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2話

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 ジリリリリ…と煩く鳴る目覚まし時計。薄らと眠りから覚める。新は布団の中から手を伸ばした。布団から伸ばした腕に感じるひやりと冷える空気。煩く鳴る目覚まし時計を止める。腕をぬくぬく温まった布団へ戻した。再び強烈な眠りに誘われる。
「あ……だよ……」
 誰かの声がし、ゆさゆさと揺さぶられる。睡眠の邪魔をされ、新は再び手を伸ばし揺さぶる手を叩く。頭まですっぽりと布団を被った。
 ぽかぽか温かい布団に包まれ、再び意識が朦朧とし夢の中に入ろうとした時だった。
「いつまで寝てんだよ。朝だって言ってんじゃん」
 ぬくぬく温かい布団を剥ぎ取られる。寒さで一気に目が覚める。
「さ、寒い‼︎」
「当たり前だろ。冬なんだから」
 新は声がする方を向く。ぼんやりと視界に映る仁王立ちした青年。
「朝ご飯できてるって言ってんじゃん」
「……もう少し優しい起こしかたあるんじゃない?」
「新は甘やかすなって賢さんに言われてるから」
 上杉め、覚えとけよ。と心の中で愚痴りながら上体を起こす。
「朝ご飯できてるから、早く顔洗って」
「……はーい」
 葵は足早に新の寝室を出て行った。新はいろんな方向にぴょこぴょことはねた寝癖をポリポリと掻く。
 時計を見ると短い針が7時を指していた。
 開いているドアからふわ~と漂ういい香り。お腹がぐぅ~と鳴る。
 のそっと立ち上がり、洗面所に向かう。顔を洗い、居間へ行くとテーブルには朝食が用意されていた。
 本日の朝食は豆腐とワカメの味噌汁、ほうれん草のお浸し、きんぴらごぼう、卵焼き、ぽかぽかご飯だ。
「やっと起きた。ほら、座って」
 葵に促されるまま椅子に座り、頂きますをする。新が最初に手にとったのは味噌汁だ。レトルトの味噌汁とは違い、出汁がよく出ている。豆腐を箸で摘み口に運ぶ。舌で潰れるほど柔らかい豆腐は口の中でほろほろと崩れる。
 ほうれん草のお浸しは、醤油と酢と砂糖で味付けされていて甘酸っぱい味付けが新好みだ。
 きんぴらごぼうはコリコリとした食感と甘めの味付け。鷹の爪がぴりっといいアクセントになっている。
 卵焼きは程よく焦げ目がついていて、甘塩っぱい味付けが炊きたてご飯とよく合う。
 葵がご飯を作ると言った時、正直ここまで期待はしていなかった。どうせ肉を焼いて出すだけの男料理だと思っていたのに、予想は外れ、美味しそうな家庭料理が出てきた。
 葵がこの家に来てから初めて作った料理はオムライスだ。とろふわの卵と程よい酸味のケチャップライスが口の中いっぱいに広がり、あっという間に完食。思わずおかわりをしてしまった。普段はレトルト食品や外食しかしていない新は葵の作る家庭料理の虜になってしまった。
 ご飯だけは美味しい。ご飯だけは。
 葵がこの家に来てから、朝は7時に起こされる。夜更かしをしたら怒られるので23時には寝る。睡眠時間8時間、栄養バランスの良い食事が提供され、健康的生活を送くっている。おかげで肌は艶々だ。
 元々童顔で28歳には見られないが、葵のおかげでさらに見た目の若さに磨きがかかったと思う。
 目の前でパクパクと朝食を食べている葵に声をかけた。
「ねぇ。なんでこんなに料理できるの?」
「親いないし、お金ないから節約のために自炊してたら自然にできるようになったんだよ」
「ここに来る前どこにいたの?」
「親戚の家。でも、その後は賢さんの家にいた」
「上杉の家⁉︎」
 あの上杉と一緒に住んでいただと…。
「訳あって親戚の家出てってさ、その後すぐに潤に出会って、そこから賢さんの家にお世話になってた」
「上杉と一緒って息詰まりそう……」
「そんなことないよ。休みの日は賢さんとパンを一緒に作ってたし」
 あの上杉がパン作り…。想像しただけで面白い絵面だ。
「なんで親戚の家でたの?」
「ヒミツ」
「ケチ」
「別に話す必要ないから」
 葵は何でもかんでもヒミツだ。自分のことはあまり話してくれない。面白くない。
「時給いくら貰ってんの?」
「5000円」
「ご、5000円!?」
「潤は俺に甘いから、そんなに貰えないって言ってんのに時給を上げてくれたんだよ」
