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第二章 -理想の代償-

第11話 11月18日

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 今日も担任は暗い表情で教室の扉を開けた。

 慧の前例があるためか、クラスメートたちは思わず空席を探す。

 花瓶の置かれた慧の机以外には、瑠奈の席が空いていた。

 小春はずっと彼女を気にかけており、今日また改めて話すつもりでいた。しかし、姿が見えないとは……。

「胡桃沢だが、昨晩急に家を飛び出してから帰って来ないとご両親から連絡があった。連絡も取れないそうだ」

 教室内にさざ波のようなざわめきが広がっていく。さすがに尋常ではない事態だ。動揺や戸惑いは必然と言える。

「もし、何か事情を知ってたり、胡桃沢とコンタクトを取れたりする奴がいたら、先生に言いに来てくれ」

 小春は、ふと思いついた。

 もしかしたら瑠奈は、冬真に操られているのかもしれない。

 最後に話したときの瑠奈の様子からするに、自分から冬真のもとへ行くとは考えにくい。

 冬真が瑠奈の自宅まで赴いたのかもしれない。

 小春が大雅を救い出したことに腹を立てながらも危機を覚えたとすれば、手下は手元に置いておきたいと思うはずだ。

 でも────と、和泉のことを思い出す。

 小春が知る限りでの最初の犠牲者である彼も、今の瑠奈と同じように行方知れずとなり、結局瑠奈に……魔術師に殺されていた。

 敵は何も冬真たちだけではないのだ。瑠奈も他の魔術師に狙われてしまったのかもしれない。

 一限目を終えた休み時間、小春のスマホに紗夜からメッセージが届いていた。

【話したいことがある。いつでもいいから連絡して】

 小春は教室を出ると、中庭へ向かった。



 メッセージアプリから紗夜に電話をかける。一コール目が切れるより早く、紗夜からの応答があった。

『もしもし……』

「あ、紗夜ちゃん? 話って……?」

 一拍置いて、紗夜は話し出す。

『別にあなた個人への特別な話ってわけじゃないの。ただ、何となく共有しておいた方がいいかなって』

「うん?」

 紗夜の前置きに、漠然とした不安感にも似た予感が湧く。

『私たちは……小春たちに接触したのと同じような感じで、他の魔術師たちとも接触して繋がりを持ってた』

「あ、うららちゃんも言ってたね。“伝手がある”って、そういうこと?」

『うん……。でも、昨晩から何人かと連絡が取れなくなった。何かあったんだと思う』

 連絡が取れない────。小春は今朝のホームルームを思い出す。

「……実は、瑠奈も昨日の夜から消息不明になっちゃって」

 関連があるのだろうか。あるいは、単なる偶然に過ぎないのだろうか。

 考えても答えの得られない疑問だった。

『嫌な予感がする。……まぁ、連絡が取れなくなってまだ一日も経ってない。思い過ごしだといいんだけど』

 紗夜は単調な語り口で言う。小春もその言葉に頷いた。

『とにかく、あなたたちも気を付けて。如月冬真の仕業にしろ、他の魔術師の仕業にしろ、手強いのは確かだから……』

 紗夜との通話を終えると、小春は瑠奈とのトーク画面を開いた。

【何があったの?】

 何か、ではなく、何が、と尋ねたのは、ただならぬ事態を察していたからだ。

 何かあったに違いない。いったい、何があったというのか。

 いつもは既読や返信といった反応が比較的速い瑠奈だが、今回ばかりはそうはいかなかった。

 小春は教室へ向かって歩きながら、頭の中で大雅に呼びかける。

(大雅くん、瑠奈とテレパシー繋がってる?)

