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2人の聖女編 〜魔獣化被害者の治療〜
309.おっさん、魔獣化を治療する 2
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午前中の15人は比較的軽度で、皮膚の一部や手など、魔獣化してしまった部位の範囲が狭い者達だった。
残りの13人は、腕一本、両腕、下半身など広範囲に及ぶ魔獣化を治療することになる。
「聖女様、魔力量は大丈夫なんですか?」
治癒師の1人、メイソンが心配そうに尋ねてくる。
「はい、まだ大丈夫です」
「ショーヘイは魔力お化けですからね、きっとまだ全体の1割くらいの消費じゃないですか?」
ディーに揶揄うように言われ、俺はお化け言うなと言いながらその通りだと笑うと、メイソンは呆気に取られていた。
今まで使った魔力はおそらく20万から30万程度でまだまだ余裕がある。
もしこれで一度に全員治せと言われれば、魔力の大量放出に体が悲鳴を上げるが、今までのように個別に、その治療にあった魔力をゆっくり少しづつ放出すれば全く問題はない。
ただ、これからは症状が酷くなるので、どのくらいの消費と時間がかかるかは予測出来なかった。
「それでは、始めましょう」
俺がニコリと微笑むとメイソンは頬を紅潮させ、はい、と大きな返事をして。16人目を連れてくるために出て行った。
やはり、午後の治療は午前中と比べて魔力の消費が多く、時間もかかった。
魔獣化した部位が広範囲にわたっているし、体の深くまで侵食している。
魔力を高め治療に必要な量まで放出を続けるため、ヒール発動までに時間がかかる。
皮膚だけなら数秒で済んだが、骨まで侵食された腕一本を治すヒールに数分の時間が必要だった。
一気に魔力を放出することは可能であり、その苦痛に耐えればいいだけの話だ。鼻血を出したり、全身に走る痛み、吐き気に耐えればいい。
だがそれをすれば、ディーやロマ、そして治癒師達は俺を心配し、治療を中断しようとするかもしれない。
だから俺は時間がかかるが、なるべく体に負担がかからないように時間をかけるしかなかった。
だが、逆に長時間の集中と、魔力を一定量放出し続けるという行為は、なかなか骨が折れるものだと知った。
じわじわと疲労が溜まっていくのがわかる。
午後に入って8人の治療が終わった後、しばらく休憩を取ることになった。
俺は少し乱れた呼吸を整えるため、小さく肩を上下させる。
「お疲れ様でございます」
控えていたバーニーが素早く俺に冷たいタオルを渡してくれる。
「ありがとう」
俺はそれを受け取ると流れてくる顔の汗を拭い、一息つく。
「聖女様、大丈夫ですか」
「相当お疲れのようですが」
「ああ、まだ大丈夫ですよ」
アーリヤ達が俺を心配して近寄ってくる。
例えるなら長距離走の後のような疲れなので、苦痛というわけではない。
笑顔で答えつつ、今まで治療した人達の様子を確認する。
「大丈夫です。体内に溜まっていた高濃度の魔素が完全に消失しているのを確認しました」
「元に戻った箇所にも何の問題もありません」
そう報告され、俺はニコリと笑顔を向ける。
「さ、あと5人だ。続けようか」
冷たい水を飲み、汗も引いたところで立ち上がる。
「ロマ様」
俺はロマを振り返り、一つの提案をした。
「次は一緒にヒールを使ってみませんか」
「一緒に?」
「はい。俺の体に触れて、俺のヒールに合わせて一緒に発動してみてください」
俺が言った言葉にロマはすぐに意味を理解した。
「やってみようかね」
ロマがニコリと笑う。
治療の主導権は俺が握るが、ロマに俺の体に触れてもらってその魔力の流れや性質を見極めてもらうのが目的だった。
大賢者と呼ばれるロマであれば、きっと何かを掴んでくれると思った。
魔法に関してはロマの右に出る者はいない。
先日俺が言ったヒールと同時に展開しているオプションの魔法、それが本当に存在するのか。そして自己治癒能力を高めるよう働きかけているのか。無意識で行っている以上、それを知るのに彼女に俺の魔力と同化してもらうのが一番の近道だと思った。
24人目の被害者である女性が医務局員と治癒師に両側から抱えられて部屋に入ってきた。
両足が魔獣化し、大きく膨れ上がって変形しているのが隠されていてもわかった。
自分では歩くことも出来ず、痛みがあるのか苦悶の表情を浮かべている。
床に敷かれたマットの上に横たえる。
「必ず治します。信じてください」
「聖女様…」
泣きそうな顔の女性に優しく微笑みかけると、女性はポロッと涙を溢して頷いた。
俺は女性の変形した牛や馬のように蹄のある足先に触れる。
「ロマ様、始めます」
すぐ後ろにいるロマに声をかけると、ロマは俺の肩に手を置いた。
俺は目を閉じ、今までと同じように意識を集中する。
ロマは、手から伝わってくる翔平の魔力に最初圧倒された。
触れている手が熱くなり、翔平から放たれる魔力が自分へも流れ込んでくるのを感じ、ロマは目を閉じて、その魔力を追うように意識を集中する。
なんて温かい…。
ロマは身体中に巡る翔平の魔力に自分の魔力が包み込まれ、守られているような錯覚を覚える。
だが、すぐに意識を切り替えて、翔平の魔力が魔獣化した部分へ吸い込まれるように集まっていくのを追いかけた。
翔平の魔力に溶け込ませるように自分の魔力を馴染ませて行く。
充分に練られた魔力が魔獣化した足を包み込む大きさで肥大化が終わると、今度はその魔力を濃密なものへと変化させて行くのがわかった。
例えるなら、水に色をつけていくような感じだ。
ロマは自身もその魔力の塊に己の魔力も一緒に注ぎ込むことになった。
なんてこと……。
塊に注ぎ込む量が尋常ではない。
己の魔力がごっそりと持っていかれるのを感じ、ロマは体に負荷を感じ、一気に汗が流れ出す。
そして目を閉じていても、魔力が光り輝き始めたのを感じた瞬間、翔平が詠唱した。
ロマは目を開き、両足を包み込む魔力の塊を目視した瞬間、翔平のヒールのイメージのその断片が流れ込んできたのを感じた。
女性の両足は、人の足へと戻っていた。
「ああ…」
女性が上半身を起こして足先を見る。蹄を持つ獣の足が、人の足の形に戻っていた。
布の下で大きく盛り上がっていた足が窄まり、痛みが消え、自分の意思で自由に動かせるようになったことに泣き崩れた。
