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第一章 -ゲームの始まり-

第8話 11月13日

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 放課後、小春たちは病院へ赴き、緊急搬送された陽斗を見舞った。

 医師によれば、発見されたのは路上だったが、溺水状態だったそうだ。

 現在も意識は回復していない。

「魔術師の仕業だよな」

「……でしょうね。路上で溺水なんてありえない」

 確かめるような蓮の言葉に琴音は頷く。

 この場にいる全員が同意見だった。

「溺れたってことは、前に陽斗くんが言ってた人が怪しいかな? 早坂瑚太郎くん」

 小春は真面目な声色で言った。

 水魔法のコピー元であるという彼が、自ずと犯人候補の筆頭となるだろう。

「そうだろうな。単独かどうかは分からないが」

 慧が頷くと、奏汰は首を傾げて尋ねる。

「それって、早坂が如月冬真たちとも関係あるかもってこと?」

「その可能性も当然ある」

「関係ないとしたら、あっちからもこっちからも狙われて大変だな」

「……他人事じゃないよ、蓮」

 肩を竦めた蓮に奏汰は苦い表情を浮かべた。

 慧も謹厳な面持ちでメガネを押し上げる。

「如月の手先だとしたら、桐生は何故言わなかったんだ? ……もしや、桐生はまだ如月と切れてないんじゃないか」

 二重スパイを疑った慧だったが、蓮は反論した。

「いや、それにしては喋り過ぎだろ」

 端的かつ妥当な言葉だった。

 大雅は自身や冬真、律の魔法の全容だけでなく、冬真の目的まで包み隠さず打ち明けていた。

 もともと冬真への忠心もないに等しかったのだ。

 そんな彼が冬真に肩入れするとは考えにくい。

「早坂が如月の手先と決まったわけじゃないしね」

「瑚太郎くんは、まったく関係のない、第三者の魔術師かもしれない」

 琴音に小春が続いた。

 陽斗が襲撃されたのがこのタイミングだったから、結び付けてしまうだけかもしれない。

 小春は顳顬に人差し指を当てた。

「大雅くん。ちょっと聞いてもいい?」

 全員に共有しておきたい情報だったため、小春は声に出しながら呼びかけた。

 程なくして大雅から返答があった。

『どうした?』

「早坂瑚太郎くんって知ってる? 陽斗くんを襲ったかもしれない魔術師なんだけど、もしかしたら、冬真くんの仲間なのかなって」

『いや……俺の知る限り、そんな奴はいねぇな。ただ────』

 頭の中に響いていた声が一旦途切れた。小春は黙って続きを待つ。

『ちょうどいいから、昨日言った“もう一人”……そいつについて説明しとく。全員聞けよ』

 大雅は小春と一対一でのやり取りから、全員にテレパシーを送るように切り替えた。

 ここにいる面々と、この場にいないアリスにも大雅の声が届く。

『そいつの名前は“ヨル”。当然それは通称だけど、本名も魔法も分かんねぇんだ』

 それを聞いた全員の顔に戸惑いの色が浮かんだ。

 蓮が真っ先に疑問をぶつける。

「何で? 目合わせれば読み取れるんじゃなかったか?」

『ああ、でもそいつに関してはテレパシーを使っても

 ますます意味が分からない。

 各々が思わず視線を交わす。

『普通の人や魔術師は、目を合わせたときに見える頭の中が明るいんだ。でも、ヨルの頭の中は真っ暗で何も見えなかった。マジで、それこそ真夜中みたいに』

 説明している大雅自身も、それがどういうことなのか、何故なのかが分からず困惑しているのが分かる。

『前に一回会ったときにテレパシー繋げたけど、夜が明けたらもう切断されて連絡が取れなくなってた。こんな奴、他に見たことねぇよ』

 どうやら大雅がヨルと会ったのは、その一度きりのようだった。

 ────ヨルは陽斗以上の戦闘狂で、夜な夜な魔術師を殺して回っていると冬真から聞いている。

 ただし、その目的は魔法の奪取ではなく、単純な“殺し”。

 その上、性格は粗暴で短気、気まぐれで自分勝手。

 冬真も手を焼いているとのことだが、現状は戦闘要員として役立つため生かしているようだ。

『……たぶん冬真たちは、そいつの素性も魔法も知ってると思う』

 いつも真っ先に、大雅にそれを調べさせるくせに、ヨルのことは“分からない”で通ってきているのだから。

 把握しているからこそ生かしているのだろう。

『瑚太郎だけじゃなく、ヨルにも警戒してくれ』

「ああ、分かった」

「……ねぇ、とりあえず早坂瑚太郎に接触してみるのはどう?」

 琴音は大雅とこの場にいる面々に提案した。

「ヨルのことは分かりようがないけど、早坂のことなら探れるんじゃない?」

「確かに、会おうと思えば……」

 奏汰が言った。

 陽斗から瑚太郎の素性は聞いているため、会うことも難しくはないだろう。

「そうしたいけど、どうやって? もう放課後だし帰っちゃってるかも」

「簡単だろ」

 小春が案ずると、慧は毅然と断言する。

 陽斗の荷物の中からスマホを取り出すと、人差し指を拝借し、勝手にロックを解除してしまった。

「おいおいおい……」

「これで早坂を呼び出す。その反応も見たいしな」

 蓮の抗議に構わず、慧はメッセージアプリから瑚太郎に連絡を取る。

 すぐに瑚太郎から反応が返ってきた。慧は画面を掲げる。

【なぁ、今から会えるか?】

【あれ? 陽斗、意識戻ったの? 大丈夫?】

【うん、もう平気だ。それについて話があってさ】

【了解、病室教えて。今から向かう】

 陽斗を模した口調のメッセージに、瑚太郎は一切不信感を抱いていないようだ。

 入院については恐らく担任から聞いていたのだろう。

「余裕そうだな。トドメでも刺しに来るつもりか?」

 陽斗の無事と意識回復にさほど驚いていないように見える。

 誘ったのはこちらだが、病室に乗り込んで今度こそ息の根を止めるつもりかもしれない。

「心配ない。多勢に無勢だ」

 慧は言いながら、瑚太郎に病室を教えた。

 彼が一人で勢い込んで来ても、こちらには五人もいる。いざというときは問題ないはずだ。

『……探るのはいいけど、安易に信用すんなよ。俺がまでは』

 おもむろに大雅が言った。

 例えば瑚太郎が欺こうと嘘をついても、大雅にだけは通用しない。言わば保険だ。

「ああ、分かってる。頼むぞ」

『おう。近いうちにな』
 
 本当であれば大雅もこの場へ来たいところだが、冬真たちの目もあり、大雅は迂闊に動くことが出来なかった。



 そうこうしているうちに、病室の扉が控えめにノックされた。

 瑚太郎が来た。誰もが察し、険しい表情を浮かべる。

「入っていいぞ」

 あっけらかんと蓮は言った。

 戸惑うように少し間が空いてから、扉がスライドされる。

 一人の男子高校生が姿を見せた。

「あれ……? えと」

 瑚太郎がぱちぱちと瞬きを繰り返し、この場にいる面々を見やった。

 そして目を閉じたままの陽斗に気が付き、困惑したように眉を寄せる。

「君たちは誰? 僕、陽斗から連絡貰ったんだけど……。意識、戻ったはずじゃ────」

「白を切るつもりかしら。彼をこんなふうにしたのは、紛れもなくあなたじゃない」

 琴音は腕を組んで瑚太郎に厳しい視線を注いだ。

 それぞれが似たような表情を湛えたが、当の瑚太郎は心底困り果てたような顔をしていた。

「ちょっと待って。どういうこと? 陽斗は事故って聞いてるけど違うの? 僕が何かしたって……?」

 狼狽える瑚太郎の様子に、小春は思わず蓮と視線を交わした。

 思っていたのとはかなり印象が違う。

 瑚太郎は見るからに気弱で臆病そうに見えるが、本当に陽斗を襲った魔術師なのだろうか。

 生き永らえた陽斗にトドメを刺しに来たようには、さすがに見えない。

「路上で溺れた。……お前の水魔法によってな」

 慧は高圧的に言った。瑚太郎の瞳が揺れる。

「僕の魔法……」

 “魔法”という非現実的なワードに驚いたわけではなさそうだ。

 魔術師であることを隠す気はないらしい。尤も、陽斗から聞いている以上、誤魔化しようはないのだが。

 瑚太郎は困惑したような表情を浮かべた。

「僕が陽斗を襲うはずないよ」

「あら、結果が物語ってるじゃない」

「でも違う、僕じゃない!」

 かぶりを振って訴える。

 真剣な眼差しで各々を捉えた。

「……よく分からないけど、君たちも魔術師なの?」

「そうだ、陽斗の仲間だぞ。だからこそ、こいつをこんな目に遭わせた犯人に怒ってんだ」

「本当に瑚太郎くんの仕業じゃないの……?」

 蓮に小春が続いた。

 瑚太郎は小春の言葉に強く頷く。

「うん、僕じゃない。信じて」

 吟味するように瑚太郎の目を見据えたり、顔を見合わせたりと、どう捉えるべきかそれぞれが思い悩んだ。

 瑚太郎が真実を口にしているとしたら、どういうことなのだろう?

