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二十話
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窓から差し込む冬の柔らかな陽光が、フィオーレの瞼を優しく叩いた。
ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに広がったのは、自分を包み込む漆黒のシーツと、そのさらに外側で自分を閉じ込める強固な「熱」だった。
「……ん」
身動ぎをすると、腰に回された腕にぐいと力がこもる。
フィオーレの背中が、ヴォルフラムの逞しい胸板にぴったりと吸い寄せられた。薄い寝衣越しに伝わる、ドクドクという力強い心音。昨夜の甘く、けれど激しい熱の余韻が、肌の奥でじんわりと疼く。
「……おはよう、フィオーレ。まだ寝ていていいぞ」
耳元で響く、低く掠れた声。ヴォルフラムはフィオーレのうなじに鼻先を寄せ、深く息を吸い込んだ。
フィオーレは、自分の顔が再び赤く染まっていくのを感じた。
「お、おはようございます、ヴォルフラム様。……でも、もうお日様が高いです」
「構わん。今日はお前を離さないと決めている。公務など、クラウスにでも押し付けておけばいい」
ヴォルフラムはそう言って、フィオーレの銀髪を愛おしげに指に絡めた。
かつての冷徹皇帝はどこへ行ったのか。今の彼は、まるで手に入れたばかりの宝物を片時も離したくない子供のように、フィオーレを抱きしめ続けている。
そんな穏やかな二人の時間を破ったのは、控えめだが急を告げるような、扉へのノック音だった。
「陛下、フィオーレ様! 朝早くから失礼いたします!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、侍医のヴァレリウスの声だ。いつも冷静な彼にしては、随分と興奮しているように聞こえる。
ヴォルフラムは不機嫌そうに眉を寄せた。
「……ヴァレリウスか。朝から騒々しいぞ。フィオーレに万が一のことがあれば、お前の首が飛ぶと分かっているな?」
「それを承知で参りました! 昨夜、フィオーレ様が咲かせた『氷晶の青薔薇』について、驚くべき事実が判明したのです!」
その言葉に、フィオーレはバッと起き上がった。
ヴォルフラムも、フィオーレの肩を抱いたまま、鋭い視線を扉へと向ける。
「入れ」
許可が出るなり、ヴァレリウスと、その後ろから老庭師のグンターが転がり込むように入室してきた。
二人の手には、フィオーレが咲かせた青い薔薇の、摘みたての花びらが入った小瓶が握られている。
「ご覧ください、陛下! この青薔薇の花びらを煎じて茶にしたところ、慢性的な魔力欠乏に悩む騎士たちの症状が、一瞬で劇的に改善したのです!」
「それだけじゃありませんぞ、フィオーレ様!」
グンターが、身を乗り出して言った。
「この花の香油には、強い浄化作用があることが分かりました。帝国の北側に広がる『永久氷土』。あそこの冷気で凍傷になった農夫たちに塗ったところ、傷跡すら残らずに治癒したのです。これはもはや、ただの花ではありません。アイゼン帝国を救う、神の贈り物ですじゃ!」
フィオーレは、驚きのあまり唇を戦慄かせた。
自分がヴォルフラムを喜ばせたい一心で、命を削る思いで咲かせた花。それが、この国の多くの人々を救う力を持っているなんて。
「……本当、ですか? 私、ただ綺麗だなって思ってもらいたくて……」
「本当も本当です! 陛下、この青薔薇の栽培を帝国の主要産業にしましょう。フィオーレ様が管理する温室を起点に、全国へ苗を広げるのです。そうすれば、我が国は薬草の輸出だけで大陸一の富を得ることになります!」
ヴァレリウスの熱弁に、ヴォルフラムは顎に手を当てて考え込んだ。
彼の金の瞳が、隣で不安げに揺れるフィオーレを捉える。
「……フィオーレ。お前はどうしたい? 産業にするとなれば、お前の負担も増える。俺はお前が、ただ庭で笑っていてくれればそれでいいのだが」
