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第三話 婚約者は、忖度しない
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――例えば、入学から間もない頃のこと。
授業の一環として、学生たちはいくつかの班に分かれて自由研究に取り組んでいた。そんな中、王子殿下がふと口を開いた。
「これは……こうした方が良いのではないか?」
少々断定的な言い方ではあったが、誰も、何も思わなかった。むしろ納得し、気付きを得るなど学生たちは肯定的に受け取った。
なのに、ひとりだけ例外が、過敏に反応した学生がひとりだけいた。
「……ご自身の意見を当然のごとく押し通そうとなさるのは、おやめくださいまし」
一言で場の空気が凍った。
今、何と?
誰に向かって?
理解が追い付いた瞬間、周囲は次々と顔を引きつらせる。
アストリッド・トリストシェルン公爵令嬢だった。
腰まで届く薄紫の髪を優雅にかき上げ、まっすぐに殿下を見据える。きゅっと細められたアイスブルーの瞳はまるで、獲物を狙う猫のように鋭かった。
いかに彼女が公爵家の令嬢であり、殿下の婚約者であろうとその物言いでは諫めているとは受け取られない。
言いたいことは理解できるが、少々神経質にすぎる指摘だった。そもそも、誰も押し通されたとは感じていない。
「……何だと?」
殿下はあからさまに不快の色を浮かべ、鋭い視線を彼女に向けた。すでに思考回路は誤作動を起こしている。
「さきほどのような仰り方では、強制力を生みかねません。自由な学問の場にあって、ご自身の影響力を顧みられぬのは、王族として軽率ではございませんか?」
「それは……」
その発言に、誰がも息を呑んだ。咲き始めた百合のように誇り高く、凜とした態度は自信に溢れ、見る者を圧倒した。
王子殿下が仰るのだからその通りだ。そうに違いない。そんな方向に、意識が向けられる可能性はないのか。そう、彼女は問うていた。
言われてみればその通りだった。殿下のお言葉に、誰が疑問を持っただろう。 意見の流れが変えられたことに、誰が気付けただろう。
答えに辿り着くルートを、皆が協力して考えるところを、王子がコントロールしたのだ。
厳しい、と思った。殿下もまた一人の学生ではないか。学生が意見を言ってどこが悪いのか。
だが、結果としてその発言がみなに影響したのであれば、殿下は学生ではなく、王子なのだろう。
こつり、と誰かの肘が当たる。気が付けば周囲の視線が私へと集まっていた。
どうにかしろ――誰もが目で訴えていた。
これはまずい。
仕方がない。私は小さく息を吐き、二人の間に割って入ることにした。
「アストリッド様、どうか、それ以上はお控えください。不敬にございます」
実を言うと私は、アストリッド様とは遠縁の親戚筋にあたる。
我が家は数代前にトリストシェルン家より分かれ、その際に本家から頂いたのがヴィトナール男爵の称号だ。以来、我が家は代々、トリストシェルン家に寄子として仕えている。
私自身、幼い頃に数年間、アストリッド様の側にいた時期があった。
あの頃は彼女が一人娘として将来を託され、厳しい教育を受けていた。私は、将来の女公爵を補佐すべく、早くからお仕えしていたのだ。
だが、いまでは弟君が誕生し、嫡子ではなくなったが、それでも彼女が本家のお嬢様であることに変わりはない。見上げる身分のお方には違いない。
それともうひとつ。私はかつて、アストリッド様の“婿候補”の末席に数えられていたのだが……まぁ、それは、どうでもいい。
そんな訳で私は、殿下と同室であり、アストリッド様とも縁ある存在として、二人の“仲介役”という立場を任されていた。大変栄誉なことだ。
「オードゥン。余計な口出しはしないで」
二人の間に入ってもなお、アストリッド様は殿下を見据えていた。視線をさえぎっているはずの私の存在など、ないかのように。
かつては、正面から視線を合わせてくれたものだが、今ではちらりとも見ない。本家と分家、公爵と男爵。これが、身分差というものだった。名を呼んでくれるだけまだましなのだ。
だが、今回は引くわけには行かない。背後にいるのは、自分よりも身分の高い方々だ。どっちを向いても頭が上がらない。
私は一歩踏み出し、頭を垂れた。
「……殿下は、畏れ多くも王族にございます。お嬢様は婚約者であられるゆえ、お咎めがない。それは、ご承知のはず」
「私は、間違ったことを申し上げてはおりませんわ」
ようやく、こちらを向き直ってくれた。懐かしさが溢れてくる。あの、気高く、誰にも侵されなかった冷たい氷のような瞳の奥に、かすかな揺らぎが見えた。
だが。それでも引くわけにはいかない。
「正しくとも、伝え方を誤れば歪んで届きます」
「……ふん」
彼女は鼻を鳴らし、ふいと窓の外に視線を逸らして席に戻った。時間だけが静かに過ぎてゆく。
――いつも、こんな感じだ。
アストリッド様のご意見はいつも正しい。
もし殿下が何かを言いたくなったとすれば、左右の令息令嬢の口を借りるべきだったのだ。取り巻きに、その方の意見とし言わせるべきだった。
毎度のことだが、指摘の仕方が良くないし、場所も悪い。あれでは殿下を言い負かし、面子を潰しただけだ。どんなに良いことを申し上げたとしても、何ひとつ残らない。
名誉を傷付けられて喜ぶ貴族はいない。恨まれこそすれ、感謝など。
そう。厳しく当たる対象は、殿下だけではなかったのだ。
授業の一環として、学生たちはいくつかの班に分かれて自由研究に取り組んでいた。そんな中、王子殿下がふと口を開いた。
「これは……こうした方が良いのではないか?」
少々断定的な言い方ではあったが、誰も、何も思わなかった。むしろ納得し、気付きを得るなど学生たちは肯定的に受け取った。
なのに、ひとりだけ例外が、過敏に反応した学生がひとりだけいた。
「……ご自身の意見を当然のごとく押し通そうとなさるのは、おやめくださいまし」
一言で場の空気が凍った。
今、何と?
