死ニ至ル呪イ~望郷の想い出~

那周 ノン

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第二章【平穏な日常】

第十節 乳母②

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 太陽の光が射し込み、ウェーバー邸の一角にある明るく暖かなガラス張りの談話室コンサバトリー――、周りに緑が生い茂る温室。
 その温室でビアンカが貴族の令嬢らしい趣味の一つ、刺繍に打ち込んでいた。


「できたっ!!」

 ビアンカは嬉々とした声音で言うと、ハンカチを両手で広げる。

 ビアンカの広げたハンカチの片隅には、見事な刺繍が施されていた。
 それは――、淡いピンクの花びらと緑の葉がモチーフの刺繍だった。

「はー……、意外と器用なんだな。ビアンカ」

 ビアンカが刺繍をしている間、静かに見守っていたハルは感嘆の言葉を零した。

「“意外と”は余計なんですけど」

 ハルの言葉に、ビアンカはムッとした様子で返す。

「あはは、悪い。ところで、その花って桜の花だよな?」

 桜の花――。
 元々は東の大陸から更に東へ、海を渡った先――“群島諸国”と呼ばれる地域にのみ生息する樹木に咲く花である。
 この東の大陸でも数えられる程度ではあるが、その桜の樹木が群島諸国から持ち込まれて植樹されて存在している。

「そうだよ。桜の花――春に咲く花……」

 そこまで言うと、ビアンカは照れくさそうに笑う。

、だなって思ってね。縫ってみたの」

 ビアンカは言いながらハンカチを折り畳み、ハルに手渡した。

 ハルは手渡されたハンカチの刺繍に目を向け、淡いピンクの刺繍糸で縫い込まれた五枚の花びらの部分を指先でなぞる。

(――俺の花、か……)

 ハルは自分の名前である“”と季節の“”をかけ、ビアンカが桜の花の刺繍を施していたとは考えてもみなかった。
 そのことに気が付いたハルは、何とも言えない温かな想いが胸に灯るのを実感していた。

「私は桜の花って本の絵でしか見たことないんだけどね。ハルは旅をしていたから見たことあるんじゃない?」

「ああ……、昔――、見たことがあるな」

 ビアンカの質問にハルは答える。

 ハルは旅をしている間、縁あって群島諸国へ渡ったことがある。その際に本物の桜の花を目にしたことがあった。
 だが、ハルが群島諸国を訪れた時。その小さな島国の点在する地域は戦争の最中であり――、咲き誇っていた桜の花を感慨深げに眺める余裕などなかったと思い返す。

「いいなあ。私もいつか本物の桜の花を見てみたいな……」

 ハルの言葉を聞いて、ビアンカが羨ましそうに呟く。

 ――いつか一緒に見に行こう。

 そうビアンカに言ってやりたいハルだったが、言い出しかけて口をつぐむ。

 言い出したところで約束を守ってやれる確信がハルにはなかった。
 果たせない約束を交わし、下手にビアンカに期待を抱かせてしまうことが酷だと――、ハルは思う。

「ハルにあげるね、そのハンカチ。お誕生日プレゼントのお返し」

「え?」

 思い耽り黙り込んでいたハルに、ビアンカは不意に言い出した。

「ハルは後々、お父様の“盾持ち”をしに行くでしょ……、だから――」

「戦場に行く騎士や戦士へ、無事に戦場から戻れるように。――そう願いを込めて女性から普段身に着けている物や自分で作った物をお守りとして持たせる。そのような風習があるんですよ。ハル坊ちゃん」

 ビアンカの言葉に被せるように、突然マリアージュが声をかけてきた。

「わっ、マリアージュさん。いつの間にっ!」

 不意打ちに声をかけられて、ハルは驚いた声を上げる。

「そろそろ休憩でもいかがかしらと思いまして」

 温室に訪れたマリアージュは茶器の乗ったトレイを手にして、悪戯めいた笑みを浮かべていた。
 マリアージュの表情を見る限り、恐らくワザと今のタイミングで温室に訪れたのだろう。

「ビアンカお嬢様も素敵な刺繍が出来上がりましたね」

 ハルに手渡したハンカチに施された刺繍を目にしてマリアージュは言う。

 ビアンカは自身の作品をマリアージュに褒められたものの、自分で言おうとしたことをマリアージュに言葉を被せるように言われてしまい、頬を膨らませて不満げな顔をしていた。

「もー、マリアージュってば。せっかく言おうとしたこと、先に言わないでよ!」

 ビアンカは文句の言葉を口にするが、マリアージュは「ふふっ」――と笑うだけで、その文句に対してどこ吹く風といった様子だ。

「ビアンカお嬢様がミハイル様より先にハル坊ちゃんへ贈り物をされるとは。私、思ってもみなかったですよ」

 マリアージュは言いながらトレイをテーブルに置き、紅茶の入ったティーセットをビアンカとハル、それぞれの前に置く。
 紅茶の爽やかな良い香りが二人の鼻腔をくすぐった――。

 ハルはマリアージュの言った言葉を聞いて内心驚いていた。
 まさかビアンカが自身の父親であるミハイルの戦場での無事を願うことよりも先に、ハル自身の無事を願う意味を込めた贈り物をしてくるとは思っていなかったのだ。

「お父様にはお母様が昔に贈った物があるじゃない。だから……、ハルには私から何かあげたいって思ったの」

 ビアンカは置かれたティーカップに手を伸ばしながら言う。

 ビアンカの頬はほんのりと朱に染まっていて――、どこか照れた様子を窺わせていた。

 そんな様子で言葉を発したビアンカに、マリアージュは「あらあら……」と笑う。

「ハル坊ちゃんも隅に置けないですねえ」

「いや……、まさか俺も、そんな意味があるとは思ってなくて……」

 マリアージュのからかいの意味を含んだ言葉。そしてビアンカの照れた様子を目にし――、ハルも釣られるように照れくさい気持ちになってしまう。

「本当お二人は仲の良い兄妹のように健やかにお育ちになって。私は喜ばしい限りですわ」

 ハルとビアンカの様子を見て、マリアージュは微笑ましげにしていた。

 四年前――、ハルが初めてウェーバー邸に訪れた際、ハルに対して険悪感と敵対心に似た気持ちを持っていたマリアージュだった。
 しかし、ビアンカとハルが日々仲睦まじく過ごしている様を目にして、ハルに対しての当初の気持ちはすっかりと消えていた――。

 マリアージュは生来の大らかな性格から、今では――ハルをも自身の本当の息子のように可愛がり、ハルとビアンカの関係を仲の良い兄妹のように見ているのだった。

「さあさあ。そうしましたら、ビアンカお嬢様。次はミハイル様にも贈り物のお守りを作ってさしあげてください」

「うん。勿論そうするわ」


 その後、マリアージュの教授の元でビアンカはミハイル用にと再び白地のハンカチに刺繍を行い始めた。

 元々ビアンカは手先が器用だった。
 昔からマリアージュに教えられながらビアンカが楽しげに針仕事を行う姿を、ハルは幾度となく目にしてきていたのだ。

 ビアンカとマリアージュの様子を出された紅茶を飲みながら見守りつつ、ハルはビアンカから渡された桜の花の刺繍が施されたハンカチに目を落とす。

(誰かから無事を祈るお守りなんて貰ったのは初めてだな。――こんなに嬉しいものなんだな……)

 ハルは思いを馳せながら、顔が嬉しさに緩みそうになるのを必死で抑えていた。
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