 程なくして、彼から声が返ってくる。

『いや、それがな……昨晩、切断されたんだ。瑠奈が意図的に切断したのか、意識がないのかも分かんねぇ』

 奇しくも、大雅が冬真についた嘘が現実となってしまったのだった。



 昼休みになると、小春と蓮、琴音はいつものように屋上へ出た。

 大雅も瑠奈とは連絡が取れないこと、そして紗夜から聞いた話を共有しておく。

「何のつもりかしらね、瑠奈は。自分から消息を絶ったって言うなら、あいつの性分的に納得出来るけど」

 弱くて怖がりといった小心者の瑠奈のことだ。

 冬真が恐ろしくて逃げ出したか、琴音と顔を合わせるのが怖くて逃げ出したか、といった可能性もある。

「何か関係ありそうだけどな。紗夜の知り合いの魔術師と連絡取れなくなったのと、瑠奈の件と。タイミング的にも」

 蓮は険しい表情で言った。

 関連があるという方が危機と不安を感じるため、ただ逃げただけである方がいいと、小春は思った。

「……それはそうと、そろそろ百合園さんにかけられてた術が解ける頃じゃない?」

 推測の域を出ない話題を切り上げ、琴音は言った。

 はっとした小春はスマホで時刻を確かめる。

 星ヶ丘高校の屋上で一悶着あってから、そろそろ半日が経つ頃だった。

「本当だ。うららちゃんに連絡────」

 取ってみよう、と言い終える前に、うらら本人から電話がかかってきた。

 冬真からは解放されているのだろうか。やや警戒しながら、応答を躊躇う。

 そんな小春を他所に、蓮は勝手に“応答”のアイコンに触れてしまった。

「あ」

「大丈夫だって。電話でどうにかされることはねぇよ」

 仮に冬真がうららの近くにいたとしても、電話越しに話しただけでは何ともならないだろう。

 蓮は続けてスピーカーのアイコンをタップした。

『申し訳ないですわ!!』

 開口一番、うららは謝罪した。朗々とした声が響く。

 どうやら、あの後からずっと意識を失っていたらしい。冬真に気絶させられていたのだろう。

「大丈夫なの? 怪我とかしてない?」

「今何処にいるんだよ」

 小春と蓮が続けざまに問うと、うららは「ええ」と頷いた。

『無事は無事ですけれど、何処かと聞かれれば……分かりませんわ』

 三人はそれぞれ顔を見合わせた。

 分からない、ということは、うららはまだ冬真たちの手中にあるのかもしれない。

 術は解けたが捕らわれたまま、という可能性が高いだろうか。

『え? 何ですの、桐生さん……記憶?』

 不意にうららが一人で喋った。

 彼女の意識が正常に戻ったことに気付いた大雅が、テレパシーでコンタクトを取ったのだろう。

『ちゃんとありますわよ。わたくしが如月冬真の魔法を奪うと息巻いて向かったけれど、返り討ちに遭ったという記憶が! 我ながら情けないですわ』

 どうやら記憶の方も、消去や改竄された形跡はなさそうだ。

 小春たちはひとまず安堵の息をついた。琴音が尋ねる。

「ねぇ、そこはどんな場所なの?」

『そう、ですわね……。備品倉庫みたいなところですわ』