 陽斗が水魔法に倒れたのではない、とは考えにくい。同じ魔法が同時に存在することがありうるのだろうか。

「あの、それで……陽斗の意識は戻ってないの?」

 おずおずと瑚太郎は尋ねた。

 頷いた慧はメガネを上げ直す。

「ああ、悪い。あのメッセージは、お前を誘い込むために僕が送ったものだ」

「見ての通り、甲斐くんは眠ったままだよ」

 奏汰が肩を竦めた。その視線につられるように、瑚太郎も陽斗を見下ろす。

「そっか……。本当にごめん、陽斗」

 その言葉に琴音は顔を上げた。

「どういうこと? やっぱりあなたが襲ったの?」

「あ、いや……。水魔法なんだとしたら、何か他人事とは思えなくて」

 瑚太郎は陽斗襲撃については否認の態度を貫くつもりのようだった。

 引っ掛かりは覚えるものの、悪意は感じられない。

 各々がそんな印象を抱いたとき、瑚太郎は全員に向き直った。

「皆は僕についてもう知ってるかもしれないけど、改めて……僕は早坂瑚太郎っていいます。陽斗と同じクラスで、水魔法を持ってる」

 そんな自己紹介の最後の部分に、蓮は思わず後ずさった。

 陽斗のコピーによる水魔法を目の当たりにしたときのことを思い出しているのだろう。

 “天敵”という事実を再認識した。

「そんな露骨に避けんでも……」

 何処からか聞こえた関西弁に周囲を見回せば、小春の鞄から顔を覗かせたアリスが苦笑していた。

「いたのかよ」

「いつの間に……」

 蓮と小春が驚いていると、アリスはベッドの上に飛び降りる。

「あ、話の腰折ってごめんな。ぜんぶ聞かせて貰ったわ。あたしは有栖川美兎、アリスでええよ。ほんで、この子は────」

 アリスはこの場にいる全員の名前と魔法を、慧たちの制止も無視し、瑚太郎に明かしてしまった。

 特に蓮は、瑚太郎が信用に値するか分からない今、弱点を隠しておきたかったのだが、アリスは自分勝手なマイペースさを発揮していた。

「おい、お前……」

「火炎魔法ってことは────」

 瑚太郎は呟く。その先を口にはしなかったが、何を閃いたかはすぐに見当がつく。

 蓮が警戒の色を深めると、予想に反して瑚太郎は穏やかに笑った。

「そういうことなら大丈夫。僕は蓮くんも、皆のことも襲わないから。もちろん危ないときには助ける。力になれるかは分かんないけど……」

 そんな瑚太郎の言葉に安堵した小春が口を開こうとすると、それを阻むように慧が「いや」と言った。

「現状、お前は信用出来ない。口だけなら何とでも言える」

 冷淡に突き放した慧の“信用”という言葉に、小春ははっとする。

 大雅がそう言っていたのをすっかり忘れてしまっていた。

「あ、そうだよね。……ごめん」

 瑚太郎は申し訳なさそうに俯き眉を下げる。

 慧の言い分はきっと正しいのだろうが、小春は何だか心が痛むような気がした。

 瑚太郎だって、悪意があって嘘をついていると決まったわけではないのだから。

「とにかく、早坂の処遇についてはあいつと会わせてから決める。それでいいか?」

 慧はあえて大雅の名を伏せた。

 瑚太郎が“黒”なのであれば、同じ学校ということもあり、大雅を特定し次第襲撃に向かうかもしれない。

「そうね、賛成よ」

 琴音は頷いた。他の面々からも反論は出ない。

 だが、小春の心には再び靄が広がっていた。

 結果的に瑚太郎が嘘をついていたとして、陽斗を襲ったのも彼だと判明したら、その際はどうするつもりなのだろう。

 以前、気絶した陽斗を「殺せ」と言った慧の冷酷さを思い出す。

 同じ選択をするつもりかもしれない。

(それで、いいのかな……?)

