異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第6章:夏から秋、悠々自適

第13話:謝罪と諦観

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「勝手に話を進めてすまなかった」

 レイの前で大げさに頭を下げているのはダンカン子爵のローランド・ノックス。グレーターパンダの毛皮を安定的に供給できるようになったということで、男爵から子爵になりました。レイからすると単なる毛皮ですが、王族や貴族からすると、長年待っていたものがようやく手に入るようになったわけです。

「いえ、私としては、お世話になっている閣下のお役に立てればと思っていますので」
「本当か?」
「はい。ここでの暮らしにも慣れましたし、知り合いも増えました。過ごしやすい町だと思っています。そう簡単に出ていくことはありません」

 その言葉を聞いてローランドは大きく息を吐きました。レイはローランドを安心させるためだけにそう言ったのではありません。先ほどの言葉は本心からの言葉です。
 白鷺亭は過ごしやすい宿屋でしたが、やはり好きな時間に好きなように設備を使えるというのは気分的に全然違うのです。持ち家になったので、樽風呂ではなく立派な風呂場を用意することもできました。夜は気兼ねなく声を出せます。【遮音結界】を覚えた今ではあまり気にはなりませんが。

「そうか。お主を引き留めることができるのなら嫁いでもいいとシェリルが言っていたのだが」
「出ていきませんので、お嬢様を止めてください」
「……うちの娘では不服か? やはりお主の恋人たちと比べると格落ちか?」
「どうしてそうなるんですか?」

 レイはシェリルの顔を知りません。知っていたとしても何もしなかったでしょう。領主の娘に好かれるということはトラブルを招く以外の何物でもないでしょう。とはいえ、そんなことをストレートに伝えることもできません。

「実家を離れた身で、冒険者として生きています。お嬢様には私が暮らす町の領主の娘として、その立場に相応しい生活を送ってもらいたいんです」

 それはある意味ではレイの本心です。貴族の子女が冒険者になることは多くはありません。さらに、成功者になれるのはそのうちのごく一部です。そこに引っ張り込むことはできません。
 まず、冒険者になれるかどうかはジョブ次第です。貴族の息子と娘であるレイとケイトは冒険者になりました。それはそれぞれロードとビショップという、戦いに向いているジョブ、しかも上級ジョブを最初から持つことができたからです。これがそれぞれ教師と令嬢だったとしたらまったく戦えません。実際に令嬢というジョブもあるんですよ。
 もちろん冒険者向きでないジョブになったとしても、努力してレベルを上げれば強くなることはできます。ただし、その間ずっとシェリルに気を遣いながら戦うのは得策ではありません。パーティーに入れる相手はよく選ばなくてはならないのです。

「わかった。とりあえず迷惑をかけるということだけは伝えたい。それで依頼の件だが、陛下の分も含めて期限はないので、よろしく頼む」

 ローランドがレイに伝えたのは、先日と同じように絹の生地を渡すので、それを染めてほしいということです。生地の運び込みと引き取りはレナードが行うことになりました。レイはただ染めればいいだけ。
 執事のレナードが運ぶのは、それが国王への献上品だからです。下働きの使用人に任せることはできません。

「問題ありません。陛下の分は真っ先に用意します。他の貴族の分は販売ということなら……まとめてで大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。個々の要望を聞いていては終わりそうになかったので、販売する場所を用意するのでそこで買ってほしいと伝えた」
「それでしたらできる限り多くの色を用意しますので、販売はお願いします。素材代はそれほどかかりませんので、たくさん染めて単価を下げる感じでいいでしょうか?」
「いや、そこはしっかりと受け取ってくれ。どれだけ高くてもかまわない。むしろ安いと貴族は納得しない」

 貴族は平民との違いがあることに優位性を感じるものです。だから、自分が着ている服が高ければ高いほど満足感が高くなります。たとえ元値が銀貨一枚だろうと、そのまま伝えれば不満を感じるのです。だから、必ず金貨を要求すべきだと。

「正直なところ、高く売るのを前提で染めたわけではありませんので、値付けがよく分からないんです。売り値は閣下にお任せしますので、私が半額を受け取るという形でいかがですか?」
「半分でいいのか?」
「はい。前にも言ったかと思いますが、素材の処理に少し時間がかかるだけで、高価な素材を使っているわけではありません」

