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第一章 -ゲームの始まり-

第7話 11月12日

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 放課後、瑠奈はいち早く教室を出て校門前へと向かった。

 既に大雅の姿があり、制服の異なる彼は人の群れの中でもすぐに発見出来た。

「早いね、大雅くん」

「途中で抜け出して来たからな」

 しっかり鞄を持っているところを見れば、戻るつもりもなく早退してきたようだ。

「で、例の奴はまだか?」

 瑠奈が教室を出たタイミングで琴音も立ち上がっていた。そろそろ来るはずだ。

 そう答えようとした際、昇降口から小春と蓮の二人が出てきた。

「あ、あの二人」

 瑠奈の指した方向に大雅も目を向ける。魔術師なのは一目見て分かった。

「来た」

 続けざまに瑠奈は呟いた。二人の後ろに琴音の姿があった。

「……あいつか」

「うん、その前にいる二人がたぶん仲間」

 瑠奈の言葉に大雅は頷く。それから瑠奈に向き直った。

「お前はちょっと下がって待ってろ」

 琴音に敵意を向けられている瑠奈が同行すると、不必要な警戒心を煽ってしまう。

 面識のない大雅一人の方が滞りなく目的を果たせるだろう。

 瑠奈は「分かった」と頷き、大雅の言う通り少し距離を取った。

 そこで身を潜めつつ様子を窺う。

 小春たちが校門を過ぎると、大雅は行く手を阻むように立った。

「……?」

 琴音は不審がりながら、訝しむ小春と蓮の前に歩み出て、庇うように立つ。

「星ヶ丘の人が何か用?」

 琴音の鋭い声色にも大雅は一切怯まなかった。

 三秒間の沈黙を経て、相手の情報を読み取る。

「瀬名琴音。それとその二人、ちょっとつら貸してくれ」

 何故名前を知られているのか、琴音も小春たちも瞠目した。

 琴音はしかし、もしやアリスの仕業かもしれない、と直感的に思い至った。

 魔術師相手に情報の取り引きをしている可能性が想定される。

 瑠奈は聞き耳を立て、じっと動向を窺っていた。

「ちょっと待て。まず、お前は誰なんだよ?」

「そうよ。ついて来いって言うなら、素性を明かして貰わなくちゃ」

 蓮と琴音が口々に言ったとき、大雅は素早く人差し指を唇の前に立てた。

「俺を瞬間移動させて、お前らも同じ場所へ来てくれ。近くで胡桃沢瑠奈って女が見張ってる。急げ」

 大雅は瑠奈に聞かれないよう声を落として言った。

 三人が三人とも、思わぬ言葉に驚愕したものの、一番早く立ち直った琴音が「こっちよ」と全員を誘導した。

 木々と茂みにより人目を避けられる場所で立ち止まり、すぐさま大雅に触れた。

 目の前から大雅の姿が消え、小春と蓮はさらに驚いてしまう。

「な、何がどうなって……」

 彼は何者で、あの発言の意図は何なのだろう?