「ありがとうございます、聖女様、ありがとうございます」
女性が泣きながら俺に礼を言い続ける。
「良かったですね」
俺は流れる汗をそのままに女性に微笑んだ。
女性が退出し、ロマを振り返る。
「どうでした?」
「……断片的だけど、何か…掴んだような気がするよ」
ロマは今し方感じた魔力とそのイメージを探るように真剣な表情で答える。
「ロマ様が一緒に魔力を注いでくれたおかげで、俺は少し楽でした」
翔平がニコリと笑い、ロマは苦笑いを浮かべる。
今のヒールの魔力使用量を数字で示すなら、きっと10万以上だ。
あたしは、そのうちの10分の1以下の魔力を注いだだけで、翔平が楽になるほどの量だったわけじゃない。
本当に桁違いだ。
ロマは汗を拭いながら苦笑した。
「もう一度お願い出来るかい?」
何かを掴んだと思うが、それは本当に微かなことで明確なヒントにもなっていなかった。
「俺はかまいませんが…」
「ロマ様。大丈夫ですか?」
すかさずディーが心配して言った。
「大丈夫だよ。あと2、3回は出来る」
残り4人。その症状は重くなり、同化させる魔力は今よりも増えるだろう。
自分の体力を考えれば、3回が限度だろうと思った。
「あの…私も出来ないでしょうか」
アーリヤが挙手で申告する。
「アーリヤ、総量はどのくらいだい?」
「3万ほどです」
「なら1回は大丈夫だね」
ロマがすぐに答えた。
それから数人が同じように体験を申し出たが、総量が1万以下の者は無理だと、ロマにはっきりと言われて引き下がった。
やはりロマにやってもらって正解だったと俺は笑顔を浮かべた。
25人目の治療をロマとアーリヤ、メイソンが俺に触れた状態で治療を行った。
先ほどと同様に魔獣化部位を包み込むように魔力を溜め、ヒールを発動させる。
そして終わった時、ロマはまだ大丈夫そうだったが、2人は膝をついてはあはあと荒い呼吸を繰り返して大量の汗を流し、ぐったりしていた。
「大丈夫ですか」
今度は俺が2人を心配する言葉を投げかけることになった。
2人は1回でダウンし、26人目は再びロマだけが俺に触れる。
そしてロマもダウンした。
疲れ果てている3人を休ませ、俺は残り2人の治療へ取り掛かる。
「ショーヘイ、本当に大丈夫ですか?」
ディーがそばに近寄ると。止まらない汗を拭ってくれる。
「大丈夫。後2人だ」
俺は笑顔をディーに向け、気合いを入れる。
残りの魔力は4割といったところだろうか。
最後の2人はかなりの重症者であるのはわかっているが、今までの治療の傾向から、枯渇には至らないと判断した。
体の半分を魔素に侵食されていた27人目も無事に終わり、そしてとうとう最後の被害者を迎える。
28人目。最後の1人が一番重症だった。
若い男性は、頭と腕の一部が正常で、他全て、全身の8割が魔獣化していた。
幸いなのは、脳が侵されていないことだ。だからまだ自我を保っている。
だが、時間の問題らしく、諦めた表情を浮かべ虚な目で俺を見てきた。
「聖…女…さ、ま」
変形した喉で、言葉を発することも辛いのか、僅かに聞き取れた人の言葉に、俺は泣きそうになった。
魔獣化によって大きく伸びた鉤爪を生やした毛むくじゃらの手を握り、じっと男性の顔を見る。
「大丈夫。絶対に治しますから。貴方も負けないで。治ると信じてください」
両手で手を握り、安心させようとニコリと微笑むと、男性の目に涙が浮かび、静かに頷いた。
「ディー」
俺は後ろにいるディーを振り返って呼ぶと、すぐにそばに寄ってくれた。
「ごめん、時間をかけていられないから、一気にやるよ。多分、俺自身が苦しむことになるけど、絶対に途中で止めたりしないでくれ」
俺はここまで酷い魔獣化を治すのに、今までのように時間をかけて魔力を放出、溜めることは無理だと判断した。
おそらく数十分集中しなければならない。その間、精神力も体力も削られていくし、被害者自身が長時間の治療に耐えられず、不安を募らせ、治療に疑心暗鬼になってしまう。
この人の治療は短期決戦で行くしかないと決意した。
ディーは真剣な目をした翔平に、止めることは出来ないと思い、困ったように微笑むと了承した。
「ショーヘイ…」
ディーは俺の頬を愛おしげに撫で、そっと離れた。
俺は男性の傍らに座ると、これから身に起こる衝撃に耐えられるよう、ゆっくりと深呼吸を繰り返して呼吸を整える。
「始めます」
男性の手を床に置き、その手に左手を重ねると、一気に魔力を放出した。
「うわ」
「え!」
部屋の中に、翔平の体から魔力風が起こり、部屋にいた治癒師達が一斉に驚いて声を上げた。
「ショーヘイ…」
ロマも今までの比じゃない魔力解放に驚きの声を上げる。
俺は今までのようにちょろちょろと蛇口から水を出すのではなく、一気に大量の魔力を解放した。
途端に襲ってくる強烈な体の痛みと吐き気、内臓を引き摺り出されるような気持ち悪さ、かと思えば握り潰されるような圧迫を感じ、必死にそれに耐える。
ただひたすら男性を治すことに集中し、元の姿に戻ってほしいと願いを込めて放出し続けた。
ブワッと男性の下に金色の魔法陣が出現すると、その魔法陣の中にどんどん放出した魔力が吸収されていくのを感じた。
20、30……50…。
まだ。あと少し。
体内に残る魔力残量を意識しつつ、治療に必要な魔力量に到達するまで、膨大な量を放出し続ける。
「何事!?」
ドアの外で警備していたジャニスが、突然の魔力解放に慌てて部屋に入って来た。
さらに建物の外で警備していたアビゲイルは、一緒にいたオリヴィエと顔を見合わせて苦笑する。
「全くもう…ショーヘーってば…」
翔平が治療のために、全力で魔力を解放したとすぐに気付いた。
呼吸が乱れる。
はあはあと荒い呼吸を繰り返し、必死に苦痛に耐えながら放出を続ける。
ぼたぼたと両鼻から血が落ちるのを気にせず、ガンガンと鳴り響くような頭痛を無視し、ひたすら治療だけに集中した。
「っぐぅ…」
胸に走った激痛と衝撃に苦痛の声を上げ、胸を抱えるように背中を丸める。だが、それでも放出は止めず、男性の手も離さなかった。
それを見た周囲の者達が辛そうに顔を歪め、数人は苦しむ聖女を見ていられず思わず目を背けるが、ディーは両手を強く握り締め、閉じた口の中で奥歯を噛み締めながら止めさせたい衝動を必死に押さえて見続ける。
目を背けず見届けることがディーが出来ることだった。
治れ!