誰に向かって?
理解が追い付いた瞬間、周囲は次々と顔を引きつらせる。
アストリッド・トリストシェルン公爵令嬢だった。
腰まで届く薄紫の髪を優雅にかき上げ、まっすぐに殿下を見据える。きゅっと細められたアイスブルーの瞳はまるで、獲物を狙う猫のように鋭かった。
いかに彼女が公爵家の令嬢であり、殿下の婚約者であろうとその物言いでは諫めているとは受け取られない。
言いたいことは理解できるが、少々神経質にすぎる指摘だった。そもそも、誰も押し通されたとは感じていない。
「……何だと?」
殿下はあからさまに不快の色を浮かべ、鋭い視線を彼女に向けた。すでに思考回路は誤作動を起こしている。
「さきほどのような仰り方では、強制力を生みかねません。自由な学問の場にあって、ご自身の影響力を顧みられぬのは、王族として軽率ではございませんか?」
「それは……」
その発言に、誰がも息を呑んだ。咲き始めた百合のように誇り高く、凜とした態度は自信に溢れ、見る者を圧倒した。
王子殿下が仰るのだからその通りだ。そうに違いない。そんな方向に、意識が向けられる可能性はないのか。そう、彼女は問うていた。
言われてみればその通りだった。殿下のお言葉に、誰が疑問を持っただろう。 意見の流れが変えられたことに、誰が気付けただろう。
答えに辿り着くルートを、皆が協力して考えるところを、王子がコントロールしたのだ。
厳しい、と思った。殿下もまた一人の学生ではないか。学生が意見を言ってどこが悪いのか。
だが、結果としてその発言がみなに影響したのであれば、殿下は学生ではなく、王子なのだろう。
こつり、と誰かの肘が当たる。気が付けば周囲の視線が私へと集まっていた。
どうにかしろ――誰もが目で訴えていた。
これはまずい。
仕方がない。私は小さく息を吐き、二人の間に割って入ることにした。
「アストリッド様、どうか、それ以上はお控えください。不敬にございます」
実を言うと私は、アストリッド様とは遠縁の親戚筋にあたる。
我が家は数代前にトリストシェルン家より分かれ、その際に本家から頂いたのがヴィトナール男爵の称号だ。以来、我が家は代々、トリストシェルン家に寄子として仕えている。
私自身、幼い頃に数年間、アストリッド様の側にいた時期があった。
あの頃は彼女が一人娘として将来を託され、厳しい教育を受けていた。私は、将来の女公爵を補佐すべく、早くからお仕えしていたのだ。
だが、いまでは弟君が誕生し、嫡子ではなくなったが、それでも彼女が本家のお嬢様であることに変わりはない。見上げる身分のお方には違いない。
それともうひとつ。私はかつて、アストリッド様の“婿候補”の末席に数えられていたのだが……まぁ、それは、どうでもいい。
そんな訳で私は、殿下と同室であり、アストリッド様とも縁ある存在として、二人の“仲介役”という立場を任されていた。大変栄誉なことだ。
「オードゥン。余計な口出しはしないで」
二人の間に入ってもなお、アストリッド様は殿下を見据えていた。視線をさえぎっているはずの私の存在など、ないかのように。
かつては、正面から視線を合わせてくれたものだが、今ではちらりとも見ない。本家と分家、公爵と男爵。これが、身分差というものだった。名を呼んでくれるだけまだましなのだ。
だが、今回は引くわけには行かない。背後にいるのは、自分よりも身分の高い方々だ。どっちを向いても頭が上がらない。
私は一歩踏み出し、頭を垂れた。
「……殿下は、畏れ多くも王族にございます。お嬢様は婚約者であられるゆえ、お咎めがない。それは、ご承知のはず」
「私は、間違ったことを申し上げてはおりませんわ」
ようやく、こちらを向き直ってくれた。懐かしさが溢れてくる。あの、気高く、誰にも侵されなかった冷たい氷のような瞳の奥に、かすかな揺らぎが見えた。
だが。それでも引くわけにはいかない。
「正しくとも、伝え方を誤れば歪んで届きます」
「……ふん」
彼女は鼻を鳴らし、ふいと窓の外に視線を逸らして席に戻った。時間だけが静かに過ぎてゆく。
――いつも、こんな感じだ。
アストリッド様のご意見はいつも正しい。
もし殿下が何かを言いたくなったとすれば、左右の令息令嬢の口を借りるべきだったのだ。取り巻きに、その方の意見とし言わせるべきだった。
毎度のことだが、指摘の仕方が良くないし、場所も悪い。あれでは殿下を言い負かし、面子を潰しただけだ。どんなに良いことを申し上げたとしても、何ひとつ残らない。
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そう。厳しく当たる対象は、殿下だけではなかったのだ。
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