天冥海フロンティア

バトサラム

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第2話「来訪者たち」

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第1節:静かな波紋

天王星の軌道に、異なる重力の波が走った。
静かだが、確実な質量の変化。軍事センサーがそれを“来訪”と認識するよりも前に、私の勘が警鐘を鳴らしていた。

「地球艦隊、既定ポイントへ進入。旗艦、アウロラと推定されます」

フランソワの落ち着いた声が、司令室に報告を落とす。
視線を前方スクリーンへ向けると、軌道の彼方に浮かぶ紡錘型の艦影が、静かに、だが確かにこちらへ向かっていた。

「予想より二日早いな。彼らにしては用意周到だ」

私はわざと淡々と返す。フランソワは端整な眉をわずかにひそめた。

「あるいは、“こちらの反応”を試しているのかもしれませんね」

一理ある。いや、十分にあり得る。
地球連邦は、いつもそうだった。こちらが一を出せば、十を探り、百を揺さぶる。外交の名のもとに、軍事と経済の鋭利な刃を振りかざしてくる。

「フロンティアの自治はあくまで承認された範囲内のもの、という建前ですからね。彼らにとって、我々は“辺境の管理人”にすぎない」

「だが、我々はこの地に根を張り、汗を流し、命を預けた。四千万人の民とともにだ」

私はあえてその言葉を口にした。フランソワは小さく頷き、敬礼にも似た仕草で敬意を示した。

軌道上の艦隊は、やがて静止し、通信リンクを開いてくるだろう。
歓迎の儀礼、外交的挨拶、そして――本題。

私は手元の端末に視線を落とす。ダラーからの通信履歴がいくつか届いている。
「地球側には優秀なワインを献上しておいた」と、商人らしい軽妙な一文が添えられていた。

あの男は、地球にも我々にも顔が利く。
フロンティアと連邦、両方に物資を流し、情報を通し、利を得てきた。
……その存在が、今は“緩衝材”であることも、私は理解していた。

「フランソワ、迎賓準備を。式典は簡略化して構わんが、こちらの“格”は見せてやれ」

「了解しました、司令」

フランソワが踵を返して去ったあと、私はひとり、薄暗い司令室に立ち尽くした。

来訪者は、たった一度の握手の中に、百通りの刃を隠す。
だが、それを真正面から受け止めるのが、我らの役目だ。

そして、必要なら――
この静かな波紋が、やがて嵐へと変わる覚悟も、しておかねばならない。

第2節:訪問:特使の到着

格納港の高気密エアロックが開くと、抑制された気流の向こうから、地球の空気が混じってきたような錯覚を覚えた。
人工重力を調整した艦内の港湾区画に、連邦の旗艦《アウロラ》からの降下艇が静かに着艦する。重力制動のうなりが床を伝って微かに足元を震わせた。

「連邦特使サンダーズ将軍、および随員一〇名。降下艇より出艦します」

フランソワの報告に、私は小さく頷いた。

乗降口のゲートが開き、まずは儀礼服に身を包んだ衛兵が二名。続いて姿を現したのは、背筋を伸ばした壮年の男だった。
白髪交じりの刈り上げに、金色の肩章が付いた黒の制式礼装。歩調は厳格、目線は真っすぐ、表情は硬いが洗練されている。