 うららが周囲を見回したのか、衣擦れの音がした。

「スマホは取られなかったの?」

『奪われたけれど、倉庫の中にあったから磁力で引き寄せましたわ』

 遠ざけられてはいたが、うららには手に取る手段があったわけだ。

『縛られてはいるけれど、ある程度の自由は効きますわ。ただ、大声を出しても誰も来ないし、外から音や声なんかもしませんわね……』

 いったい何処なのだろう。小春たちは困惑したように視線を交わす。

『俺が捜してみる』

 唐突に大雅の声がした。うらら個人へのテレパシーを、この場にいる全員に向けてのものに切り替えたのだろう。

『まだ校舎内だとしたら、旧校舎の備品倉庫かも』

 星ヶ丘高校の旧校舎は本校舎から少し距離があり、かなり荒れたものだった。

 使われていないのに取り壊しが行われないまま年月が過ぎ、瓦礫やガラスの破片が散乱している。

 そのせいで誰も近づかないのだ。そういう意味では、うららの隠し場所としてうってつけであろう。

『じゃあ、わたくしはここから動かずにいますわ。どうかお願い、桐生さん』

『ああ、待ってろ』

 大雅からの発見を期待して待つということで、うららは通話を切った。

 もし冬真に勘づかれたとしても、この時間帯なら大丈夫だろうと大雅は高を括っていた。

 旧校舎は確かに人気ひとけがないが、本校舎の方へ逃げれば助けは望める。

 とはいえ、万が一に備え、昼休みが終わってから動くことにする。

 冬真が教室に拘束される授業中の方が、リスクは格段に低くなるからだ。

 このまま、うららが見つからないという状況もまずいが、せっかく小春に救われた大雅が冬真に絶対服従させられるという状況も避けなければならない。

 やり取りを終えた小春は改めてうららの身と記憶の無事に安堵しつつも、何処か釈然としない気持ちに陥った。

(何か、あまりにも都合がいいような……)

 何かが変だ。何かが腑に落ちない。

 表情を曇らせた小春に気付き、蓮は小首を傾げた。

「どうかしたのか?」

「……あ、えっと」

 上手く表せない違和感を、慎重に言葉を選びながら伝える。

「何か、何ていうか……うららちゃんが無事だったのは良かったけど、冬真くんはどういうつもりなんだろう?」

 実際に大雅が動き出したように、このままいけば、うららを救出することが出来てしまう。

 こちらにとっては好都合だが、冬真は何故そんな隙を与えるのだろう。

「確かにな。普通なら記憶も奪うはずだもんな」

 うららの魔法的にも、彼女のことは手下にした方が、冬真には都合がいいだろう。人質ではなく、完全な手下に。

 そのために記憶を奪い、書き換えてしまうのが自然な判断のように思える。

 そうでなければ、こうして仲間たちに連絡を取られてしまう────。

 琴音は、はっとした。

「その通りね……。監禁してスマホを遠ざけたとはいえ、百合園さんなら手に取れることは分かってたはず。なのに取り上げなかった。わざと、私たちと連絡が取れるようにしたんだわ」