 明らかに正常な判断力を失っているようにしか思えない。ゲームという前提がなければの話だが。

 俯いた瑚太郎の憂うような表情が、小春には強く気にかかった。



*



 夜が更け、影のような灰色の雲が月を半分覆い隠す。

 星ヶ丘高校の屋上で、大雅の無事を知った瑠奈は、深く安堵の息をつきながら目に涙を滲ませた。

「よかった……、死んじゃったかと思った。何処に瞬間移動させられたの? 大丈夫?」

「ああ、どっかの路地裏。マップアプリ使って帰って来た」

 淡々と嘘をつくが、瑠奈は無論、冬真や律にも疑う素振りはない。

「でもひどいよ、二人とも。大雅くんの無事を知ってたなら教えてくれてもいいじゃん。あたしのせいかもってずっと怖かったのに……」

 冬真は苦笑した。傀儡の律が言葉を紡ぐ。

「ごめんごめん。僕とは一緒の学校だからいち早く知れただけだし、別に隠してるつもりもなかったよ」

 大雅は目を細め、冬真を見据えた。……嘘だ。

 瑠奈から連絡を受けた冬真はすぐさまテレパシーで大雅の無事を確認していたし、瑠奈にその事実を伝えなかったのもわざとだ。

 結局のところ冬真は、根本の部分では瑠奈を信用していない。

 彼女が琴音と共謀し、大雅を潰そうとした線も追っていたのだろう。

 それだけ疑い深い冬真であれば、実際には大雅のことも何かしら勘づいているかもしれない。

「だけど不覚だったなぁ。用があるのはお仲間の方なのに、瀬名琴音に邪魔されるとはね……」

 冬真は律の声を借り呟く。

「邪魔だなぁ。……やっぱり殺すしかないか、先に」

 その言葉に大雅の表情が険しくなった。

 そうすることは分かっていたが、じわじわと忍び寄ってくる差し迫った緊迫感の気配を、改めて感じ取る。

「仲間が何人いようが、そいつらがどんな魔法持ってようが、操っちゃえば良いだけ。瀬名琴音を殺して、残りは皆僕の駒にしよう」

 嬉々として冬真が言う。

 笑っていても、その瞳は冷たく寒々しい。

「……待って」

 真剣な声色で瑠奈は制した。

「琴音ちゃんにはがある。殺るなら、私に殺らせて」

 自身を虚仮こけにした琴音への恨みは、日に日に増していく一方である。

 この手で捻り潰さなければ気が済まない。

 意気込む瑠奈だが、冬真は首を傾げた。

「大丈夫? また飛ばされて終わるんじゃない?」

「だ、大丈夫! 同じ徹は踏まないから!」

 瑠奈が懇願すると、少しの間黙っていた冬真はやがて頷いた。

「……分かった。まぁそこまで言うなら君に任せるよ」

 大して期待していないような、熱のない言い方だったが、瑠奈は顔を綻ばせた。

 瑠奈としては復讐の機会を得られるだけで充分なのだ。

 琴音の忠告通り、仕損じれば次はないだろうが。

 ────しかし、冬真はどういうつもりだろう。

 大雅は思案した。

 成功するか失敗するか、おおよそ後者の可能性が高そうなのに、何故瑠奈に機会を与えるのだろう。

 訝しんだものの、失敗してくれるならそれに越したことはないため、大雅は口を出すのをやめた。



 隙を見て少し離れると、顳顬に人差し指を当てる。

『皆、聞け。瑠奈が琴音の命を狙ってる。……気を付けろ、他の奴も冬真に操られる危険がある』

 仲間たちに迫る危機を伝えた瞬間、ぽん、と肩に何かが触れた。

「大雅」

 冬真の手だった。

 息を飲み、呼吸を忘れる。心臓が早鐘を打ち、瞳が揺れた。

「誰に何を伝えたの?」

「……!」

 振り向かない大雅の正面に冬真は回り込んだ。

 微笑みは氷のように冷淡で、眼差しは射るように鋭い。

 大雅の行動にさして驚いていないところを見ると、やはり勘づかれていたのかもしれない。

「悪い子だね。僕に逆らうつもり?」

 不意に冬真の顔から笑みが消えた。

 律を介して「瑠奈」と呼び掛ける。

「大雅の脚を固めろ」

 瑠奈は戸惑う素振りを見せたものの、ほとんど反射のように石化魔法を繰り出してきた。

 逃げ損ねた大雅の両脚が石化し、その場から動けなくなる。

「くそ……っ」

 どうやら、瑠奈は既に冬真により絶対服従の術をかけられているようだ。

 音もなく歩み寄ってきた律が、大雅の両腕を拘束した。

「離せ!」

 大雅は暴れて抵抗したが、脚を動かせないためにほとんど意味を成さなかった。

 冬真は大雅を見下ろし、そっと顎を掬う。

 大雅はすぐさま顔を背けたが、今度は乱暴に掴まれ、為す術なく従った。

「嫌でも従わせてあげる。さぁ、目を逸らさず僕を見ろ」

 大雅の抵抗も虚しく、冬真と視線が交わったまま五秒が経過する。

 それはすなわち、大雅にも絶対服従の術がかかったことを意味していた。

「……っ」

 呆然とする大雅が、最早無意味となった抵抗をやめると、傀儡の律は彼を解放した。

 冬真は満足気に頷く。その唇が弧を描く。

「よしよし、いい子だね……。そのままじっとしてて。逆心も忘れさせてあげるから」

 そう言うなり、律が大雅の頭に触れた。

 大雅は冬真の言葉に従わざるを得ず、微動だにしない。

 律は大雅の記憶を操作した。

 “命を狙われていると気付き、冬真たちを裏切った記憶”を消し“冬真に絶対の忠誠を誓っている記憶”を植え付けた。

 大雅が小春たちに接触したのは、裏切るためではなく、冬真のための情報収集が目的という記憶に書き換わった。

 また、つい先ほど、仲間たちに危険を知らせた記憶も消え去る────。

「瑠奈ちゃん、石化を解いてあげて」

「え……? あ、うん」

 目の前の光景に怯え切った瑠奈だったが、意思とは関係なく、気付けば冬真の言うことに従っていた。

 大雅の脚が元に戻っていく。

 ふら、とバランスを崩した彼は地面に崩れ落ちる。

「う……、あれ? 俺────」

 大雅は状況に困惑しながら、ずきんと痛んだ頭を押さえた。

(何してたんだったっけ……?)

「さぁ、二人とも。よく聞いて」

 冬真はにこやかに大雅と瑠奈を見やった。

 この夜の闇を、すべて吸い取ってしまったかのように、重く冷たい瞳で。

「瀬名琴音を殺して来い」

 律を介し、冬真は命令を下した。

 大雅と瑠奈は否応なく動き出す。
 屋上を後にし、校舎から出て行った。



 解放された律はその様子を上から眺め、ため息をつきつつ腕を組んだ。

「……胡桃沢の申し出をすんなり許した理由はこれだったか」

 冬真は首肯を意味する微笑を湛えた。

 最初から大雅のことも操作し、琴音殺害に向かわせるつもりだったのだ。

 愚かにも大雅は、自分だけが魂胆に気付き、冬真たちを欺いていると思い込んでいた。

 だからこそ、最終的に冬真に屈する羽目になる。

 ────実のところ、こうして律が彼の記憶を操作するのは、何も今回が初めてではないのである。

 大雅が仲間まで作っていたのは今までにないことだったが、そこに冬真の狙う琴音が含まれているのはむしろ好都合と言えた。

「如月……。いつまでこんないたちごっこを続ける気だ? 必要なのはあいつじゃなくテレパシーだろ。後戻り出来なくなる前に、桐生を殺してその能力を物にしておくべきだ」

 律の記憶操作は不完全であり、これまでも幾度となく大雅は消したはずの記憶を蘇らせてきた。

 実際に取り戻していたのか、単に都度逆心を抱いていたのかは分からないが、記憶操作はあくまで一時しのぎと捉えるべきなのだ。

 冬真はしかし以前も言っていたように大雅自身を気に入っており、今すぐ殺すには惜しいと考えていた。

 殺るか殺られるかのスリルを味わうことや、頭の回転が速い大雅をねじ伏せる優越感に浸っていたいのだろう。

 不都合が生じるたび何度もセーブデータをリセットしながら、同じゲームを遊び続けているというわけだ。

 冬真は律に向き直ると、ゆるりと首を左右に振った。

 “殺さないよ、今はまだ”────言葉はなくともそう言われている気がして、律は再びため息をつく他なかった。



*



 大雅より数歩引いたところを歩きながら、瑠奈は何度もその背に目をやった。

 屋上での様子が頭から離れない。

 ただでさえ、大雅が裏切っていたというのにも驚きなのに、冬真の行動は狂気的だった。

 もしも彼を裏切れば、記憶を操作された上で操られてしまうというのか。

 ただ殺されるより背筋が寒い。やることなすことが恐ろし過ぎる。

 あの優しげな微笑みの裏に隠している本性は、まさしく鬼畜そのものである。

「ね、ねぇ……脚、大丈夫?」

「あ? ……あー、そういえば何で石化してた?」

 当たり障りのない疑問をぶつけたつもりが、図らずも探るようになってしまった。

 本当に覚えていないのだ。記憶を失っている。

(そりゃそっか、魔法だもんね。やばいのは如月冬真だけじゃないんだ……)