 動揺を隠せない小春が尋ねると、琴音は謹厳な面持ちで二人に向き直る。

「少しだけ待って。瑠奈がいなくなったら私たちも移動する」

「説明になってねぇよ……。あいつ、何なんだよ? “瞬間移動させろ”なんて意味分かんねぇこと────」

「それは後よ。いいから、普通にして」

 琴音は物陰から出ると、周囲を見回した。

 慌てて追ってきたのだろう蒼白の瑠奈が、目を見張りながら琴音を見つめていた。

「そんな……」

 返り討ちに遭ってしまったのだろうか。

 瑠奈は大雅の姿が消えたことに気付き、絶望的な気持ちになった。

「彼、あなたのお仲間?」

 琴音は腕を組み、瑠奈を見据えた。

「残念だったわね。何をしようと私には敵わないわよ」

 瑠奈は恐怖で肩を震わせた。

 あれほどに強い魔法を持つ大雅でさえ、こうもあっけなく一瞬でやられてしまうとは────。

「……っ」

 数歩後ずさった瑠奈は、踵を返すと一気に駆け出した。



 琴音から逃げるように走り続け、追ってきていないことを確認すると立ち止まる。

 スマホを取り出し、慌てて冬真に連絡を取った。

「もしもし! 大雅くんが何処かに飛ばされちゃった……! どうしよう、もしかしたらもう……」

 上手く息を吸えず、声が震えた。

 琴音を倒せるかもしれない、などという希望は無惨にも打ち砕かれた。



*



 瑠奈が去ったのを確かめた琴音は、再び物陰に入り小春と蓮をそれぞれ河川敷へ飛ばすと、自身もすぐさま移動した。

 小春は突然目の前の景色が変わったことに、はっとしながら周囲を見回した。

「……来たか」

 声のした方を見ると、橋の下に先ほどの男子が佇んでいた。

 壁から身を起こし、小春たちの方へ歩み寄る。

「どうだ、撒いたか?」

「……ええ、とりあえずは心配ないわ」

 琴音は頭痛を堪えながら答えた。

 どちらかと言えば逃げたのは瑠奈の方だが、少なくとも琴音たちが今、大雅と接触しているとは夢にも思わないだろう。

「悪ぃな、合わせて貰って。助かった」

「どういうことなの? あなたはいったい……?」

 小春が戸惑いを顕にすると、大雅は両手をポケットに突っ込んだまま、ぶっきらぼうに答える。

「俺は桐生大雅。テレパシー魔法の魔術師だ」

 琴音の名前や魔法を言い当てた時点で、何らかの力を持っていることは推測出来た。

 テレパシーならば納得だ。

「お前らのことは別に言わなくていい」

「え?」

「三秒だけ黙ってくれ」

 大雅は小春、蓮と順に目を合わせた。

「水無瀬小春に向井蓮。……ふーん、飛行と火炎ね」

「凄ぇな、テレパシーって。ぜんぶ分かるのか?」

「その気になればな」

 小春ははたと気が付いた。

 魔術師を見分けられる魔法とは、このテレパシー魔法のことなのだろう。

 大雅は昨日瑠奈にしたのと同様の、能力についての説明を三人にもしておいた。

 それを聞き終えた琴音は、冷静そのものな態度で大雅を見やる。

「……それで、そろそろ事情を話して貰おうかしら」

 瑠奈とはどういう繋がりで、どんな意図でこちら側に接触してきたのだろう。

「お前らに折り入って頼みがある」

「……何だ?」

「俺も、お前たちの側に入れて欲しい」

 思わず小春は蓮と顔を見合わせた。

 琴音は吟味するように腕を組む。

「俺さ、今基本的に二人の魔術師と行動してんだ。そこに瑠奈ともう一人、別の魔術師も一応仲間なんだけど」

 訳ありで気まぐれなもう一人のことは、あまり信用に値しないのだが。

 大雅の言葉に琴音は眉を寄せた。

「仲間がいるのに、私たちの仲間になりたいの?」

 大雅は「ああ」と頷き、険しい表情を浮かべる。

「仲間っつっても、あいつらは俺を利用してるだけだ。欲しいのは俺の能力……、いつ殺されてもおかしくねぇ」

 大雅は冬真に命を狙われていることなど、実際には百も承知だった。

 それは魔法ではなく、もともとの勘の鋭さの賜物である。

 冬真の探す魔術師が見つかる前に、上手く離れる機会をずっと窺っていた。

 そして冬真たちと対立を余儀なくされる“こちら側”は好都合で、この接触は願ってもみない好機だったのだ。

 冬真には琴音の存在がバレてしまったが、まだ遅過ぎるということはないはずだ。