 薬草として採集される植物の使わない部分が染料になります。ミルクフルーツの木は庭に生えているだけでなく、森へ行けばいくらでもあります。場合によってはナッツが取られて実が捨てられていることもありますが、染料として使うので、それで問題ありません。

「他に何か、私にできることはないか?」

 ローランドとしては、あと一つ二つくらい要求されたほうが安心できます。むしろ、してほしいと思っているくらいです。

「それでしたら、町を広げることを考えてもらえませんか?」
「町をか……」

 レイは町の拡張について尋ねてみました。レイもそうでしたが、この町に定住したくしても家がなくて諦める冒険者はかなりいます。だから、家は他の町で持ち、半日から一日かけてこの町にやってきて、町にいる間は宿屋に泊まるというパーティーがかなりいます。
 クラストンの町の西側は領主の屋敷などがあるので難しくても、それ以外の方向に広げることはできないだろうか。家だけでなく宿屋も増えればさらに人が集まりやすくなるだろう。レイはそのように伝えました。

「たしかにそれは前からの懸念事項だった。これもいい機会かもしれないな」

 ローランドはうなずくと、一つ手を打ちました。

「それなら……レイ、お主の知人枠を用意しておこう」
「知人枠ですか?」
「そうだ。今の城壁との間に店だの家だのを増やすわけだが、その中で五つの家にはお主の知人が優先的に入れるようにする。そのための紹介状を渡そう。それでどうだ?」

 レイの頭の中には『天使の微笑み』『草原の風』『ヴィーヴルの瞳』『双輪』の名前が浮かびました。『天使の微笑み』には紹介できます。『ヴィーヴルの瞳』は王都に向かったのでこの町にはいないはずです。レイたちは他のパーティーとは動き方が違いますので、『草原の風』と『双輪』にはあれから会っていません。

「いくつか思い当たるパーティーがいます。機会があれば声をかけてみますのでそれでお願いします」
「うむ。こちらこそ、今後もよろしく頼む」

 ローランドは大きく頭を下げると、屋敷に戻っていきました。

 ◆◆◆

「あなた、いかがでしたか?」
「うむ、許してもらえた。出ていくことはないので気にしなくてもいいと逆に気を遣われてしまった」

 ローランドの言葉を聞いてアイリーンは安心しました。彼女は夫がたまに調子に乗って大口を叩くことを知っているからです。これまで致命的なことはなかったはずですが、今回はとてつもなく大きな恥をかく可能性があったのです。
 一方で、その隣にいた娘のシェリルは興味津々という顔をしています。

「お父様、私の話はいかがでしたか?」
「……」
「どうしてそこで黙るのですか?」

 言葉が荒くなるわけではありませんが、目つきがやたらと鋭くなるところは妻にそっくりだとローランドは感じています。

「やんわりと断られた、と言っておく」
「……そうですか。断られる理由が私にあったのですか?」

 これは純粋な疑問でした。彼女は跡取りではありませんが、れっきとした貴族の令嬢です。妻に迎えれば箔が付くのは間違いありません。おそらくこの家からの支援も受けられるでしょう。断られた理由が彼女にはわかりません。

「自分は冒険者だからだと。領主の娘には、その立場に相応しい人生を送ってほしいということだそうだ」
「領主の娘に相応しい人生ですか」

 シェリルはその言葉に違和感を覚えました。レイは男爵家の息子です。そして、別の男爵家の令嬢がパーティーにいることも知っています。どうして自分だけが断られるのか、理由がわかりません。

「納得できません。一度レイさんと話をしてみたいと思います。お父様、よろしいですね?」
「うむ、行ってきなさい。レナード、すまんが頼む」
「かしこまりました。ではお嬢様、馬車を用意させます」

 ◆◆◆

「レナードさんが?」
「はい、旦那様の手が空いているならぜひ話をと」
「大丈夫だから入ってもらって」

 ミードを仕込んでいたレイは自分に【浄化】をかけると一階に下りました。

「レイ殿、何度もすみません。シェリル様がぜひレイ殿とこれから話をしてみたいと」
「え~っと、これから話をってことは、外にいらっしゃるんですか?」
「はい。馬車でお待ちです」
「わかりました。お茶の準備をさせますので、少ししたら入ってもらってください」

