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一話
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空はどこまでも高く、突き抜けるような青だ。絶好の行楽日和。けれど、フィオーレ・ヴァインが揺られているのは、豪華な観光馬車ではなく、窓さえ板張りにされた古びた荷馬車だった。
「……はぁ」
思わず漏れた溜息が、埃っぽい車内に白く消える。
ラングリス王国の第三王子として生まれたフィオーレだったが、その扱いは家畜以下だった。理由は至極単純。「番の証」と呼ばれる特有のアザが体に現れなかったから。
異母兄である第一王子・ラウルからは、会うたびに「出来損ない」「偽物」と罵られ、ついには「隣国の皇帝への貢ぎ物」として、着の身着のまま追い出されたというわけだ。
(隣国の皇帝、ヴォルフラム様……。噂では、人の心を持たない鉄血の支配者だとか)
そんな恐ろしい人の元へ送られて、自分はどうなるのだろう。
フィオーレは、細い指先をぎゅっと握りしめた。緊張すると、指の関節が白くなるまで力を込めてしまう。
ふと、馬車が大きく揺れて止まった。
「おい、着いたぞ。さっさと降りろ!」
御者の荒っぽい声に、フィオーレは肩を跳ねさせる。
重い扉が外側から開けられると、刺すような冷気が流れ込んできた。そこは、ラングリス王国の温暖な気候とは正反対の、雪が舞うアイゼン帝国の国境だった。
「……寒い」
薄手のシャツ一枚では、凍てつく風が肌を刺す。フィオーレは震える足で地面に降り立った。
目の前には、黒い鎧を纏った騎士たちが整列している。そしてその中心に、一際大きな存在感を放つ男が立っていた。
漆黒の髪を後ろに流し、鋭い金の瞳でこちらを見下ろす男。
彼こそが、アイゼン帝国の若き皇帝、ヴォルフラム・ディートリヒ。
(……怖い。食べられてしまいそう)
ヴォルフラムの視線が、フィオーレの全身をなめるように動く。その迫力に、フィオーレは思わず後退りした。
ところが。
「おい、お前」
ヴォルフラムの低く響く声が空気を震わせる。
フィオーレは、これから処刑の宣告でも受けるのかと身をすくめ、ぎゅっと目を閉じた。
しかし、予想していた衝撃は来ない。代わりに感じたのは、驚くほど重厚で、かつ温かな「質感」だった。
「なっ……え?」
おずおずと目を開けると、視界が真っ暗だ。いや、暗いのではない。
ヴォルフラムが着ていた、毛皮の裏地がついた豪華な外套が、フィオーレの頭からすっぽりと被せられていたのだ。
「……薄着すぎるだろう。死ぬ気か」
「あ、あの、ヴォルフラム様……?」
「黙っていろ。鼻先が赤くなっているぞ」
ヴォルフラムは眉間に深い皺を刻んだまま、フィオーレの肩をガシッと掴んだ。
その手は驚くほど大きく、フィオーレの肩を丸ごと包み込んでしまう。
そのまま、フィオーレの意思を確認することもなく、彼はひょいっと「お姫様抱っこ」の形でフィオーレを持ち上げた。
「ひゃっ!?」
「暴れるな。落とすぞ」
「いえ、その、自分で歩けます! 汚れますから!」
「お前の体重など、羽毛より軽い。それより、このままでは我が帝国の入り口で凍死者が出る。そんな不名誉は御免だ」
ぶっきらぼうな言い方だが、フィオーレを抱く腕に力みはない。むしろ、壊れ物を扱うような慎重さが指先から伝わってくる。
ヴォルフラムの胸板は厚く、そこからはドクドクと力強い鼓動が聞こえた。
冷え切っていたフィオーレの体が、彼の体温で少しずつ解けていく。
(あれ……? 思っていたよりも、怖くない……?)
もちろん、表情はこれ以上ないほど険しい。けれど、フィオーレに向けられる手のひらは、これまでの人生で受けたどの扱いよりも「丁寧」だった。
「テレーゼ」
「はい、陛下。お湯と食事の用意は整っております」
控えさせていた初老の侍女・テレーゼが、にこやかに頷く。
ヴォルフラムはフィオーレを抱えたまま、用意されていた最上級の馬車へと乗り込んだ。
「あ、あの、ヴォルフラム様。私はただの、追放された身でして……。こんなに良くしていただくわけには……」
「追放? 誰がそんなことを言った」
「えっ、兄のラウルが……。私は『偽物』だから、好きに処分していいと」
フィオーレがうつむきながら言うと、ヴォルフラムの金の瞳が、一瞬だけ鋭く細められた。
彼はフィオーレを座席に下ろすと、自分もその隣にどっかと腰を下ろす。
「……ラングリスの奴らは、眼球の代わりにビー玉でも詰めているのか」
「え?」
「お前を捨てるとはな。まあいい。捨てられたなら、俺が拾う。それだけの話だ」
ヴォルフラムはそう言うと、フィオーレの手を無造作に取り、大きな自分の手で包み込んだ。
冷え切った指先が、彼の熱で包まれる。
「今日からお前は、この国の客人だ。まずはその、今にも折れそうな体を治させてもらう。いいか、三食しっかり食え。残すことは許さん」
「……はい」
叱られているはずなのに、なぜか胸の奥がくすぐったい。
フィオーレは、外套の隙間からヴォルフラムを盗み見た。
横顔は相変わらず氷のように冷たいけれど、握られた手の温もりだけは、嘘を言っていない気がした。
