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第1章 はじまり
1・まさか自分の身に起きるとは、思っていなかった。
しおりを挟む学生の頃から、当事者意識が低かった。
というか、世界の中からしたら大したことのない人間で、自分が何かになれると思ってもみなくて、誰かの特別になるのは選ばれた人だけだと思っていた。
結婚も出来そうにないし、家族と友達数人、歳を重ねるごとに段々と周りの人がいなくなって、働けるギリギリまで働いて、最後は1人になる。老後に施設に住めるだけの貯蓄はしておこう。
ぼんやりと、そうして生きて行くんだと信じていた。
仕事と職場の人間関係で疲弊して、もう無理だと諦めた日。
死のうなんて考えてもなかったけど、グッタリして歩いていたら、周りから人々の叫び声が聞こえた。
顔を上げた瞬間、重い衝撃と痛みで意識が吹き飛ぶ。
「本当にごめんなさい、うちの天使が間違えたせいで。これは上司でもある私の責任です。」
謝罪を受けているのは、真っ白な部屋。
目の前では絶世の美女が、私に深々と頭を下げている。
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
その隣で、羽の生えた小さな子どもが泣きながら謝っていた。
「はあ…そうですか…」
私は、あの世界でトラックに轢かれて即死したそうだ。
「もう、あちらに戻ることは出来ないので、違う世界でよろしければ、お送りします。」
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
現実味がない。
「夢じゃなくて、ここ天国とかそういうところですか?」
「あ、はい。そんなようなものだと思ってもらって大丈夫です。」
そうか…そりゃすぐに受け入れるのが難しいこと、言ってるよね。
「えーと…私は、どうしたらいいんでしょう。このまま死ぬ感じですか。」
「いえ、あの、手違いでお亡くなりになってしまったので…戻ることは出来ないのですが、違う世界で生き返っていただけます!もし良かったら、是非そちらを選んでいただけると…何卒!」
「何卒、よろしくお願いします。」
目の前の2人が深々と謝罪を続ける。
「…あれですか、上にめっちゃ怒られるんですか。」
「……はい、お察しいただいた通りです。大変申し訳ございません。その分、別の世界の言語は話すのはもちろん読み書き習得済み、そのお身体のまま記憶操作もせずお送りさせていただきます!」
「逆に、生まれ直した方がいい気がするんですけど。」
絶世の美女が、額を擦り付けて土下座をする。
「…申し訳ございません!!」
「…上の人にバレるんですか。」
「…はい。」
これは、私に選択肢がないやつだ。
「私が分かりましたって言うまで、この謝罪が続く訳ですね。」
「申し訳ございません。」
謝るという名の、脅し。
「分かりました…じゃあ、別の世界でいいです。出来れば、前の世界と同じくらい生きやすいのが、良いんですけど。」
「ありがとうございます!勿論です、私に出来得る限りの、最上級特殊能力をつけさせていただきますので!!!本当にありがとうございます。ご協力、感謝致します。」
五体投地、ガバッと地面に倒れこんだ。
隣で子どもが、同じように倒れこんでいた。
「はあ、じゃあお任せします。」
「ありがとうございます!たまに、この子を派遣させていただきますので!何かあればお申し付けください!」
少し顔を上げて、子どもが頷く。
「…分かりました。で、どうしたらいいですか。」
絶世の美女が体を起こし、座り直す。
「特に何もございません。私が手を叩いたら、次に目を開けた時、あなたは一番生きやすい場所にいます。ご安心ください。」
まあ、それならいいか。
「では、失礼して。」
絶世の美女が私の頭の上に、キラキラした何かを振っている。
「えっ、何。」
「最上級特殊能力を付与させていただきました。私の持っている力と同等のレベルですので、かなり自由がきくと思います。」
そうか、一体どんな能力なんだ。
「でも、レベルが高過ぎて体に負担がかかるので、お気をつけください。補助作用もつけておいたので、回復は完璧です!」
「そうですか。で、どんな能力なんですか?」
ニンマリと笑った顔は、歪んでいるけれど美しかった。
「テンプテーションです。」
「は?」
「人でも動物でも、果ては無機物まで、何でも貴女の思うがまま!それでは、別世界をお楽しみください!」
理解をする前に、目の前で手を叩かれた。
はーあ…ネット小説やアニメの中だけの話だと思ってた。
普通、そうだよね。全く現実味のない、実感の湧かない、妄想か何かでしかない。
しかも、ネット小説じゃ使い古されたような、王道の展開。
私の中で再生されるくらいだから、やっぱり夢なんじゃないかな。
起きたら、職場に行くの嫌だな…出来ないことをネチネチとずっと注意され続けることの、辛さ。もう転職しようかな。あの会社に居続ける意味なんて、ないし。
ゴロリと寝返りを打ったら、何かにぶつかった。正しくは、寝返りを打とうとしても打てずに、何かにぶつかった。
「うっ…」
ベッドにそんな大きいもの、置いてないのに。
視界がぼんやりとしている。
何度か瞬きをすれば、見覚えのない天井。
ここは、どこだ。
人の叫び声が聞こえて、私は意識を失って…
病院かな?にしては、茶色い天井。
フッと意識が鮮明になって、ガバリと起き上がる。
「えっ、えっ?ええっ?!」
隣を見れば、半裸の男。
誰だ?!これは、誰なんだ?!
