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2話

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 チュンチュンと雀の鳴き声で目が覚める。大きなあくびをし、背伸びをする。時計を確認すると短い針は朝の6時を指していた。
「……んー。さむい…」
 隣でもぞもぞと動く同居人兼バイトの雇主である碧人は、190cmもある体を小さく丸め布団に包まっている。碧人を起こさないように蒼太はゆっくりと立ち上がった。
 蒼太の一日は朝食作りから始まる。昨日買った鮭の切り身を2つ魚焼きグリルで焼く。魚を焼いている間に片手鍋に水を入れ、コンロに火をつける。適当に切った揚げ豆腐となめこを入れ、ほどよく煮立ったところで出汁と味噌を入れ、最後に小口切りした長ネギを入れる。
 冷蔵庫から卵を4つ取り出し、ボウルの中に入れて塩と少し多めの砂糖で味付けをする。卵焼き用フライパンに薄く油を入れ、余分な油はキッチンペーパーで拭き取る。ボウルでよくかき混ぜた溶き卵の半分量を卵焼き用フライパンの中に流し込む。程よく固まってきたらクルクルと巻く。一つ出来上がったところで、もう一つの卵焼きを作る。2つ卵焼きを作るのは、弁当用である。甘い卵焼きを気に入った碧人は朝昼卵焼きが食べたいと蒼太に要望した。それ以来、毎日卵焼きは毎日朝食用と弁当用として多めに作っている。
 弁当箱を2つ用意して炊き立てのご飯を入れる。おかずのスペースには、卵焼き、作り置きしている金平ごぼう、昨日の夕食の残りである南瓜の煮付けと鶏の唐揚げ、彩りとしてプチトマトとブロッコリーを綺麗に盛り付ける。
 2人分の弁当が出来上がったところで焼いていた鮭の切り身と卵焼き2切れを皿に盛り付ける。お椀に炊き立てのご飯をよそい、汁椀に味噌汁をよそう。
 朝食の準備が整ったところで碧人を起こしにいくのだが、ここからが毎朝苦労する。
 大人で完璧そうに見える碧人にも欠点はある。碧人は朝起きることが大の苦手である。
 引き戸を開けて布団に丸まる碧人を揺すり起こす。
「碧人。ご飯できたよ」
 声をかけるが反応はない。もぞもぞと動くあたり、起きてはいるようだ。
「はやくしないとサカキンがくるぞ」
「あと5分…」
「またご飯食べれずに連れて行かれるよ」
「それはイヤ」
 布団からムクッと起き上がった碧人は眠い目を擦りながら、大きな欠伸をする。髪の毛はボサボサであちこちに寝癖がついている。蒼太は手ぐし寝癖をなおすが、またぴょんとはねる。
「はやく顔洗って」
「……ん」
「あと30分でサカキン迎えにくるって」
「わかった」
 ゆっくりと立ち上がった碧人はのそのそ歩きながら洗面台に顔を洗いに行った。顔を洗ってリビングにやって碧人は、丸い食卓に用意された食事の前に座った。2人でいただきますをする。
 碧人は箸で卵焼きを挟むと、食べるわけでもなくいろんな方向から眺めている。
「なんかいいよね。卵焼きって、卵巻いてますって感じでさ」
「……は?」
 よくわからないが、碧人は家庭的な料理が好きらしく、よく食べる前に眺めている。この前はレンコンの煮物を眺めながら「レンコンって田舎って感じでいいよね…」と呟いていた。そんなことしているからあっという間に時間が経ち「ぐずぐず食べるな」と榊に怒られるのだ。
「はやく食べないとサカキン来るよ」
「わかってるよ」
 急かすように食べさせて食器の片付けをする。蒼太が片付けをしている間に碧人はボサボサの髪をワックスで整え、高いスーツに袖を通す。スーツを着た碧人は社長って感じに見える。
「蒼太。今日からバイトだよね?」
「うん。学校終わってから来るよ」
「着いたら連絡して。迎えに行くから」
「わかった」
 今朝早起きして作った弁当を持たせ、碧人は榊が運転するホワイトカラーのロールスロイスに乗り出勤していった。
 
 

 
 
