オー、ブラザーズ!

ぞぞ

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第42話 最期

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 銃声の瞬間、トミーははっきりとビンセントの姿を捕らえていた。彼は飛び出しそうな程ギョロリと剥いた目でトミーを見ていた。その表情は、全てを終わらせる残酷な音が鳴り響いた後も変わらなかった。少し遅れて、腹のど真ん中を中心にして、ゆっくりと怪しい花が開くように白シャツへ鮮血が広がっていった。
 サミーとビリーも目を見張って呆然としている。二人ではない。ビンセントの体が倒れる。その背後に――
 デレクだった。彼は腕を斜め下へ伸ばし、倒れるビンセントへ未だに銃を構えている。
「大丈夫か? トミー」
 やはりデレクは険しい目を標的へ向けたままだ。トミーは、ああ、と応えてビンセントへ近寄った。
「何する気だ?」
 デレクの張り詰めた声。深いため息が出た。トミーはビンセントの傍らに膝をつき、
「このままじゃ死んじまうだろ」
「お前、そんな奴助ける気なのか?」
 信じられないと言わんばかりの非難が真っ直ぐに飛んできた。癪に障る。トミーは自分の眉間が不快さに歪むのが分かった。
「こいつがクソ野郎だなんてこと、見捨てる理由にはならねえ。オレはお前なんか大っ嫌いだが、死にかけてたら助けてやる。ダンの奴のことも助けたしな。こいつ助けて何がおかしい」
 しかし、処置をしようとビンセントのシャツをたくし上げかけた時、
 腕を掴まれた。骨太く、節くれだった手。砂の汚れが染み付いたような赤茶けて老いた手。思わずトミーが見ると、ビンセントはひどく穏やかな顔をしていた。
「お前みたいなガキに助けられたなんて屈辱、背負わせるな」
 ビンセントはトミーの目の奥をじっと見つめた。
「手を撃って悪かったな。他に怪我はねえな?」
 不意打ちを食らった。心の柔らかいところに。胸がぐっと締め付けられて、トミーはなんとか頷く。
「そりゃあ良かった。……ルークのこと、頼む。あいつはケンやお前と同じように、優しい、いい奴だ」
 トミーはもう一度首を縦に振った。ビンセントの口元が微かな笑みに歪んだ。そのすぐ後、トミーは彼の表情から魂が消える瞬間を、確かに見た。
 
 トミーはビンセントの亡骸から離れると、すぐそこの、彼の命を救ったデレクには目もくれず、サミーの元へ歩み寄る。
「大丈夫か?」
 それがスイッチになったのかもしれない。サミーの顔が急にくしゃくしゃになり、その場へ崩れこんでしまった。
「ごめん、トミー。本当に、ごめん……。ぼく、本当に、君に、嫌な気持ちを持ってる、わけじゃ、なくて……ただ、ただ、もしも――」
「お前は何にも悪くねえよ。ビンセントだって、お前を挑発しようとしてただけなんだろうし」
 サミーは駄々をこねる小さな子どものようにぶんぶん首を振った。
「違う……ぼくは、ぼくは、そんなこと考えちゃいけないって分かってるのに、もし、あの人たちが、追い剥ぎみたいなことをする人たちが、いなかったらって、そんなこと、考えて……。頭ではちゃんと分かってるのに、それしか生きてく方法がない人たちがいるって、分かってるのに。何の苦労もしないで呑気に育ったぼくなんかには、みんなを非難する資格なんて――」
「お前は十分苦労してんだろ」
 トミーは嘴を入れた。目を丸くしたサミーと視線がぶつかる。
「親殺されて、ずっと肩身の狭い思いしながら親戚んとこで育って、戦車で働く羽目んなって、今はこうして大人相手に戦って。ずっと苦労してきてんだろ。それを『苦労しないで呑気に育った』って。お前、どんだけ自分を下げて生きてんだよ。馬鹿じゃねえの?」
 サミーの表情が、土砂降り間際の空のように一気に歪む。今にも声を上げて泣き出しそうだった。その時――
 ドアが開いた。現れたのは、バード戦車長だった。
 
     *****
 
 ディッキーははずっとダンを抱きながら、彼に語りかけていた。そうしないとダンの魂がすぐにでも飛んでいってしまいそうで、怖かったのだ。昔、二人で仕掛けたイタズラはもちろん、その他のたくさんの思い出のことを話した。二人の内どちらかに嫌なことがあった時には一緒にこっそり家を抜け出し、砂の上に寝そべって星を眺めていたこと。酒場から盗んだ葡萄酒でディッキーが酔っ払って大騒ぎになってしまったこと。ディッキーが義きょうだいたちに意地悪をされた時には、きまってダンが仕返しをしてくれたこと。その度にダンは父親からひどく殴りつけられていたこと。ダンに迷惑をかけたくなかったディッキーは、大人へ愛想を振りまくことで味方につけて身を守るようになっていったこと。そして……それと同じようにしようとしてランディたちにニコニコ笑って接していたら、余計にひどく虐待されるようになってしまったことも。
 ディッキーはダンの体へ回した腕に、そっと力を込めた。
「ダン、死なないでよ」
 喉がブルブルとし、声も震える。
「こんなこと、ダンにしか話せないんだよ。ここのみんなはオレに優しいけど、仲間だけど、友だちだけど、でも、ダンがいなかったらオレは一人ぼっちだよ」
 しん、と静寂が耳に痛い。胸へ不安が伸びてくる。ダンは言葉を返さないだけでなく、腕の中で身動ぎもせず、答えようと呼吸が乱れることもない。いや、それどころか――息を吸ったり吐いたりする気配そのものが、呼吸で体が膨らむ感じが、全くなくなっていたのだ。しっかりと腕に抱いているのに。
 血の気が引いた。さっきまで意識から遠ざかっていたダンの体の冷たさが、ディッキーの心臓を凍りつかせた。彼はダンの体を引き離した。すっかり土気色に変わってしまった顔。その表情が動く気配はない。
「ダン」
 応えが返ってくるかもしれないという小さな希望にすがった。けれど返事はない。忍び寄ってきた不安がぐるりと恐怖に変わる。
「ダン、ダン、ダン、ダン――」
 目の縁に涙が染みてくる。ダンの体をゆする。それでも、彼の表情はぴくりともしなかった。
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