こうして、捨てられた不憫な第三王子・フィオーレの、新しい生活が幕を開けた。
……けれど、彼が本当の意味で「救われる」には、まだもう少し、時間が必要なようだった。
「……はぁ」
思わず漏れた溜息が、埃っぽい車内に白く消える。
ラングリス王国の第三王子として生まれたフィオーレだったが、その扱いは家畜以下だった。理由は至極単純。「番の証」と呼ばれる特有のアザが体に現れなかったから。
異母兄である第一王子・ラウルからは、会うたびに「出来損ない」「偽物」と罵られ、ついには「隣国の皇帝への貢ぎ物」として、着の身着のまま追い出されたというわけだ。
(隣国の皇帝、ヴォルフラム様……。噂では、人の心を持たない鉄血の支配者だとか)
そんな恐ろしい人の元へ送られて、自分はどうなるのだろう。
フィオーレは、細い指先をぎゅっと握りしめた。緊張すると、指の関節が白くなるまで力を込めてしまう。
ふと、馬車が大きく揺れて止まった。
「おい、着いたぞ。さっさと降りろ!」
御者の荒っぽい声に、フィオーレは肩を跳ねさせる。
重い扉が外側から開けられると、刺すような冷気が流れ込んできた。そこは、ラングリス王国の温暖な気候とは正反対の、雪が舞うアイゼン帝国の国境だった。
「……寒い」
薄手のシャツ一枚では、凍てつく風が肌を刺す。フィオーレは震える足で地面に降り立った。
目の前には、黒い鎧を纏った騎士たちが整列している。そしてその中心に、一際大きな存在感を放つ男が立っていた。
漆黒の髪を後ろに流し、鋭い金の瞳でこちらを見下ろす男。
彼こそが、アイゼン帝国の若き皇帝、ヴォルフラム・ディートリヒ。
(……怖い。食べられてしまいそう)
ヴォルフラムの視線が、フィオーレの全身をなめるように動く。その迫力に、フィオーレは思わず後退りした。
ところが。
「おい、お前」
ヴォルフラムの低く響く声が空気を震わせる。
フィオーレは、これから処刑の宣告でも受けるのかと身をすくめ、ぎゅっと目を閉じた。
しかし、予想していた衝撃は来ない。代わりに感じたのは、驚くほど重厚で、かつ温かな「質感」だった。
「なっ……え?」
おずおずと目を開けると、視界が真っ暗だ。いや、暗いのではない。
ヴォルフラムが着ていた、毛皮の裏地がついた豪華な外套が、フィオーレの頭からすっぽりと被せられていたのだ。
「……薄着すぎるだろう。死ぬ気か」
「あ、あの、ヴォルフラム様……?」
「黙っていろ。鼻先が赤くなっているぞ」
ヴォルフラムは眉間に深い皺を刻んだまま、フィオーレの肩をガシッと掴んだ。
その手は驚くほど大きく、フィオーレの肩を丸ごと包み込んでしまう。
そのまま、フィオーレの意思を確認することもなく、彼はひょいっと「お姫様抱っこ」の形でフィオーレを持ち上げた。
「ひゃっ!?」
「暴れるな。落とすぞ」
「いえ、その、自分で歩けます! 汚れますから!」
「お前の体重など、羽毛より軽い。それより、このままでは我が帝国の入り口で凍死者が出る。そんな不名誉は御免だ」
ぶっきらぼうな言い方だが、フィオーレを抱く腕に力みはない。むしろ、壊れ物を扱うような慎重さが指先から伝わってくる。
ヴォルフラムの胸板は厚く、そこからはドクドクと力強い鼓動が聞こえた。
冷え切っていたフィオーレの体が、彼の体温で少しずつ解けていく。
(あれ……? 思っていたよりも、怖くない……?)
もちろん、表情はこれ以上ないほど険しい。けれど、フィオーレに向けられる手のひらは、これまでの人生で受けたどの扱いよりも「丁寧」だった。
「テレーゼ」
「はい、陛下。お湯と食事の用意は整っております」
控えさせていた初老の侍女・テレーゼが、にこやかに頷く。
ヴォルフラムはフィオーレを抱えたまま、用意されていた最上級の馬車へと乗り込んだ。
「あ、あの、ヴォルフラム様。私はただの、追放された身でして……。こんなに良くしていただくわけには……」
「追放? 誰がそんなことを言った」
「えっ、兄のラウルが……。私は『偽物』だから、好きに処分していいと」
フィオーレがうつむきながら言うと、ヴォルフラムの金の瞳が、一瞬だけ鋭く細められた。
彼はフィオーレを座席に下ろすと、自分もその隣にどっかと腰を下ろす。
「……ラングリスの奴らは、眼球の代わりにビー玉でも詰めているのか」
「え?」
「お前を捨てるとはな。まあいい。捨てられたなら、俺が拾う。それだけの話だ」
ヴォルフラムはそう言うと、フィオーレの手を無造作に取り、大きな自分の手で包み込んだ。
冷え切った指先が、彼の熱で包まれる。
「今日からお前は、この国の客人だ。まずはその、今にも折れそうな体を治させてもらう。いいか、三食しっかり食え。残すことは許さん」
「……はい」
叱られているはずなのに、なぜか胸の奥がくすぐったい。
フィオーレは、外套の隙間からヴォルフラムを盗み見た。
横顔は相変わらず氷のように冷たいけれど、握られた手の温もりだけは、嘘を言っていない気がした。
こうして、捨てられた不憫な第三王子・フィオーレの、新しい生活が幕を開けた。
……けれど、彼が本当の意味で「救われる」には、まだもう少し、時間が必要なようだった。
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