 バイト初出勤の日。蒼太はそびえ立つ高いビルを見上げる。見上げるだけで首が痛くなるほどの高いビル全部が碧人の会社である。こんなデカい会社でバイトするなんて思ってもみなかった。
 自動ドアが開きビルの中に入る。大勢の人々がビルの中を行き来している。碧人から着いたら受付嬢に声をかけてと言われていたため、入り口近くにいる受付嬢に声をかけた。
「社長がもうすぐ来られるそうなので、もう少々お待ち下さい」
 受付嬢はにこりと笑う。会社の顔というだけあり美人である。
 5分ほど経ち、蒼太の名前を呼ぶ声がした。声がしたほうを向くとひらひらと片手を振り碧人がこちらへ歩み寄ってきた。
 家でのボサボサ頭は何処へやら。高そうなスーツを着こなし、見るからにデキる男である。
 受付嬢は席を経ち、綺麗な笑みを浮かべながら碧人に歩み寄る。
「社長。ネクタイ曲がってますよ」
「気づかなかった」
「直しますね」
 受付嬢は碧人のネクタイに手をかけ曲がっている部分を直す。
「ごめん。ありがとう」
 ネクタイを直しても離れようとしない。受付嬢はスーツの袖をちょこんと掴む。
「この間の夜は楽しかったですね」
「あぁ…1ヶ月前のね…」
「私、あんなに優しくされたの初めてでした」
 受付嬢は頬を褒める。
「あぁ…そう…」
 碧人は気まずそうに目を泳がせた。
 受付嬢は潤んだ瞳で碧人を見上げる。
「今度はいつ会えますか?」
「しばらく忙しくて無理なんだ。残念だね」
「そうですか。ではまた、連絡待ってます」
 受付嬢からは無数のハートが飛び交っているように見える。受付嬢が碧人に好意を持っているのは明らかだった。
 受付嬢が持ち場へ戻ると蒼太はこそっと碧人に話しかける。
「いつも家でダラダラしてるのに、あの人の誘い断っていいの?」
「いいんだ」
「ふーん」
 碧人が家に来てから数日後、いつの間にかテレビとブルーレイレコーダーが家にあった。最新モデルらしいテレビとブルーレイレコーダーは、古びた家にそぐわないほどの代物。さらに翌日、ブラウンのソファーまで購入していた。碧人は家に帰るとすぐに高いスーツを脱ぎ捨て部屋着に着替える。そしてブラウンのソファーに蕩けるように雪崩れ込み、DVDを見るのが日課。蒼太は碧人が脱ぎ散らかしたスーツを拾い上げハンガーにかけることが習慣になった。
 最近は蒼太が進めたコーラとポテチを食べてDVDを見るのが好きらしい。蒼太が教えるまで碧人はコーラもポテチも食べたことがなかったと言っていたことに驚いた。
 それにしても、あんな綺麗な人からの誘いを断るなんて勿体ない。碧人のことだからあのレベルの美女からの誘いなど日常茶飯事なのだろう。一緒に買い物行ったときのモテっぷりは凄かった。碧人が通ると買い物中の主婦たちは次々と振り向き、会計しているときはレジのお姉さんの目がハートになっていたのを覚えている。
 やはり碧人はモテるらしい。
 
 碧人に案内されたのは5階にあるフロア。このフロアだけで何十人の人がいるのだろうか。パソコンで何かを入力している社員、コピーをしている社員、忙しくく歩き回っている社員もいる。
「ここは企画制作部。今日から蒼太にはここで働いてもらうよ」
「じゃあ、俺も企画したりすんの? 俺、企画とか向いてないんすけど…」
「大丈夫。コピーしたり書類を作ったりデータを入力したりする簡単な仕事だから安心して。慣れるまでの間、蒼太に教育係をつけるから」
 碧人は周りを見渡し目当ての人物を見つけると「けい」と名前を呼んだ。
 
(恵さんか。いい名前だ。きっと、綺麗な女の人なんだろうな)
 