 どう解釈しても、奇妙な不安感が増幅していく。

「まさか……」

「これは、私たちを誘い込むための罠だわ」

 そう言った琴音は顳顬に人差し指を当て、大雅に語りかける。

「桐生、百合園さんのことは私に任せて。今から向かって瞬間移動させるわ。旧校舎の備品倉庫とやらに行ってみる」

『……マジ? でも、飛べんの?』

「校舎自体は通ったことがあるから行けるわ」

 琴音の瞬間移動は、本人が直接訪れたか見た場所にしか移動出来ないという制約があるが、その点はどうやらクリア出来そうだ。

 旧校舎には行ったことがなくとも、一目見れば分かるはずだ。

 琴音がやってくれるのであれば、大雅が動くよりもさらにリスクが低くなるように思えた。

 仮に冬真と遭遇したとしても、能力で逃げてしまえばいい。

『ふーん、そっか。じゃあ頼んでもいいか?』

「ええ、任せて」

 琴音は顳顬から指を離した。

 “私たちを誘い込むための罠”とは言ったが、正確には狙っているのだと踏んでいた。

 星ヶ丘高校という隠し場所からして、真っ先に大雅が動くであろうことは明白だ。

 冬真たちの狙いが大雅なら、尚更自分が動くしかない。思い通りにはさせない。

「…………」

 小春は難しい顔で小さく俯いた。

 何だか腑に落ちない。先ほどから続く違和感が消えない。

「行ってくるわ。すぐ戻る」

 蓄積するもやもやが霧消しないうちに、琴音は決然と告げた。小春は、はっと顔を上げる。

「待って……!」

 思わず引き止めた。瞬間的に閃いた。

 違和感の正体────自分たちは、思い違いをしていた。

「それこそが冬真くんの狙いだよ!」

 彼らが誘い込みたいのは、他でもない琴音。これは琴音への罠だ。

 ……しかし、小春の声が届く前に、彼女は姿を消してしまった。



*



 星ヶ丘高校の敷地外へ移動した琴音は旧校舎を探した。

 それほど苦労することもなく、簡単に分かった。本校舎よりもかなり廃れた雰囲気の建物は、一目見れば充分に判別可能だった。

 旧校舎側へ回ると、フェンスが一部破れていた。乗り越えるまでもなく、そこを潜れば容易に入り込める。

 備品倉庫とやらもすぐに見つかった。旧校舎裏にぽつねんと佇んでいる。なるほど監禁場所にぴったりだ。

「…………」

 琴音は歩み寄ってみる。備品倉庫の扉は開いていた。床に蔦のようなものが落ちている。

 うららはあれで縛られていたのだろうか。

 だとしたら、それは恐らく冬真の手下こまの魔法によるものだろう。

 都合のいいときに呼び出しては、彼または彼女の魔法を我がものにしているというわけだ。

「────よく来たな、瀬名琴音」

 琴音は振り返った。冬真と、見慣れない男子生徒がいた。

 星ヶ丘高校の制服ではない。大雅から聞いていた、律という男子だろう。

「……やっぱり罠だったのね。私たちをおびき寄せるための」

 琴音はさして驚くこともなく言った。罠である以上、彼らが待ち構えていることくらいは予想の範囲内だ。

「その通り。……だが、甘いな」

 律は頷きつつ、冷淡な眼差しをやった。

「“私たち”? 違う……お前だ、瀬名琴音。お前への誘い水だ」

 律の言葉を肯定するように冬真が頷いた。

 琴音は訝しむように眉を寄せる。自分への罠……?

 しかし、何てことはない。危険を感じたら瞬間移動すればいいだけ……。あるいは、彼らを移動させればいいだけだ。

 そんなことを考えながら、琴音は尋ねる。

「百合園さんは?」

 倉庫内に姿は見えない。拘束は解かれているようだが、何処へ行ったのだろう。

 不意に冬真が倉庫裏に消えると、うららの両肩に手を添えながら現れた。

 うららは物言いたげな顔で琴音を見つめ、冬真に従っている。

 その様子からするに、再び絶対服従の術にかけられてしまったようだ。発言も禁じられたのだろうか。

「…… 電話で話してたときから操ってたのね」

「いや。その段階では、確かに術は解けていた。通話が切れてからだ」

 冬真たちは倉庫の近くに潜んでいたわけだ。

 通話も聞いていたのだろう。大雅が現れても、どの道危なかった。

「それで? 百合園さんを使って、私の魔法を奪うつもり?」

 琴音は腕を組み、強気な態度を貫いた。

「それも考えたが現実的じゃない。百合園に術がかかっていると気付いてるお前が、三十秒間も触れられながら大人しくしているわけがない」

「当然でしょ。……なら、記憶でも書き換えてみる? それとも、私のことも絶対服従させてみる? それで、私を殺す?」

 挑発するように言い、考える時間を稼いだ。

 自分一人が逃げる分には何とかなる。しかし、うららはどうすればいいだろう。

 ここに置いて帰れば、今度こそ永遠に冬真から解放されないような気がした。

 律は琴音の言葉を嘲るように笑う。

「どれも外れだ。お前は殺すがな」

 その瞬間、琴音は背後から何者かに捕らわれた。

 首に腕を回され、振り返れない。

 身長や腕の造形から、男であろうことは推測出来る。

 突然の出来事だったが、冷静さを失っていなかった琴音は、思い切り肘を引き、相手の鳩尾みぞおちに食らわせようとした。

 しかし、そのまま身体が動かなくなる。金縛りに遭ったような状態だ。

(硬直魔法……!?)

 そう思い至ると同時に、頭の中にその持ち主の顔が浮かぶ。

 まさか、背後にいるのは奏汰なのだろうか?

