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初級者用ダンジョン編
【2】青の硝子玉
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冒険者一行が轟々と燃ゆる手袋を囲う最中、管理人室では男が杉の木箱を運んでいた。
木箱は三十センチ四方の、彫りも焼き目も無い質素な箱である。同材質の二方桟蓋を開けると、内側には藁が敷かれ、掌大の硝子玉が三つ、まるで卵の様に守られていた。
硝子玉には埃も傷もなく、赤、黄、青の靄がそれぞれ玉の中心で揺らいでいる。
これは”魔素玉”と言う迷宮専門道具である。赤は火、黄は雷、青は水の魔素を硝子玉に封じ、適材適所、区画の魔素を調整する用途を持つ。
管理人は外壁にある伝素管を通じ、最終区画に青の魔素玉を送った。
青の魔素玉の影響により、最終区画の魔素は許容量を超え、火と雷の魔素が減少。これにより、火属性、雷属性の魔法は総じて弱体化する事となる。
焚き火と化した《ゴブリンの編んだ手袋(イニシャルA)》の贄は、情報戦略として生きている。
そして再び地図に視線を落とすと、管理人は耳たぶに指を添えた。
地図上を移ろう《Sword》《Magician》《Fighter》の三つの点。
「こちら管理人。いよいよ目標は最終区画に到着する。───…いけるか」
表情が曇りながら、それでも管理人は訊ねた。
「いけるか、どうか、いいえ。あなたはただ、僕にこの宝箱を”護れ”と命令すればいいんです」
まだ青さすら残る、若者の声。
「だけど、お前…────」
そう言葉を紡ぐのを「静かに」と遮る声。
冒険者一行との、遭遇点である。
「どうやら此処が、最終区画だな」
「あそこを見て、宝箱よ」
魔法使いが指差す先にあるのは、錆びた鉄枠、大きな南京錠、岩肌の凸部に置かれた木製の宝箱だ。
吹き抜けとなる最終区画には柔らかな光が射し、滴る外壁を苔や弦の緑が彩る。
そして視線を八方に転がす冒険者一行が探すもの。それは宝箱を護る、この迷宮の主である。
剣を抜き、拳を握り、杖を構える。
亡霊か、巨岩兵か、竜か…───。
だがそれを目にした冒険者一行は、目を丸くし、頬を汗が伝い、言葉を失う。
其処にいた主とは、亡霊の様な惨悽さは無く、巨岩兵の様な強靭さは無く、竜の様な獰猛さも無い。
地面に伏した青磁色の半円体…───。
「───…ス、スライム」
格闘家が口にしたその名に、緊張が走る。
スライムとは…───脆弱にして最弱、それは人間と魔物の垣根を越えた共通認識である。
其れが、宝箱を護っている。
「プギュッ」
最早、その全身像から伝わるのは恐ろしさなどでは無く、愛くるしさ、只その一点。
「拍子抜けね。まあ、さくっと回収して街に…───」
「どうした魔法使い」
詠唱の構えを取る魔法使いだったが、躊躇う様に口を紡ぐ。
「ああ、いえ…、どうやら火属性の魔素が枯渇しているみたい。杖の魔石が反応しないのよ」
「区画が一つ奥になるだけで魔素の量が変動するものなのか?」
剣士は唇を山型に結び、首を傾げる。
「ええ。此処だけ洞窟が吹き抜けで、雲も風も光もある。環境が変われば魔素も変わる。常識よ」
更に首を傾げる剣士。
其の傍らで、指の関節を鳴らす格闘家。スライムを見据え、不敵に口角を曲げる。
「俺がやる。俺だけ討伐数ゼロだからな」
「はいはい、頼んだわね」
スライムに鋭く指を差す格闘家。