 そんな期待はすぐに打ち砕かれた。目の前に現れたのは自分と同い年くらいの男だった。すらりとした長身。清潔感のあるダークブラウン。整った容姿をしているが綺麗な顔立ちからか無愛想な印象を受けた。
「……男」
「あ?」
 男は不機嫌そうに眉根を寄せた。
 しかも短気っぽい。
「名前で女の人に間違われるけど、れっきとした男だ」
「……見ればわかる」
「彼はうちでバイトして長いし、蒼太と同い年だから何でも気がれなく聞くといいよ」
「鳳条さん、俺、断りましたよね?」
「そんなこと言わないでよ。臨時ボーナスあげるから」
 お願い、と碧人は手を合わせた。
「……わかりました。今回だけですよ」
「流石だね~。よろしく頼むよ」
 碧人は「じゃあ、僕これから会議だから」と、ひらひらと手を振りフロアを出て行った。
 恵はため息を吐き、「振り回されるこっちの身にもなれよ」と小言を漏らした。
「あー、えっと…よろしくお願いします」
「別に敬語いらないから。年近いだろ?」
「17歳」
「同い年だ」
「じゃあ、よろしく」
「うん」
 最初は無愛想な男だと思っていた男だが、話してみると案外面倒見がいいことがわかった。
 口は悪いが仕事は丁寧で教え方はうまい。同い年ということもあるが、フレンドリーで誰からも好かれる性格である蒼太に恵が心を開くのは案外早かった。恵は碧人の昔からの知り合いらしい。恵は事情があり今は実家を離れている。恵の複雑な家庭の事情を知っている碧人が恵に声をかけ、今バイトとして雇ってもらっているらしい。時給はいいし、学校の都合に合わせてシフトの希望を通してくれるらしいが、大したようもないのに恵にうざ絡みしたり、その日の気分でコロコロ仕事内容の変更する気まぐれさにイライラすることも多いらしい。
「お前、あの人とどこで知り合ったんだ?」
「夜の飲み屋街」
「……あの人、ついに未成年にまで手を出したのか」
「違うって。ナイフで襲われそうになってたから助けたんだよ」
 恵は呆れたようにため息を吐く。
「あの人、いつかは刺されるんだろうなって思ってたけど、まさか本当に刺されそうになってたなんてな」
「俺もよくわからないけど、逆恨みっぽかったけど……」
「あの人のことだからまた恋愛トラブルに巻き込まれたんだろ」
 蒼太は恵の「また」という言葉が引っかかった。
「碧人ってそんなにトラブル多いの?」
「遊び人だからな。それ抜きなら尊敬できるところも多いんだけど」
「そうなんだ」
「あんまり親しくなり過ぎるなよ。あの人、性別年齢関係なく手出すから」
「一緒に住んでるけど、そんな感じになったこと一度もないけど…」
 蒼太の爆弾発言に恵は切れ長の目を丸くした。
「……あの人と一緒に住んでるのか?」
「住んでるけど」
「……なにか弱みでも握られてるのか?」
「別になにも」
「あの人が他人と住めるなんて……」
「失礼だな。僕だって人と住めるよ」
 いつからこのフロアに来たのだろう。いつの間にか碧人が蒼太と恵の背後にいた。
「気配消して背後に立つのやめて下さいって何度言ったらわかるんですか」
「そんなにツンツンしてたら血圧上がっちゃうよ」
「誰が怒らせてると思ってるんですか」
「僕」
「わかってるならやめて下さい」
「僕、性格悪いから人が嫌がることしちゃうんだよね」
「最悪なクソ野郎だな」
 ムキになる恵を碧人は面白おかしく茶化す。碧人の目は優しく、恵が可愛くて仕方がないように見える。まるで兄弟のようだ。
 
(この2人って、なんだかんだで仲がいいんだな)
 