戻れ!
元の姿に!!
数分間全力で魔力を解放し、そして魔法陣に必要な魔力が溜まったと意識した瞬間に顔を上げた。
「ヒール」
掠れた声で詠唱した瞬間、体中を覆っていた太く長い毛が抜け始め、ボロボロと崩れ黒い霧に変化すると霧散していく。
両手足にあった長く鋭い爪も、その先から溶解するように消えて行く。
僅か30秒ほどで、男性の体の魔獣化が消え、人の姿に戻っていた。
狐族だった彼の頭には狐の薄茶色の三角耳が現れ、ふわふわの尻尾も復活した。
魔法が完璧に発動し治療が成功すると、自然と魔法陣は霧散して消えて行く。
俺はその光景を眺め、終わったと苦痛が消えた体から力を抜いた。
「ショーヘイ」
座り込んでいる翔平の上半身が揺れ、今にもひっくり返りそうな所をすかさずディーが支え、楽な姿勢になるよう自分の体にもたれさせた。
ジャニスは、驚きすぎて動けない治癒師や医務局員の代わりに、魔獣化が消えて裸になってしまった男性に素早く布をかけてやる。
男性は裸を隠してくれたジャニスを見上げる。
「治った……?」
何が起こったのかわからないという感じで声に出し、耳に聞こえた自分の声が正常に戻っているのを聞いて目を見開く。
「治ったわよ。良かったわね」
ジャニスがニコリと微笑んであげると、男性の目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。
「ショーヘイ、大したものだよ…本当に…」
ロマがディーに寄りかかりぐったりしている翔平に近寄り、そっと肩に手を置いて声をかける。
「疲れ…ました……」
翔平はやり切ったという満足した笑顔で答えると、ロマも嬉しそうに笑った。
手を上げて流れた鼻血を拭うことも出来ず、代わりにバーニーがクリーンをかけてくれて、さらに顔を濡れタオルで優しく拭いてくれた。
この奇跡を目撃したアーリヤ達は、あまりの感動に涙を流した。
夕方5時過ぎに28名全員の治療が終わり、俺は30分ほど横になって休憩を取らせてもらうと、かろうじて立ち上がり、支えがあれば歩くことは出来るようになった。
気を抜けば転びそうになってしまうほど膝がガクガクと震えていたが、ディーの腕に掴まり支えてくれるおかげで、ゆっくりだが、自分の足で宿の玄関まで進む。
宿を出る時、すっかり元の姿に戻り、動けるようになっていた被害者達が玄関口まで慌てて駆けつけてくれた。
中には走ってくる人もいて、俺はすっかり元気になった人達に嬉しくなった。
「ありがとうございました!」
「聖女様…」
「このご恩、一生忘れません!」
口々に礼を言いながら、喜び泣いている。
俺に向かって祈りを捧げるようなポーズを取る人も居て、かなり恐縮してしまう。
「どうか皆さんお元気で」
笑顔で言い、宿を後にする。
外に出て馬車に乗り込んでも、被害者達は馬車が見えなくなるまで手を振ってくれた。
宿泊している宿に戻ると、同行していたデズモンドや治癒師達が心配して、すぐに休むように勧めてくれた。
特にデズモンドは、立ち会っただけで領主一族の者として何も出来なかったことに思う所があるのか、懇願するように俺に欲しいものはないかと聞いてきた。
最初は断ろうとしたのだが、彼があまりにも何か役に立ちたいという必死な目を向けてくるので、彼が納得するならと、「果物が食べたいです」と答えた。
「すぐにご用意します!」
デズモンドは嬉しそうな表情を浮かべると従者と共に果物を買いに大急ぎで出て行き、その必死さに笑ってしまった。
夕食はディーが食事を部屋まで運んでくれる。
「食べられますか?」
「ああ。お腹空いたよ」
横になった状態で答えると、ディーがそっと俺を抱き起こしてくれる。
「はい、あ~んして」
ディーにスプーンを差し出され。俺はボッと顔を赤くした。
「い、いいよ。自分で食べれる!」
そう言ってスプーンを受け取ろうと腕を上げたが、その腕がプルプルと細かく震えていて、説得力のない様子に困った。
「無理しないで。ほらあ~ん」
ディーはくすくす笑いながら再びスプーンを差し出してくる。
俺は苦虫を噛み潰したような顔をし、仕方なく口をあーと開けた。
「いい子ですね」
もぐもぐしているところに言われ、俺はますます恥ずかしくてしかめ面をしながら飲み込んだ。
「はい、あ~ん」
俺は子供扱いされているようでムッとしつつも、照れ臭くて顔を赤くしながら差し出されるフォークやスプーン、一口大に千切ったパンをパカッと口を開けて無言で食べ続けた。
ディーは時折うふふと含み笑いを漏らし、心底この行動が楽しいようで明らかに浮かれていた。
ディーはその後も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
途中、執事であるバーニーが代わりましょうか?と声をかけたが、
「こんな役得誰にも譲りません!」
えらい剣幕で断っていて、バーニーに笑われていた。
今はクリーンをかけ、寝夜着に着せ替えられ、ベッドの傍らでディーが鼻歌混じりにリンカの皮を剥いている。
つい先ほどデズモンドが届けてくれたものだ。
疲れただけで病人じゃないんだけどな、と思いながらディーが楽しそうなので何も言わずにしたいようにさせることにした。
リンカを食べていると、部屋がノックされてロマが訪ねてくる。
「ショーヘイ、お疲れだったね」
ディーが椅子を用意すると、彼女もベッドのそばに座る。
「体調はどうだい?」
「問題ありません。疲労感があるだけです」
ロマはニコニコしながら頷く。
ロマだってかなり疲れているはずだ。彼女も俺に合わせてヒールを発動させ、数万の魔力を消費したはずである。
だが、ロマはそんな態度を微塵も見せなかった。
「今はとにかく休んどくれ。報告諸々はこっちでやるから。