「分かんない。あたしは冬真くんの言葉に従っただけっていうか、身体が勝手に────」

 瑠奈は嘘に事実を混ぜて答えた。

 大雅は「そっか」とだけ短く返し、訝しむように首を傾げている。

「あのさ、それより琴音ちゃんの居場所って分かるの?」

 下手に追及されないうちに、瑠奈は話題を変えた。

 深夜だし、大抵家にいると思われるが、大雅は念のため琴音とテレパシーを繋いだ。

「今、何処にいる?」

『……桐生? 家だけど。こんな時間にどうしたの?』

 琴音は起きており、予想通り自宅にいるようだ。

「いや、何でもねぇ。ただ、これからまずい状況になるかも」

 神妙な声色を作る大雅を、瑠奈は思わず窺うように見やる。

 記憶が残っているのか、あるいは取り戻したのかと思った。

『何かあったの?』

「俺の裏切りが冬真にバレた。何とか逃げてる状況だけど時間の問題だ。悪ぃけど、お前らの安全も保証出来ねぇ」

『そんな────』

 琴音が息をのんだ。

 瑠奈には琴音の返答こそ聞こえないが、大雅の堂々とした態度からは不安を感じない。

「とりあえずお前はそのまま家にいろよ。何かあったら、お前に頼むから」

 仲間に危険が迫っても琴音の瞬間移動を使えば回避の隙がある、という意味だ。

『分かったわ』

 そう受け取った琴音は凜として頷いた。

 顳顬から人差し指を外した大雅は瑠奈に向き直る。

「よし、これでひとまず琴音は自宅に拘束出来た」

 瑠奈は大雅の記憶が戻っていないことを確信したと同時に、その言葉に表情を緩めた。

「じゃあ琴音ちゃんの家に行けばいいってことだね」

 逃げも隠れも出来ない琴音を殺すことが出来る。

 嬉々とした瑠奈だったが、大雅は不意に方向転換した。

「あれ、何処行くの? 琴音ちゃん家ってそっち?」

「いや、逆。直接相見える前にやることがある」

「えっ?」

 瑠奈が困惑を顕にすると、大雅は両手をポケットに突っ込んだまま気怠げに振り向いた。

「じゃなきゃ二の舞になる。こっちが手出しする前に瞬間移動させられて終わり」

 瑠奈ははっとした。河川敷でのことを思い出す。

 すっかり油断し、警戒が薄れていた。

 いくら居場所を特定しても、彼女には一瞬で姿を眩ませる術があるのだ。

「お前……“同じ轍は踏まない”とか言っといて無計画なのかよ」

「だって! どうすれば────」

 ただ琴音を恨み、殺意だけを昂らせていた。

 その魔法をどうにかしなければ、結局勝ち目も見出せないのに。

 眉を寄せる瑠奈に対し、大雅は淡々と言ってのける。

「弱点を考えろ。あの類は体力消費も激しいし、肉体への負荷もでかい。だから……人質を取って、短時間のうちに連続使用させる」

 まさに理にかなった策だと瑠奈も思った。

 それならば確かに、反動により琴音を無力化出来る。

「人質って……琴音ちゃんの仲間?」

「ああ、俺は全員把握してる。あいつの瞬間移動を、俺たちじゃなく仲間に向けて使わせるんだ」

 どうやって、と尋ねようとして唐突に閃いた。

「そっか! 私たちから逃がすために、ってことだね」

「そういうことだ」

 瑠奈の言葉に大雅は首肯した。

 琴音には既に不安の種を植え付けている。布石は済んだ。

 大雅のことも信用しているため、何ら疑うことなく言う通りに動いてくれるはずだ。

「行くぞ。準備する」



 先導する大雅について歩けば、辿り着いたのは小春の家だった。

 瑠奈は死角に隠れ、大雅は門前から小春にテレパシーを送る。

「起きてるか? 今、お前の家の前にいる。ちょっと出て来られるか?」

 小春は突然頭の中に響いてきた大雅の声に驚いたものの、眠りにつく前でよかった、と安堵した。

 わざわざ家まで来るとは、余程の急用かもしれない。

 部屋着姿であることに気が引けたものの、待たせるわけにもいかず、小春はそっと階段を下りると玄関のドアを開けた。

 門前に大雅が立っているのが見え、小春は急いで門を開ける。

「どうしたの? こんな夜中に……」

 戸惑う小春に、大雅は躊躇なく手を伸ばした。

 その手を掴むと、じっとその目を見据える。

 驚いた小春はまじまじと大雅を凝視した。

「何……!?」

 混乱する小春だが、傍から見ていた瑠奈もまったく同じ気持ちだった。

 何のつもりなのだろう?

 そうこうしているうちに、瞠目していた小春の瞳から光が失われていくのが分かった。

 瑠奈はますます驚愕する。

(何が起きたの……?)