「よう、スライム。俺が、俺様が、お前にとっておきの技を披露してやる」
「剣士の技への対抗心ね」
「俺の技への対抗心だな」
「其処、五月蝿い」
右足を引き、腰を落とす。二本指の左手は照準。既に拳を作った右手は、一撃必殺を静かに語る。
空気が痺れ、突き刺さる殺気。
生物の生存本能がそうさせたのか。スライムは突然、その軟体を四方八方に伸縮させ始めた。
時には栗の様に尖らせ、時には布の様に拡がる。
まるで、自分の弱さを偽る様に。
「プギュッ、プギュッ」
「………」
「プギュッ、プギュッ」
「………」
「プギ…────」
刹那、其の青磁色の軟体は、跡形もなく四散した。
岩肌にスライムの肉片が張り付くが、やがて黒い泡と化す。
何かをやり終えた後の格闘家は手の埃を払い、息を吐く。
「ねえ、格闘家、あなた、投げたわよね」
「ああ」
「己の磨き上げた技の類などでは無く、ただ、投げたな」
「ああ」
「石を」
「ああ」
「何故だ」と問う一行に、背中越しに答える。「目障り」と。
そして黒い泡の跡に残る、一本の鍵。格闘家はそれを拾うと、宝箱へと歩を進めた。剣士と魔法使いも後に続く。
「それにしても呆気ねえよな、迷宮」
「ええ、せっかく街で回復薬も調達したのに。無駄遣いだわ」
「倉庫に保管しておけば良いだろう」
そんな他愛もない会話も、やがて宝箱の鍵が開く音で鎮まる事となる。
ガチャリ。錠は外れ、鉄枠に指先を掛ける。ゆっくり、ゆっくり。逸る気持ちを宥め、ついに、その箱は蓋を開ける。
冒険者一行は、再び言葉を失った。
「こ、これは」
宝箱の底で眠る物、其れは《赤い糸》。絆と絆を繋ぐ、赤い糸。
「──…絆と絆を繋ぐ?」
「馬鹿らしい。愚直な剣士への教訓ね。よく見てみなさいよ、この糸、あの手袋と同じ糸じゃない」
「つ、つまり」
「ただの余り物よ」
その瞬間、剣士の顔は酷く歪み、宝箱に唾を吐き捨てたと言う。
木箱は三十センチ四方の、彫りも焼き目も無い質素な箱である。同材質の二方桟蓋を開けると、内側には藁が敷かれ、掌大の硝子玉が三つ、まるで卵の様に守られていた。
硝子玉には埃も傷もなく、赤、黄、青の靄がそれぞれ玉の中心で揺らいでいる。
これは”魔素玉”と言う迷宮専門道具である。赤は火、黄は雷、青は水の魔素を硝子玉に封じ、適材適所、区画の魔素を調整する用途を持つ。
管理人は外壁にある伝素管を通じ、最終区画に青の魔素玉を送った。
青の魔素玉の影響により、最終区画の魔素は許容量を超え、火と雷の魔素が減少。これにより、火属性、雷属性の魔法は総じて弱体化する事となる。
焚き火と化した《ゴブリンの編んだ手袋(イニシャルA)》の贄は、情報戦略として生きている。
そして再び地図に視線を落とすと、管理人は耳たぶに指を添えた。
地図上を移ろう《Sword》《Magician》《Fighter》の三つの点。
「こちら管理人。いよいよ目標は最終区画に到着する。───…いけるか」
表情が曇りながら、それでも管理人は訊ねた。
「いけるか、どうか、いいえ。あなたはただ、僕にこの宝箱を”護れ”と命令すればいいんです」
まだ青さすら残る、若者の声。
「だけど、お前…────」
そう言葉を紡ぐのを「静かに」と遮る声。
冒険者一行との、遭遇点である。
「どうやら此処が、最終区画だな」
「あそこを見て、宝箱よ」
魔法使いが指差す先にあるのは、錆びた鉄枠、大きな南京錠、岩肌の凸部に置かれた木製の宝箱だ。