「私、やりたいです」
フィオーレは、ヴォルフラムの手を強く握り返した。
碧い瞳に、迷いのない光が宿る。
「私を拾ってくれたこの国の人たちが、私の育てた花で元気になれるなら、こんなに嬉しいことはありません。……ヴォルフラム様。私を、本当の『帝国の庭師』にしてください」
ヴォルフラムは、フィオーレの真っ直ぐな言葉に、一瞬だけ目を見開いた。
そして、たまらないといった様子で彼を再び抱き寄せ、その額に深い誓いのくちづけを落とした。
「……ああ。分かった。ならば、今日この瞬間から、お前を『帝国緑化総裁』に任命する。お前の指示は、俺の命令と同義だ。文句がある奴は、この俺がすべて黙らせてやろう」
こうして、捨てられた不憫な第三王子・フィオーレは、アイゼン帝国の繁栄を支える「最重要人物」となった。
数日後、城の広場では、青薔薇を加工した新しい「癒やしのお茶」が、国民たちに振る舞われた。
雪が舞う広場に、青い薔薇の清涼な香りが広がる。人々は温かいカップを手に、「聖妃様、万歳!」「皇帝陛下、万歳!」と、心からの感謝を叫んでいた。
フィオーレは、城のテラスからその光景を眺めていた。
隣には、当然のようにヴォルフラムが寄り添い、彼の細い腰をしっかりと抱き寄せている。
「……ヴォルフラム様。見てください。みんな、笑っています」
「ああ。……お前が連れてきた春だ、フィオーレ」
ヴォルフラムは、フィオーレの耳元で囁くと、彼が持っていたカップを奪い取り、自分の口に含んだ。
そして、驚くフィオーレの唇に、そのままゆっくりと吸い付くように「お茶」を分け与える。
「ん……っ、ヴォルフラム、さま……」
「ふむ。この茶は確かに良いな。……だが、俺にはお前の蜜の方が、ずっと効くようだ」
ヴォルフラムの意地悪な笑みに、フィオーレは顔を真っ赤にして彼をポカポカと叩いた。
けれど、その表情はこれ以上ないほど幸せに満ちあふれていた。
アイゼン帝国に、真の「春の革命」が訪れようとしていた。
フィオーレの指先から生まれる奇跡は、これからもこの国を、そしてヴォルフラムの心を、どこまでも鮮やかに彩り続けていく。
ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに広がったのは、自分を包み込む漆黒のシーツと、そのさらに外側で自分を閉じ込める強固な「熱」だった。
「……ん」
身動ぎをすると、腰に回された腕にぐいと力がこもる。
フィオーレの背中が、ヴォルフラムの逞しい胸板にぴったりと吸い寄せられた。薄い寝衣越しに伝わる、ドクドクという力強い心音。昨夜の甘く、けれど激しい熱の余韻が、肌の奥でじんわりと疼く。
「……おはよう、フィオーレ。まだ寝ていていいぞ」
耳元で響く、低く掠れた声。ヴォルフラムはフィオーレのうなじに鼻先を寄せ、深く息を吸い込んだ。
フィオーレは、自分の顔が再び赤く染まっていくのを感じた。
「お、おはようございます、ヴォルフラム様。……でも、もうお日様が高いです」
「構わん。今日はお前を離さないと決めている。公務など、クラウスにでも押し付けておけばいい」
ヴォルフラムはそう言って、フィオーレの銀髪を愛おしげに指に絡めた。
かつての冷徹皇帝はどこへ行ったのか。今の彼は、まるで手に入れたばかりの宝物を片時も離したくない子供のように、フィオーレを抱きしめ続けている。
そんな穏やかな二人の時間を破ったのは、控えめだが急を告げるような、扉へのノック音だった。
「陛下、フィオーレ様! 朝早くから失礼いたします!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、侍医のヴァレリウスの声だ。いつも冷静な彼にしては、随分と興奮しているように聞こえる。
ヴォルフラムは不機嫌そうに眉を寄せた。
「……ヴァレリウスか。朝から騒々しいぞ。フィオーレに万が一のことがあれば、お前の首が飛ぶと分かっているな?」
「それを承知で参りました! 昨夜、フィオーレ様が咲かせた『氷晶の青薔薇』について、驚くべき事実が判明したのです!」
