ワガハイは猫じゃないよ

出井 瞑多

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5.僕が三四子家ではなく、マミヤンちに引き取られる話

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「うち、ペット飼えへん」と三四子。
三四子家には自分の能力で手に入れたもの以上のものを享受してはならないという家訓があった。
禁欲的に聞こえるが、一家はファンタスティックフォーだ。彼らは才能を爆発させ、世帯総収入は世界の1%と呼ばれる富裕層だ。
凡人以下の三四子に同じ家訓を適用すると悲しいことになる。両親はセーフティーネットとし、三四子には庶民の子以上の生活は認めなかった。三四子は庶民の部屋に住み、庶民の服を着て、庶民の食べ物を食べ、庶民の学校に通っていることになっていた。しかし三四子の身なりはどう見ても庶民ではない。家訓順守状況には甘さがある。
一家はもともと神に仕える一族の末裔だ。現代では考えにくい数々の家訓を継承している。その一つで動物を愛玩として飼うことを禁じていた。全ての物象を神とみなすという発想によるものだ。その気ならサファリパークだって作れる一家なのだが。

「うちは外とあんま変わらんから、飼えるかもしれん」とマミヤン。
「うちは外とあんま変わらんから」というのが比喩でなく、事実だった。僕はこの後、マミヤンちに行って衝撃を受けた。

「ただいま」とマミヤン。
「おかえり」と家の奥の方から物柔らかで優しげな声。お父さんのようだ。
マミヤンはこっそり僕を自分の部屋に連れ込んだ。
「静かにしときや」とマミヤン。
マミヤンちは一軒家だが、屋根瓦は全部落ちていて、空が完全に見えている。雨漏りするとかいう次元ではない。壁はトタンを張っているが風が吹くとトタンが振動し、激しいノイズになる。床板は全てはがされ、地べたにブルーシートを敷いている。土間と言えば聞こえはいいが地面だ。家の構造としては蓋のない箱をひっくり返して、窓と出入口をくりぬいたようなものだ。自然と一体化している。
キッチンと呼ばれるエリアはブルーシートを敷かず、地面が剥き出しになっている。コンクリートのブロック塀で囲った釜戸があり、拾ってきた薪や雑草を燃料にして炊事する。釜戸はお父さんのお手製だ。煙突はないが、屋根の穴から煙は抜けていく。合理的だ。
マミヤンがよく河原に行くので、燃料になりそうな流木を拾って帰ってくる。
家の中は段ボールで仕切られ、お父さんの書斎とマミヤンの子供部屋がある。リビングと呼ばれるエリアは地面が掘ってあって、テーブルに布団をかぶせて暖かい。夏場は水を入れた盥緒を置いて足をつけて涼む。なかなか快適だ。

「マミちゃん、ご飯やで」とお父さんの声。
三四子がマミヤンをマミヤン、マミヤンと呼ぶので僕も我が愛しのマミヤンをマミヤンと呼ぶ。実はマミヤンをマミヤンと呼ぶのは僕らだけだ。マミヤンはお父さんからはマミとかマミちゃんと呼ばれている。ちなみに近所のクソガキ集団はマミヤンがフードをいつも被っているので「不細工」などと呼ぶのが僕は許せない。
なおマミヤンのお母さんはお父さんと仲が悪く、喧嘩して出て行ってしまったそうだ。マミヤンはお母さんが好きでない。お母さんもマミヤンが好きでないらしい。
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