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第4話 デレクの脱走
しおりを挟む「お前、ビンセントんとこの掃除兵と友だちだって言ってたよな?」
戦車長は交渉を終えてきてすぐに切り出した。ジョンの心に電気が通る。体にぐっと力が入った。
「黒い戦車の人ですよね? そうです。いたんですか?」
戦車長は小さく息をつくと、じっとジョンを見据えた。不吉なものを感じ、ジョンの背筋が冷たくなる。
「落ち着いて聞けよ。さっき交渉の時に聞いた噂なんだが、ビンセントの戦車から掃除兵が脱走したらしい」
脱走した――。
ジョンの胸にありとあらゆる感情がなだれ込んできた。脱走なんて大それたことができるのは、きっとデレクくらいだ。デレクは生きているんだ。やっと消息の手がかりが見つかった。けれど、脱走するくらいなのだ。やはりひどい目にあってきたに違いない。無事かどうかも分からない。怪我をしているかもしれない。飢えに苦しんでいるかもしれない。でも、デレクはここにはいないのだ。
一抹の希望、心をえぐるような辛さ、何もできない無力感――。いろんなものが綯い交ぜになって心を乱した。
「バード戦車長! デレクを探してください!」
戦車長は目を見張って固まり、それからゆっくりと表情を解く。
「探してやりたいのは山々だが、どこにいるか手がかりが一つもないし、だいたいそんなことしたらビンセントを敵にまわしちまう。正直、うちの戦車じゃあいつのには勝ち目がない」
「そんな……」
ジョンの心で希望が輝きを失っていく。体の力が抜けて、ジョンはその場へへたり込んでしまった。
その夜、ジョンの頭の中はデレクのことでいっぱいで、眠気はどこにも入り込んでこなかった。デレクは今どうしているだろう? 一人で心細いに違いない。ぐるぐるぐるぐるいろんな考えが巡り、そのうちにデレクが外にいるような、そんな気がしてきた。理屈ではそんな可能性ほとんどないと分かっている。けれどデレクが自分を頼っているかもしれないという思いが過ぎり、その瞬間に寒い砂漠の夜にジョンの迎えをすぐそこで待つデレクの姿が、脳裏にこびりついて離れなくなったのだ。彼はそっと寝床を抜け出し、階段を降りてハッチから外へ出た。
濃紺の空が地平線からぐるりと頭上を通って反対の地平線へ落ちている。まさに天球というにふさわしい夜空だった。砂の大地は漆黒に染まり、天と地の境がほんのりと赤みがかっている。そのうっすらとした赤い光に、黒い影が動くのが見えた気がした。
まさか……。
そう思って目を凝らす。やはり黒い人型の影がうごめいている。
「デレク!」
ジョンは叫んだ。
「デレク! デレクだよね? ぼくだよ、ジョンだよ!」
空と地のみの暗い夜を、彼の声がまっすぐに走っていく。影の動きがぴたりと止まった。身じろぎもしないように見える。ジョンはじっと見つめた。そうしている内に影は再び動き出して、気がつくと少しずつ少しずつ大きくなっていた。ジョンも影へ向かって走る。デレク! デレク! やっと会えた! そう思って走った。人影はどんどん大きくなる。目の前に迫ってくる。そして、すぐそこまで来ると――
デレクがいた。本当にデレクだった。ジョンの知っている彼よりも背が高く、しかし暗闇が落とす影は深く、金髪は短く刈り込まれていたが、それでも間違いなくデレクだった。
「デレク……!」
ジョンが駆け寄るとデレクは全身の力が抜けたようにその場へ倒れ込んだ。
「大丈夫⁉」
ジョンは抱きとめると、彼の腕を自分の肩にまわす。
「しっかり! すぐぼくの戦車に連れてってあげるから」
デレクは何も言わない。ただ耳元に彼の荒い息遣いを感じる。ジョンはゆっくりと立ち上がり、砂に足を取られながらデレクを運んだ。何とかハッチまで連れていき、中へ入ろうとする。だが、目の前にはバード戦車長が立ちはだかっていた。
「お前、何やってる?」
見たことがないほど厳しい目で、瞬きもせずに戦車長はジョンを凝視する。怖気が腹の底でざわつき、ジョンは一瞬目をそらした。でも、すぐに意を固め、顔を上げる。
「戦車長、デレクです。ぼくを頼って来てくれたんです。お願いです、入れてやってください」
