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第六章【昂奮】

第三十四節 永きを生きるということ

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 坑道内に点在している松明のあかりに照らされる通路を、ハルは真剣な面持ちを見せ、辺りの気配に注意を払いつつ進んでいた。

 ハルが歩く坑道の通路は採掘した土砂などを外部へと運搬するためなのか、その横幅が5センチメートルほどの広さがあった。
 そして、その掘られた岩肌には木版で組まれた補強が施されており、落盤などを防止する措置が取られている。

 岩肌を綺麗に削られ木版で補強をされている通路は、時折横に少し反れながらも、ほぼ真っ直ぐに伸びている。そのため、身を隠す場所が一切ない状態であった。

(――もし、先の見張り役の二人が戻らないのを不審に思った残りの男が様子を見に来たら。鉢合わせする可能性があるな……)

 ハルは真っ直ぐと伸びている坑道の通路を目にして、可能性の一つを思案する。
 その可能性へと思い至ったハルは、背に担いでいた弓を手に持ち、警戒していた。

「さて……、どう出てくるか――」

 ハルは外套がいとうのフードを頭から外し、辺りの様子を窺う。
 ハルの意識は、坑道内の音に集中していた。

 万が一、正面で男たちと鉢合わせをしてしまうと弓での応戦が難しい。
 そのためハルは、なるべくであれば相手が自分に近づいてくる前――、弓で応戦できる範囲内で始末をつけたいと考えていた。

 そんな考え事をしながら辺りの音に気を配って歩んでいたハルは、フッと自身のいる方へと向かって来る足音が聞こえてくることに気が付いた。

 その足音は大股で歩く――二人分の足音であると、ハルは瞬時に聴取る。

「――来たな」

 先の見張り役であった二人の男が戻らない。そのことを不審に思った残りの男たちが坑道の入り口に向かって行く途中なのだろう。
 微かに聞こえてくる話声と共に、ハルのいる方へ向かって歩いてくる音がしていた。

 ハルはすぐさま坑道の壁際に身を寄せ、身を隠す術のない中で自身の発見を少しでも遅れさせるための最低限の行動に移る。
 そうして静かに矢筒から矢を一本抜き取り、弓に矢をつがえた。

(二人の内、せめて一人でも弓で仕留められれば良い――)

 弓の弦を軽く引きつつ、ハルは思う。

 徐々に近づいてくる二人分の足音と会話の声――。
 ハルはそれらを聞き取るために耳を澄まし、その神経をも研ぎ澄ます。


「……それにしても遅いな、あの二人」

「どうせお喋りでもして盛り上がっているんだろう。まだミハイル将軍が来ないからって、呑気すぎるんだよな」

 ハルの耳に、会話の内容がハッキリと聞こえる距離まで男たちが近づいて来ていた。
 その話の内容を聞きながら、ハルは手にした弓の弦を強く引き絞っていく。

「――でもなあ。これで上手くミハイル将軍をることができたとして……。本当にリベリア公国の反王政派活動と改革に繋がるのかね?」

「まあ、ホムラさんが取り仕切ってくれるってんなら大丈夫なんじゃねえの?」

 話の内容を耳にしたハルは眉をひそめた。

(――こいつら……、やっぱり噂で聞いたリベリア公国に反旗をひるがえそうとしている奴らなのか……)

 ハルはホムラからの手紙の内容で、ホムラがリベリア公国に反旗をひるがえそうとしている集団の一員だと推察していた。推察してはいたものの――、男たちの会話の内容を聞き、ハルが見越していた考えが確信へと変わっていく。

「ホムラさんは正義感と責任感だけは強いし――、上に立つ存在としては打ってつけの人だと俺は思うぞ」

 ハルが身を潜め、話の内容を聞いているなどとはつゆ知らず、男たちは談笑のように会話を続けながら歩みを進めてくる。

「でも、王族や貴族の皆殺し計画とか――、ホムラさんも恐ろしいことを考えるよな。さらってきたウェーバー家の嬢ちゃんも、結局ミハイル将軍を殺したら用済みだろ?」

「あはは、意外に可愛い娘っ子だったからな。敢えて殺さないで――、楽しませてもらうか。んで、飽きたら売っぱらうっていうのもありなんじゃねえの?」

「楽しむって、あんな小娘じゃなあ……」

 下卑げびた内容を口にし、ゲラゲラと笑いながら近づいてくる男たち。
 そんな男たちの話の内容を耳にして、ハルの中に沸々とした怒りの感情が沸き上がってくるのを感じていた。

「――下衆げすどもが……」

 激しい怒気を含んだ声音で、ハルは呟く。
 ハルは怒りから奥歯を強く噛み締め、弓を握る自分自身の腕にも自然と力がこもっていくことを自覚する。

 だがハルは、その激しい怒りの感情をも、静かに身の内に潜める。

 そんな怒りの感情を内に秘めたハルが待ち構えていることなど一切気が付かず、歩みを進めていた男たちの姿が――ハルの視界に入った。

 男たちの姿を見とめた瞬間――、ハルは引き絞っていた弓の弦から手を放す。

 怒りの感情から目いっぱいに引き絞っていた弓から放たれた矢は、姿を見せた男の一人の喉――、ちょうど喉仏の辺りを射抜いていた。

「――――っ??!!!」

 喉を射抜かれた男は、全く予想をしていなかった一撃に驚きから目を見開き、痛みから声を上げようとした。
 しかし――、矢の刺さった喉からは声の代わりに大量の血がゴボリと噴き出し、男の口元を汚す。痛みに叫ぼうとすればするほど、その口からは鮮血が溢れ出していく。
 男は自身の喉を満たしていく血液で窒息状態になっているようで、何とか息を吸おうとして口を――まるでおかに打ち上げられた魚のようにパクパクと動かし、手で喉を掻きむしる動作を見せながら倒れていった。

