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第一章:領主一年目
少しだけ大変だった孤児院暮らし
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お城を出た私の面倒を見てくれたのはブラント夫妻という老夫婦でした。アルバンさんもエーディトさんもすごく優しい人でしたが、その家での生活はすぐに終わりました。どうやらヒキガエル伯爵が私を探し回っていて、配下の兵士が近くをうろうろしていたようです。ここにいても危ないということで、私はそれからすぐに孤児院に匿われることになりました。
お二人は私に本当に親切にしてくれました。そして私に向かって申し訳ないと頭を下げていましたが、私としては面倒な人たちに何かされたり、この人たちが大変な目に遭ったりするくらいなら、自分が孤児院に入った方がマシというものです。結局それから私は数年ほど王都の端の方にある孤児院に匿われることになりました。
その孤児院で私の世話をしてくれたのはエルザさんというシスターで、司祭のいない隣の教会とその隣にあるお屋敷も管理しているということでした。私よりも少し年が上なだけなのに、すごい人だと関心しました。
孤児院に入って数日経ったころです、隣のお屋敷の人、つまり当時はまだ名前を知らなかったエルマー様が帰ってきました。
「エルマー様、お出迎えもできずにすみません」
「いや、お前は教会に孤児院にと忙しいだろう。これは一応土産……になるのか? 数はあるからみんなで分けてくれ」
「ありがとうございます」
エルザさんがこれまで見たことのないような笑顔で話をしていました。
そのときに初めてエルマー様のお名前を知りました。エルマー様は軍学校の授業の一環として少し離れたところまで出かけていて、先ほど戻ってきたばかりだそうです。あのときに見た赤い髪はそのままでした。離れた場所から見ただけでも髪の赤色は印象に残っていましたが、近くで見るとものすごく印象的な方です。
「あ、あの……」
私は思わず一歩前に出て声をかけてしまいました。
「ん? ああ、ここに新しく来たのか?」
「はっ、はいっ」
「何かあればこのエルザに頼っておけ。一部困った部分もあるが、それ以外は頼りになる」
そう言うと、大きな手で頭をやさしく撫でてくれました。歳はエルザさんと同じだそうですので、三つくらいしか変わらないようですが、私とは頭二つ分くらい背の高さが違いますのでずいぶん大人に思えました。
「エルマー様、一部困った部分って何ですか? こんなに献身的にお世話をしているのに」
「ほほう、こんな小さな子の前で言ってもいいのか?」
「そのことについては後ほどゆっくりと向こうで話しましょう」
エルマー様は普段は孤児院の方にはほとんど顔を出すことはないそうですが、たまたまお土産を渡しに来たそうです。
他の孤児たちを見ると、エルマー様を怖そうに見ている子もいました。エルマー様は背が高く、日焼けした肌に赤い髪と赤い目をしています。そして言葉が少し強いので、貴族の男性というよりは、まるで神話の登場人物のような感じがしました。怖いのではなく気圧されると言えばいいのでしょうか。直接話すとものすごく強い印象を受ける方だと分かりました。そのときから私にとっては気になる方になりました。
このときが私とエルマー様の初めてのやりとりでした。あのとき私は「はい」としか口にできませんでしたが、それでも今でも記憶に残っています。
エルザさんはお屋敷の管理を任されているので、エルマー様と一緒にお屋敷の方にいることも多いですが、私はあくまで孤児院に預けられているだけです。勝手にお屋敷に入るわけにはいきません。だから何か用事を作ってエルザさんを呼びに行き、それにかこつけてエルマー様と話をするしかありませんでした。
「アルマねえさん、エルザさんは?」
「ちょっと待っててっ、呼んでくるから」
ここにいる子たちはほとんど私より年下で、私は上から二番目でした。一人私よりも年上の子もいますが、面倒見は私の方が良さそうです。お城で鍛えられましたから。私はみんなの姉のような立場になっていました。
私は孤児院を出て教会の敷地を通って、それからエルマー様のお屋敷に入ります。
「失礼しますっ。エルザさんはいますか?」
もちろん返事があるはずがありません。このまま奥の居間の方に向かいます。
「エルザさんっ、いますね。入りますね」
「こら、アルマ。あまりこちらに来てはいけませんよ」
「いえっ、レンがエルザさんを探していましたので」
一応そういうことにして来ただけです。エルザさんも分かっているでしょう。
「またですか。仕方ないとは言えませんね。分かりました、すぐ行きます」
「私はエルマー様と一緒にお茶をいただいてから戻りますねっ」
「あなたも一緒に戻りなさい」