 ────バトルロワイヤルという性質上、いつか衝突することは避けられないとしても、利用された挙句に殺されるのでは納得出来ない。

「大雅くんを利用して……その仲間たちは何をしようとしてるの?」

 大方、魔術師襲撃のために見分けさせているのではないかと踏んで、小春は尋ねた。

「ある魔法を持つ魔術師を探してる。そのうちの一人はお前だ、琴音」

「私?」

 聞けば、大雅の仲間である冬真が、時空間操作魔法と硬直魔法の魔術師を探しているそうだ。……殺すために。

 硬直魔法を持っているのは奏汰だ。蓮は眉を顰める。

「時空間は強ぇから分かるとして、何で硬直も?」

「冬真の魔法と相性がいいんだよ」

 冬真の傀儡魔法における“絶対服従の術”のトリガーは、大雅のテレパシー魔法と同様に“目を合わせること”なのだ。

 瑠奈の前では伏せていたが、相手と五秒間目を合わせることにより発動出来る。

 しかし、五秒が経過するまでは、物理的に回避することが可能だった。

 目を逸らすなり、暴れるなり……。硬直魔法があれば、そういった抵抗をねじ伏せられるのだ。

「もしかして、硬直魔法の魔術師とも知り合いなのか?」

 大雅は直感的に思いついたことを尋ねる。

「ああ……。お前と同じ、星ヶ丘にいるぞ」

 蓮は答えた。

 一連の流れから大雅は信用に足ると判断し、こちら側の内情を打ち明けることにした。

 この場にいない慧、奏汰、陽斗、アリスのことを伝えておく。

「奏汰には絶対その魔法を使わせるなよ。持ってるってバレたらソッコー殺されるぞ」

「分かった、伝えとく」

 大雅の忠告に蓮は神妙に頷いた。

 まさか、冬真と同校同学年とは────二人に面識がないのが幸いだった。

「……大丈夫なの? 大雅くん」

 小春には現状、大雅の身の安全が一番案じられた。

 命を狙われていると分かっている相手と、ともにいるつもりなのだろうか。

「ヘーキ。そんな急に取って食われたりしねぇよ、たぶんだけど」

 いっそのこと、この際きっぱり冬真たちとの繋がりを断ち、堂々と小春たちの仲間になると宣言した方が安全な気がする。

 しかし、大雅にそのつもりはなかった。

 表面上は冬真たちの一味の一員として振る舞いつつ、実際には小春たちの仲間という状態である。

「ま、俺の裏切りはそのうちバレる。でもしばらくはやり過ごせるはずだ。瑠奈は俺が一方的にやられたと思って、冬真にそう報告してるだろーから」

 いずれにせよ、冬真には大雅の能力が必要だ。

 裏切りを悟ったら、殺すにしろ生かすにしろ大雅のことを取り返そうと躍起になるだろう。

 その際、小春たちの仲間だと露呈してしまうと、関係のない仲間たちのことまで危険に晒してしまう。

 彼ら彼女らを盾にすることになる。

 だからこそ大雅はスパイ的な立ち位置でいることにしたのだった。

 危険なのは自身だけで充分だ。それ以外は巻き込めない。

「……ただ、先に謝っとく」

 大雅は苦い表情で言った。

「バレたときに最悪なのは、強引な奪還ってパターン。俺を奪い返すなり“絶対服従の術”を永遠にかけ続ける……的な。そうなったら、たぶんお前らに迷惑かける」

 冬真の命令は、小春たちに害をなすものばかりだろう。

「絶対服従は基本的に、術者本人にしか解けねぇ。術者以外なら、俺のテレパシー魔法で上書きすれば解けるけど、俺が自分に……ってのは無理」

 冬真の“絶対服従の術”に対しては、実は大雅のテレパシー魔法が唯一の対抗手段だった。

 とはいえ、それは大雅以外の人物にかけられたときの話である。

 大雅が黙っていたことにより、その術に対抗可能な手段が存在することを冬真は知らない。

 しかし、それを“幸い”の一言では流せない。大雅がかけられては結局意味がないからだ。

「つまり、俺がかけられたら……死ぬより地獄かもな」



*



 陽斗は夜道を歩きつつ、スマホを眺めた。

 以前作っておいたグループのトーク画面を開き、会話を追う。

 小春や蓮から、新たにアリスと大雅の二人と行動をともにすることになった旨が記されたメッセージが届いていた。

 テレパシー魔法を有する大雅とは近々直接会ってテレパシーを繋げておいた方がいい、とのことだ。

(同じ学校だし、明日にでもクラスを覗いてみるか)

