限られている。

 夢政のような裕福な貴族…あとは羽振りの良い商家の大旦那くらいだ。「彼」がくることはまずないだろう。


 ゆきと、鈴鹿から託されたりん。二人のためにも、たくさん稼がなくてはならない。そう思うとこころなしかやる気が出てきた。


(さあ、忙しくなるぞ)


 決意を新たにした瞬間、廊下の向こうから逸朗がやってきた。


「千寿様。揚屋から迎えが来ております、ご準備を」


 千寿は一瞬で頭の中を仕事一色に切り替えた。


 客もいろいろいる。千寿の舞を楽しみたい客、高級遊女とどんちゃん騒ぎの宴をしたい客、ただ寝たいだけの客。だがお大尽との初回ならば、まずは礼儀を重んじて杯を交わし、禿や芸者を揃えてもてなすべきだろう。


「ゆき、今日は初回だから、赤の熨斗模様の着物の用意を。逸朗、かかえの芸者たちは?」


「はい。もう向かっております」


 ふと、あの桜の着物の箱が目に入った。千寿の気が変わった。


「ゆき」


「はい?」


「やっぱりあの着物はやめて、この桜を着ることにするよ」


「はい、承知しました」


「で、ゆきとりんも宴に出てもらうよ。衣装はとりあえず、ここの仕着せので良いよ」


「はぁい」


 りんは素直に返事した。


「そのうち、2人お揃いのも作らせるからね」


 少年少女の揃いの装束は、きっとかわいらしいものにしよう。どのようなものを作ろうかと想像をめぐらす千寿の頬に思わず笑みが浮かんだ。


 入り口の戸を出ると、佐吉と松風が待っていた。


「遅いですよ千寿。次からはもっと早く支度なさい」


「松風さんも来るのですか?」


 首をかしげて言う千寿に、松風は答えた。


「もうあなたは太夫なのですから。太夫の初回に遣手が付き従うのは当然です」


 そういうものなのか。ありがたいような、迷惑なような…。そんな失礼な事を考えている千寿を無視して松風はつづけた。


「今日は間に合いませんでしたが、あなたの名入りの提灯、禿の帯も作らせていますからね」


 そして松風は上から下まで、千寿を検分するように眺めた。


「鈴鹿の着物ですね。玄人向けで、品が良い。ですがあなたはもう太夫なのです。他人のお下がりを初回に着るようなことはしないように。まあ、今日はもう時間がないので良いですが」


 千寿はちょっと辟易としたが、少し心強くもあった。

 そして禿二人と遣手、若衆をひきつれ、揚屋に向かった。つい、下を向いてしまうとすかさず松風の小言が飛んでくる。


「ほら千寿、しゃんとしなさい。あなたは店の看板を背負って歩いているのですよ」


「…はい」


 行き交う客、行商人、遊女達・・・様々な人々で夕刻の揚屋通りはごった返している。こわごわ顔を上げると、その様々な人達が、一様にこちらに注目しているのがわかった。


「見ろよ、胡蝶屋の行列だ!」


「一体なんて太夫だ?初めてみるぞ」


「もしかして…格子だったあの、」


 人々が通りで立ち止まり、人垣になって千寿を見つめている。感嘆の声、おどけた声、小馬鹿にする声…さまざまな評価の声が千寿の耳にも届いた。


 胡蝶屋のずっしりと重い名前を背負って、歩いているのだ。これが、太夫になるという事か。鈴鹿の立派だった姿を思い出し、千寿はきりりと凛々しい面もちを作って揚屋までの道を歩ききった。


 その先で思いもかけない客がまっているとは、知りもせずに。
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