 潤のことは名前呼びなのに新のことは未だに五十嵐先生呼び。新と呼べと言ったのに。そんなに名前で呼ぶのが嫌なのか。
 新はむっとむくれる。
「先生。自分の食べたご飯はちゃんと水に浸してよ。この前、米粒カピカピで大変だったんだからな」
「……はい」
 葵はパタパタと小走りで洗濯物を干しに行った。朝から元気だなと目で追いながら思う。
 葵は大学生でこの後、学校に行く。葵が学校に行った後、一眠りでもしようと新は考えていた。
 コーヒーを飲んでいた時だった。
「新。言い忘れてたけど、今日この後、賢さん来るから」
 新は思わずコーヒーを吹き出しそうになった。朝と夜は葵。昼間は上杉。新の気が緩む時間はないらしい…。
「新にお願いがあるんだけど、賢さんが来たらこれ渡しててほしいんだ」
 葵は紙袋をテーブルの上に置いた。
「なにこれ?」
「クロワッサン。賢さん、クロワッサン好きだから」
「僕には?」
「先生にもあるよ」
 皿の上に盛られたミニクロワッサンに新は目を輝かせる。
「じゃあ、よろしく」
 そういって葵は学校へ向かった。出口のドアが閉まったあと、新は皿の上からミニクロワッサンを一つ摘み口に運ぶ。サクッとした生地とバターのしょっぱさと上に塗られているシロップが甘くて美味しい。
「うまっ」
 また一つ、また一つと口に運び、皿の上のクロワッサンはあっという間になくなった。新が目を向けたのは葵が上杉のために用意した紙袋だ。
 新は紙袋をそっと開ける。中を覗くと大量のミニクロワッサンが入っていた。
 一つくらいバレないだろう。新は一つクロワッサンを取り出し、パクっと食べた。
 もぐもぐ、パク、もぐもぐ、パク…。
 気がつけば紙袋の中に入っていたクロワッサンは空になっていた。
「……やばい…」
 あまりにも美味しすぎて食べ過ぎてしまった。どうにかして誤魔化せないものかと必死に考えていると、ピンポーンと来客を知らせる電子音が鳴った。
「おはようございます」
 ガラガラと玄関の引き戸を開ける音がした。上杉が来てしまった。新は急いで後ろに紙袋を隠した。
「やあ、上杉。早かったね」
 居間に来た上杉はキョロキョロとなにかを探している。
「先生。一ノ瀬くんから紙袋を預かりませんでしたか?」
「ナンノコト?」
「クロワッサンを作ったから、お昼食べてと言われたんですが……」
「クロワッサン? さあ?」
 新はとぼけた様子をみせた。すると上杉が新の顔をじぃと見つめ、途端不機嫌そうに眉を寄せた。
「……あたな。その口元に付いているカスはなんですか?」
 しまったと口元を拭うが、カスなどついていない。慌てていたせいで、後に隠していた紙袋も一緒に出してしまい、ひょいと上杉に奪い取られる。中身を見た上杉がから怒りのオーラが漂う。
「食べたんですか?」
「………美味しかったから」
「あなたって人は人の食べ物を食べてはいけないと子どもの頃に習わなかったんですか⁉︎」
 たかがパン。されどパンと言ったところか、大好物のパンを新に食べられ原稿を忘れた時以上に怒る上杉に新はひぃと言いながら縮こまる。
「まったく、あなたという人は。私がどれだけこのパンを楽しみにしていたと思ってるんですか‼︎」
「そんな怒るなよ‼︎ 葵にまた作ってもらえばいいじゃん‼︎」
「一ノ瀬くんも学業やらあなたの世話で忙しいんですよ。頼めるわけないでしょ。食いしん坊の元へ一ノ瀬くんをやったのは間違いでした」
 食いしん坊で悪かったな、と新むすっとする。
「クロワッサンの件はよしとしましょう。その代わり、死ぬほどいい作品を書いていただきますからね」
 上杉は新の手を掴み、書斎部屋を強引に押し入れ椅子へ座らせた。
「いいですか。今日中に原稿を終わらせてください。原稿が終わるまでここから出しません」
 血の気がさっと引いた。
「えっ、でも、この原稿は明後日までだって……」
「気が変わりました。明後日までというとあなたは明後日ギリギリまでかかって仕上げるでしょう。クロワッサン食べたんですから、明日の朝までなにも食べなくても平気ですよね」
 クロワッサンの怨念強ぇ…。
 本当に上杉はトイレ以外、外には出してもらえず、いつもよりキツい目つきで新を見張る。新は半ベソをかきながら執筆をした。
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