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第5話

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 目の前の赤い頬を見て、利香は「しまった」と汗を流した。
 軽く驚いたような速水の顔が見つめてきている。

「なにするんですか!?」
「まだなにもしてないだろ」

 言われ、利香は口を噤んだ。
 確かに自分は脱げと言われただけで、服を脱がされたわけでもなんでもない。

 とはいえ、体格で勝る男性に壁際に追いやられている構図はいかんともし難く、利香は速水をキッと睨んだ。

「こ、これからなにかするつもりなんでしょ!?」
「別に、ただ脱いでじっとしてくれてたらそれで終わる」

 もう一度、こ気味よい音が鳴り響いた。
 眉を寄せ「いってー」と頬をさすりながら、速水は呆れたように利香を見やる。

「痛いんだけど」
「じ、自業自得でしょ! 女の子が誰でもかんでもあんたの言うこと聞くと思ったら大間違いなんだからね!」

 興奮気味にまくし立てられて、速水はどうしたもんかと頬を掻いた。そして、身体を抱えるように睨みつけてくる利香の視線に手を叩く。

「あ、そっか。悪い悪い、勘違いさせちまったな。別にあんたを抱くつもりはねぇよ」
「な――ッ!?」

 ストレートに言われて利香の顔が真っ赤に染まる。
 速水は部屋の隅にあった椅子を手に持つと、それをキャンバスの前に置いた。近くの床に置かれていた白いシーツを持ち上げると、ばさりと椅子に覆い掛ける。

「ここに座ってほしい」

 そう言われ、利香はようやく速水がなにをお願いしてきているかを悟った。
 しかしそれは、全く予期していなかった展開で。

「えっと、それって――」

 こくりと頷いて、速水はあっけらかんと言い放った。

「俺の絵のモデルになってくれないか」

 微笑む速水の顔は、なにかを見つけたように嬉しそうだった。


 ◆  ◆  ◆


「脱いでくれないのか?」
「絶対に嫌です!」

 腕で大きくバツ印を作る利香を残念そうに見ながら、それでも椅子の上に座ってくれた少女を速水は嬉しそうに眺めた。

「残念だが……まぁ仕方ない。モデルにやる気を出させられるかも画家の実力だ」

 言いながら速水はアトリエの中にある画材をキャンバスの周りに集め出した。利香の方を見つめ、少し悩んで筆や絵の具を選んでいく。
 いざモデルをやるとなると緊張してしまって、利香は前髪をいじりだす。先ほどの速水の言葉がふと気になって、利香はキャンバスの張りを確認している速水に問いただした。

「画家って……速水くん、プロなの?」

 まさか、そんなことはないだろう。利香は内心そう辺りをつける。
 金持ち坊ちゃんの道楽か。こんな立派なアトリエ、羨ましい限りだ。イケメンで趣味は絵画、さぞ女子受けのよいことだろう。

「プロだよ。最近はあんま描いてないけど」

 しかしそんな利香の思惑は、速水のたった一言で覆される。
 仰天して、利香は「えっ!?」と目を見開いた。

「その顔もいいけどさ。できるだけ普通にしてくんない?」
「ご、ごめん」

 速水に窘められて、利香は慌てて前を向いた。いつの間にやら速水は既に筆を取っていて、真剣な眼差しでキャンバスを見つめている。
 ときおり感じる視線にどきどきしながらも、利香はちらりと速水を覗いた。

 プロだと言っていたが、本当だろうか。ただ創作の世界は才能の世界だとも言うし、高校生でプロの画家がいても不思議ではない。
 そんな噂は聞いたことはないがとも思ったが、別段言いふらす必要もないだろう。

「……えっと、話しても」
「いいよ。慣れないと辛いだろ。テキトーに喋ったり崩したりしてくれて構わない」

 ほっと胸をなで下ろす。速水の言う通り、ただ座っているだけなのにかなりしんどい。少しだけ肩を動かして、利香は速水に話しかけた。

「今、どこ描いてるの?」

 聞きたいことは色々あった。なんで一人で住んでるの?とか、ペンネームとかあるの?とか。
 ただ直接絵のことを聞くのがなんだか気恥ずかしくて、利香はついそんな質問でお茶を濁した。

「脚のとこ。今は太股あたり描いてる」

 聞かなきゃよかったと、利香は三秒後に後悔した。

(――なんか、ムズムズする。)

 見られている。速水の視線が身体に突き刺さる。
 意識したせいで、なんとなく脚の辺りが熱く感じた。太股も、ちょっと太いのを気にしているのに。

 筆の滑る音だけが聞こえる。なにか話せばいいのに、利香が喋らなければ速水も口を開くことはない。

(――足、見過ぎじゃない?)

 さっきからずっと脚を見られているような気がする。もしかして足フェチ?とか思いながら、利香はもぞもぞと太股を動かした。
 しまったと思った。せっかく集中して描いているのに、よりにもよってその部分を動かしてしまうなんて。

 頬に熱が灯るのを感じながら、利香はちろりと速水を盗み見た。
 そこには真剣な表情の速水がいて、目が合う前に利香は正面へ向き直る。

「その……さ。足、描き過ぎじゃない?」
「足はもう終わったよ」

 終わったのかよ! 利香は椅子を叩きつけたくなる衝動をなんとか堪えた。描き終わったなら終わったで言って欲しい。

「終わったなら言ってよ」
「……? ああ、足辛いか。悪かったな、軽く動かしていいぞ」

 そういうことではない。ただ、言われてみれば緊張していたのか足がパンパンで、利香は素直に足首をゆっくり回した。

「次から、どこ描いてるか言ってよね」
「わかった」

 言った後で、すぐに己の過ちに気がつく。利香がしまったとも思う前に、速水の視線と声が利香の耳に届いていた。

「――くび筋」

 ぴくりと利香の身体が揺れる。
 数秒筆の動く音を聞いた後、速水の唇が再び開く。

「――うなじ」
「ちょっ」

 カァと、利香の顔が真っ赤に染まった。なにか言おうとしたが、動くわけにはいかない。言う前に、速水の視線が別に移る。

「――耳元」
「って! ちょ、ちょっとタンマ! やっぱなし! 言わなくていいから!」

 慌てて利香は言い切った。
 
(――こ、こいつ……ほんと嫌い!)

 荒くしながらも息を整えている利香を不思議そうに見つめ、速水は首を傾げつつも絵の具をキャンバスに乗せるのだった。
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