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Chapter12 - Side:Other - D
181 > 決戦前 ー 後編
しおりを挟む日曜日の朝。
汐見の清々しい気持ちとは裏腹に雨が降っていた。
〝でも予報では午後から雨は上がるって言ってたよな……〟
曇りの予報が出ていたが、打ち合わせの午後3時ごろに雨足が遠のくならそれで十分だと思った。
出かける支度をしつつ、今日の夕飯の買い物のチェックもする。
〝……紗妃がいる時は、買い物なんてほとんどしたことなかったな……〟
我ながら、知らず、亭主関白のように仕事仕事ばかりで紗妃に構ってやれていなかったことを思い出す。
週末に出かけようとしても紗妃に拒まれて外出すらできなかったことが頻繁だったことも忘れて───
◇◇◇◇◇
お昼を先に済ませておこうと思った汐見は、待ち合わせの1時間前にカラオケボックスを予約した。以前来た時に給仕された食事が割と美味かったので、もう一度来ようと思っていた店でもある。
ヒトカラメインのカラオケボックスというかなり珍しい営業形態だったが、結構繁盛しているらしい。紙袋を持った汐見が到着した時間帯は真っ昼間なのに満室で、空き部屋待ちの人間が7名ほど待機していた。
〝予約しといて正解だったな……〟
「2名でご予約の汐見さま、ですね?」
「はい。もう1人は1時間ほど遅れてくるんですが、その、料金形態って……」
「お2人が揃ってからフリータイムスタートということでしたら、1時間ずらすことができますよ。その場合、お1人分は1時間料金が別途かかってしまいますが、どうしますか?」
「うーん……じゃあ1人ずつ、通常料金だと?」
「滞在時間はどのくらいを考えてますか?」
「2時間くらい? かと」
「あ、では、通常料金の方が少しお安くなると思います」
「そうなんですね。じゃあ、それで」
「かしこまりました。では、こちらへ」
案内されたボックスに入って、汐見は、やっぱり、と思った。
〝こないだ佐藤と来た時も思ったけど……ここ、部屋が狭いんだよな……〟
部屋の狭さは壁に設置されている防音壁のせいだったのだが、客である汐見がそんなことを知るはずもない。
ソファに座ると、カラオケ機器を操作するでもなく、食事のメニューに目を凝らした。
鯖定食を注文してフリードリンクを取りに行き、カラオケ画面が表示されているテレビから流れるCMを見ていた。10分も経たないうちに到着した定食をモソモソと食べ始める。
〝なんか歌うか?〟
汐見の低音ボイスは歌うと少し掠れたバスとテノールの中間音域になり、音楽的センスがない割には歌も上手いので、評判は良い。十八番は久○田○伸の「Missing」で、毎回佐藤にリクエストされていた。
「1人で歌っても、なぁ……」
ぼんやりと垂れ流されるCMを見ながら考えていると
コンコン と個室のドアをノックする音がした。
「あ! はい!」
「お疲れ様です。待ちましたか?」
池宮が事務所とは違う出立ちで現れた。いかにもプライベート、という感じのシンプルな白Tシャツの上から灰色のサマージャケットを羽織り、ピタッとした黒いテーパードパンツにスポーツシューズという格好だ。
〝へぇ、そういう格好も似合うんだな……〟
自分と背格好が似通っている池宮のコーディネートは参考になりそうだな、と思った。ちなみに今の汐見の格好は、グレーのVネックTシャツに佐藤からはかなり不評だったコクーンシルエットのジーンズに、履き慣れたスニーカーだ。
「いえ、大丈夫です。ちょっとお昼を食べてまして」
「そうだったんですね。私もココで食べればよかったですかね」
「あ、お食事されてきました?」
「ええ、自宅近くの定食屋で」
「……」
「どうかしました?」
「あ、いや、池宮先生でも定食とか食べるのか、と思って」
「自営業は体が資本なので健康に気を遣っていかないと、ですよ」
「わかります。僕もです。今、鯖定食食べ終わったところです」
「匂いでわかりましたよ。……終わったのでしたら、早速始めましょうか」
「はい。お願いします」