 レイがそう言うとシャロンがすぐに二階に上がりました。



「失礼いたしま……した。はい、私ごときがレイさんの妻になりたいなどと、なんて分不相応で大変思い上がったことを口にしていたのでしょうか。それではごきげんよう」

 応接間に入ったシェリルはレイの恋人たちを見て、そのまま回れ右をして部屋を出ようとしました。

「お嬢様、いきなり卑屈にならないでください。前に申したではありませんか。みなさん人目を引く方ばかりだと」
「でも、あの人はどう考えてもここにいていい人ではありませんよ?」

 シェリルが目を向けたのはシーヴ。そう言われてシーヴは小首を傾げましたが、美女と美少女ぞろいのレイの恋人たちの中でも頭一つ抜けています。
 レナードはなんとかシェリルを応接間に留めることに成功しました。

「弟のアーランドが跡取りですので、私は他の貴族の息子、この領地の代官、またはその息子の誰か、そのあたりに嫁ぐことになると思っておりました。大貴族の子息に嫁げるとまでは考えていません。レイさんとケイトさんが男爵家の出身で、それでも冒険者になっているというのであれば、私がそこにいても問題ないのではと思ったのです」

 シェリルの言葉を聞いて、ケイトはすっくと立ち上がりました。

「シェリルさん、あなたは一つ考え違いをしていますわ」
「考え違いですか?」

 シェリルも立ち上がって、ケイトの目を真正面から見据えました。

「わたくしはレイ様と一緒に冒険者になったわけではありません。押しかけてパーティーに入ったのです。待っていてはチャンスはありません。人生は自分の足で前に向かって進んでこそ価値があるものですわ」
「自分の足で前に向かって……」

 シェリルは自分の人生を振り返りました。貴族の娘として生まれ、これまで何不自由ない暮らしをしてきました。両親からああしなさいこうしなさいと言われたわけではありません。ただし、自分の将来については、決められた道があると思っていたのです。

「レイ様はわたくしとの約束を忘れて旅立たれました。追いかけて捕まえなければ、わたくしにはレイ様と一緒になる未来は訪れませんでした」

 ケイトは髪を振り乱し、両拳を握りしめて力説します。

「だから、八年前に一言だけ言われたことを約束と言われても困る。そもそもOKしてないし」

 しかし、レイの抗議は熱く語り合う二人の耳には届いていません。ラケルとシャロンは、まるでお芝居でも見るかのように、小さく拍手をしています。
 話は続き、いつの間にかケイトがレイを捕まえるための心得を教えにいくという話にまでなっています。

「感謝いたします。私もレイさんをきっと捕まえてみせましょう」
「その心意気ですわ。わたくしもシェリルさんを全力で応援しましょう」

 二人は固い握手を交わしました。

「やったね、レイ。子爵令嬢ゲットだぜ」
「増やしてどうするんだよ……」

 レイは頭を掻くくらいしかできません。ケイトが人の話を聞かないことはよくわかっているからです。

「レイ殿、お嬢様をよろしくお願いします」
「本気ですか?」
「少なくとも、旦那様も奥様も反対なさらないでしょう。好きなようにしなさいと伝えると思われます」

 お芝居のような語り合いを終えた二人は、またソファーに戻りました。すかさずシャロンがお茶を淹れ直します。

「レイさん、聖別式まで半年もありませんが、けっして邪魔にならないように鍛えておきます」

 淹れ直してもらった緑茶を飲み終えたシェリルは、レイに向かってきっぱりと言いきりました。

「その間に見た目の方も……せめて私の顔を見た瞬間に吐きそうな顔をされない程度にはしておきます。それでは、ごきげんよう」

 シェリルはそう言い残すと馬車に向かいました。



「なあ、俺って吐きそうな顔ってしてたのか?」

 玄関先で馬車を見送ったレイは、横にいるサラに聞きました。

「してないと思うよ」

 多少げんなりとした顔はしたかもしれませんが、さすがに領主の娘に向かって吐きそうな顔はしていないでしょう。

「彼女には後ろ向きな部分があるようですわ。今後のために、ぜひ前向きな性格になっていただきませんと。というわけで、レイ様、たまにシェリルさんにお会いしに、お屋敷を訪ねますので」
「そこは任せた」

 レイはいろいろと諦めました。
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