それと、アーリヤとメイソンにも体感したヒールのレポートを書くように言っといたよ」
「何か、掴めそうですか?」
「そうだね、僅かだが感じたものはあったよ」
ロマは真顔になると、俺の魔力と同化した時に感じたことを教えてくれた。
1回目はその魔力量に圧倒されて流れについていくのに必死だったが、3回目でようやく俺のヒールの中に、別の魔法の存在を感じたと言った。
しかも、治療を受けた28名から聞き取り調査を行っているが、治療中に体の内側から湧き起こる熱を感じたと答えたものが複数いたそうだ。
「それが同調なのかどうかは、これからの調査と研究次第だね。
ただ確実に言えるのは、あんたは間違いなくヒールに合わせて別の魔法を同時展開してる。
あたしはそう感じた」
「オプション、ですね?」
「そう、オプションだね」
ロマも面白そうに笑う。
「それと、あんたが言っていたメンエキとコータイについては、同調スクロールと合わせて調べるつもりだ。
何せあたしが生まれる前からある物で、まだ解明されていない部分も多いからね」
「え…?」
「いつ構築されたものなのか、年代も出所もわかっていないし、魔法陣に描かれている文字や記号、配列の意味もわかっていないんだよ」
ロマが生まれる前からと聞いて、素直に驚いた。建国者であるロマは最低でも830歳は超えているはずだ。
そのロマが生まれる前からなら、1000年は解明されていない代物ではないかと思った。
俺は無意識に首に触れ、以前狩猟祭で首に嵌められた黒い首輪を思い出す。
メルヒオールによると、あれは古代エルフが作ったもので、古代アーティファクトと呼ばれる1億年以上前の代物だったはず。
1000年前なら古代とは言えないだろうが、それでも古いことには変わりはない。
そんな古いものが現在でも現役で使われていることに、とにかく驚いてしまう。
「そんなにすごい物だったんだ…」
「ずっと身近にあるものだから普通に使ってるけどね」
ロマが笑い、俺はただただスケールの大きさに唖然とする。
「もしかすると、ショーヘイの言っていたことが解明のヒントになるかもしれない。
同調スクロールの研究者達が喜ぶと思うよ」
笑顔のロマに、俺ははあと曖昧な返事をすることしか出来なかった。
「とにかく、今はゆっくりお休み。
明日には王都へ戻るし、魔力が回復したらカレーリアに出発だ」
「あ、はい」
ロマが立ち上がったので、俺はベッドに座ったまま会釈すると、彼女は笑顔でヒラヒラと手を振って出て行った。
ロマが出て行った後、ディーは再びリンカの皮を剥き始めた。
俺は今の会話を頭の中で反復し質問する。
「ディー、あのさ…」
「何ですか?」
「ロマ様って…、何歳?」
ピタリとディーの手の動きが止まった。
「……わかりません…」
「…そーなんだ」
「建国者ですから808…、809歳以上なのは確実です。
以前は帝国所属の魔導士でしたし、帝国史と照らし合わせて少なく見積もっても…900歳近いかとは思いますが…」
「ハイエルフの寿命ってどのくらいだっけ」
「軽く1000年は超えます。記録では3000年とも5000年とも…」
「生まれる前からあるって、何年前のことを言ってるんだろうな」
首をかしげて言うと、ディーが笑い出した。
「本当にそうですね。もしかしたら、5000年以上前のことを言っているのかも」
ディーが笑い、俺もくすくすと笑った。
「ちなみにギル様の年は知ってる?」
「残念ながらそれも知りません」
「聞いたら教えてくれるかな」
「どうでしょうね~」
顔を見合わせ、互いに「絶対に教えてくれないだろうな」という表情を浮かべ、言わずとも思ったことがわかり、笑い合った。
数千年という途方もない長い時間を生きるって、どんな感じなのか想像も出来ない。
寿命の違う種族が混在する世界で、幾度となく出会いと別れを繰り返しているのだろう。
隣で俺を抱きしめて横になり目を閉じているディーの顔を見た。
そばにいたい。
ずっと、死ぬまでそばに。
ジュノーである俺がどこまで生きるかはわからない。
元の世界の寿命である80年ほどなのか。
それとも俺と同じ日本人でジュノーであるシュウのように180年近く生きるのか。
そっとディーの顔に触れ、手から伝わる暖かさに微笑む。
『死がふたりを分つまで』
俺たちは3人か、とくすりと笑い、長くても短くても、この気持ちは変わらないと、そう思った。
触れたことでディーが目を開けると、微笑みながら頬に触れた俺の手に自分の手を重ねる。
「眠れないんですか?」
その切れ長の目が細められて優しく微笑む顔を見て、綺麗だ、と魅入ってしまった。
「寝るよ」
微笑み返すと、お互いどちらかというわけでもなく自然に顔を寄せ、静かに唇を合わせた。
長く触れるだけのキスがとても心地良い。
唇から流れ込んでくるディーの魔力を感じ、愛されている、守られているという安堵感に全身が包まれていった。
「愛しています。私の聖女様」
「愛してる。俺の王子様」
聖女様に対抗して王子様と呼ぶと、ディーが可笑しそうに破顔した。
残りの13人は、腕一本、両腕、下半身など広範囲に及ぶ魔獣化を治療することになる。
「聖女様、魔力量は大丈夫なんですか?」
治癒師の1人、メイソンが心配そうに尋ねてくる。
「はい、まだ大丈夫です」
「ショーヘイは魔力お化けですからね、きっとまだ全体の1割くらいの消費じゃないですか?」
ディーに揶揄うように言われ、俺はお化け言うなと言いながらその通りだと笑うと、メイソンは呆気に取られていた。
今まで使った魔力はおそらく20万から30万程度でまだまだ余裕がある。
もしこれで一度に全員治せと言われれば、魔力の大量放出に体が悲鳴を上げるが、今までのように個別に、その治療にあった魔力をゆっくり少しづつ放出すれば全く問題はない。
