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第十七章【君を想う】
第八十七節 運命の分岐
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春の暖かさを感じさせる風が、樹木の枝葉を揺らす。
穏やかな音色は、平時であれば――、心地よさを感じさせるものであっただろう。
しかし――、その穏やかさを抱く中に不釣り合いな、仄暗い闇を纏う気配が辺りを包み込んでいた。
不穏な気配を纏う正体は――、赤茶色の髪に赤茶色の瞳を持つ少年。
少年――、ハルは、酷く憔悴しきった表情を浮かべ、覚束ない足取りで歩みを進める。
ハルは両腕で、既に冷たい亡骸となった亜麻色の髪の少女――ビアンカを大切そうに抱いていた。
“リベリア解放軍”の襲撃を受け、ハルを庇ったビアンカは、自らの背に弓矢の一撃を受けた。
放たれた矢の一撃はビアンカの内腑を傷つけ――、ハルにはどうしてやることもできず、彼女はハルに看取られるまま、静かに息を引き取ったのだった。
もう、どうすることもできない――。
悲しい末路に、ハルは赤茶色の瞳に、絶望の色を濃く宿していた。
そうしてハルは――、禍々しささえ感じさせる気配を身に纏い、足を止めることなく歩んでいく。リベリア公国のある方向へと向かって――。
ビアンカを抱きかかえ、歩みを進めるハルには――、その様子を見つめていたビアンカと、もう一人佇むハルの姿は見えていないらしかった。
眉を寄せるビアンカと、静かな眼差しで自分自身を見つめるハル。
そんな二人の横を――、悲しみと絶望を宿したハルが俯いたまま通り過ぎていく。
「――あれは……、俺が歩んでいたかも知れない姿だ……」
ビアンカの傍らに立つハルが、自分自身の後姿を見送りながら語る。
「もし……、もしも、あんな結果になっていたら――」
もしも、ビアンカが自らを庇い、命を落とす結果に終わっていたら――。
そう考え、言いながら、ハルは両手を強く握りしめる。
「俺は――、自暴自棄になって、きっと世界を。自分の宿命を憎み、“喰神の烙印”の呪いを憎んでいただろう……」
ハルは哀れみを含んだ眼差しで、徐々に遠目に――、小さくなっていく自分自身の後姿を見据え、溜息を吐き出していた。
「そして――、きっと俺も、お前を死に至らしめる原因となった“リベリア解放軍”を滅ぼすために……。お前が取った行動と同じことをしていた……」
亡骸となったビアンカを抱き、リベリア公国のある方向へと歩みを進めるハル。
そのハルは、この後――、リベリア公国に辿り着き、“喰神の烙印”の呪いの力を行使し、間違いなくリベリア公国を滅ぼしていたであろうことを。憔悴しきった様を窺わせていた自分自身の背を見つめるハルは、未来の行く末を行き違えてしまった自身の心境と行う所業を察し、愁いを帯びる。
「どちらに結果が傾こうとも――、リベリア公国という国は、滅亡の道を辿り……、俺たちにとっては“望郷”となっていたんだ」
まるでハルは、ビアンカの行ったリベリア公国での所業に対して、「気にすることはない」――と。そう言いたげな優しい声音で、ビアンカに赤茶色の瞳を向ける。
ビアンカは――、自身に向けられたハルの赤茶色の瞳を見つめた。
そして、その赤茶色の瞳が、奥底に闇を宿していないことから――、目の前に存在するハルが“喰神の烙印”の呪いが模した存在ではなく、本物のハルだということを感じ取っていた。
「――なあ、ビアンカ……」
「何……、ハル……?」
ハルからの呼び掛けに、ビアンカは悲しげな瞳でハルを見据えて返事をする。
「俺が生き延びることと、お前が生き延びること――。どちらが幸せだったんだろうな……」
どこか物悲しい声音で綴られるハルの言葉。
ハルの言葉を聞き、ビアンカは首を垂れた。
たった今、自身が目にした――、ビアンカが死を迎えていたことで起こったかも知れない結末。そのような結末になっていたら、どうなっていたか。
その答えを求めるハルの問いに、ビアンカは――、考えていた。
しかし――。
「答えなんて……、分からないわ……」
ビアンカには、どちらの選択肢が正しかったのか――、分からなかった。
それ故に、ハルの問いに対して、正直な自分自身の気持ちを返事として口にする。
「ああ……、そうだな……」