その言葉に、フィオーレはバッと起き上がった。
ヴォルフラムも、フィオーレの肩を抱いたまま、鋭い視線を扉へと向ける。
「入れ」
許可が出るなり、ヴァレリウスと、その後ろから老庭師のグンターが転がり込むように入室してきた。
二人の手には、フィオーレが咲かせた青い薔薇の、摘みたての花びらが入った小瓶が握られている。
「ご覧ください、陛下! この青薔薇の花びらを煎じて茶にしたところ、慢性的な魔力欠乏に悩む騎士たちの症状が、一瞬で劇的に改善したのです!」
「それだけじゃありませんぞ、フィオーレ様!」
グンターが、身を乗り出して言った。
「この花の香油には、強い浄化作用があることが分かりました。帝国の北側に広がる『永久氷土』。あそこの冷気で凍傷になった農夫たちに塗ったところ、傷跡すら残らずに治癒したのです。これはもはや、ただの花ではありません。アイゼン帝国を救う、神の贈り物ですじゃ!」
フィオーレは、驚きのあまり唇を戦慄かせた。
自分がヴォルフラムを喜ばせたい一心で、命を削る思いで咲かせた花。それが、この国の多くの人々を救う力を持っているなんて。
「……本当、ですか? 私、ただ綺麗だなって思ってもらいたくて……」
「本当も本当です! 陛下、この青薔薇の栽培を帝国の主要産業にしましょう。フィオーレ様が管理する温室を起点に、全国へ苗を広げるのです。そうすれば、我が国は薬草の輸出だけで大陸一の富を得ることになります!」
ヴァレリウスの熱弁に、ヴォルフラムは顎に手を当てて考え込んだ。
彼の金の瞳が、隣で不安げに揺れるフィオーレを捉える。
「……フィオーレ。お前はどうしたい? 産業にするとなれば、お前の負担も増える。俺はお前が、ただ庭で笑っていてくれればそれでいいのだが」
「私、やりたいです」
フィオーレは、ヴォルフラムの手を強く握り返した。
碧い瞳に、迷いのない光が宿る。
「私を拾ってくれたこの国の人たちが、私の育てた花で元気になれるなら、こんなに嬉しいことはありません。……ヴォルフラム様。私を、本当の『帝国の庭師』にしてください」
ヴォルフラムは、フィオーレの真っ直ぐな言葉に、一瞬だけ目を見開いた。
そして、たまらないといった様子で彼を再び抱き寄せ、その額に深い誓いのくちづけを落とした。
「……ああ。分かった。ならば、今日この瞬間から、お前を『帝国緑化総裁』に任命する。お前の指示は、俺の命令と同義だ。文句がある奴は、この俺がすべて黙らせてやろう」
こうして、捨てられた不憫な第三王子・フィオーレは、アイゼン帝国の繁栄を支える「最重要人物」となった。
数日後、城の広場では、青薔薇を加工した新しい「癒やしのお茶」が、国民たちに振る舞われた。
雪が舞う広場に、青い薔薇の清涼な香りが広がる。人々は温かいカップを手に、「聖妃様、万歳!」「皇帝陛下、万歳!」と、心からの感謝を叫んでいた。
フィオーレは、城のテラスからその光景を眺めていた。
隣には、当然のようにヴォルフラムが寄り添い、彼の細い腰をしっかりと抱き寄せている。
「……ヴォルフラム様。見てください。みんな、笑っています」
「ああ。……お前が連れてきた春だ、フィオーレ」
ヴォルフラムは、フィオーレの耳元で囁くと、彼が持っていたカップを奪い取り、自分の口に含んだ。
そして、驚くフィオーレの唇に、そのままゆっくりと吸い付くように「お茶」を分け与える。
「ん……っ、ヴォルフラム、さま……」
「ふむ。この茶は確かに良いな。……だが、俺にはお前の蜜の方が、ずっと効くようだ」
ヴォルフラムの意地悪な笑みに、フィオーレは顔を真っ赤にして彼をポカポカと叩いた。
けれど、その表情はこれ以上ないほど幸せに満ちあふれていた。
アイゼン帝国に、真の「春の革命」が訪れようとしていた。
フィオーレの指先から生まれる奇跡は、これからもこの国を、そしてヴォルフラムの心を、どこまでも鮮やかに彩り続けていく。
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