ただ、これからは症状が酷くなるので、どのくらいの消費と時間がかかるかは予測出来なかった。
「それでは、始めましょう」
俺がニコリと微笑むとメイソンは頬を紅潮させ、はい、と大きな返事をして。16人目を連れてくるために出て行った。
やはり、午後の治療は午前中と比べて魔力の消費が多く、時間もかかった。
魔獣化した部位が広範囲にわたっているし、体の深くまで侵食している。
魔力を高め治療に必要な量まで放出を続けるため、ヒール発動までに時間がかかる。
皮膚だけなら数秒で済んだが、骨まで侵食された腕一本を治すヒールに数分の時間が必要だった。
一気に魔力を放出することは可能であり、その苦痛に耐えればいいだけの話だ。鼻血を出したり、全身に走る痛み、吐き気に耐えればいい。
だがそれをすれば、ディーやロマ、そして治癒師達は俺を心配し、治療を中断しようとするかもしれない。
だから俺は時間がかかるが、なるべく体に負担がかからないように時間をかけるしかなかった。
だが、逆に長時間の集中と、魔力を一定量放出し続けるという行為は、なかなか骨が折れるものだと知った。
じわじわと疲労が溜まっていくのがわかる。
午後に入って8人の治療が終わった後、しばらく休憩を取ることになった。
俺は少し乱れた呼吸を整えるため、小さく肩を上下させる。
「お疲れ様でございます」
控えていたバーニーが素早く俺に冷たいタオルを渡してくれる。
「ありがとう」
俺はそれを受け取ると流れてくる顔の汗を拭い、一息つく。
「聖女様、大丈夫ですか」
「相当お疲れのようですが」
「ああ、まだ大丈夫ですよ」
アーリヤ達が俺を心配して近寄ってくる。
例えるなら長距離走の後のような疲れなので、苦痛というわけではない。
笑顔で答えつつ、今まで治療した人達の様子を確認する。
「大丈夫です。体内に溜まっていた高濃度の魔素が完全に消失しているのを確認しました」
「元に戻った箇所にも何の問題もありません」
そう報告され、俺はニコリと笑顔を向ける。
「さ、あと5人だ。続けようか」
冷たい水を飲み、汗も引いたところで立ち上がる。
「ロマ様」
俺はロマを振り返り、一つの提案をした。
「次は一緒にヒールを使ってみませんか」
「一緒に?」
「はい。俺の体に触れて、俺のヒールに合わせて一緒に発動してみてください」
俺が言った言葉にロマはすぐに意味を理解した。
「やってみようかね」
ロマがニコリと笑う。
治療の主導権は俺が握るが、ロマに俺の体に触れてもらってその魔力の流れや性質を見極めてもらうのが目的だった。
大賢者と呼ばれるロマであれば、きっと何かを掴んでくれると思った。
魔法に関してはロマの右に出る者はいない。
先日俺が言ったヒールと同時に展開しているオプションの魔法、それが本当に存在するのか。そして自己治癒能力を高めるよう働きかけているのか。無意識で行っている以上、それを知るのに彼女に俺の魔力と同化してもらうのが一番の近道だと思った。
24人目の被害者である女性が医務局員と治癒師に両側から抱えられて部屋に入ってきた。
両足が魔獣化し、大きく膨れ上がって変形しているのが隠されていてもわかった。
自分では歩くことも出来ず、痛みがあるのか苦悶の表情を浮かべている。
床に敷かれたマットの上に横たえる。
「必ず治します。信じてください」
「聖女様…」
泣きそうな顔の女性に優しく微笑みかけると、女性はポロッと涙を溢して頷いた。
俺は女性の変形した牛や馬のように蹄のある足先に触れる。
「ロマ様、始めます」
すぐ後ろにいるロマに声をかけると、ロマは俺の肩に手を置いた。
俺は目を閉じ、今までと同じように意識を集中する。
ロマは、手から伝わってくる翔平の魔力に最初圧倒された。
触れている手が熱くなり、翔平から放たれる魔力が自分へも流れ込んでくるのを感じ、ロマは目を閉じて、その魔力を追うように意識を集中する。
なんて温かい…。
ロマは身体中に巡る翔平の魔力に自分の魔力が包み込まれ、守られているような錯覚を覚える。
だが、すぐに意識を切り替えて、翔平の魔力が魔獣化した部分へ吸い込まれるように集まっていくのを追いかけた。
翔平の魔力に溶け込ませるように自分の魔力を馴染ませて行く。
充分に練られた魔力が魔獣化した足を包み込む大きさで肥大化が終わると、今度はその魔力を濃密なものへと変化させて行くのがわかった。
例えるなら、水に色をつけていくような感じだ。
ロマは自身もその魔力の塊に己の魔力も一緒に注ぎ込むことになった。
なんてこと……。
塊に注ぎ込む量が尋常ではない。
己の魔力がごっそりと持っていかれるのを感じ、ロマは体に負荷を感じ、一気に汗が流れ出す。
そして目を閉じていても、魔力が光り輝き始めたのを感じた瞬間、翔平が詠唱した。
ロマは目を開き、両足を包み込む魔力の塊を目視した瞬間、翔平のヒールのイメージのその断片が流れ込んできたのを感じた。
女性の両足は、人の足へと戻っていた。
「ああ…」
女性が上半身を起こして足先を見る。蹄を持つ獣の足が、人の足の形に戻っていた。
布の下で大きく盛り上がっていた足が窄まり、痛みが消え、自分の意思で自由に動かせるようになったことに泣き崩れた。
「ありがとうございます、聖女様、ありがとうございます」
女性が泣きながら俺に礼を言い続ける。
「良かったですね」
俺は流れる汗をそのままに女性に微笑んだ。
女性が退出し、ロマを振り返る。
「どうでした?」
「……断片的だけど、何か…掴んだような気がするよ」
ロマは今し方感じた魔力とそのイメージを探るように真剣な表情で答える。
「ロマ様が一緒に魔力を注いでくれたおかげで、俺は少し楽でした」
翔平がニコリと笑い、ロマは苦笑いを浮かべる。
今のヒールの魔力使用量を数字で示すなら、きっと10万以上だ。