なかなかお屋敷でエルマー様とお話しできる時間がありません。基本的にエルザさんは優しいですが、私がお屋敷の方に顔を出すのをよく思っていないようです。いえ、お屋敷に顔を出すと言うよりもエルマー様と話をすることをよく思っていないようです。
エルザさんがエルマー様と、まあそういうご関係なのは私にも分かります。ですがエルマー様は貴族の跡取りなわけですから、エルザさんと私の二人を一緒にというのも問題はないはずです。平民であっても養えるだけの甲斐性があるなら問題はないはずです。だからなぜエルザさんがエルマー様から私を遠ざけたいのか分かりませんでしたが、どうにかしてそこを突破してエルマー様と親しく話をしたい、と何度挑戦しても跳ね返され続けました。
エルマー様はしばらくすると一度領地の方に戻りましたが、それからも年に一二回は王都にやって来ました。その度に挑戦しては跳ね返され挑戦しては跳ね返され、というのを繰り返していたときのことでした。エルマー様が出征されました。もちろん無事にお戻りになりましたが、そのときにエルザさんに「最高指揮官のヒキガエル伯爵が死んだ」と言ったそうです。ヒキガエルのような顔の伯爵と言えばすぐに顔が浮かびますが……うえっ……そうですか、死にましたか。
エルマー様は男爵として領地を与えられましたが、遠い遠い北の土地だそうで、一度確認に行ったそうです。その直後くらいでしょうか。エルザさんが私にこう言いました。「今度からエルマー様に近づいてもいいですよ」と。どうしてこのタイミングだったのか、エルザさんは説明してくれました。
ブラント夫妻から私を預かったとき、「私をきちんとした家に嫁がせる」という約束をしたそうです。エルマー様のご実家は準男爵家なので、平民よりは上ですが、きちんとした家という点ではなんとかギリギリだそうです。そしてエルマー様のお父様のトビアス様ともお話ししたことがありますが、「うちは貴族の上の方からは嫌われているからなあ」と言っていたことを思い出しました。私がエルマー様と結婚すれば、場合によっては危ない目に遭うとエルザさんは心配してくれていたのです。
多少の誤解はありましたが、事情があって良家から預けられた私をきちんとした家に嫁がせる、それがようやくできそうだ、とエルザさんは思ったようです。エルマー様の実家の敵が軒並みいなくなり、私に興味を持っていたヒキガエル伯爵は死に、そしてエルマー様は世襲の男爵になりました。だからもう障害はないそうです。
なるほど、そういうことでしたか。エルザさんはエルマー様を独占したがっていたわけではないと。それなら今後は私も積極的にいくことにしましょう。
でも、国王陛下の血を引いていることはエルザさんにはしばらく黙っておきましょう。
お二人は私に本当に親切にしてくれました。そして私に向かって申し訳ないと頭を下げていましたが、私としては面倒な人たちに何かされたり、この人たちが大変な目に遭ったりするくらいなら、自分が孤児院に入った方がマシというものです。結局それから私は数年ほど王都の端の方にある孤児院に匿われることになりました。
その孤児院で私の世話をしてくれたのはエルザさんというシスターで、司祭のいない隣の教会とその隣にあるお屋敷も管理しているということでした。私よりも少し年が上なだけなのに、すごい人だと関心しました。
孤児院に入って数日経ったころです、隣のお屋敷の人、つまり当時はまだ名前を知らなかったエルマー様が帰ってきました。
「エルマー様、お出迎えもできずにすみません」
「いや、お前は教会に孤児院にと忙しいだろう。これは一応土産……になるのか? 数はあるからみんなで分けてくれ」
「ありがとうございます」
エルザさんがこれまで見たことのないような笑顔で話をしていました。
そのときに初めてエルマー様のお名前を知りました。エルマー様は軍学校の授業の一環として少し離れたところまで出かけていて、先ほど戻ってきたばかりだそうです。あのときに見た赤い髪はそのままでした。離れた場所から見ただけでも髪の赤色は印象に残っていましたが、近くで見るとものすごく印象的な方です。
「あ、あの……」
私は思わず一歩前に出て声をかけてしまいました。
「ん? ああ、ここに新しく来たのか?」
「はっ、はいっ」
「何かあればこのエルザに頼っておけ。一部困った部分もあるが、それ以外は頼りになる」
そう言うと、大きな手で頭をやさしく撫でてくれました。歳はエルザさんと同じだそうですので、三つくらいしか変わらないようですが、私とは頭二つ分くらい背の高さが違いますのでずいぶん大人に思えました。
「エルマー様、一部困った部分って何ですか? こんなに献身的にお世話をしているのに」
「ほほう、こんな小さな子の前で言ってもいいのか?」
「そのことについては後ほどゆっくりと向こうで話しましょう」
エルマー様は普段は孤児院の方にはほとんど顔を出すことはないそうですが、たまたまお土産を渡しに来たそうです。