戦車長は厳しいままの目をデレクへ向ける。彼は頭を垂れて肩で息をするばかりだ。戦車長はため息をついた。
「誰にも見られてないな?」
「はい、他に人影も戦車もありませんでした」
戦車長はジョンの目をしっかりと見ると、頷いて道をあける。ジョンはデレクを連れて戦車の中へ入った。
デレクをジョンの寝床へ運んだ。明かりをつけてみると、右足の膝から下に大きな傷があり、だらだらと血が流れ出ている。戦車長はすぐさまドクターを連れてきてくれた。
手当が終わると(ドクターは寝ているところを叩き起こされてひどく不機嫌だった)、呼吸も落ち着いてきたらしいデレクがジョンに顔を向けた。明るい中で見ても、やはりその顔には疲れが影を落としていた。
「ありがとな、本当に」
「いいんだ。当たり前じゃないか」
ジョンはそう言って横たわるデレクの手を取った。
「今はゆっくり休んでよ」
しかし、ふと気になった。つい尋ねてしまう。
「どうしてぼくの居場所が分かったの?」
デレクの口角が少し上がる。それだけでジョンはひどくほっとした。
「オレ、戦車砲の掃除以外にも武具の仕入れも手伝わせられてたんだ。だから、そういう時は気づかれないように情報を集めてた。お前がどこにいるか知りたくて。商売人やたまたま居合わせた他の戦車の奴に話を聞いたんだよ。そしたら、お前のとこの砲手だって奴らに会って、戦車のだいたいの位置も聞き出せた」
デレクは言葉を切って宙に視線を漂わせた。
「もう少し様子を見ようと思ってた。お前は無事みたいだし、危ないことに巻き込みたくはなかったし。でも……殺されそうになったんだ。寝てる時に首を切られそうになった。それで逃げてきたんだ。お前のとこに来るしかなかったんだよ。迷惑なのは分かってたんだけど」
「迷惑じゃない!」
ジョンは叫んだ。
「すごく嬉しい。ぼくもずっと探してたんだ。でも全然見つからなくて、心配で心配で仕方がなかった。やっと会えた。本当によかった……」
声が詰まってしまった。目頭が熱く、鼻の奥がつんと痛い。泣きそうになるのを堪えて、ジョンは言葉を繋いだ。
「でも、もう大丈夫だ。ここの人たちはとても親切なんだ。一緒に働けばいいよ」
デレクはうつむいた。深く息を落とし、物思い顔で少しの間粗末な床を見つめる。
「オレ――」
顔をうつむけたまま、彼は再び口火を切る。
「ここにはいられない」
「迷惑なんかじゃ――」
「違う」
デレクは強い口調で言い、顔を上げてジョンを見つめた。
「仲間を集める。同じ戦車砲掃除兵の子どもたちを。それで、みんなで戦車に乗って大人たちと戦うんだ。子どもが――オレたちばっかりが犠牲になる世界なんて、まっぴらだ。大人の食い物になってるしかないなんてオレは嫌だ。オレは……オレは大人たちをみんなぶっ飛ばして、オレたちの自由な世界を作りたい」
あまりに大きな話過ぎて、ジョンは瞠目するしかできなかった。目をしばたたいてデレクを見る。一度もそんなこと考えたことがない。彼には戦車長をはじめ、優しく接してくれる大人が少なからずいて、彼ら全部を敵に回して戦おうなんて思いもよらなかった。
「でも、ここの人たちは――」
言いかけた時、ドアが開いた。戦車長だ。
「オレはお前も逃げたっていうからな」
ジョンとデレクが驚いて顔を見合わせると、戦車長はにっと口の右端を持ち上げる。
「オレも掃除兵だったって言っただろ。あの時、オレは大人に逆らうことができなかった。ずっと言いなりになっていじめられてた。だから――子どもが大人を負かすとこを見てみたいよ」
ジョンはびっくりして言葉が出なかった。けれど戦車長の言葉がだんだんに頭に馴染んできて、それに従い自分の気持ちが高揚してきていると気がついた。
子どもが大人を負かす。子どもが世界を変える。そのことが希望となって心に染みとおってきた。ぼくたちが革命を起こすんだ――。体がぐっと熱くなり、自然と笑みがこぼれた。
「それにな」
戦車長が続けた。
「ちょうどいい戦車がいつもこの辺うろついてるだろ? ついでにそこのちっこい掃除兵も助けてやれ」
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