 ハルはその様子を、先ほど四人の男たちを殺めた以上に、冷めきった眼差しで見据える。

 先ほどまでは相手を確実に即死させるように努めていたハルであったが、あまりにも下卑げびた話をしていた目の前の男たちを許すことができない――、と。激しく強い負の感情を、その身の内に抱いていた。
 それ故に、敢えて即死の出来ない苦しませる方法で、この男の喉を矢で射抜いていたのだった。

「な――っ!! 誰だ、てめえっ!!」

 今まで一緒に話をしていた男を突如強襲してきた相手であるハルを目にし、残りの男が声を張り上げる。
 男は声を荒げるのと同時に、怒りの形相を浮かべて腰にたずさえていた剣を鞘から抜き、それを構えながらハルに向かって駆け寄ってきた。

 男の走り寄ってくる様を目にしたハルは手にしていた弓を投げ捨て、自身も腰にたずさえていた短剣を素早く抜き取る。
 ここまで至近距離での応戦となってしまっては弓での近接攻撃は不利だと――、瞬時に考えた故のハルの行動だった。

「このガキが……っ!!!」

 男が怒りに任せて大きく剣を振りかぶってきた。
 だが、ハルは必要最低限の動きで、その振りかぶられた男の剣をかわし、ハルの動きについて来られなかった外套がいとうの裾だけが剣先に掠られる。

 ハルに攻撃をかわされたことで、男は更に激昂げっこうの様子を見せ、見境なく剣を振るってくる。しかし、ハルは涼しげな表情を見せたまま、その攻撃の動きに注意を払いつつ確実に避けていく。

 ハルは自身の手に握る短剣の攻撃範囲内――、男の懐に入り込む機会を窺っていた。
 そのため、故意に男に大きく剣を振るわせるような攻撃のかわし方を見せ、男を挑発していた。
 右に左に――、男の振るう剣を、ハルは軽い動きと共に簡単に回避していくのだった。

「――この……っ!!」

 男が自身の攻撃が全く当たらないことに痺れを切らし、ハルの顔面を狙った突きの姿勢を見せた。

 ――今だ……っ!!

 その男が突きの動きを見せた瞬間――、ハルも動きを見せた。

 ハルは顔を狙って突きつけられてくる男の剣の切っ先を、顔面ギリギリでかわす。

 かなりギリギリの位置で剣の切っ先をかわしたために、ハルは頬に熱い痛みを感じるが、彼はそんなことを全く気にも留めず、冷たい眼差しを男に向け、手にしていた短剣で男の喉元を薙ぎ払っていた。

「が――っ??!」

 ハルの薙ぎ払った短剣は、男の喉を掻き切っていた。
 切り払いの動きと同時に、ハルは咄嗟に男の横側へ飛び退く。

 ハルの短剣により切り払われた男の喉元がぱっくりと口を開き――、その刹那、男の喉から前面に向かって鮮血が噴き出した。

「――――っ!!!!」

 男は反射的にその喉元に手を当てて噴き出す血を止めようと試みる。
 しかしながら、止血のためと思われる男の動作は多量の出血により叶わず、声になっていない呻き声を上げながら、その場に両膝を付いて倒れ込んでいった。

「ふぅ……」

 ハルは、ビクビクと痙攣を起こしまだ少し息のある男二人を無事に仕留めたことに、深い溜息を吐き出していた。

 男たちの様子を見つつ、短剣にこびりついた血液を短剣を振るうことで払い落し――、再び腰にたずさえていた鞘の中に戻していく。

 先ほど――、ハルが男の喉を掻き切った際に咄嗟に横に飛び退いたのは、男からの返り血を浴びないためだった。
 そこまでハルは計算尽くした行動を取っていたのだ。
 それらは全て永い時を生き続け――、多くの戦いに身をやつしたことのある経験から培っていた行為であった。

「――想像でも、ビアンカに対して下卑げびたことを言うのは、流石に許せないな……」

 ハルは未だに怒気を含んだ声音で言いながら、倒れている男の身体を足で踏みつける。

 ハルの悪意すら感じさせる所業に、ヒューヒューと喉から音をさせて口から血を溢れさせる男の身体がビクッと反応をするのだが、もう既に虫の息な状態のため何も反論はしてこない。

「ふん……」

 そんな男の様子をハルは冷たい眼差しで見下ろし、鼻で笑う。


「――あとは、ホムラ師範代だけだな……」

 怒りの感情が徐々に引いていき、再び冷静さを取り戻したハルは、先ほど男の剣の切っ先で受けた頬の傷から流れる血を手で拭いながら呟いた。

 剣術師範代――ホムラが相手では、今までの男たちを相手にしたように一筋縄ではいかないであろうとハルは思う。その場には誘拐されてきたビアンカもいるためだった。

 もし、ホムラがビアンカという人質を盾にしてきたら――、その時はどうするかと、ハルは目を伏せて考える。

「……場合によっては、の出番だな」

 ハルは伏せていた瞳を微かに開き、自分自身の革のグローブに覆われる左手の甲を右手でさする。

 ――できれば行使したくない呪いの元凶……。

 ハルは、忌み嫌う自分自身に宿る呪い――人を死に至らしめる呪いに頼らざるを得ない状況に、険悪に近い思いを馳せる。

 ハルは仕方なさげに小さく溜息を吐き出すと、先ほどの応戦の際に投げ捨てた弓を拾い上げて再度その肩に担ぎなおす。
 そうして、坑道の奥に気配を潜めつつ、歩みを進めていくのだった。
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