吹き抜けとなる最終区画には柔らかな光が射し、滴る外壁を苔や弦の緑が彩る。
そして視線を八方に転がす冒険者一行が探すもの。それは宝箱を護る、この迷宮の主である。
剣を抜き、拳を握り、杖を構える。
亡霊か、巨岩兵か、竜か…───。
だがそれを目にした冒険者一行は、目を丸くし、頬を汗が伝い、言葉を失う。
其処にいた主とは、亡霊の様な惨悽さは無く、巨岩兵の様な強靭さは無く、竜の様な獰猛さも無い。
地面に伏した青磁色の半円体…───。
「───…ス、スライム」
格闘家が口にしたその名に、緊張が走る。
スライムとは…───脆弱にして最弱、それは人間と魔物の垣根を越えた共通認識である。
其れが、宝箱を護っている。
「プギュッ」
最早、その全身像から伝わるのは恐ろしさなどでは無く、愛くるしさ、只その一点。
「拍子抜けね。まあ、さくっと回収して街に…───」
「どうした魔法使い」
詠唱の構えを取る魔法使いだったが、躊躇う様に口を紡ぐ。
「ああ、いえ…、どうやら火属性の魔素が枯渇しているみたい。杖の魔石が反応しないのよ」
「区画が一つ奥になるだけで魔素の量が変動するものなのか?」
剣士は唇を山型に結び、首を傾げる。
「ええ。此処だけ洞窟が吹き抜けで、雲も風も光もある。環境が変われば魔素も変わる。常識よ」
更に首を傾げる剣士。
其の傍らで、指の関節を鳴らす格闘家。スライムを見据え、不敵に口角を曲げる。
「俺がやる。俺だけ討伐数ゼロだからな」
「はいはい、頼んだわね」
スライムに鋭く指を差す格闘家。
「よう、スライム。俺が、俺様が、お前にとっておきの技を披露してやる」
「剣士の技への対抗心ね」
「俺の技への対抗心だな」
「其処、五月蝿い」
右足を引き、腰を落とす。二本指の左手は照準。既に拳を作った右手は、一撃必殺を静かに語る。
空気が痺れ、突き刺さる殺気。
生物の生存本能がそうさせたのか。スライムは突然、その軟体を四方八方に伸縮させ始めた。
時には栗の様に尖らせ、時には布の様に拡がる。
まるで、自分の弱さを偽る様に。
「プギュッ、プギュッ」
「………」
「プギュッ、プギュッ」
「………」
「プギ…────」
刹那、其の青磁色の軟体は、跡形もなく四散した。
岩肌にスライムの肉片が張り付くが、やがて黒い泡と化す。
何かをやり終えた後の格闘家は手の埃を払い、息を吐く。
「ねえ、格闘家、あなた、投げたわよね」
「ああ」
「己の磨き上げた技の類などでは無く、ただ、投げたな」
「ああ」
「石を」
「ああ」
「何故だ」と問う一行に、背中越しに答える。「目障り」と。
そして黒い泡の跡に残る、一本の鍵。格闘家はそれを拾うと、宝箱へと歩を進めた。剣士と魔法使いも後に続く。
「それにしても呆気ねえよな、迷宮」
「ええ、せっかく街で回復薬も調達したのに。無駄遣いだわ」
「倉庫に保管しておけば良いだろう」
そんな他愛もない会話も、やがて宝箱の鍵が開く音で鎮まる事となる。
ガチャリ。錠は外れ、鉄枠に指先を掛ける。ゆっくり、ゆっくり。逸る気持ちを宥め、ついに、その箱は蓋を開ける。
冒険者一行は、再び言葉を失った。
「こ、これは」
宝箱の底で眠る物、其れは《赤い糸》。絆と絆を繋ぐ、赤い糸。
「──…絆と絆を繋ぐ?」
「馬鹿らしい。愚直な剣士への教訓ね。よく見てみなさいよ、この糸、あの手袋と同じ糸じゃない」
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