「おい、もういいぞ。出て来い」

 大雅は瑠奈に言った。

 はっとした瑠奈は恐る恐る大雅のもとへ寄る。

 立ち尽くす小春からは意思や感情を感じられない。まるで、冬真による傀儡のような────。

「何したの……?」

「言ってなかったな。俺も人を操れるんだよ」

 さらに驚く瑠奈に、大雅は説明した。

「冬真の傀儡とはちょっと違うぞ。あいつの場合、傀儡には意識がある。操られてる間の記憶もある。ただ自由が効かない操り人形になるんだ」

 目も見えているし耳も聞こえているのに、言葉も行動も思い通りにならないのだ。

「俺の場合、操られてる奴には意識も記憶もなくなる。当然操られてる間だけだけど」

 冬真による操作と比較すると、大雅の場合、操られている本人の目と耳は塞がっている状態になる。

 また、大雅の操作は魔法の応用という範囲であるため、かなりの反動が伴った。

 特に、操りながら彼または彼女が魔法を使用した際に最も大きくダメージを受ける。

「そんなことまで出来たんだ……。だったら、それで冬真くんたちを────」

 どうにかしたらいいじゃん、と最後まで言い切らなかったのは、なけなしの理性が働いたお陰だった。

 どうとでも出来るだろう。否応なく従う必要もなくなる。

 そう思ったが、それは口にしてはならない言葉だった。大雅は今、記憶を書き換えられているのだから。

「冬真たちが何だ?」

「あ、ううん。何でもない!」

 瑠奈は慌てて誤魔化しておく。

 下手なことを口走れば、次は自分が記憶を操作されてしまう。

 大雅は特に気に留めることもなく、本題へと戻った。

「あんまのんびりしてると俺の身体がもたねぇ。急ぐぞ」

 そう言うと、小春は蓮の家の方へ歩いて行った。



 大雅と瑠奈は付近に潜み、状況を見守る。

 操作された小春は蓮に電話をかけ、応じた蓮が先ほどの小春のように家から出てきた。

「小春、こんな時間にどうした? そんな格好で────」

「来て。冬真くんが皆の家を特定して狙ってるって」

「え?」

 小春の一挙手一投足、言葉の一つ一つは、すべて大雅が操作しているものだったが、蓮に疑う素振りはない。

「大雅くんから、急いで逃げろって!」

 眉を下げ、小春は不安気な表情で蓮を急かした。

「逃げるっつっても、何処に?」

「分かんないけど、ばらばらになった方がいいと思う。蓮は学校に行ってて」

「小春はどうすんだよ」

「私は飛びながら皆に知らせて、それぞれ安全なところに連れて行く」

 非常事態において、如何にも小春が言いそうな台詞だ。瑠奈はそう思った。

「待て、俺も一緒に……」

「私が同時に飛ばせるのは一人だけなの。私なら大丈夫だから」

 小春は自身の魔法の全容を知らないかもしれないが、大雅はテレパシーにより把握していた。

 彼女の魔法は自身だけでなく、他者を浮遊させることも可能だ。その場合、高度十メートル未満までという縛りはあるが、術者が触れていればそれ以上も到達可能である。

 そして今小春が口にしたように、同時に浮遊及び飛行させられるのは一人までだ。

「じゃあ、せめてこれ着とけ」

 蓮は羽織っていたパーカーを脱ぎ、小春の肩にかけた。小春は大人しくそれに袖を通す。

 肌寒い夜にそれでは心もとない気もするが、ないよりはマシだ。

「ありがとう」

「……おう」

 蓮は頷きつつ、小春にパーカーのフードを被せた。

 こうしておけば、誰かに見られる危険性も多少は下げられる。

「なぁ、大雅はどうした? あいつなら一斉に呼びかけられるはずだろ」

 蓮の言葉に瑠奈はぎくりとした。それは正論だ。

 わざわざ小春が飛び回らずとも、大雅なら一瞬で全員とコンタクトをとれる。

 しかし瑠奈とは対照的に、当の大雅は泰然自若としていた。

「たぶん、もう冬真くんに操られてると思う……」

「そっか、裏切りがバレたんだな。無事だといいけど」

 案ずるように言うと、蓮は続けた。

「俺も皆に電話してみる。分担しようぜ。ばらばらになるように、先に決めとこう」

 その申し出は大雅にとってもありがたいものであり、何より計算通りなものだった。

 小春を操作しながら一人一人の家を回っていたら、とても身体がもたない。反動に耐え切れない。

 かと言ってテレパシーを使うわけにもいかないため、蓮の提案は都合がいい。

 そして、小春を操ったのには蓮をそのように動かす意図もあった。

「分かった。じゃあ────」



 かくして、小春と蓮は動き出した。小春は羽根を使いつつ高速で飛行し、慧の家へ向かう。

 それを見届けた大雅は、頭を押さえながらその場に屈み込んだ。

「大丈夫?」

「ああ……、ちょっと疲れただけだ」

 頭痛に始まった反動は、さらに激しい動悸や息切れを連れてきた。

 脈打つたびに心臓が悲鳴を上げ、呼吸するたびに胸骨が軋むような気がした。

 この間も、操られている小春と自主的に協力してくれている蓮は着々と仲間たちを家から連れ出し、それぞれ異なる場所へ運んでいた。

 大雅が立ち止まっても、小春が魔法を使い続けている以上、身体はどんどん反動に蝕まれていく。

「……ねぇ、大雅くんが死んじゃうよ」

「心配いらねぇよ……」

 荒い呼吸を繰り返す大雅を見兼ね、瑠奈は言った。

 大雅は蒼白の顔で答えるが、とても平気そうには見えない。

 ────それでも反動に抗いながら、何とか事を成し遂げた。

 蓮は名花高校、奏汰は自宅、陽斗は動かせないためそのまま病室、慧は河川敷の橋の下、アリスは高架下にそれぞれ待機させておく。

 すべて、琴音が知っている場所だ。

 瑚太郎に関しては、大雅自身が会ったことがないため、自宅の場所も現在の居場所も分からなかった。しかし、一人くらい別に構わない。

「う……っ」

 不意に咳き込んだ大雅は、咄嗟に口元を押さえた。その掌には血が広がっている。

 それを見た瑠奈は小さく悲鳴を上げた。

「ほ、本当に大丈夫なの?」

「……ああ」

 浅い呼吸の大雅は頷くも、しんどそうに付近の塀に背を預ける。

 目を閉じ、小春に飛ばしていたテレパシーを解除する。操作を解いた。

 一分と経たずに呼吸が正常に戻っていく。心拍も緩やかに落ち着いていく。

「全員ばらばらにするのは、いちいち琴音ちゃんに魔法を使わせるためだとして……何で小春ちゃんを操って移動させたの?」

 瑠奈は訝しげに首を傾げた。

 大雅がテレパシーを使ったり、小春を操るにしても蓮のように電話をかけさせる程度で良かったのではないだろうか。

 わざわざ魔法を使わせ、大雅が死にかける必要があったのだろうか。

「あいつは最初から仲間だから、俺が呼びかけるより信用されるだろ。何より、小春が動けば蓮も動かせる。あと、直接出向かなきゃ動いてくれなさそうな奴もいるしな」

 慧なんかが特にそうだ。

 大雅を信用しているのかどうかも定かではなく、小春が直接急かしたお陰で移動させることが出来たと思っている。

 魔法で半ば強引に連れ出したわけだが。とはいえ────。

「テレパシーを使わねぇ一番の理由は……琴音には、俺の魔法は今使えねぇ状態だと思わせときたいんだ」

「何で?」

「“自分で動くしかねぇんだ”って思わせるため」

 なるほど、と瑠奈にも理解出来た。

 これから大雅は、あえてばらばらにした琴音の仲間たちを、琴音自身に魔法で迎えに行かせようとしている。

 だが、大雅のテレパシーがあれば、わざわざ琴音が出向く必要がなくなってしまう。

 だからこそ、大雅の魔法は使えないのだと思わせておかなければならないのだ。



 大雅と瑠奈は琴音の家へ向かった。

 門前に琴音の姿があることに気付き、瑠奈は慌てて陰に隠れる。

 先ほどの大雅のテレパシーから、ただならぬ事態だと察したのだろう。

「どうなったの? ……随分疲れてるみたいだけど、何があったの?」

「やべぇことになった。今、俺も律も瑠奈も冬真に絶対服従させられてる。もうテレパシーも実質無効化状態で、明日の昼までは使えねぇ」

 澱みなく答える大雅に、瞠目した琴音は眉を寄せた。

「じゃあ、さっきの連絡の後────」

「ああ、実は冬真の襲撃から逃げて来たとこだ。……けど、逃げ切れねぇだろーな」

 大雅は淡々と嘘をついたが、琴音の瞳は充分揺らいだ。

「悪ぃ、もうあれこれ話してる時間はねぇ。冬真は律や瑠奈を、小春たちの元に送ってた。“逃げろ”ってギリギリ伝えたから……たぶんどっかに散ってるはずだ。俺のテレパシーは使えねぇから、お前が行って安全な場所に瞬間移動させてやってくれねぇか?」

 大雅は警戒するように周囲を見回しつつ琴音に言った。

「合流させた方がいいの? このままばらばらにいるのとどっちがいいのか……」

 冬真は琴音やその仲間の顔までは知らない。

 散っていれば、もし見つかったとしても全員がまとめて彼の駒にされることはないだろう。

「一緒にいた方がいいと思うぞ。多勢に無勢だろ」

「それもそうね……。分かったわ」

 散り散りにした張本人とは思えない台詞だった。

 瑠奈は大雅の演技力と機転に圧倒されながら、大人しく状況を見守り続ける。

「でも、逃げたって何処に?」

「分かんねぇけど……学校とか河川敷とか、お前が思いつく限り、知る限りの場所に行って、あいつらを捜してくれ。全員揃ったらお前は離れろ」

「そうね、私がいたら皆が危険に晒される」

「それもあるけど、あいつらが冬真に操られたら、全員お前に牙剥くぞ」

 その様を想像した琴音は怯んだ。

 純粋な敵より、その方が余程精神的に来るものがある。

 大雅の意図としては、単に琴音が仲間たちと固まられると手出し出来ないために離れて欲しいに過ぎなかったが、琴音はそんなことを知る由もない。

「だから離れろ。いいな」

「……ええ、分かった。皆のことは高架下に集めるわ。そしたら私は一人で学校に行く」

 その高架下は、琴音が新たな拠点として見つけ出した場所だった。今はアリスがいる。

「おう。念のため言っとくけど、通話はすんなよ」

「どうして?」

「テレパシーで感知出来るから。俺は今、自由が効かねぇんだ。冬真に尋ねられたら、お前らの通話の内容を喋らされる」

 つまり、その気になれば盗聴のようなことが出来てしまうということだろう。

 テレパシー魔法の際限は何処にあるのだろう、と琴音は思わざるを得なかった。

 それほどまでに強いのなら、冬真の執着にも頷ける気がする。

「了解よ」

 逐一移動して捜すしかなさそうだ。

 琴音は大雅に「気を付けて」と言い残すと姿を消した。何処かへ瞬間移動したのだ。



 大雅の言葉を全面的に信用してくれた────陰から出た瑠奈は、大雅のもとへ歩み寄る。

「思い通り……。琴音ちゃんは何度も瞬間移動を繰り返すしかないね。身体がもつかなぁ」

 それこそが狙いなのだが、この短時間でその目的を達成するための仕込みを終え、起爆剤を作り上げた大雅には恐れ入ってしまう。

 まったくもって頭の悪い不良などではなかった。

 これなら本当に琴音の魔法ちからを封じられるかもしれない。

 無力な琴音なら、瑠奈にも殺せる。

「やることは分かってるよな」

「うん、大丈夫」

 全員を瞬間移動させた琴音が学校で一人になったとき、瑠奈が殺す。

 疲弊と反動でまともに動くことも出来ない琴音など、何の脅威でもない。

「なら、もう行ってろ。琴音が戻ってくるのを待ち伏せるんだ」

「分かった!」

 うきうきと跳ねるような足取りで、ステッキを片手に駆けて行く瑠奈を見送る。

 大雅は抜け切らない疲労感を覚え、再び塀にもたれかかると、小さく息をついた。



*



 まず琴音が移動した先は名花高校だった。

 教室を覗くと、暗闇に浮かび上がる液晶画面の明かりが見える。

「……向井?」

「ん? 琴音か」

 がたん、と音を立て、座っていた机から下りた蓮は、琴音に歩み寄った。

「お前も小春に言われて来たのか?」

「? 何の話?」

 眉根を寄せ、琴音は聞き返す。

「大雅の裏切りがバレて、全員が冬真に狙われてるって話」

「……それを水無瀬さんが?」

「ああ、大雅から聞いて急いで来たって感じだった。だから俺と手分けして皆をばらばらに逃がしたんだ」

 蓮の返答に琴音は瞠目した。

 何を言っているのか一瞬分からなくなりそうだった。困惑してしまう。

「ちょっと待って。ばらばらに逃がした? それも水無瀬さんの提案?」

「そうだけど……」

 小春がそんな提案をするだろうか。

 わざわざ飛んで会いに行ったのなら、尚さら不自然な選択に思える。

「私は桐生から全員を合流させろって言われたわ」

「あいつ、無事なのか?」

「一応ね。絶対服従させられてるみたいだけど。……それより手分けしたって、向井は何したの?」

「小春とあらかじめ示し合わせてから、奏汰とアリスに電話した」

 大雅には通話という手段を止められた。

 小春が止めなかったということは、そこまでは聞いていなかったのだろうか。

 そもそも小春と大雅はいつ接触したのだろう?