だけれどもハルは、そんなビアンカの返答に、至極納得した様子を見せていた。
――結局、この問いに……、正しい答えなんか存在しないんだ……。
ハルは、ビアンカに酷い質問をしてしまったと、心中で思う。
そうして――、ハルは深い溜息を一つ、吐き出していた。
「だけどさ。俺は……、お前に生き延びていてもらうことを望んだ。この決断に後悔はない」
ハルは瞳を伏せ気味に俯いて、静かな声音で綴る。
「お前がさ。生き延びて――、そうして、隠れ里で禁忌とされていた“魂の解放の儀”を行うとは思ってもいなかったけど……」
言いながらハルは、苦笑する。
まさかハルも、“喰神の烙印”を継承したビアンカが、“喰神の烙印”を伝承する隠れ里に赴き、その隠れ里で禁忌とされていた“魂の解放の儀”を行うなどとは、露ほども思っていなかった。
そこまでの行動力と決断力をビアンカが持って、行動を起こすとは――と。ハルは内心で驚いていたのだった。
「でも、“魂の解放の儀”を行ったことで、“喰神の烙印”が、お前を過去の世界に誘うなんていう、とんでもない真似をした――」
ハルは伏せていた瞳を上げ、再びビアンカを見つめる。
「だけど――、そのお陰で俺は子供の頃に、魔物に襲われかけたところを、お前に助けられて命を救われたんだ……」
ビアンカが、幼かったハルを助けた命の恩人その人であると、ハルは徐々に成長していくビアンカの容姿を目にして、感じてはいた。
だけれど、ハルと五年の月日を過ごした当のビアンカ本人は――、その際に出会った命の恩人であるビアンカではないと。そのことにもハルは勘付いていた。
その成り行きが、どのようなものであったのか――。
それを今まで疑念として抱いていたハルは、漸くその答えに辿り着いていた。
「もしも、俺があの時に、お前に“喰神の烙印”を継承させるということを選ばなかったとしたら――」
ハルは言葉を区切り、憂悶な表情を浮かべる。
「――ビアンカ。俺とお前の出会いは……、あり得ないものになっていたかも知れない」
ハルは――、自分自身が命を賭してビアンカを救うことが、宿命によって定められたものだったのだろうと。心の片隅で考えていた。
「実際――、未来への道は……、幾重にも枝分かれをしているものだって言われている。だから、俺がお前を救えなかったら……、俺は存在しなかったかも知れない。そういう道筋があったかも知れないんだ……」
ビアンカが死の淵に立たされた際に、自らの魂と引き換えにしてビアンカの命を救ったことで、ハルは幼い頃に自分自身をビアンカによって救われている。
不可思議な宿命という名の運命の輪が――、ハルとビアンカには、結び付けられていたのだった。
この枝分かれをした運命の分岐の一つが、少しでもずれていたら――。
ハルとビアンカの出会いというものが、存在しない可能性を秘めていた。
「ハルと――、出会えないことなんて、私には考えられないわ……」
「――俺も同じ思いだよ。ビアンカ……」
ビアンカの言葉に、ハルは微笑みを浮かべて返答する。
「永い時を――、ずっと、お前のことを想って生きてきた。この一生に、ひとかけらの後悔もない」
ハルは自身の発した言葉と同じように、赤茶色の瞳には微塵も後悔を感じさせる色を宿さなかった。
ハルの強い意志を宿した瞳と言葉。それらに、ビアンカは目頭が熱くなる思いを抱く。
「――ごめんね、ハル。あなたは……、ずっと私と一緒にいてくれるつもりでいたみたいなのに……。私は、あなたの願いを踏みにじるようなことをしてしまうわ……」
ビアンカは申し訳なさげに言いながら、自身の左手の甲に右手を添える仕草を見せる。
「良いんだよ。俺の自分勝手な我儘に、お前を振り回しちまった。俺こそ……、ごめんな」
ビアンカはハルの謝罪に、ゆるゆるとかぶりを振る。
「こう言うと、お前は怒るかも知れないけど。せっかく、お前の“初めて喰らう魂の存在”になれたのに、早々にお役御免になっちまったのには笑うしかないけどさ――」
ハルの不謹慎とも取れる物言いに、ビアンカは不服げな眼差しをハルに向けた。
だがハルは、そんなビアンカを、苦笑混じりながらも優しげな瞳で見つめる。
「――また、逢えるよ。昔……、お前と交わした約束と同じように……」
ハルは言うと、ビアンカの左手を、自身の左手で掬い上げるようにして手に取る。
