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54P《稚田彦の反撃》

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  一方その頃、雄朝津間皇子おあさづまのおうじはだいぶ限界にきていた。
大炯でひょんの剣を避けようとした瞬間に、腕に少し剣がかすった。

  雄朝津間皇子は思わず、後ろに下がった。剣の傷はそこまで深くは無いが、少し血が流れていた。

(くそ、このままじゃ殺られてしまう)

  彼は息を「ぜーはーぜーはー」と荒くしていた。体力的にも限界が近いようだ。

「確か雄朝津間皇子とか言っていたな。君の剣の腕前は中々のものだ。だが悪いがそろそろ決着を付けさせて貰う」

(そ、そんな。このままじゃ雄朝津間皇子が死んじゃう!!)

  忍坂姫おしさかのひめは、目から大粒の涙を流していた。


  そして大炯が剣を再び構えて彼に向けた。

  雄朝津間皇子はもうフラフラの状態で、その場から動けなくなっていた。

(くそ、ここまでか……)

  雄朝津間皇子はそんな自分がとても情けなかった。自分の大切な人でさえ守れないのかと。

  そして大炯が皇子に向けて剣を振りかざした丁度その時だった。

  誰かが彼の剣を受け止めた。

  雄朝津間皇子は思わず前を向いた。すると彼の前には稚田彦わかたひこが立っていた。

「わ、稚田彦。どうせなら、もう少し早く来てくれよ」

  雄朝津間皇子は息を荒く吐きながら彼に言った。

「雄朝津間皇子、申し訳ありません。これでもかなり急いだんですが」

  そう言って、彼は大炯の剣を払い退けた。
  稚田彦の急な登場に、彼は思わず後ろに下がった。

(この男、いつの間にやって来たんだ)

「雄朝津間皇子、あとは私が何とかしますから、少し休んでいて下さい」

  そう言って、稚田彦は従者の者に彼を後ろに下がらせるよう指示した。

  そしてそれから稚田彦は大炯に向かい合った。

(雄朝津間皇子をここまで追い詰めるとは、かなりの剣の使い手だ。それにこの男から伝わってくる異常な殺気、とても倭国の人間とは思いにくい)

「あなたは他の国の方ですね。その腕前からして、あなたがもしや半島から来たと言う殺し屋か」

  そう言って稚田彦は大炯に剣を向けた。
すると、普段の穏やかな彼の表情は一切消えていた。まるで感情など持ち合わせていないかのように。

「あぁ、その通りだ。その感じだと先程の皇子よりも強そうだ」

  大炯はそう言って、彼もまた剣を構えた。



  その頃雄朝津間皇子の元に忍坂姫がやって来た。

「お、雄朝津間皇子、大丈夫ですか!!」

  彼女の顔は泣き顔でぐじゃぐじゃになっていた。今までの光景を見ていた間、相当泣いていたのであろう。

「あぁ、ちょっと剣が腕に入ったが、少しかすった程度だ。しかしあの男相当に強いな。まぁ、あとは稚田彦が何とかしてくれるだろう」

  雄朝津間皇子はまだ体力が戻って無いようで、息を荒くしていた。

「でも、雄朝津間皇子が無理だった相手に、稚田彦が勝てるんでしょうか」

  忍坂姫には稚田彦があの大炯とか言う男に勝てるとは中々思えない。

「まぁ、あいつらの戦いを見ていたら分かるさ。どうして稚田彦が大王の側近としていられるのか。彼がとても優秀だからという理由だけで、いられる訳ではないんでね」


  雄朝津間皇子にそう言われたので、忍坂姫は稚田彦達を見た。

  2人は今まさに剣を交わそうとしていた。

  大炯は稚田彦の剣の構えを見て驚いた。彼から人としての感情が消えており、また心に一切乱れがないように思えた。

(この男、相当に手強そうだな)

  そして大炯は、稚田彦に斬りかかりに行った。

  稚田彦は大炯が来ると、ふらっと彼の剣をかわした。大炯はいきなり彼が横にそれたので慌てて足を止めた。

(何だ、今のは。しかも動きがかなり速かった)

  そして再び彼に向き合った。今のは偶々なのだろうか。あんなに簡単に自分が避けられるとは思っても見なかった。

  そして大炯は、再度稚田彦に向かって行った。
  だが彼に剣を振りかざすも、簡単に剣を受け止められてしまう。

(くそ、一体どういう事だ。何故あんな簡単に剣を受け止められるんだ、この男は)

  すると稚田彦は、まるで相手の動きを見切ったかのように、今度は自身が剣を大炯に向けて行った。
  するとまた激しい剣のぶつけ合いの音が聞こえて来る。

  だが剣の動きが稚田彦の方が早く、大炯は中々反撃が出来ないでいた。そして何とか剣を振りかざしたと思っても、あっさり彼に受け止められてしまう。

(ここは一旦後ろに下がろう……)

  大炯はそう思って、一旦少し後ろに下がった。

  稚田彦も一旦剣を振りかざすのを止めた。だが、彼の息は余り上がっていないように見えた。


  忍坂姫はそんな稚田彦の戦いを見て、唖然としていた。雄朝津間皇子があれだけ苦労した相手に、全く苦戦していない。むしろ彼には余裕さえあるように見える。

  そんな驚いた忍坂姫を横で見ながら雄朝津間皇子は言った。

「大和の大王や皇子は、その身分だけでも狙われる事がある。稚田彦は大王の側近としての任務する傍ら、大王の護衛もしているんだ。恐らく彼が大和の一族の中で一番最強だ」

  忍坂姫はそんな雄朝津間皇子の説明を聞きながら、それでも信じられないと言った感じで彼を見ていた。

(まさか、彼がここまで強い人だったなんて……)


  そんな稚田彦に大炯は尋ねた。

「ど、どうして、お前程の剣の実力の持ち主が、この国の王に仕えているんだ」

  これだけの実力があれば、もっとその能力を活かす事だって出来るはずだ。
  自分のいる半島の国なら、彼はかなり大きな功績を残せられるであろう。

  そんな大炯の質問を聞いた彼は、思わず笑みを浮かべた。
  そして彼は右手に持った剣を真っ直ぐ前につき出した。

「どうして、俺が大和に仕えているかだって。答えは一つしかない。それは守りたい者がいるからだ」

  そこには彼の断固たる意志があるように見えた。

(俺にとって、本当にかけがえのないあの人を守る為なら、何だってやれる)
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