 散り散りにしたり、集めさせようとしたり、意図がまるで真逆だ。

 話をしていたのなら、その点の統一がなされていないのはおかしい。二度手間だ。

 はたと琴音は閃き、顔を上げた。

「もしかしたら……水無瀬さんはもう、如月に操られてるのかも」

 小春が通話を止めなかったのは、大雅を通して居場所を探るためだったのかもしれない。

 各自を散らせた理由は分からないが、冬真に操られた小春がそうしたのなら、大雅の言うことを信じるべきなのではないだろうか。

「小春が!? ふざけんな、いつそんな隙があったって言うんだよ」

「分からないわよ、如月の魔法もまだ未知数だし。怒ってたって仕方ないでしょ」

「くそ……、今すぐ殺してやる」

「ちょっと、冷静になってよ。頭を冷やして」

 小春のことになると周りが見えなくなるのだろうか。迷惑な幼なじみがいたものだ。

 憤慨する蓮を窘め、琴音は言う。

「桐生の魔法が当てにならない以上、相手の居場所も分からないし無謀よ。水無瀬さんも、如月に操られてるならすぐに殺されたりしない。むしろ安心よ」

 その言葉に蓮は少しずつ落ち着きを取り戻したらしく、それ以上は何も言わなかった。

「水無瀬さんが操られてるなら桐生に従っておくわ。彼の言う通り、全員固まってた方がいい。 見つけ次第、水無瀬さんも瞬間移動させて合流させる。それでいいわね?」

「……ああ」

 蓮は勢いこそなくしたものの、今度は何処か落ち込んでいるようだった。

 操作されている小春を目の前にしても、それを見抜けなかったことが悔しいのだ。

 それでも、今は琴音の言うことを信じて引き下がる他ない。

「全員を高架下に集めるわ」

「おう。アリスはもうそこにいるぞ」

「了解よ」

 そう言った琴音が蓮に手を翳すと、目の前から蓮が消えた。

 琴音はその要領で慧や奏汰を高架下へと移動させる。病院へ赴き、陽斗の無事も確認した。

 小春の姿は何処にもなかったが、蓮へ向けた自分自身の言葉を思い出す。

 冬真が操っているのなら、以前大雅が言っていたように、駒にするはずであるため殺しはしないだろう。



 琴音は当初の予定通り、最後に学校へ瞬間移動した。

「……っ」

 唐突に目眩がし、たたらを踏む。

 思わず咳き込むと、あふれた血がぼたぼたと滴った。

 割れるような頭痛と激しい動悸に立っていられなくなった琴音は、力なくその場に蹲ってしまう。

 浅く荒い呼吸が熱を持っているのが分かる。

 上手く息を吸えない。心臓が痛い。肺も頭も関節も痛い。苦しい。

 これほどに激しい反動を受けるのは初めてだ。

『聞こえるか、琴音!』

 ずきずきと締め付けられ、揺らぐような頭の中で遠くに大雅の声がした。

「き、りゅう……?」

『絶対に魔法は使うな!』

 脈打つ拍動が琴音から体力を奪っていく。

 今にも意識が飛んでしまいそうだったが、何処か冷静な自分がいた。

 大雅は今、魔法が使えないのではなかったのだろうか……?

 自嘲するような乾いた笑いがこぼれた。

「もう、手遅れよ……」

 そう呟くと同時に、ガラ、と教室の扉が開かれる。

 廊下の窓から射し込む月明かりを背に、ほくそ笑む瑠奈が立っていた。



*



 少し時を遡る。

 小春は戸惑った。自宅にいたはずなのに、気付いたらまったく別の場所にいる。

(そうだ、大雅くん……!)

 はっと閃く。大雅に手を掴まれてからの記憶が抜け落ちていた。

 間違いない。彼が何かをしたのだ。

「大雅くん、私に何をしたの!?」

 小春は顳顬に人差し指を当て、大雅に呼びかけた。

『私、何か記憶が────』

 小春からのテレパシーを受け取った大雅は、擡げた足の靴裏を塀に当てる。

 いつもと変わらず気だるげな様子で、しかし真っ当な嘘を頭の中で構築していく。

「記憶? あー、それはな……」

 何とはなしにカーブミラーを見上げた。街灯に照らされた自分の姿が映っている。

「…………」

 不意に言葉が切れる。
 大雅の表情から余裕の色が消えていく。

「……くそ! しまった、やられた」

 慌てて身を起こした。くしゃりと髪をかき混ぜる。

『え? どうしたの……?』

「俺の記憶が操作されてた! しかも冬真に絶対服従の術かけられてる。“琴音を殺せ”って!」

『えっ!?』

 驚愕に満ちた小春の声が返ってくる。

 大雅は焦りながらも冷静に、現在の状況を端的に説明した。

「俺……お前のこと操って、全員ばらけさせたんだよ。琴音に連続で瞬間移動させて疲弊させたところを、瑠奈に仕留めさせるために」

『そんな!』

 小春は、どうしてそんなこと、と尋ねかけてやめた。冬真と律に操られているからに決まっている。

 大雅も人を操ることが出来るとは初耳だが、今はそれについて詳しく聞いている場合ではない。

 大雅は急ぎ、琴音にテレパシーを飛ばした。

「聞こえるか、琴音!」

 一拍置き、弱々しい琴音の声が返ってくる。

『き、りゅう……?』

「絶対に魔法は使うな!」

 もう遅いかもしれない。

 既に大きな反動を受け、かなり衰弱しているようだ。

「頼む。十二時間……俺と瑠奈から逃げ切ってくれ」

 その数字は、冬真による絶対服従の効果時間だった。一度術にかかると約半日は解けない。

 それ以降、琴音からの返答はなかった。

 待機していた瑠奈が現れたのかもしれない。だとしたら、その身に危機が迫っている。

「……くそ、俺のせいだ」

 迂闊だった。あれほど警戒していたのに、いとも簡単に冬真の手に落ち、記憶を改竄かいざんされてしまうとは。

 自分のせいで仲間を危険に晒した。

 そうならないよう、大雅自身が冬真たちのもとへ留まっていたのに。

「皆、悪ぃ。俺のせいで琴音が死にかけてる。小春を操ってたのも俺だ。詳しく説明してる暇はねぇけど……」

 大雅は全員にそう伝える。
 その間も足は意思と反し、名花高校へ向かっていた。

 否が応でも琴音のもとへ向かわされる。殺すために。



『今から十二時間、俺のことは信用しないでくれ』

 痛切な言葉を聞き、小春は勢いよく空へ舞い上がった。

 高度を上げ、羽根を使いながら高速で飛行する。

(助けなきゃ……。私しかいない)

 仲間の全員が高架下にいるのなら、そして既に瑠奈が琴音に迫っているのなら、今から向かっても間に合わない。

 小春が行くしかないのだ。

 その思いだけに突き動かされ、ひたすら夜空を飛び抜ける。

(助けるよ、今度は私が────)



*



 薄暗い教室の中で、吐血して蹲る琴音を見た瑠奈は得意気に笑った。

(殺れる。この状態なら、あたしにも……)