あたしは、そのうちの10分の1以下の魔力を注いだだけで、翔平が楽になるほどの量だったわけじゃない。
本当に桁違いだ。
ロマは汗を拭いながら苦笑した。
「もう一度お願い出来るかい?」
何かを掴んだと思うが、それは本当に微かなことで明確なヒントにもなっていなかった。
「俺はかまいませんが…」
「ロマ様。大丈夫ですか?」
すかさずディーが心配して言った。
「大丈夫だよ。あと2、3回は出来る」
残り4人。その症状は重くなり、同化させる魔力は今よりも増えるだろう。
自分の体力を考えれば、3回が限度だろうと思った。
「あの…私も出来ないでしょうか」
アーリヤが挙手で申告する。
「アーリヤ、総量はどのくらいだい?」
「3万ほどです」
「なら1回は大丈夫だね」
ロマがすぐに答えた。
それから数人が同じように体験を申し出たが、総量が1万以下の者は無理だと、ロマにはっきりと言われて引き下がった。
やはりロマにやってもらって正解だったと俺は笑顔を浮かべた。
25人目の治療をロマとアーリヤ、メイソンが俺に触れた状態で治療を行った。
先ほどと同様に魔獣化部位を包み込むように魔力を溜め、ヒールを発動させる。
そして終わった時、ロマはまだ大丈夫そうだったが、2人は膝をついてはあはあと荒い呼吸を繰り返して大量の汗を流し、ぐったりしていた。
「大丈夫ですか」
今度は俺が2人を心配する言葉を投げかけることになった。
2人は1回でダウンし、26人目は再びロマだけが俺に触れる。
そしてロマもダウンした。
疲れ果てている3人を休ませ、俺は残り2人の治療へ取り掛かる。
「ショーヘイ、本当に大丈夫ですか?」
ディーがそばに近寄ると。止まらない汗を拭ってくれる。
「大丈夫。後2人だ」
俺は笑顔をディーに向け、気合いを入れる。
残りの魔力は4割といったところだろうか。
最後の2人はかなりの重症者であるのはわかっているが、今までの治療の傾向から、枯渇には至らないと判断した。
体の半分を魔素に侵食されていた27人目も無事に終わり、そしてとうとう最後の被害者を迎える。
28人目。最後の1人が一番重症だった。
若い男性は、頭と腕の一部が正常で、他全て、全身の8割が魔獣化していた。
幸いなのは、脳が侵されていないことだ。だからまだ自我を保っている。
だが、時間の問題らしく、諦めた表情を浮かべ虚な目で俺を見てきた。
「聖…女…さ、ま」
変形した喉で、言葉を発することも辛いのか、僅かに聞き取れた人の言葉に、俺は泣きそうになった。
魔獣化によって大きく伸びた鉤爪を生やした毛むくじゃらの手を握り、じっと男性の顔を見る。
「大丈夫。絶対に治しますから。貴方も負けないで。治ると信じてください」
両手で手を握り、安心させようとニコリと微笑むと、男性の目に涙が浮かび、静かに頷いた。
「ディー」
俺は後ろにいるディーを振り返って呼ぶと、すぐにそばに寄ってくれた。
「ごめん、時間をかけていられないから、一気にやるよ。多分、俺自身が苦しむことになるけど、絶対に途中で止めたりしないでくれ」
俺はここまで酷い魔獣化を治すのに、今までのように時間をかけて魔力を放出、溜めることは無理だと判断した。
おそらく数十分集中しなければならない。その間、精神力も体力も削られていくし、被害者自身が長時間の治療に耐えられず、不安を募らせ、治療に疑心暗鬼になってしまう。
この人の治療は短期決戦で行くしかないと決意した。
ディーは真剣な目をした翔平に、止めることは出来ないと思い、困ったように微笑むと了承した。
「ショーヘイ…」
ディーは俺の頬を愛おしげに撫で、そっと離れた。
俺は男性の傍らに座ると、これから身に起こる衝撃に耐えられるよう、ゆっくりと深呼吸を繰り返して呼吸を整える。
「始めます」
男性の手を床に置き、その手に左手を重ねると、一気に魔力を放出した。
「うわ」
「え!」
部屋の中に、翔平の体から魔力風が起こり、部屋にいた治癒師達が一斉に驚いて声を上げた。
「ショーヘイ…」
ロマも今までの比じゃない魔力解放に驚きの声を上げる。
俺は今までのようにちょろちょろと蛇口から水を出すのではなく、一気に大量の魔力を解放した。
途端に襲ってくる強烈な体の痛みと吐き気、内臓を引き摺り出されるような気持ち悪さ、かと思えば握り潰されるような圧迫を感じ、必死にそれに耐える。
ただひたすら男性を治すことに集中し、元の姿に戻ってほしいと願いを込めて放出し続けた。
ブワッと男性の下に金色の魔法陣が出現すると、その魔法陣の中にどんどん放出した魔力が吸収されていくのを感じた。
20、30……50…。
まだ。あと少し。
体内に残る魔力残量を意識しつつ、治療に必要な魔力量に到達するまで、膨大な量を放出し続ける。
「何事!?」
ドアの外で警備していたジャニスが、突然の魔力解放に慌てて部屋に入って来た。
さらに建物の外で警備していたアビゲイルは、一緒にいたオリヴィエと顔を見合わせて苦笑する。
「全くもう…ショーヘーってば…」
翔平が治療のために、全力で魔力を解放したとすぐに気付いた。
呼吸が乱れる。
はあはあと荒い呼吸を繰り返し、必死に苦痛に耐えながら放出を続ける。
ぼたぼたと両鼻から血が落ちるのを気にせず、ガンガンと鳴り響くような頭痛を無視し、ひたすら治療だけに集中した。
「っぐぅ…」
胸に走った激痛と衝撃に苦痛の声を上げ、胸を抱えるように背中を丸める。だが、それでも放出は止めず、男性の手も離さなかった。
それを見た周囲の者達が辛そうに顔を歪め、数人は苦しむ聖女を見ていられず思わず目を背けるが、ディーは両手を強く握り締め、閉じた口の中で奥歯を噛み締めながら止めさせたい衝動を必死に押さえて見続ける。
目を背けず見届けることがディーが出来ることだった。
治れ!
