ブラッティーメアリー

燐火

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第一章

完璧な人間なんていない

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急いで厨房へ向かうと、クレスさんが忙しそうに料理の下準備をしていた。

私の服や手には灰が付いているのが明らかだった。

クレスさんは私に気づくと、少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに実務的な口調で言った。
「どうしたんだ、その格好は?とりあえず手を洗ってくれ。ここは調理場だから、清潔が大事だろ」

不機嫌そうな表情を見せながら、彼は手を洗う場所を指さす。
「え、えぇ……」
私は小さく頷き、近くのシンクに向かった。

シンクの蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく流れ出した。
手を洗いながら、ふとクレスに聞いた。
「冷凍庫をもう一度調べてもいいかしら?何か、手がかりが見つかるかもしれない」

クレスさんは黙ってしばらく考え、少し驚いた顔をした後、頷いた。
「別に構わないが、荒らすんじゃねぇぞ?」

「大丈夫よ。それと、冷凍庫って掃除したかしら?」

毎日掃除してると言ってたから、証拠はもう残っていないだろうと思っていたが、意外な返事が返ってきた。
「いや、まだだ。証拠になるかもしれないと思ってな、掃除はまだしてない」

その言葉にホッとしたのも束の間、私はお礼を言って蛇口をひねり、水を止めた。
「あっ……」
手を洗い終えた私の手から垂れる水滴に目を留めた。
これ、もしかして……?

「クレスさん、氷ってどこにあるの?」

「氷か?」
クレスさんは少し不思議そうに顔をしかめ、氷がある場所を指差した。
「そこだ。手前に引けば、氷がたくさん入ってる。意外とよく使うから、取りやすい場所に置いてるんだ」

なるほど、氷はよく使うのか……。
そう思いながら、私は製氷機から氷を一つ取り出し、手に握りしめた。
氷は私の手の熱で溶け、ポタポタと水滴が垂れる。

「やっぱり……そういうことか」

それを確認した私は氷を口に放り込み、噛み砕いた。

「クレスさん、冷凍庫をもう一度調べさせてもらうわ」

「あぁ、構わないぞ」

クレスは料理の準備に戻った。
私は冷凍庫の前に立ち、再び扉を開けた。
中を覗くと、冷たい空気と共に凍った食材が並んでいる。
床に目を向けると、あの時見た等間隔の凍った水滴がまだ残っている。
これ、氷を握った時に溶けた水滴が凍ったものだったか……。
氷のナイフが溶けた後、気づかずにここを出た証拠……!

「つまり……ナイフを作っていたものが、ここにあるはず……」

私は冷凍庫の奥をさらに探し始めた。
最初に調べた時には手が届かなかった場所だ。
奥の方は、掃除が行き届いていないのか、少し霜が積もっていた。
探していると、冷凍庫の奥深くの棚にペットボトルが置かれているのが目に入った。
普段は目にしない奥の奥に……。

それを手に取ると、切られていて、何かを作っていた形跡があることが分かる。
他のものと明らかに異質で、その存在が目立っていた。
「これは……」

ペットボトルをじっくりと観察していると、ふと床を見ると、そこにも水滴が落ちていた。
まさか……これが……?

冷たい空気に包まれる冷凍庫の中で、私は息を飲んだ。
ここで、ナイフを作っていたのだろうか……?
ペットボトルで……どうやって……?

ペットボトルに集中していると、背後で冷凍庫の扉が軋む音がした。
クレスさんが近づいてきたのだろうか。しかし、私はその音を無視して、ペットボトルに集中した。

「どうしたんだ?何か見つかったのか?」

クレスさんの声が耳に入るが、目を向けずに言葉を返す。
「まだ分からないけれど、こんなところにペットボトルがあるなんて、なんか不自然だわ」

ペットボトルをクレスに見せながら、続ける。
「ねぇ、クレスさん。ここにペットボトルがあるって気づいてた?」

クレスさんはしばらく考え、口を開いた。
「いや、毎日冷凍庫を掃除してるとはいえ、奥は軽く掃除するくらいだからな。気づかなかった」

「クレスさん以外に、ここを頻繁に出入りする人はいるの?」

「俺以外……か……。あまり居ないな。基本料理は俺一人でやるし、昨日もニゲラに手伝ってもらったが、冷凍庫は使ってない」

そういえば、ニゲラに手伝ってもらったって言ってたわね……。

「あっ……」

「どうしたんだ?」
声を漏らした私に、クレスさんが聞いてくる。
「──ニゲラは昨日、冷凍庫を使っている……」

クレスさんは不思議そうに言った。
「おい、どういうことだ?ニゲラは昨日、俺と一緒に厨房にいて、冷凍庫は使ってないぞ?」

私は説明した。
「クレスさんが見ていない時に冷凍庫を使ったのよ。ワインを持ち出すために。冷凍庫とワインセラーは近いから、ワインとグラスをトレーに載せて、冷凍庫に入った。そして、準備しておいた氷のナイフを回収して、ウィルさんの部屋へ向かい、殺害した」

クレスさんは驚き、しばらく黙っていた。
そして──
「ま、待ってくれ!ニゲラがウィルを殺しただと?警察が言ってた死亡推定時刻は一時なんだろ?その時には俺と……」

私が言ったことを信じるのは難しいだろう。
「詳しくは省くけど、そうなのよ。でも、証拠がなかった。だけど、今ようやくその証拠になり得るものを掴んだの。ニゲラは氷のナイフを作り、それでウィルさんを殺した。そして、あの凍った水滴は、氷のナイフを握った時に溶けてできたものだった」

クレスは俯き、何も言わなかった。
ニゲラが犯人だという事実にショックを受けているのだろう。

「大丈夫よ。あともう少しで、全てが揃う。必ず、みんなの前でこの事件を解決するわ」

私がクレスにそう言うと、彼は「必ず、そうしてくれ」と力強く言った。

デビル・スビットに彼女を奪われ、同じ使用人に友人を奪われた彼の心は傷ついているだろう。でも、その復讐の炎は、殺人に向かうことなく、私への期待に向いていた。

──犯行の手順は分かった。
あとは……ナイフの制作方法と動機ね……。

私はペットボトルを回収し、クレスさんと共に冷凍庫を後にした。
「あともう少し……か……」

私が呟いたその瞬間、クレスさんが声を上げた。
「──本当に、ニゲラが犯人なのか……?」

私は冷静に頷いた。
「えぇ、そうよ」

クレスさんはしばらく黙って立っていたが、やがて深いため息をついた。
「そうか……」

「でも、大丈夫。私が間違えてるって可能性もあるでしょ?本当に信じたくないなら、そっちの可能性も考えてみるのもいいかもしれないわ」

私が冗談を言うと、クレスさんは軽く笑った。

「確かに、いくら探偵でも完璧とは言えないもんな。俺も、料理人だがたまに失敗することもある」

私も思わず笑みをこぼす。
「ふふっ、完璧な人間なんていないものね。あまり深く考えすぎてもいけないわ。私は私のやることをやっているだけ。必ず真実を突き止めるわ」

「あぁ……頼んだ」

クレスさんの目には不安がチラついている。

私は冷凍庫で見つけたペットボトルを手に持ち、厨房を後にし、再びウィルさんの部屋へ向かった。
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