さかなのみるゆめ

ruki

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10年も一緒に暮らしていたのに、僕達は何一つお互いを理解していなかった。お互いこんなに好きあっていたのに、ほんの少し勇気を出して心の内を言っていれば、こんな苦しい思いはしなくて済んだのに・・・。

「朝になって、最初に電話した水森の実家には連絡は来ていないと言われた。だけどその日の午後、あちらから電話が来たんだ。佐奈が僕と別れると言っている、と」

実家に連絡を入れた日、母は智明に電話したのか・・・。でもちゃんと僕との約束を守って、母は僕の気持ちを言わないでいてくれた。

「水森のお義母さんに言われたよ。最初の約束通り、佐奈の言う通りにして欲しい。このまま何も言わずに別れて欲しい、と」

その言葉に僕は智明を見た。
智明は相変わらず下を向いて握りしめた手を見ている。そんな智明に僕は言葉を投げた。

「約束って?」

約束なんて知らない。
確かに、最初反対していた両親と何か話し合っていたのは知ってるけど、その時になにか約束をしていたの?

「・・・ごめん。佐奈は知らなかったね」

何か言いにくいことなのか、智明が言い淀む。

「何を約束したの?」

もう一度訊くと、ようやく教えてくれた。

それはやっぱり、僕たちのことに反対していたうちの両親から出た条件だった。

その条件は、

お互い愛し合わない限り、番にならない事。
結婚しないこと。

そして、

僕が別れを希望したら無条件で別れること。

だった。

それはまだ、人生を決めるにも生涯の相手を決めるにもまだ若すぎた僕達への両親の心配だった。
今後、本当に愛する人との出会いがあるかもしれない。その時にはちゃんと愛する人と結ばれることができるようにと、両親は考えてくれたのだ。

そして、僕の心の傷に気づいていた両親は僕の心の心配をしてくれていたのだ。もしも智明との生活が苦しくなったり辛くなった時は、いつでもその関係を解消できるようにと。

「だけど、本当に僕達が愛し合うことが出来たなら、その時はちゃんとプロポーズしてあげて欲しいと言われていたんだ。だけど、発情期の度に苦しげにフラッシュバックを起こす佐奈にプロポーズなんて出来なかった。佐奈が僕を愛することなんてあるはずがない」

そんな約束があったことにも驚きだけど、僕は発情期の度にフラッシュバックを起こしていたことに驚愕した。それを毎回見ていた智明はどう思っていたのか。

僕はずっと自分だけが辛い思いをしていると思って、智明に求めることばかりしていた。だけど、智明も僕の知らないところで苦しんでいたんだ。

好きだと言って欲しかった。
うなじを噛んで欲しかった。

それをしてくれない智明に、絶望した。

だけど、それをしなかったことの理由を考えなかった。

僕の親との約束。
発情期の度に起こる僕の発作。

この10年、智明の心はどんなに辛かったことか・・・。

「佐奈はきっといま幸せにしている。心の傷を癒し、僕の手の中から逃れ、自由に楽しく暮らしているはずだ。だからこれで良かったんだ。そう無理やり自分を納得させて、僕は今まで生きてきた。だけど、絵本を見つけてしまったんだ。佐奈の絵だとすぐに分かった。そしてそれは名前を見て確信した。『さかな』は佐奈の事だろ?昔授業で作った落款印に、佐奈は魚を彫っていたから」

小学校の時に彫った落款印。僕は確かに魚を彫った。でもその時は同じクラスでも、親しくもなかったのに・・・。本当に智明は、ずっと僕を見ていてくれたんだ。

「探さないと決めていたのに、佐奈の絵を見たらどうしても会いたくなってしまった。ほんの少しだけでも顔が見たい。本当に幸せに笑っているか、遠くからでも確かめたい。そう思って出版社に問い合わせたら会社を教えてくれて、そこで問い合せて欲しいと言われたんだ」

だけど僕に会う気がない智明は会社には問い合わせずに、会社の前のカフェで僕が出てくるのを待っていたらしい。
有給まで使ってずっと待ってた智明は3日目の今日、木佐さんに声をかけられて会社の中に入った。

「事情を訊かれて『さかな』さんのファンだと言ったら中においでって・・・。断ったんだけどなんか断りきれなくて中に入ったんだけど、佐奈の香りが全然しなくて、もしかして間違ったのかも・・・と思ったら、急に佐奈の香りが微かにしだして・・・」

それであの時、いきなり飛び出してきたのか・・・。
会社には2ヶ月前から産休に入っていて行ってなかったので、僕の香りはしなかったのだろう。でも、木佐さんが智明に声を掛けたなんて・・・。

「きっとかなり怪しかったんだろうね。朝から夜までずっとカフェの窓から見ていたから・・・さすがに3日目ともなると、社員の誰かが気味悪がって上司に訴えたのかもしれない」
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