戻れ!
元の姿に!!
数分間全力で魔力を解放し、そして魔法陣に必要な魔力が溜まったと意識した瞬間に顔を上げた。
「ヒール」
掠れた声で詠唱した瞬間、体中を覆っていた太く長い毛が抜け始め、ボロボロと崩れ黒い霧に変化すると霧散していく。
両手足にあった長く鋭い爪も、その先から溶解するように消えて行く。
僅か30秒ほどで、男性の体の魔獣化が消え、人の姿に戻っていた。
狐族だった彼の頭には狐の薄茶色の三角耳が現れ、ふわふわの尻尾も復活した。
魔法が完璧に発動し治療が成功すると、自然と魔法陣は霧散して消えて行く。
俺はその光景を眺め、終わったと苦痛が消えた体から力を抜いた。
「ショーヘイ」
座り込んでいる翔平の上半身が揺れ、今にもひっくり返りそうな所をすかさずディーが支え、楽な姿勢になるよう自分の体にもたれさせた。
ジャニスは、驚きすぎて動けない治癒師や医務局員の代わりに、魔獣化が消えて裸になってしまった男性に素早く布をかけてやる。
男性は裸を隠してくれたジャニスを見上げる。
「治った……?」
何が起こったのかわからないという感じで声に出し、耳に聞こえた自分の声が正常に戻っているのを聞いて目を見開く。
「治ったわよ。良かったわね」
ジャニスがニコリと微笑んであげると、男性の目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。
「ショーヘイ、大したものだよ…本当に…」
ロマがディーに寄りかかりぐったりしている翔平に近寄り、そっと肩に手を置いて声をかける。
「疲れ…ました……」
翔平はやり切ったという満足した笑顔で答えると、ロマも嬉しそうに笑った。
手を上げて流れた鼻血を拭うことも出来ず、代わりにバーニーがクリーンをかけてくれて、さらに顔を濡れタオルで優しく拭いてくれた。
この奇跡を目撃したアーリヤ達は、あまりの感動に涙を流した。
夕方5時過ぎに28名全員の治療が終わり、俺は30分ほど横になって休憩を取らせてもらうと、かろうじて立ち上がり、支えがあれば歩くことは出来るようになった。
気を抜けば転びそうになってしまうほど膝がガクガクと震えていたが、ディーの腕に掴まり支えてくれるおかげで、ゆっくりだが、自分の足で宿の玄関まで進む。
宿を出る時、すっかり元の姿に戻り、動けるようになっていた被害者達が玄関口まで慌てて駆けつけてくれた。
中には走ってくる人もいて、俺はすっかり元気になった人達に嬉しくなった。
「ありがとうございました!」
「聖女様…」
「このご恩、一生忘れません!」
口々に礼を言いながら、喜び泣いている。
俺に向かって祈りを捧げるようなポーズを取る人も居て、かなり恐縮してしまう。
「どうか皆さんお元気で」
笑顔で言い、宿を後にする。
外に出て馬車に乗り込んでも、被害者達は馬車が見えなくなるまで手を振ってくれた。
宿泊している宿に戻ると、同行していたデズモンドや治癒師達が心配して、すぐに休むように勧めてくれた。
特にデズモンドは、立ち会っただけで領主一族の者として何も出来なかったことに思う所があるのか、懇願するように俺に欲しいものはないかと聞いてきた。
最初は断ろうとしたのだが、彼があまりにも何か役に立ちたいという必死な目を向けてくるので、彼が納得するならと、「果物が食べたいです」と答えた。
「すぐにご用意します!」
デズモンドは嬉しそうな表情を浮かべると従者と共に果物を買いに大急ぎで出て行き、その必死さに笑ってしまった。
夕食はディーが食事を部屋まで運んでくれる。
「食べられますか?」
「ああ。お腹空いたよ」
横になった状態で答えると、ディーがそっと俺を抱き起こしてくれる。
「はい、あ~んして」
ディーにスプーンを差し出され。俺はボッと顔を赤くした。
「い、いいよ。自分で食べれる!」
そう言ってスプーンを受け取ろうと腕を上げたが、その腕がプルプルと細かく震えていて、説得力のない様子に困った。
「無理しないで。ほらあ~ん」
ディーはくすくす笑いながら再びスプーンを差し出してくる。
俺は苦虫を噛み潰したような顔をし、仕方なく口をあーと開けた。
「いい子ですね」
もぐもぐしているところに言われ、俺はますます恥ずかしくてしかめ面をしながら飲み込んだ。
「はい、あ~ん」
俺は子供扱いされているようでムッとしつつも、照れ臭くて顔を赤くしながら差し出されるフォークやスプーン、一口大に千切ったパンをパカッと口を開けて無言で食べ続けた。
ディーは時折うふふと含み笑いを漏らし、心底この行動が楽しいようで明らかに浮かれていた。
ディーはその後も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
途中、執事であるバーニーが代わりましょうか?と声をかけたが、
「こんな役得誰にも譲りません!」
えらい剣幕で断っていて、バーニーに笑われていた。
今はクリーンをかけ、寝夜着に着せ替えられ、ベッドの傍らでディーが鼻歌混じりにリンカの皮を剥いている。
つい先ほどデズモンドが届けてくれたものだ。
疲れただけで病人じゃないんだけどな、と思いながらディーが楽しそうなので何も言わずにしたいようにさせることにした。
リンカを食べていると、部屋がノックされてロマが訪ねてくる。
「ショーヘイ、お疲れだったね」
ディーが椅子を用意すると、彼女もベッドのそばに座る。