――ロイド・サンダーズ将軍。地球連邦軍内でも“武断派”と知られる男だ。

彼の視線がこちらに向く。私は胸を張って一歩前へ出た。

「天冥海フロンティア司令、アクバル・バジールだ。ようこそ、我々の領域へ」

「サンダーズ将軍だ。貴官の歓迎に感謝する。地球は常に、辺境の同胞を気にかけている」

言葉には棘はないが、“辺境の同胞”という表現に、一瞬だけフランソワの肩がわずかに揺れたのを見逃さなかった。

続いて降りてきたのは、スーツ姿の技術顧問と、民間の代表者たち。
その列の最後尾、重ねた金の装飾にまぎれて、ふわりとした民族衣装が目を引いた。

「おお、司令殿、今日も凛々しい。こちらは連邦直送のラム酒、いかがかな?」

ひときわ朗らかな声で、ダラーが笑みをたたえて歩み寄ってくる。
地球側の随行者と握手しながら、次の瞬間にはフロンティア側の代表者に腕を回して挨拶を交わす。

「ダラー、相変わらず間を飛び回っているな」

「ええ、平和と交易のためにね。あちらもこちらも、物資と感情は滞ると淀むものですから」

軽口だが、どこかに計算を感じさせる口調だった。

私はフランソワと目を合わせる。彼女は一礼し、特使団を案内すべく歩を進めた。

「会談室は第三会議棟へご案内いたします。地球側の通信規格に合わせた回線を準備済みです」

サンダーズは小さくうなずき、静かに歩き出す。その背中には、軍人の威圧と政治の影が交差していた。
私はゆっくりとその後を追いながら、かすかに唇を引き結んだ。

――この“訪問”は、ただの外交儀礼では終わらない。
波紋の中心が、ついに足を踏み入れたのだ。

第3節:緊張:開かれる会談

灰色の壁に囲まれた第三会議棟は、装飾を排した実用的な造りだった。
この部屋は、軍政両面の代表が集う時のために設計されている。会談が“平和な儀礼”で終わる可能性が低いとわかっていたからこそ、私はここを指定した。

長机を挟んで、地球側の代表が三名、我々フロンティア側が三名。
その中央に、やや斜めの位置でダラーが紅茶を飲んでいる。
まるで観劇に訪れた紳士のように、無言でこちらの探り合いを楽しんでいた。

「本題に入ろう」

サンダーズ将軍が口火を切った。声は抑揚に乏しいが、軍人らしい断定口調が場を支配する。

「地球政府は、フロンティアに対し、以下の三点を要求する。
 一、タイタン鉱系資源の採掘量のうち、40%の地球側供給。
 二、軍事用量子通信技術の開示と再利用許可。
 三、アスタロト級艦の設計図提供および艦体一隻の譲渡」

フランソワの瞳がわずかに揺れたのを、私は見逃さなかった。

要求は、予想の「やや上」。だが――想定内だ。

「ずいぶんとお求めが多いな、将軍」

私の返しに、サンダーズは眉ひとつ動かさなかった。

「辺境の安全保障を支えるために必要な措置だ。我々は、君たちが築いた成果を否定しているわけではない。
 だが、地球全体の安定のためには、“情報の偏在”は望ましくない」

「ほう……それを“偏在”と呼ぶのか。ならば、我々の死者は“調整の誤差”とでも?」

あくまで低い声で、だが意図して“怒り”の熱を混ぜた。
フランソワが補佐的に口を開く。

「フロンティアは自立可能な経済圏と防衛体制を構築しています。連邦法第78条に基づけば、自治連帯圏としての立場を保持して然るべきかと」

地球側の技術顧問がタブレットを操作しながら応じた。

「しかし、フロンティアの技術の進展は急速です。既存条文の想定を超えている。
 “想定を超える成果”は、連邦議会の再定義対象となるのが通例です」

一見穏やかな言葉。だがその意味は――

“成果を出しすぎたお前たちは、もう独立集団では済まされない”

という宣告だ。

その時、静かにティーカップを置いたのは、ダラーだった。

「おやおや。どちらの言い分にも理がある。
 ……けれど、“最も価値ある技術”とは、武器や鉱石ではなく、こうして対話を続ける理性ではありませんかな?」

誰も返さなかった。

私もフランソワも、サンダーズも。
ただその言葉の裏に、それぞれの“底”を見透かされたような錯覚を覚え、黙した。

やがて、サンダーズがゆっくりと口を開いた。

「明日も会談を続けよう。結論を急ぐつもりはない。
 だが、地球は待ち続けるほど寛容でもない」

将軍は椅子を引いて立ち上がる。
それが交渉の終わりの合図だった。

私はフランソワと目を交わし、小さく頷く。

静かな戦いは、すでに始まっていた。

第4節:火種:内部の分裂と策謀

会談が一時中断された翌日、私は意図的にスケジュールを空け、執務区ではなく展望区の観察回廊に身を置いていた。
天王星の青白い輪が、無言の証人のように回っている。目には見えずとも、内側では確実に――亀裂が走り始めていた。

「副官、今朝の報告を」

フランソワが控えめに差し出した端末には、いくつかの監視記録が並んでいた。
名前の知られた若手議員、技術官僚、さらには経済部門の監査役まで。
彼らが、地球代表団の“副使”と称する人物たちと非公式な接触を重ねていた。

