推しのおかげで、脱皮できました。

ぞぞ

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 空気が湿り始め、雨の日が多くなってきた五月上旬、私の心は脱皮した。
 立ち会ったのは、山下かの子さん。小学校低学年から知っているけれど、高校で再び同じクラスになるまでほとんど言葉も交わしたことのなかった人だ。
 
 小学生の頃、この山下さんという人を私の周りの友だちはみんな「独特」だと言っていた。一人でいたからだ。休み時間になれば鞄から本を取り出し、食い入る勢いで読んでいて、その姿は当時の私たちの目に異様に映った。読んでいるのは分厚く重そうな単行本の時も多く、みんな「あんなの、よく持ってくるよね」と声を潜めて話していた。そうやって遠巻きに見て、小馬鹿にした。独特だねぇ。いろんな人がいるねぇ。一人でいるのが好きなんだろうねぇ。一言一言に意地の悪い薄笑いが滲んでいて、その輪の中にいながら私は少し怖かった。他人と違うことをすると、みんなから「独特」と言われてしまう気がして、周りの子に何もかも合わせて過ごしていた。
 そういう私とは、みんな遊びやすかったらしい。小学校の六年間、私は人気者だった。多くの子が私に「一緒に遊ぼう」と声をかけてきたし、「真奈がいると楽しい」と言った。クラスメイトについてどう思うかのアンケートでは「優しい子」の項目で圧倒的票差をつけて一位に輝いた。
 その分、私は流されやすかった。いつも友だちのしたいことを一緒にして、友だちの意見に左右された。何かを選ぶ時は友だちと同じものにしたし、何かあれば自分の判断は引っ込めて友だちの言う通りにした。行事のための班決めの際も、「同じ班に入れて」と言われれば「他の子もいるから訊いてみるね」と応えた。たいていの場合、みんなも「いいよ」と受け入れてくれたけど、山下さんの時だけは違った。
「迫田さん、私も同じ班に入っていいかな?」
 微かに震えるか細い声で言った山下さんに少し驚きつつも、私はいつも通りに返した。他の子もいるから訊いてみるね。
「え? 無理でしょ」
 話しに行った私へ、優ちゃんというリーダー格の女子が言った。その後に、いろんな声でいろんな言葉が続いた。
 私たちがって言うより、山下さんの方がさ、無理なんじゃない?
 そうだよ、だって山下さん、このグループの誰とも喋ったことないじゃん。
 みんな揃いも揃って「私たちはいいんだけど、山下さんが良くないと思う」という論調だった。優ちゃんは、ニコッと私に笑いかけた。だから真奈。山下さんに、そう言ってきて。
 反論することもできず、私は山下さんの所へ戻った。みんな、山下さんは他のグループの方がいいんじゃないかって言ってる。
「私は平気だけど……」
 そうなんだろうなと思った。と言うより、この時の山下さんには、それしか選択肢がなかったに違いない。
 けれど私は「それでも、ごめん」と返した。私の選択肢も、それしかなかった。そして仕方なく、他のグループの子たちに、山下さんを入れてあげてと頼んだ。

   *   *   *

 ふー、と深く息をつき、凝り固まった肩をほぐそうと腕を回す。
 線と線の重なった部分へ立体感を出すため、何度も、丹念にペンを重ねて太くする作業が、やっと終わった。疲れはしたが、目の前の描き上げた線画を見れば、そんなもの吹き飛ぶ。自分でも口角が上がったのを感じた。あとはコピックを使って色をつけていけばいい。今日はもう遅いから、続きは明日にしよう。一抹の名残惜しさを感じつつも、私は机を離れベッドへ潜り込んだ。

 私は今、人生初のオリジナル絵に挑戦している。昔から絵を描くのは好きだったけれど、その全てが模写だったのだ。今でも、机備え付けの書棚の隅には小学校時代の自由帳があり、開けば漫画やアニメのキャラクターがたくさん並んでいる。当時はみんなから「このキャラ描いて」とよく頼まれ、その子が持ってきた漫画やグッズを見ながら同じように描いていた。絵が完成すると、周囲から「すごーい」なんて声が上がり、みんな代わる代わる元の絵と私の絵を手に取っては見比べていた。
 自由帳がクロッキー帳に替わり、休み時間に絵ばかり描いていると変人扱いされるような年頃になっても、私は家でこっそり絵を描いていた。一番多かったのは、ある少年漫画のキャラクターだ。

 出会いは初恋の瞬間だった。いや、恋した相手はそのキャラクターではなく、三次元の男子だ。小学五年生の時、その男子が「このキャラ描いてみて」と私に声をかけてきた。前々から気になっていたクラスメイトだったこともあり、私の心は跳び上がって、花束でも投げ入れられたみたいに華やいだ。誰だが全く知らないそのキャラクターを一生懸命描いて見せると、その男子は満面に笑みを広げた。すっげ。かっこいい。ありがと。
 短い言葉がとても嬉しくて、私は彼との接点を増やしたい一心でそのキャラクターのことを調べ、漫画を読み、アニメを観た。彼のために描いたキャラクターはシュートくんといった。本当にかっこよくて、私はズブズブ沼に落ちていった。当初は強いけれど孤高という感じで他を寄せつけない印象だった彼は、物語が進むにつれ少しずつ周囲と関わっていく。信念や目指すものが変わったわけではないけれど、それでも視野を広げ、他人を受け入れていくことで成長していく姿に、強く惹かれた。強く強く強く。そして、シュートくんに大きな魅力を感じているらしいその男子のことが、さらに輝いて見えた。
「え? 別にオレは好きじゃないけど?」
 私もシュートくんが好きになったと伝えると、その男子は素っ気なく返してきた。
「ヴィジュアルは好きだよ。すっげ、かっこいい。けど、キャラとしてはイマイチ。オレはそいつのライバルっぽいキャラが好きだな。分かる? めっちゃかっこよくない?」
 かっこよくない。
 心で言葉にしたと同時に、その男子への恋心は灰色に褪せていった。
 代わりに、私の内でシュートくんがいっそう輝きを増した。かっこいい、かっこいい、かっこいい。週刊連載を追いかけるようになると発売日の毎週月曜日は心臓が痛いくらいドキドキした。そして毎週、シュートくんのかっこよさ健気さ優しさに心が震えた。底の方から揺り動かされた。深い沼にはまっていくようにどんどんのめり込んでいった。

 シュートくんの絵は、もう何百枚も描いている。最初こそ彼のかっこよさを再現するのは難しかったけれど、今ではすっかり慣れて、何も見なくてもそれなりに見栄えのするイラストを描けるようになった。私と同じでシュートくん推しの優ちゃんは、よく「シュートの絵、描いてよ」と言い、完成したイラストを持ち帰った。
「真奈って本当に絵ぇ上手いよねぇ。そっくりー」
 けれど、私の描くものはどれもが描いたことのある絵の――つまり模写した絵の焼き増しだった。他人に流されてきた私は、自分で何かを考え出すことが極端に苦手だ。イラストさえも、何かの真似をしなければ描けなかった。
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