「体調はどうだい?」
「問題ありません。疲労感があるだけです」
ロマはニコニコしながら頷く。
ロマだってかなり疲れているはずだ。彼女も俺に合わせてヒールを発動させ、数万の魔力を消費したはずである。
だが、ロマはそんな態度を微塵も見せなかった。
「今はとにかく休んどくれ。報告諸々はこっちでやるから。
それと、アーリヤとメイソンにも体感したヒールのレポートを書くように言っといたよ」
「何か、掴めそうですか?」
「そうだね、僅かだが感じたものはあったよ」
ロマは真顔になると、俺の魔力と同化した時に感じたことを教えてくれた。
1回目はその魔力量に圧倒されて流れについていくのに必死だったが、3回目でようやく俺のヒールの中に、別の魔法の存在を感じたと言った。
しかも、治療を受けた28名から聞き取り調査を行っているが、治療中に体の内側から湧き起こる熱を感じたと答えたものが複数いたそうだ。
「それが同調なのかどうかは、これからの調査と研究次第だね。
ただ確実に言えるのは、あんたは間違いなくヒールに合わせて別の魔法を同時展開してる。
あたしはそう感じた」
「オプション、ですね?」
「そう、オプションだね」
ロマも面白そうに笑う。
「それと、あんたが言っていたメンエキとコータイについては、同調スクロールと合わせて調べるつもりだ。
何せあたしが生まれる前からある物で、まだ解明されていない部分も多いからね」
「え…?」
「いつ構築されたものなのか、年代も出所もわかっていないし、魔法陣に描かれている文字や記号、配列の意味もわかっていないんだよ」
ロマが生まれる前からと聞いて、素直に驚いた。建国者であるロマは最低でも830歳は超えているはずだ。
そのロマが生まれる前からなら、1000年は解明されていない代物ではないかと思った。
俺は無意識に首に触れ、以前狩猟祭で首に嵌められた黒い首輪を思い出す。
メルヒオールによると、あれは古代エルフが作ったもので、古代アーティファクトと呼ばれる1億年以上前の代物だったはず。
1000年前なら古代とは言えないだろうが、それでも古いことには変わりはない。
そんな古いものが現在でも現役で使われていることに、とにかく驚いてしまう。
「そんなにすごい物だったんだ…」
「ずっと身近にあるものだから普通に使ってるけどね」
ロマが笑い、俺はただただスケールの大きさに唖然とする。
「もしかすると、ショーヘイの言っていたことが解明のヒントになるかもしれない。
同調スクロールの研究者達が喜ぶと思うよ」
笑顔のロマに、俺ははあと曖昧な返事をすることしか出来なかった。
「とにかく、今はゆっくりお休み。
明日には王都へ戻るし、魔力が回復したらカレーリアに出発だ」
「あ、はい」
ロマが立ち上がったので、俺はベッドに座ったまま会釈すると、彼女は笑顔でヒラヒラと手を振って出て行った。
ロマが出て行った後、ディーは再びリンカの皮を剥き始めた。
俺は今の会話を頭の中で反復し質問する。
「ディー、あのさ…」
「何ですか?」
「ロマ様って…、何歳?」
ピタリとディーの手の動きが止まった。
「……わかりません…」
「…そーなんだ」
「建国者ですから808…、809歳以上なのは確実です。
以前は帝国所属の魔導士でしたし、帝国史と照らし合わせて少なく見積もっても…900歳近いかとは思いますが…」
「ハイエルフの寿命ってどのくらいだっけ」
「軽く1000年は超えます。記録では3000年とも5000年とも…」
「生まれる前からあるって、何年前のことを言ってるんだろうな」
首をかしげて言うと、ディーが笑い出した。
「本当にそうですね。もしかしたら、5000年以上前のことを言っているのかも」
ディーが笑い、俺もくすくすと笑った。
「ちなみにギル様の年は知ってる?」
「残念ながらそれも知りません」
「聞いたら教えてくれるかな」
「どうでしょうね~」
顔を見合わせ、互いに「絶対に教えてくれないだろうな」という表情を浮かべ、言わずとも思ったことがわかり、笑い合った。
数千年という途方もない長い時間を生きるって、どんな感じなのか想像も出来ない。
寿命の違う種族が混在する世界で、幾度となく出会いと別れを繰り返しているのだろう。
隣で俺を抱きしめて横になり目を閉じているディーの顔を見た。
そばにいたい。
ずっと、死ぬまでそばに。
ジュノーである俺がどこまで生きるかはわからない。
元の世界の寿命である80年ほどなのか。
それとも俺と同じ日本人でジュノーであるシュウのように180年近く生きるのか。
そっとディーの顔に触れ、手から伝わる暖かさに微笑む。
『死がふたりを分つまで』
俺たちは3人か、とくすりと笑い、長くても短くても、この気持ちは変わらないと、そう思った。
触れたことでディーが目を開けると、微笑みながら頬に触れた俺の手に自分の手を重ねる。
「眠れないんですか?」
その切れ長の目が細められて優しく微笑む顔を見て、綺麗だ、と魅入ってしまった。
「寝るよ」
微笑み返すと、お互いどちらかというわけでもなく自然に顔を寄せ、静かに唇を合わせた。
長く触れるだけのキスがとても心地良い。
唇から流れ込んでくるディーの魔力を感じ、愛されている、守られているという安堵感に全身が包まれていった。
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