ここはどこだ?!
「うーん…」
私の声が大きかったからか、半裸の男が薄く目を開けた。
やべっ、起こした!どうしよう!
そもそもこの状況!どうする!?怖い!!意味わかんない!!
「…んー、君は誰?もしかして…飲み過ぎて女の子を連れて来ちゃったのか?」
えっ、何言ってんのコイツ。
怖っ…お持ち帰り男ってこと?!女の子入れ食いなの?!
いや、入れ食いできそうだな…
ゴツ過ぎない筋肉、どちらかといえば細め。
ハニーブロンドの明るい髪色、センター分けの少し長めの前髪、グレーの瞳は切れ長で、真一文字の眉、シュッとした高い鼻、少し日焼けした肌、どうみてもイケメン。というか、超絶イケメン。
あっ、無理だ…耐性ないです。
上半身を起こして、大きなあくびをした。
「んー…昨日、バーで会った?」
記憶の中を探しているのだろうか、きっといつまで経っても見つけられないだろう。
そして、思い出す。
私は死んで、別世界にやって来たんだと。
ここが、私の一番生きやすい場所…
本当に?
この超絶イケメン男のベッドの中が、私の一番生きやすい場所なの?!
「ごめん、ちょっと思い出せなくて…名前、聞いてもいい?」
ふにゃりと笑ったイケメンが、私の髪に指を通した。
や、やめてー!!!
途端、ぶわりと体が熱くなる。
耐性がないんだってば!生まれてきてこの方、彼氏ができたこともなければ、こんな風に触れ合ったこともない!
「ふふっ、慣れてないんだね。んー、珍しい髪色だから、覚えてると思ったんだけどな。ね、名前、教えてくれる?」
するすると、髪を遊ぶようにすく。
「あ、あゆり、亜百合です。」
「アユリ?」
「はい、そうです。だから、髪の毛から指を離して…」
「えー、気持ちいいから触りたい。」
頭皮を指の腹で撫でて、巻き取るように髪を絡める。
無理、無理ー!鳥肌立つ!
体も顔も近い、近いー!
本当、無理!
「ダメ、触っちゃダメ!」
その途端、スッと彼の指が離れた。
「…うん、やめる。」
おっ?しつこそうな感じなのに、随分アッサリとやめたな。
「テンプテーションの能力を使ったからですよ。」
耳元で囁かれる。
「?!誰?!」
「お伺いに参りました、天使です。早速、女神様の能力を使いこなせて、良かったです。でも、体が慣れていないので、魔力を補給してくださいね。」
ブンブン首を振って周り見ても、誰もいない。
「僕に力が足りないので、姿は見えません。音声のみです。」
「まじか…不安しかない。魔力補給ってなに?!どうするの?修行?」
首筋がゾクゾクと震えた。
「いえ、テンプテーションの魔力補給は性行為と相場が決まっております。」
「はあ?!」
性行為だと?!
「目の前の彼がいるじゃないですか。」
「はあー?!何言ってんの?!」
見えない天使に叫んでしまう。
目の前の彼は、ぼんやりして動かないままだ。
「体が慣れるまで、使える回数も時間も、ほんの少しです。レベルが上がったらちょっと効果が高まります。」
「レベル?!」
「はい、たくさん性行為をして、レベル上げ頑張ってくださいね。女神様も応援してらっしゃいました。あ、もうすぐテンプテーションが切れますよ。それでは、また!」
ブツっと音声が途切れて、目の前の彼がパチパチと瞬きをしている。
テンプテーションが、解けたってことか。
そして、体がドッと怠くなった。
指先が痺れてふわふわする。
「どうしたの?大丈夫?」
彼の指が、また私の髪を撫でる。頭皮をなぞられると、背中までゾクゾクと震えた。
「んうっ…」
思わず声が出てしまうと、彼がニッと笑った。
「ああ、そういうこと?」
頭皮から耳へ下り、首筋をなぞる。
ビクビクビクっと甘美な痺れが体に走った。
「可愛い。まだ時間も早いし、いいよ、しようか。」
柔らかな唇が、私の唇を塞いだ。
ああ、私のファーストキス…!
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