ビアンカの手を取ったハルの赤茶色の瞳には――、再度交わすこととなる約束を果たそうとする、強い意志の色が宿っていたのだった。
穏やかな音色は、平時であれば――、心地よさを感じさせるものであっただろう。
しかし――、その穏やかさを抱く中に不釣り合いな、仄暗い闇を纏う気配が辺りを包み込んでいた。
不穏な気配を纏う正体は――、赤茶色の髪に赤茶色の瞳を持つ少年。
少年――、ハルは、酷く憔悴しきった表情を浮かべ、覚束ない足取りで歩みを進める。
ハルは両腕で、既に冷たい亡骸となった亜麻色の髪の少女――ビアンカを大切そうに抱いていた。
“リベリア解放軍”の襲撃を受け、ハルを庇ったビアンカは、自らの背に弓矢の一撃を受けた。
放たれた矢の一撃はビアンカの内腑を傷つけ――、ハルにはどうしてやることもできず、彼女はハルに看取られるまま、静かに息を引き取ったのだった。
もう、どうすることもできない――。
悲しい末路に、ハルは赤茶色の瞳に、絶望の色を濃く宿していた。
そうしてハルは――、禍々しささえ感じさせる気配を身に纏い、足を止めることなく歩んでいく。リベリア公国のある方向へと向かって――。
ビアンカを抱きかかえ、歩みを進めるハルには――、その様子を見つめていたビアンカと、もう一人佇むハルの姿は見えていないらしかった。
眉を寄せるビアンカと、静かな眼差しで自分自身を見つめるハル。
そんな二人の横を――、悲しみと絶望を宿したハルが俯いたまま通り過ぎていく。
「――あれは……、俺が歩んでいたかも知れない姿だ……」
ビアンカの傍らに立つハルが、自分自身の後姿を見送りながら語る。
「もし……、もしも、あんな結果になっていたら――」
もしも、ビアンカが自らを庇い、命を落とす結果に終わっていたら――。
そう考え、言いながら、ハルは両手を強く握りしめる。
「俺は――、自暴自棄になって、きっと世界を。自分の宿命を憎み、“喰神の烙印”の呪いを憎んでいただろう……」
ハルは哀れみを含んだ眼差しで、徐々に遠目に――、小さくなっていく自分自身の後姿を見据え、溜息を吐き出していた。
「そして――、きっと俺も、お前を死に至らしめる原因となった“リベリア解放軍”を滅ぼすために……。お前が取った行動と同じことをしていた……」
亡骸となったビアンカを抱き、リベリア公国のある方向へと歩みを進めるハル。
そのハルは、この後――、リベリア公国に辿り着き、“喰神の烙印”の呪いの力を行使し、間違いなくリベリア公国を滅ぼしていたであろうことを。憔悴しきった様を窺わせていた自分自身の背を見つめるハルは、未来の行く末を行き違えてしまった自身の心境と行う所業を察し、愁いを帯びる。
「どちらに結果が傾こうとも――、リベリア公国という国は、滅亡の道を辿り……、俺たちにとっては“望郷”となっていたんだ」
まるでハルは、ビアンカの行ったリベリア公国での所業に対して、「気にすることはない」――と。そう言いたげな優しい声音で、ビアンカに赤茶色の瞳を向ける。
ビアンカは――、自身に向けられたハルの赤茶色の瞳を見つめた。
そして、その赤茶色の瞳が、奥底に闇を宿していないことから――、目の前に存在するハルが“喰神の烙印”の呪いが模した存在ではなく、本物のハルだということを感じ取っていた。
「――なあ、ビアンカ……」
「何……、ハル……?」
ハルからの呼び掛けに、ビアンカは悲しげな瞳でハルを見据えて返事をする。
「俺が生き延びることと、お前が生き延びること――。どちらが幸せだったんだろうな……」
どこか物悲しい声音で綴られるハルの言葉。
ハルの言葉を聞き、ビアンカは首を垂れた。
たった今、自身が目にした――、ビアンカが死を迎えていたことで起こったかも知れない結末。そのような結末になっていたら、どうなっていたか。
その答えを求めるハルの問いに、ビアンカは――、考えていた。
しかし――。
「答えなんて……、分からないわ……」
ビアンカには、どちらの選択肢が正しかったのか――、分からなかった。
それ故に、ハルの問いに対して、正直な自分自身の気持ちを返事として口にする。
「ああ……、そうだな……」
だけれどもハルは、そんなビアンカの返答に、至極納得した様子を見せていた。
――結局、この問いに……、正しい答えなんか存在しないんだ……。
ハルは、ビアンカに酷い質問をしてしまったと、心中で思う。