 さすがに琴音も動揺した。

 正面では冬真がほくそ笑み、律は頷いている。

「それが硬直魔法か。有用だな」

 琴音だけが状況を飲み込めない。何が起きているのだろう。

 しかし、もしも背後にいるのが奏汰だとしたら、とっくに冬真に殺されているはずだ。

「まぁ二十秒だけだけどねー。そんだけあれば充分かにゃ?」

 聞こえてきたのはふざけたような男の声だった。奏汰ではない。

 彼は琴音を離すと、冬真たちの方へ歩いていく。ふわふわの白髪と半狐面、それに和服……どう見てもここの生徒ではない。

「誰……!?」

 予想に反する事態に面し、琴音は思わず尋ねた。

 冬真の仲間なのだろうか。大雅からは何も聞いていないが。

「ボク? 通称、祈祷師きとうし。ま、呼び名なんてどーでもいいさな。キミは今から死ぬんだからね」

「祈祷……? 魔術師とは違うの?」

「違うよ、魔法は使えるけどね。……ってもうボクに質問しないでくれる? つい答えちゃうじゃん。時間稼ぎのつもりー?」

 確かに時間稼ぎでもあったが、理解不能な事態に晒され聞きたいことが山ほどある、というのもまた事実だった。

 “祈祷師”なんて初めて聞いた。まさか、祈祷師は祈祷師同士でゲームが繰り広げられているのだろうか。しかし、それならば魔術師に手を貸す理由が分からない。

「さぁ、トーマっち。因縁のコトネンは目の前で動けなくなってる。殺るなら今しかないよ」

 祈祷師は冬真に向き直ると、やけに親しげな呼び名でそう言った。

 どういう繋がりがあるのだろう。まるで分からない。

 冬真はポケットの中から折りたたみ式のナイフを取り出した。普段からあんなものを持ち歩いているのだろうか。今さら驚きはしないが。

 琴音は鋭いナイフの切っ先を認めた。歩み寄ってくる冬真の靴音を聞いた。

 ────あれを退ける方法が、何かあるはずだ。

「そんなもので殺していいの?」

 琴音は冬真を見据える。

 最後の抵抗としての命乞いだろう、と高を括った彼は、緩慢とした動きでその眼差しを受け止めた。

 琴音はそのとき、不意に身体の硬直が解けたことに気が付いた。二十秒が経過したようだ。

 しかし、状況を覆す隙を見出すため、そのままの姿勢を保った。

 ふ、と唇の端を持ち上げ、勝ち誇ったような表情を作ってみせる。

「あなたが喉から手が出るほど欲してる硬直魔法……、持ってるのはこの私よ」

 琴音のはったりに、冬真は驚いたように息を飲み動きを止めた。律も瞠目している。

 本来の持ち主は奏汰であり、半狐面の彼が何故それを使えたのかは分からない。

 だが、この場においては、この嘘は通用するはずだ。そして、それが切り札となるはずだ。

 琴音は追い討ちをかけるように続ける。

「魔法は魔法で殺さないと奪えない。そんなもので私を殺しても、あれだけ求めてた硬直魔法は得られないわ。残念だったわね」

 冬真の魔法は、例えば蓮の火炎魔法や瑚太郎の水魔法のように、直接攻撃が可能なものではない。

 うららに殺らせることも出来るが、魔法の譲渡は不可能だ。

 冬真が硬直魔法を得たいのなら、冬真本人が魔法で琴音を殺害する必要がある。────と、思わせることが出来た。

「……なら」

 先に衝撃から立ち直った律が、くるりと祈祷師の方を向いた。

の場合はどうなる?」

 冬真に操られるか、律に記憶を書き換えられ、自殺するよう仕向けられたら────。琴音はひやりとした。

 祈祷師は顎に手を当てる。

「ザンネンだけど自殺じゃ魔法は奪えないんよね~。魔法で殺すしかない。ま、唯一の例外がそこにいるウララたんの磁力魔法だけど……硬直魔法を奪いたいのはトーマっちだもんね?」