「連邦がこちらの“交渉席”だけで満足するとは思っていませんでしたが、これはまた露骨ですね」

フランソワは皮肉を交えず、あくまで冷静に言う。
だが、言外に含まれた怒りと警戒は、私の中で静かに響いた。

「理想を語る者ほど、現実の報酬に弱い。地球から見れば、我々は“分断しやすい塊”に映るのだろうな」

「……では、処分を?」

私は首を横に振った。

「まだ火はついていない。火種に過ぎん。だが――放置すれば燃え上がる。慎重になれ」

彼女は頷きつつも、端末を握る手にわずかな力が入っていた。

そのとき、通信端末が鳴った。表示された名前に、私は微かに口元を緩めた。

「――ダラーか。よく通じるな」

《司令殿、お忙しいところ失礼。ちょっとしたお土産がありましてな》

ホログラムが映し出す彼は、いつもの笑みを浮かべていた。背後には地球代表団の一部と談笑する姿がチラついている。

《地球側の副使たちは、なかなか社交的でして。おかげで私も連邦食堂の新作メニューにありつけました。軍艦でも食は外交の基本、ですな》

「食堂での雑談か、それとも条約交渉か。君の会話には境目がないな」

《それが私の流儀です。どちらにも誤解され、どちらにも重宝される――そういう者も、時には必要でしょう》

私は小さく笑いながらも、ホログラムが消えた瞬間、表情を引き締めた。

ダラーのような存在は、このフロンティアにとって“潤滑油”だ。
だが潤滑油は、流れを滑らかにする一方で、火種に引火すれば――最もよく燃える。

「フランソワ、極秘裏に内部調査部を動かせ。地球と接触した者たちを見張れ。ただし……騒がず、悟らせず、だ」

「了解しました。仕掛けられた網の目を、逆手に取る――ということですね」

彼女の目が、一瞬鋭く光る。
そうだ。こちらが先に“内側”を見抜き、次の一手を準備する。
戦争は、始まる前から勝敗が決まり始めている。

「……サンダーズは、ここまでを想定済みか?」

「おそらく。彼は“交渉”ではなく“再編”を行いに来たのです。フロンティアそのものの、構造ごと」

彼女の言葉に、私は深くうなずいた。

そしてこの“火種”は、たぶん――彼の計画にとって、ごく自然な着火剤なのだ。


第5節:沈黙の裏に

会談の二日目も、言葉こそ丁寧だったが、刀の鞘が擦れるような緊張に満ちていた。

表面上は進展――否、“整理”のようなものはあった。
サンダーズは要求を繰り返すことはせず、あくまで“検討の余地”と“将来的協調”という言葉にすり替えてきた。
だが、それは後退ではない。
むしろ――構え直した、ということだ。

「本日も有意義な議論だった。次回の会談日程は、追って通達する」

会議の締めくくりに、将軍はそう言って立ち上がった。
どこまでも礼儀正しく、そして――無表情だった。

「連絡を待とう」

私も立ち上がり、ほぼ同じ言葉で応じた。

沈黙の間に、情報と意図が交錯する。
その一瞬が、今はもっとも“重い”のだ。

退出した彼らの背中を見送ったあと、私はフランソワとともに控室へ戻った。
彼女は報告書の端末を差し出す。

「例の監視対象者のひとりが、地球側の技術顧問と“私的な通信ログ”を交わした記録が残っています。内容は暗号化されており、解析には時間が必要です」

私は画面を一瞥し、無言で承認のジェスチャを返した。

「……気づかれても構わん。むしろ“こちらが感づいた”という空気を流しておけ。
 地球が手を引くとは思っていないが、やり口を早めさせれば、手の内も見えてくる」

フランソワは、わずかに目を細めた。

「誘い出すおつもりですね。“動いた者”を」

「我々に必要なのは、焦りではなく“材料”だ。
 この交渉が、どこで崩れ、どこに火がつくか――その地図を描くにはな」

私は静かに椅子に身を沈め、天井を仰いだ。
そこには何もない。ただの白い天井板。
だが私の脳裏には、天王星の上空に浮かぶ《アウロラ》と、そこから延びる“見えない手”が、ゆっくりとこのフロンティアを覆いはじめる光景があった。

「司令。……覚悟は、よろしいのですか」

不意に発せられたその言葉に、私は目を閉じる。

「とうに出来ているさ。私は“対話”を否定しない。だが――」

目を開く。声にわずかに熱を込める。

「“命令”が出れば、撃つ。それが軍人だ」

静寂が落ちた。
フランソワは、敬礼のような姿勢でうなずいた。

部屋の外では、遠くで整備ドローンの音が聞こえる。
だがそれすら、今は――不穏な鼓動に似ていた。

次に来る“会談”が、言葉の戦いで終わるという保証はない。
沈黙の裏で、すでに火は――誰かの手で、灯されつつあるのだから。
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