『偽物の番』だと捨てられた不憫な第三王子、隣国の冷徹皇帝に拾われて真実の愛を教え込まれる

レイ

文字の大きさ
8 / 28

八話

しおりを挟む
 昨夜の「星見の塔」での出来事は、フィオーレにとって夢か現か判然としないほど、甘く、痺れるような記憶だった。
 額に残った柔らかな感触を思い出すたび、フィオーレは顔を赤らめ、朝食のスープを口に運ぶ手さえ止まってしまう。

「フィオーレ様? お顔が赤いようですが、お熱でもございますか?」

 心配そうに覗き込んできたのは、侍女のテレーゼだ。フィオーレは慌ててスプーンを動かし、勢いよく首を横に振った。

「い、いえ! なんでもありません。……ただ、昨日いただいたお菓子が美味しかったなって」
「あらあら、まあ。陛下もきっとお喜びになりますわ」

 テレーゼの穏やかな微笑みに包まれながら、フィオーレは胸の内でそっと安堵の息を吐く。
 だが、その穏やかな朝の空気とは裏腹に、皇帝の執務室では一通の「書簡」が火花を散らしていた。

「……身勝手な。どの口がそれを言うのか」

 ヴォルフラムは、目の前のデスクに置かれたラングリス王国からの親書を、黄金の瞳で冷徹に射抜いていた。
 送り主は、フィオーレを「出来損ない」と罵り、この国へ放り出した義兄・ラウルだ。
 書面には、フィオーレが北部の農地を救ったという噂をどこからか聞きつけ、『我が国の至宝を一時的に預けただけだ。速やかに返還を求める』という、厚顔無恥な要求が綴られていた。

 ヴォルフラムは無言で手を伸ばすと、その紙を握りつぶした。
 乾いた紙の音が静かな室内に響く。彼は迷うことなく、その紙屑を暖炉の炎へと投げ入れた。
 青白い炎がラウルの欲望を焼き尽くす様子を、彼は感情の失せた目で見つめる。

「……私のフィオーレに、指一本触れさせはしない」

 ヴォルフラムは、立ち込める焦げた匂いを振り払うように窓を開けた。
 眼下の庭園では、フィオーレがテレーゼに何かを楽しそうに話している。その銀髪が冬の淡い光を反射して、まるで繊細な絹糸のように輝いていた。
 ヴォルフラムの口元に、自然と柔らかな弧が浮かぶ。
 彼は呼び鈴を鳴らし、側近のクラウスを呼び寄せた。

「例の準備を急がせろ。今夜、フィオーレを連れていく」

 その日の夕刻。
 フィオーレは、ヴォルフラムに連れられて、城の西側に新しく増築された一角へと足を運んでいた。
 そこは高い壁に囲まれた秘密のエリアで、フィオーレも一度も入ったことがない場所だ。

「ヴォルフラム様、ここは……?」
「お前のための、『宝石箱』だ」

 ヴォルフラムが重厚な観音開きの扉を押し開ける。
 その瞬間、フィオーレの視界は鮮やかな「色」と「香り」に埋め尽くされた。

「……っ!?」

 そこは、天井まで届く巨大なガラス張りの温室だった。
 それだけではない。内部は魔法具によって常に一定の温度と湿度が保たれ、冬の最中だというのに、南国の色鮮やかな花々や、ラングリス王国でしか見られないはずの珍しいハーブが、所狭しと咲き乱れている。
 中央には小さな池があり、透き通った水が静かに音を立てていた。

「これ、全部……」
「お前が北部の領地を救った礼だ。これからは、凍える庭で土を弄る必要はない。ここなら、いつでもお前の好きな花を育てられる」

 フィオーレはおずおずと中へ足を踏み入れた。
 温かな空気が肌を包み込み、花の香りが肺を潤す。
 一番奥の棚には、フィオーレが大切にしていた「あの青いバラ」の鉢植えが、より立派な特等席に置かれていた。

「私の……私の居場所を、作ってくださったんですか」

 フィオーレの声が、小さく震える。
 振り返ると、ヴォルフラムが腕を組んで、壁に背を預けて立っていた。
 相変わらず険しい顔をしているが、その視線はフィオーレを追って離さない。

「居場所ではない。ここがお前の『城』だ。……フィオーレ、ラングリスの連中がお前に何を言おうと、お前をここに繋ぎ止めているのは、他ならぬ俺の意志だ。それを忘れるな」

 ヴォルフラムは歩み寄り、立ち尽くすフィオーレの細い肩を抱き寄せた。
 フィオーレは、ヴォルフラムの胸に額を預けた。そこから伝わる重厚な心音は、何よりも確かな「安全」を約束してくれている。
 ラウルへの恐怖や、いつか追い出されるのではないかという不安が、この花の香りと共に溶けていく。

「……私、一生懸命育てます。この国を、もっと、もっと花いっぱいにしたいです。ヴォルフラム様のために」
「ああ。……だが、まずはここでお前が幸せそうにしている姿を、俺に見せろ。それが最大の対価だ」

 ヴォルフラムは、フィオーレの顎を優しく持ち上げた。
 ガラスの屋根越しに、冬の夕陽が二人をオレンジ色に染め上げる。
 ヴォルフラムは、フィオーレの濡れた目尻を親指の腹でなぞり、ゆっくりと顔を近づけた。

 重なる、吐息。
 今度は額ではなく、唇に。
 羽毛が触れるような短いくちづけが、静かな温室の中で交わされた。

「……甘いな」

 離れ際、ヴォルフラムが低く、愉しげに笑う。
 フィオーレは顔を真っ赤にし、逃げるように近くのランの花に顔を埋めた。

 ラングリスから届いた棘だらけの手紙のことなど、今のフィオーレは知る由もない。
 ただ、このガラスに守られた宝石箱の中で、彼は初めて、心から「明日」が来るのを待ち遠しいと感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役Ωは高嶺に咲く

菫城 珪
BL
溺愛α×悪役Ωの創作BL短編です。1話読切。 ※8/10 本編の後に弟ルネとアルフォンソの攻防の話を追加しました。

もう一度、その腕に

結衣可
BL
もう一度、その腕に

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

君さえ笑ってくれれば最高

大根
BL
ダリオ・ジュレの悩みは1つ。「氷の貴公子」の異名を持つ婚約者、ロベルト・トンプソンがただ1度も笑顔を見せてくれないことだ。感情が顔に出やすいダリオとは対照的な彼の態度に不安を覚えたダリオは、どうにかロベルトの笑顔を引き出そうと毎週様々な作戦を仕掛けるが。 (クーデレ?溺愛美形攻め × 顔に出やすい素直平凡受け) 異世界BLです。

【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー AI比較企画作品

祖国に棄てられた少年は賢者に愛される

結衣可
BL
 祖国に棄てられた少年――ユリアン。  彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。  その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。  絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。  誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。   棄てられた少年と、孤独な賢者。  陰謀に覆われた王国の中で二人が選ぶ道は――。

【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です

ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。 理由は不明、手紙一通とパン一個。 どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。 そんな理由でいいのか!? でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適! 自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない! ……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!

処理中です...