そうして――、ハルは深い溜息を一つ、吐き出していた。
「だけどさ。俺は……、お前に生き延びていてもらうことを望んだ。この決断に後悔はない」
ハルは瞳を伏せ気味に俯いて、静かな声音で綴る。
「お前がさ。生き延びて――、そうして、隠れ里で禁忌とされていた“魂の解放の儀”を行うとは思ってもいなかったけど……」
言いながらハルは、苦笑する。
まさかハルも、“喰神の烙印”を継承したビアンカが、“喰神の烙印”を伝承する隠れ里に赴き、その隠れ里で禁忌とされていた“魂の解放の儀”を行うなどとは、露ほども思っていなかった。
そこまでの行動力と決断力をビアンカが持って、行動を起こすとは――と。ハルは内心で驚いていたのだった。
「でも、“魂の解放の儀”を行ったことで、“喰神の烙印”が、お前を過去の世界に誘うなんていう、とんでもない真似をした――」
ハルは伏せていた瞳を上げ、再びビアンカを見つめる。
「だけど――、そのお陰で俺は子供の頃に、魔物に襲われかけたところを、お前に助けられて命を救われたんだ……」
ビアンカが、幼かったハルを助けた命の恩人その人であると、ハルは徐々に成長していくビアンカの容姿を目にして、感じてはいた。
だけれど、ハルと五年の月日を過ごした当のビアンカ本人は――、その際に出会った命の恩人であるビアンカではないと。そのことにもハルは勘付いていた。
その成り行きが、どのようなものであったのか――。
それを今まで疑念として抱いていたハルは、漸くその答えに辿り着いていた。
「もしも、俺があの時に、お前に“喰神の烙印”を継承させるということを選ばなかったとしたら――」
ハルは言葉を区切り、憂悶な表情を浮かべる。
「――ビアンカ。俺とお前の出会いは……、あり得ないものになっていたかも知れない」
ハルは――、自分自身が命を賭してビアンカを救うことが、宿命によって定められたものだったのだろうと。心の片隅で考えていた。
「実際――、未来への道は……、幾重にも枝分かれをしているものだって言われている。だから、俺がお前を救えなかったら……、俺は存在しなかったかも知れない。そういう道筋があったかも知れないんだ……」
ビアンカが死の淵に立たされた際に、自らの魂と引き換えにしてビアンカの命を救ったことで、ハルは幼い頃に自分自身をビアンカによって救われている。
不可思議な宿命という名の運命の輪が――、ハルとビアンカには、結び付けられていたのだった。
この枝分かれをした運命の分岐の一つが、少しでもずれていたら――。
ハルとビアンカの出会いというものが、存在しない可能性を秘めていた。
「ハルと――、出会えないことなんて、私には考えられないわ……」
「――俺も同じ思いだよ。ビアンカ……」
ビアンカの言葉に、ハルは微笑みを浮かべて返答する。
「永い時を――、ずっと、お前のことを想って生きてきた。この一生に、ひとかけらの後悔もない」
ハルは自身の発した言葉と同じように、赤茶色の瞳には微塵も後悔を感じさせる色を宿さなかった。
ハルの強い意志を宿した瞳と言葉。それらに、ビアンカは目頭が熱くなる思いを抱く。
「――ごめんね、ハル。あなたは……、ずっと私と一緒にいてくれるつもりでいたみたいなのに……。私は、あなたの願いを踏みにじるようなことをしてしまうわ……」
ビアンカは申し訳なさげに言いながら、自身の左手の甲に右手を添える仕草を見せる。
「良いんだよ。俺の自分勝手な我儘に、お前を振り回しちまった。俺こそ……、ごめんな」
ビアンカはハルの謝罪に、ゆるゆるとかぶりを振る。
「こう言うと、お前は怒るかも知れないけど。せっかく、お前の“初めて喰らう魂の存在”になれたのに、早々にお役御免になっちまったのには笑うしかないけどさ――」
ハルの不謹慎とも取れる物言いに、ビアンカは不服げな眼差しをハルに向けた。
だがハルは、そんなビアンカを、苦笑混じりながらも優しげな瞳で見つめる。
「――また、逢えるよ。昔……、お前と交わした約束と同じように……」
ハルは言うと、ビアンカの左手を、自身の左手で掬い上げるようにして手に取る。
ビアンカの手を取ったハルの赤茶色の瞳には――、再度交わすこととなる約束を果たそうとする、強い意志の色が宿っていたのだった。
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