 陽斗はそんなことを考えながら“了解!”と返そうとしたが、はたと動きを止める。

 不意に防衛本能が危険信号を送った。陽斗は振り返る。

 その瞬間、銃弾のようなものが飛んできて、陽斗の頬を掠めた。

「おわっ」

 頬に熱が走り、直後に痛みが訪れる。

 持ち前の反射神経で避けたから良かったものの、そうでなければこの程度の傷では済まなかっただろう。

「あっぶね……! お前何だ、誰だよ! 魔術師だな? 俺とやろうってのか?」

 少し先に立つ人影に向かって吠えた。

 フードを目深に被った怪しい人物だが、体格的に恐らく男だ。

 しかし、なにで攻撃されたのだろう。魔法なのに物理攻撃?

「ほら、かかって来いよ! 俺は逃げも隠れもしないから」

 陽斗は蓮からコピーした火炎魔法を繰り出し、手に炎を宿した。

 取り囲むように相手に向かって放つ。

 しかし、即座に消されてしまった。彼の繰り出した“水魔法”によって。

「お前……まさか、瑚太郎?」

 陽斗は確かに瑚太郎から水魔法をコピーした。

 だが、瑚太郎は臆病で気弱な性格ゆえに、積極的に魔術師を襲撃するようなことはしていなかったはずだ。

 また、友だちである陽斗に問答無用で襲いかかるなど、にわかには信じられない。

「あ? てめぇもそう呼ぶのか」

 彼は低い声で苛立たしげに言った。

 瑚太郎じゃない……? しかし、水魔法の持ち主は瑚太郎しかいない。

 彼の意味不明な呟きに戸惑う陽斗に、強烈な水柱が伸びてくる。

 咄嗟に避けきれず、術をまともに食らった陽斗は地面を転がった。

 何とか着地すると、手の甲で血を拭う。

「くそ……。やっぱオリジナルには敵わないか」

 陽斗が小春たちに同じ術を使ったときとは威力が段違いである。

 だが、どのみち逃げられはしない。

 彼は自分を殺すつもりでいる。陽斗に残された選択肢は、戦うか死ぬかだ。

 荒い呼吸を繰り返し、陽斗は何とか氷魔法での応戦を試みた。

 しかし、それを繰り出す前に彼が水を放った。

「やっ……ば」

 あれには見覚えがある。

 空気中でも形を保ち、まるで意思を持っているかのように動く水の塊。

 陽斗が小春に使ったのと同じ技だ。

 慌てて立ち上がった陽斗は、地面を蹴って走り出した。

 何度も角を曲がり、水の追撃から逃れようとしたが、先に陽斗の身体が限界を迎えた。

 その前の攻撃で既に弱っており、否応なしに走る速度が落ちる。

 水は陽斗に追いつくと、飲み込むようにまとわりついた。

(苦しい……、誰か!)

 呼吸を整える間もなく、水中に閉じ込められた。

 思わず息を吸うが、当然余計に苦しみが増すだけだ。

 すぐそこに空気が、酸素があるのに、水を引き剥がせない。掴むことが出来ない。

「……っ」

 陽斗はしばらくそうしてもがいていたが、やがて力尽き、その場に倒れた。



「死んだか?」

 動かなくなった陽斗を見下ろし、彼は誰にともなく尋ねる。

 その唇が満足気な弧を描いた。

 ばしゃ、と陽斗を飲み込んでいた水が弾け、地面に滴り落ちる。

 彼は踵を返すと、夜の闇の中へ溶けていった。
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