 やはり大雅は賢い。運や偶然に委ねることなく、確実に目的を果たす手段を講じてくれた。

 ここまで琴音を追い詰められたのも、彼のお陰だろう。

「随分苦しそうだね、琴音ちゃん」

「……瑠奈……」

 琴音は精一杯瑠奈を睨みつけたが、出来る抵抗はその程度しかなかった。

 手足に力が入らない。もう、しばらくは魔法を使うことが出来ない。

 自身が瞬間移動で逃げることも、瑠奈を何処かへ飛ばすことも叶わない。

 仲間たちは、高架下へ自分が移動させてしまった。陽斗は入院中で意識不明、小春は行方知れず。

 この状況で助けを求められるのは大雅くらいだが、絶対服従の術にかけられているため期待出来ない。

 自分で何とかするしかないのに、どうしようもなかった。

「そういう、こと……。水無瀬さんを操ってたってことは、わざと“二度手間”を踏ませたのね……。私を、反動で弱らせるために……」

 浅い呼吸の中、掠れる声で琴音は言った。

 瑠奈は跳ねるような足取りで、ステッキ片手に琴音と距離を詰める。

「そうだよ。そうとも知らず、せっせとご苦労さま」

 にっこり微笑んで見せると、琴音の前に屈み込む。

「君ももう終わりだね。あたしを虚仮にしたお返しをしてあげる。誰に勝ち目がないって?」

 立ち上がった瑠奈は、ステッキの先を琴音に向けた。

「石にして……ばらばらに砕いてやる」

 琴音は霞む視界で瑠奈を見上げた。

 まさか、こんな形でゲームオーバーを迎えるとは思わなかった。

 まさか、瑠奈ごときに殺られることになるとは思わなかった。

 悔しいが、策に嵌まったのは琴音自身だ。その時点で負けだった。

「……っ」

 琴音は絶望を覚悟し、目を閉じる。



 そのとき、遠くの方から誰かが駆けてくる足音が聞こえたような気がした。

 助けを求める期待から来る幻聴だろうか。

「瀬名さん!」

 その声に琴音は、はっと目を開け顔を上げた。
 教室の扉の枠の中に小春が立っている。

「水無瀬、さん……」

「何で小春ちゃんがここに────」

 瑠奈は瞠目したものの、限界の近づいた大雅が術を解いていたことを思い出す。

 どうやって琴音の危険を嗅ぎつけたのかは分からないが、邪魔をするなら石化させるまでだ。

 小春は琴音の血に驚いたが、それが外傷ではなくあくまで反動によるものだと気付き、少しだけ安堵した。

 予断を許さない状況なのは確かだが、どうやら間に合ったようだ。

「せっかく琴音ちゃんを殺れるチャンスなの……。邪魔しないで」

 瑠奈は標的を変え、ステッキを小春に向けた。

 琴音の方へ向かいかけていた小春の足が自ずと止まる。

 小春は素早く教室内を見回し、この状況を打破する算段を探る。

 迫り来る瑠奈から後ずさると、太腿の裏に机が当たった。

 その瞬間、瑠奈が魔法を繰り出した。

「!」

 小春がそれを避けると、先ほどの机が石と化す。

 駆けて避けた勢いのまま、小春は琴音のもとへ滑り込んだ。

「瀬名さん、大丈夫?」

「……っ」

 蹲っていた琴音は、不意にがくりと脱力し、そのまま床に倒れ込んでしまった。

 限界を迎え、ギリギリで保っていた意識をとうとう手放したのだ。

「瀬名さん!」

 小春は慌てながら呼吸を確認した。浅く不規則ながら、息はしている。

 素早く琴音に触れ、彼女を宙に浮かせた。

 そのまま庇うようにして立つと、瑠奈と対峙する。

「ふーん……、それが小春ちゃんの魔法?」

 瑠奈はさして興味なさげに言い放った。

 大して強くもなさそうだ。その程度なら、自分の方に軍配が上がるだろうと踏む。

 第一、琴音を浮遊させたところで意味はない。

 瑠奈は余裕そうな笑みを湛え、手中でステッキを弄んだ。

 それを一度宙に投げ、再び手に収めると同時に薙ぎ払うように振った。

 小春たちの方へ、小石のようなものが飛んでくる。

「……!」

 小春は琴音を横抱きにし、慌ててそれを躱した。

 瑠奈の放った石が窓に直撃し、ガラスにヒビが入る。

(何あれ……!?)

 まるで銃弾のようだった。まともに食らっていたら命はない。

 瑠奈は対象を石化するだけでなく、石を操ることが出来るのだと考えた方が正しいようだ。

「なかなかすばしっこいね。でも、反撃しないと勝てないよ!」

 小春は瑠奈の挑発を取り合わず、琴音を抱えたまま机の上に乗った。

 飛び移るように助走をつけ、窓に蹴りを入れながら飛び込む。

 ガシャァアン!
 けたたましく甲高い音が響き、ガラスが散った。

 瑠奈の作ったヒビを利用して窓を割り、小春は外へ飛び出したのだった。

「な……!?」

 予想外の事態に瑠奈は慌てた。

 割れた窓に駆け寄り、下を覗き込む。

 ここは三階だ。下にはコンクリートが広がっており、飛び降りて無事でいられるとは思えない。

 小春は落下していったものの、一瞬で高度を上げる。

 羽根を使いながら高速飛行していく。
 瞬く間に夜の闇に消えてしまった。

 (琴音ちゃんを浮遊させたのは、抱えて逃げるためだったってわけ……)