 蒼太は兄弟喧嘩をしているような2人の様子を微笑ましく眺めている。
「サボりに来たなら榊さんに言いつけますよ」
「サボりじゃないよ。蒼太に用事があってきたんだ」
「俺?」
「今日、早く帰れる予定だったんだけど急遽やらないたいけない仕事が入ってね。長引きそうだから先に帰ってて」
「遅くなりそう?」
「うん。でも、晩ご飯は家で食べるから」
「じゃあ、肉じゃが作って待っとくよ」
 肉じゃがと聞き、碧人の空色の目が輝く。
 前々から碧人は肉じゃがを食べたいと言っていた。碧人が知っている料理の中で肉じゃがが一番ポピュラーな家庭料理らしく、碧人が食べたい家庭料理ランキング堂々の1位が肉じゃがである。
「肉じゃが楽しみにしてるよ」
 碧人は蒼太に微笑みかけ頭を撫でる。髪を撫でる手が優しく嫌な気はしない。碧人は蒼太の作るご飯をなんでも美味しいと褒めてくれるため、食事の作り甲斐がある。
 突然、頭を撫でる手が離れた。見ると恵が碧人の手を払い除けていた。
「セクハラですよ」
「頭撫でただけじゃん」
「目線と触り方がいやらしかったんで」
「いやいや。さすがに未成年には手は出さないから」
「信じられません」
 恵は蒼太を自分の背中に隠し碧人から離す。
「佐々木に必要以上に触らないでください。榊さんに言いつけますよ」
「別にいいよー。一緒に住んでるし、家に帰ったら恵のいないところでイチャイチャするもんねぇ」
「その時は容赦なくあんたを警察に突き出します」
「セコムかよ」
 碧人は苦笑いする。
「碧人は俺にそんなことしないよ」
「……蒼太」
「だって、碧人モテモテだろ。受付の美人の姉ちゃんともいいかんじだったし。俺なんか眼中にないって」
 蒼太の言葉を聞き、恵は氷の様に冷たい視線を碧人に向ける。碧人は誤魔化す様に視線を逸らし、態とらしく目を泳がせている。
「……あんたあの受付嬢に手を出したんですか?」
「向こうからグイグイきたし、出来心でつい……」
「ついって…。ややこしくなるから社員には手を出すなとあれほど榊さんから言われてたでしょ」
「榊には黙っててね」
 いい大人が可愛らしくお願いポーズをする。
「面倒くさいことになっても知りませんからね」
 恵は深いため息を吐きながら、碧人を軽く睨みつけた。
「無駄話が過ぎたね。じゃあ、僕はもうひと仕事あるから。蒼太の肉じゃが楽しみにしてるよ」
 碧人はひらひらと手を振り、フロアの出入り口から出て行った。
「やっぱり、碧人ってモテるんだな。恋人とかすぐできそう」
「あの人、特定の恋人は作りたがらないからな。恋人はいないけど、夜の相手は結構いるらしい」
 夜の相手か。蒼太にとって未知な世界の話だ。そりゃ、あれだけ容姿が整っていれば、女は放っておかないだろう。
 蒼太は今朝の受付嬢を思い出した。

(あの人とも、そういうことしたんだろうな)

「大人だな」
「どこがだよ。逃げてるだけだろ」
 逃げているという言葉に疑問を抱き、蒼太は小首を傾げた。
「人と深い関係になるのを恐れてるんだよ。あんなにふざけてチャラチャラしてても、トラウマみたいなモノは抱えてる。怖いんだよ。深い関係になって、見放されるのが」
 恵と碧人は長い付き合いであり、蒼太よりも碧人のことをよく知っている。一緒に住んでいても碧人は、人嫌いなところは見せない。いや、見せないのではなく、見せないようにしていると言った方が正しいのだろうか。
「見た目はいいし、あんな感じの人だからすぐ人に好かれるんだけど、相手に深い関係を求められると途端に冷めるらしい」
「へぇ」
「だから恋愛が長続きしないし、あの人に泣かされた人を何人も知ってる」
「……なんか意外。碧人って結構寂しがり屋なのにな」
「育った家庭環境がよくなかったし、その影響もあるんだろう」
「……そうなんだ」
 蒼太の両親は幼い頃に事故で他界した。それまで愛情いっぱいに育てられ、突然2人ともいなくなったときの喪失感は凄まじいものだった。
 でも、蒼太には祖父がいた。厳しい祖父だが、亡くなった両親の分まで愛情を与えてくれた。祖父がいたから蒼太は立ち直れた。
 
(碧人のそばには誰がいてくれたんだろう……)
 
 蒼太には碧人が未だに幼い頃の苦痛を抱え苦しんでいるように見えた。
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