他の孤児たちを見ると、エルマー様を怖そうに見ている子もいました。エルマー様は背が高く、日焼けした肌に赤い髪と赤い目をしています。そして言葉が少し強いので、貴族の男性というよりは、まるで神話の登場人物のような感じがしました。怖いのではなく気圧されると言えばいいのでしょうか。直接話すとものすごく強い印象を受ける方だと分かりました。そのときから私にとっては気になる方になりました。
このときが私とエルマー様の初めてのやりとりでした。あのとき私は「はい」としか口にできませんでしたが、それでも今でも記憶に残っています。
エルザさんはお屋敷の管理を任されているので、エルマー様と一緒にお屋敷の方にいることも多いですが、私はあくまで孤児院に預けられているだけです。勝手にお屋敷に入るわけにはいきません。だから何か用事を作ってエルザさんを呼びに行き、それにかこつけてエルマー様と話をするしかありませんでした。
「アルマねえさん、エルザさんは?」
「ちょっと待っててっ、呼んでくるから」
ここにいる子たちはほとんど私より年下で、私は上から二番目でした。一人私よりも年上の子もいますが、面倒見は私の方が良さそうです。お城で鍛えられましたから。私はみんなの姉のような立場になっていました。
私は孤児院を出て教会の敷地を通って、それからエルマー様のお屋敷に入ります。
「失礼しますっ。エルザさんはいますか?」
もちろん返事があるはずがありません。このまま奥の居間の方に向かいます。
「エルザさんっ、いますね。入りますね」
「こら、アルマ。あまりこちらに来てはいけませんよ」
「いえっ、レンがエルザさんを探していましたので」
一応そういうことにして来ただけです。エルザさんも分かっているでしょう。
「またですか。仕方ないとは言えませんね。分かりました、すぐ行きます」
「私はエルマー様と一緒にお茶をいただいてから戻りますねっ」
「あなたも一緒に戻りなさい」
なかなかお屋敷でエルマー様とお話しできる時間がありません。基本的にエルザさんは優しいですが、私がお屋敷の方に顔を出すのをよく思っていないようです。いえ、お屋敷に顔を出すと言うよりもエルマー様と話をすることをよく思っていないようです。
エルザさんがエルマー様と、まあそういうご関係なのは私にも分かります。ですがエルマー様は貴族の跡取りなわけですから、エルザさんと私の二人を一緒にというのも問題はないはずです。平民であっても養えるだけの甲斐性があるなら問題はないはずです。だからなぜエルザさんがエルマー様から私を遠ざけたいのか分かりませんでしたが、どうにかしてそこを突破してエルマー様と親しく話をしたい、と何度挑戦しても跳ね返され続けました。
エルマー様はしばらくすると一度領地の方に戻りましたが、それからも年に一二回は王都にやって来ました。その度に挑戦しては跳ね返され挑戦しては跳ね返され、というのを繰り返していたときのことでした。エルマー様が出征されました。もちろん無事にお戻りになりましたが、そのときにエルザさんに「最高指揮官のヒキガエル伯爵が死んだ」と言ったそうです。ヒキガエルのような顔の伯爵と言えばすぐに顔が浮かびますが……うえっ……そうですか、死にましたか。
エルマー様は男爵として領地を与えられましたが、遠い遠い北の土地だそうで、一度確認に行ったそうです。その直後くらいでしょうか。エルザさんが私にこう言いました。「今度からエルマー様に近づいてもいいですよ」と。どうしてこのタイミングだったのか、エルザさんは説明してくれました。
ブラント夫妻から私を預かったとき、「私をきちんとした家に嫁がせる」という約束をしたそうです。エルマー様のご実家は準男爵家なので、平民よりは上ですが、きちんとした家という点ではなんとかギリギリだそうです。そしてエルマー様のお父様のトビアス様ともお話ししたことがありますが、「うちは貴族の上の方からは嫌われているからなあ」と言っていたことを思い出しました。私がエルマー様と結婚すれば、場合によっては危ない目に遭うとエルザさんは心配してくれていたのです。
多少の誤解はありましたが、事情があって良家から預けられた私をきちんとした家に嫁がせる、それがようやくできそうだ、とエルザさんは思ったようです。エルマー様の実家の敵が軒並みいなくなり、私に興味を持っていたヒキガエル伯爵は死に、そしてエルマー様は世襲の男爵になりました。だからもう障害はないそうです。
なるほど、そういうことでしたか。エルザさんはエルマー様を独占したがっていたわけではないと。それなら今後は私も積極的にいくことにしましょう。
でも、国王陛下の血を引いていることはエルザさんにはしばらく黙っておきましょう。
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