汐見は持ってきた紙袋を手繰り寄せ、小1時間ほど池宮の説明を聞くことになった。
・相手方の第1条件である、慰謝料の減額交渉が最優先であること。
・相手方が紗妃の非を認めて謝罪せよ、と言い出して交渉が決裂する可能性があること。
・相手方のどんな非難も否定することなく、だが認めることはせず、ただ受け流すこと。
・相手が情に訴えてきたり、感情的になっても絶対に冷静に受け答えすること。
・他……会話上の注意など……
まずは最優先である慰謝料の減額交渉を一点突破するための戦略を伝授されることになった。
だが、相手の意見に沿った交渉することが最も優秀とされている一介のサラリーマンである汐見は、口頭でそういった争いをしたことが無かったため弱気な発言をした。
「ちょ……っと、自信が……ない、です……その、向こうが敵対心丸出しだと……」
「そこは私がカバーしますので。汐見さんは、事実を述べること、嘘をつかないこと、だけに集中してください」
「は、はぁ……あの……嘘、ついたら犯罪になるんですか?」
「裁判ではなく、あくまでも和解交渉なので、それはありません。ですが、もし、裁判に発展するようなことになれば、交渉時の言論も証拠として挙がる可能性があって……万一、嘘を証明されたりしたら圧倒的にこちらに不利になります」
「そう、なんですか……」
「交渉が決裂したらおそらく相手はすぐに裁判に持ち込むか、あるいは……あちらには強制執行認諾文言付き公正証書もありますので、紗妃の財産に手が回る可能性もあります。それだけはなんとしてでも阻止しなければ」
〝そうだった!〟
あの公正証書は、強制執行の債務名義(※)として利用可能である。それを改めて池宮に指摘された汐見は狼狽えた。
「向こうは私たちが知らない情報を切り札として持っている可能性もあります。ですが、そういったハッタリに惑わされないようにしてください。動揺していることが表情で悟られると、相手に付け入る隙を与えてしまうので」
「わかりました……」
「あと。……差し押さえ可能性のある久住家と春風家からの相続財産については、一切触れないでください。一言も」
「え?」
「あれは、私たちが最後に切る手札になります。もし、明日の交渉で難航するようであれば、何度か交渉することになります。そうすると、明日の時点で出すのは早すぎるので」
「え、っと、じゃあ……」
「明日、相手方も弁護士が同席することになっています。私の方で、汐見さんの発言を随時バックアップしますので、あくまでも向こうに主導権を握られないようにしていきましょう。汐見さんは心情を表に出さないように気をつけてください。あと……」
具体的なシミュレーションをざっと行い、あとは場の会話の流れを見て、という話でまとまっった。
「では、こんな感じで」
「わかりました。……それと……明日は、どこに行けば?」
「っあぁ! すみません。忘れてました。相手方の会社に行くことになってます」
「え?! 相手方の弁護士事務所ではなく?」
「ええ、会社の顧問弁護士でもあるようなので、そちらに弁護士を呼ぶそうです」
「そ、うなんですね……」
「一旦どこかで落ち合いましょうか?」
「あ。そうしていただけると助かります」
「わかりました。じゃあ、○○駅の〇〇口で待ち合わせましょう。……その、お一人で大丈夫ですか?」
「え?」
「いや、怪我もあるので」
「あ、ああ、大丈夫です。痛み止めもよく効くので、今はそれほどでもないんですよ」
「そうですか。……じゃあ、お昼前に待ち合わせて……向こうの最寄り駅に着いてから現場の近くでお昼をご一緒しましょうか。それで大丈夫ですか?」
「わかりました。その……お任せします!」
「ええ。じゃあ、明日、12時に○○駅の〇〇口で」
「はい」
決戦は、明日7月4日(月)の午後2時。
神奈川県○○市の、YGDC株式会社(Yoshinaga Grand Design Corporation)本社である。
※債務名義:強制執行を申し立てる際に必要となる文書
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