 最初から瑠奈とやり合う気などなかったのだ。

 瑠奈は虚空を見上げ、悔しげに唇を噛み締めることしか出来なかった。



*



 蓮はふと、夜空を舞う影を見つけた。
 羽根が降る────琴音を抱えた小春だった。

「小春!」

 瑠奈から逃げ、高架下へと直行して来た小春は、地面に降り立つと、そっと琴音を横たえた。

「無事だったんだな、良かった……」

「何が起きてるんだ?」

 ひとまず安堵する蓮と、状況を尋ねる慧。

 アリスはスマホのライトを点け、小春と琴音を照らした。

 小春は琴音の青白い顔と、唇の端や制服に染みた赤い血を見て、急速に不安になった。

「どうしよう……。このままで大丈夫なのかな? 死んじゃったりしないよね?」

「休めば元通りになる。それより落ち着いて状況を話せ。桐生の言葉も何なんだ」

 険しい顔の慧が言った。

 小春は眉を寄せながら、事の次第を話す。

「大雅くんが……律くんに記憶を書き換えられたみたいで、冬真くんに操られて、私たちの敵だと思い込んで行動してたの」

  小春も全容を漏れなく把握しているわけではなく、さらに瑠奈の襲撃や琴音の危機に精神をすり減らしており、なかなか要領を得ないような説明になってしまう。

「その大雅くんに私も操られて、皆のことをばらばらにした……。自分が何を言ってたか、何をしたのかも全然覚えてないけど」

 我に返ったときには、もう遅かった。

 大雅が正常な記憶を取り戻したときも、琴音は既に追い詰められていた。

 結果的に瑠奈の脅威は一旦脱したものの、自分の責任でもあるような気がしていたたまれない。

「小春、よくやった。お前が琴音を救ったんだ」

 思い詰めたような表情を浮かべた小春を蓮は労った。

 それは紛うことなき事実であり、小春が自分を責める必要は何処にもない。

「桐生くんはどうなった?」

 奏汰が小春に問うた。

「分かんない。でもテレパシーでも言ってた通り、まだ術は解けてないから操られてるはず……。瑠奈ともども、瀬名さんを殺そうとしてる」

「記憶が戻っても身体が言うこと聞かんってわけやな。自分じゃどうしようもないから“逃げろ”ってか」

 アリスが神妙な面持ちで言った。

「てか、絶対服従って……隠れとっても居場所バレるんか?」

 絶対服従ということは抗えない命令ということであり、大雅の話し振りから、命令されると身体が勝手に動くのだと想像がつく。

 琴音を殺せ、という命令において、琴音の居場所が分からずとも琴音のいる方向へ向かってしまうのだろうか。

 もしそうだとしたら、隠れても意味はない。それこそひたすら逃げるしかない。



「────いや、今回の場合はそうじゃない」

 慧の硬い声に、全員が彼を見た。

 その視線を辿ると、街灯に照らされた人影が二つ目に入る。

 大雅と瑠奈が、こちらへ向かって歩んで来ていた。

「げっ、もうかよ。つか“そうじゃない”って何だ?」

「最終的にこの高架下に皆を集めるってこと、桐生は知ってたんじゃないか」

 二人の姿を認めた蓮が目を逸らさないまま尋ねると、慧が淡々と可能性を示唆した。

  本来の意図でなくとも、この状況を作り出したのは大雅なのだ。

 琴音とコンタクトをとり、事前に把握していたのだろう。

「そんなこと今はどうでもええ! どうすんねん、これ」

「琴音ちゃんがこの状況じゃ逃げるのもすぐ限界だね……。応戦するしかないんじゃない?」

 迫り来る大雅と瑠奈をその目に捉え、アリスと奏汰が言った。

 小春は、先ほどのように琴音を浮遊させて抱え、自身もともに空中に留まることでやり過ごそうかとも考えた。

 しかし、それを十二時間も続けていられるとは思えないし、大雅たちが地上にいる他の仲間たちに手出ししないとも限らない。

 飛んで逃げ回ったとしても、絶対的な命令に突き動かされている二人は地の果てまで追ってくる────小春が限界を迎えたとき、琴音を守る術がない。

 奏汰の言う琴音の状況とは、そういうことなのかもしれなかった。

 今は彼女の魔法があてにならない、ということである。瞬間移動が出来るのなら、逃げるのも容易なのだが。

「悪ぃ……、皆」

 眉根に力を込め、大雅は全員に謝った。

 こんなことしたくないのに、という切実な思いがひしひしと伝わってくる。

 思い通りにならない身体は、勝手に琴音や仲間たちを敵と認識してしまう。

「あはは、やっぱ瀕死だ! 琴音ちゃーん、トドメを刺しに来たよ」

 瑠奈はステッキをくるくると回し、楽しげに笑った。

 彼女の場合は、絶対服従の術などかけられておらずとも琴音を付け狙うだろう。

 小春は地面に膝をついたまま、琴音を背に庇った。

 それをさらに庇うように、他の面々も臨戦態勢をとる。

「あーあ、あたしたちが殺したいのは琴音ちゃんだけなのに……。邪魔するつもりなら、君たちも抹殺対象に入っちゃうよ?」

「うるせぇ。やれるもんならやってみろよ」

 蓮は凄みながら返した。

 瑠奈は怯まず、くすくすと笑いながらステッキを構える。

「おっけー、お望み通りにしてあげる」

 ステッキの先端から銃弾のような石が飛び出し、全員に向け飛んでくる。

 奏汰は咄嗟に氷の壁を作り出し、バリアのようにして防いだ。

 ガガガガッ、と石弾せきだんが氷壁にめり込む。

「危ねぇ……。ナイス、奏汰」

「大丈夫。石化魔法って聞いてたけど、そんな技もあるんだ」

 油断なく瑠奈を見やっていると、突如として視界に大雅が現れた。

 胸ぐらを掴まれた奏汰は、その勢いのまま地面に倒れ込む。大雅に上から押さえつけられている形だ。

「奏汰!」

 蓮は咄嗟に炎を宿したが、寸前で思い留まる。

 大雅を傷つけるわけにはいかない。

「くっそ、やりにくい……」

  蓮は駆け出し、大雅の上腕を掴んで奏汰から引き剥がした。

 すぐさまそれを振りほどいた大雅は、蓮の首に手を伸ばす。

 ガッ、と思い切り蓮の首を掴んで締める大雅を見た小春は、慌てて立ち上がった。

「大雅くん! やめて……!」

 届かないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。

「たい、が……」

 蓮は掠れた声を絞り出す。

 それを受けた大雅は首を締められている蓮より苦しげに顔を歪めた。

 駆け寄った慧が大雅の腕を剥がし突き飛ばす。解放され、激しく咳き込んだ蓮を見やった。

「何してる、向井! 殺されたいのか」

 抵抗出来るのに何もしなかった蓮を叱責した。

「なわけ……っ。でも、どうすればいいんだよ!」

 下手に抗えば、傷つけてしまうかもしれない。

 大雅にとってもこちらにとっても不本意な争いなのだ。

 蓮が突き飛ばされた大雅を「大丈夫か」と案ずると、大雅は辛うじて「ああ」と頷いた。

 大雅は、実戦においては無魔法同然だが、素の力と喧嘩の強さが、この状況では災いしていた。

「ほんまに……どうしたらええねん! 殺してええんか」

 瑠奈による石化攻撃を、矮小化して避けたアリスは、誰にともなく尋ねる。

「駄目!」

 気付けば、小春は声を張っていた。

 ゲームに巻き込まれてから、日々胸の内に蓄積していた靄が爆発する。

「皆殺しとかバトルロワイヤルとか、そういう言葉に惑わされてるけど……私たちは皆同じ立場。どんな理由があっても、殺しが正当化されるわけじゃない」

 凜然とした小春の言葉に静寂が落ちる。

 ずっと引っ掛かっていた“殺し”についての認識が初めて言葉になった。

 アリスは反論を口にしようとしたが、それより先に慧が口を開く。

「正論だが、今はそんなことを言っていられる状況じゃない。向こうの殺意を甘んじて受け入れるのか?」

 厳しい言い方だが、真っ当な言い分でもあった。それは小春にも理解出来る。

「悪いが、僕はお断りだ」

 手に稲妻を走らせ、慧は瑠奈の方へ駆け出した。

 何かを言う間もないうちに、瑠奈に放電する────バチッ、と鋭い音がしたかと思うと、瑠奈の膝から力が抜けた。

 どさりと地面に崩れると、ステッキを手放し横たわる。意識を失ったか、あるいは……。

「望月くん……」

 身を強張らせながら、小春はその名を呼んだ。

 まさか────。

「……心配いらない。気絶させただけだ」

 メガネを押し上げ、慧は言った。言わばスタンガン代わりである。

 小春は、ほっと息をついた。今の行動もそうだが、小春の意見を正論だと認めたことも、正直意外だった。

 冷淡な慧だが、少なからず温情を持ち始めているのかもしれない。

「頼む……」

 弱々しく大雅が懇願する。

 かと思えば、横たわっている琴音に向かって歩き出した。

 慌てて奏汰が硬直魔法を繰り出し、大雅の動きを封じる。

「頼む、慧。俺にもやってくれ」

 大雅の言葉に慧はわずかに顔を擡げる。

 届かないSOSを孕んだような、痛切な声色だ。

「俺を止めてくれ!」

 それしか方法がない。

 無論、気を失えば術が解けるわけではないが、充分な時間稼ぎになる。

 傀儡とは異なり、意識さえなければ動くことは出来ないのだから。

「……分かった」

 慧は再び手に雷を宿すと、大雅に放って気を失わせた。

 それにより硬直も解除され、その身体が地面に倒れ込む。



 不意に、風の音や虫の声が聞こえるほどの静寂が落ちた。
 各々が思わず息をつく。何だか、どっと疲れてしまった。

「念のため拘束しておこう」

 慧が言い、自身のネクタイをほどく。

 大雅に操られた小春が自宅へ来たのは、ちょうど塾から帰ったタイミングだった。制服を着ていて良かった。

 慧が、後ろに回した大雅の両手首を縛っているのを見て、小春は瑠奈に寄った。

 彼女の制服のリボンを外し、その手首に巻き付ける。

 締めすぎないよう注意しながら留め具をはめ込んだとき、チカッと眩い光に照らされた。

「……ん、蓮?」

 突然スマホのライトで照らしてきた蓮に戸惑いつつ振り返ると、その手が伸びてきた。尚さら困惑する。

「怪我」

「え……?」

 蓮の手は頬に届く前に止まった。

 小春が自分の頬に触れてみると、確かに何やら血が乾いたような感触があった。

「本当だ、気付かなかった」

 教室で瑠奈から逃げた際、割れたガラスで切ってしまったのだろう。

 改めて脚や手などを確認すると、ところどころに切り傷が出来ていた。

「大丈夫か? 痛むなら今すぐ────」

「平気平気。大したことないよ」

 小春は笑って手を左右に振った。強がりではなく、本当に何てことはない。

「なぁなぁ、それよりうちらどうするん? ここで待機?」

「……そうだな。拘束してるとはいえ、見張っておく必要がある。瀬名もいつ目覚めるか分からないしな」

 慧はメガネを押し上げつつ、横たわる琴音を見下ろす。ブレザーを脱ぎ、ブランケット代わりに掛けてやった。

 奏汰は空を仰ぐ。重たげな夜の帳が上がるまで、まだ少し時間がありそうだ。
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