 ほっと安堵すると同時に、訝しむ気持ちが膨らむ。

 この男は何者なのだろう。紗夜たちですら知らないルールまで把握している。

「……っ」

 冬真は苛立ったように自身の髪を掻き混ぜ、ナイフを投げ捨てた。

 琴音の思惑通り、何とか死の危機は免れたようだ。

「如月……」

 律の顔に狼狽の色が滲む。予想外の展開に、彼もどうすればいいのか行動を決めかねているようだ。

 ただ一人、祈祷師は「ふふふ」と愉快そうに笑っている。一歩踏み出した。

「トーマっちが戦意喪失しちゃったんで、代わりにボクが殺るね。ボクはキミから魔法を奪えないし、キミもボクから魔法を奪えない。だからボクはキミがどんな魔法を持ってようがカンケーなーし!」

 祈祷師はそう言うと、手の内に雷を蓄えた。バチバチと青白い電光が徐々に大きくなる。

 琴音は、はっとした。あれは────。

「どーやら、この魔法に思い入れがあるみたいだからね……。これで殺ってあげるよ」

 琴音の表情の変化を見やった祈祷師は、興がるように笑みを深めた。

 そのまま琴音を目掛け、雷撃を放つ。

 琴音はほとんど反射で飛び退き、彼の攻撃を避けた。シュウゥ……、と黒く染まった地面から煙が上る。

「あちゃー、もう動けるか。二十秒って短いなぁ。そんじゃ、もう一回────」

 硬直か雷撃か、再び何らかの魔法を繰り出そうとした祈祷師の腕を、冬真はガッと掴んで制した。

 鋭い視線で祈祷師を睨みつける。声が出ないため言葉は無いが、言わんとすることは理解出来た。

 “硬直魔法は僕のものだ、僕が殺す”。

「おいおい、トーマっち。キミにはカノジョを殺す魔法しゅだんがない。諦めてボクに────」

 祈祷師がそこまで言ったとき、不意に琴音が目の前に現れた。

 瓦礫の山から拾ったであろう鉄棒が振り上げられる。

 祈祷師は身を逸らして避け、そばにいた冬真も律に引っ張られ距離を取った。

「鼬ごっこはもう飽きたわ。私がここであなたたちを葬る」

 琴音は鉄棒を構え、決然と告げる。瞬間移動で逃げるつもりはもうなかった。

 素早くうららを窺う。微動だにせず、口も開かない。冬真に命じられているのだろう。

 彼を殺せば術は解けるだろうが、それは最悪の手段だ。

 彼らを気絶させ、拘束しておく。そして、うららの能力で魔法を奪う────。

 それが、この状況で冬真たちを破る唯一の方法だろう。

「……っ!」

 冬真は尚も祈祷師に訴えかけていた。何がなんでも、琴音は自分の手で殺さなければ。

 冷静さを欠いている彼は、うららへ命令したり律を傀儡にしたりすることなど頭にないらしく、 琴音殺害に意地になっていた。

 琴音としては、お陰でうららを敵に回すこともなく、傷つける心配もなかった。

 祈祷師は嘆息し、ふっと笑みを消す。

「ボクの邪魔しないでくれる?」

 これまでの飄々とした態度とは一転、苛立ったような冷たい声色だった。

「ボクはキミに手を貸した、それはキミの狙いがボクと一致してたからだ。ボクは別にあいつらが死にさえすれば、手を下したのが誰かなんてどーでもいい……」

 “あいつ”? 琴音は怪訝そうに眉を寄せる。

 祈祷師は再び笑みを湛えると、冬真に向き直った。

「キミには機会をあげただろ。でも、くだらない執着でそれを無駄にした。もうキミに用はない。下がってろ」

 そう言うや否や、琴音に向かって雷撃が放たれる。

 琴音は飛び退いて回避するとすぐさま駆け出した。旧校舎の中へ逃げ込む。

 “立ち入り禁止”とあったが、気にしてはいられない。

 冬真と祈祷師は仲間割れしたようだ。好都合だ。

(それより“あいつら”って……)

 そこに自分が含まれていることは分かる。あとは、もしや仲間たちのことだろうか。

 琴音は廊下を駆けながら、顳顬に触れる。

「桐生! 小春たちにも伝えて。私たちを狙ってる奴がいる。如月たちの他に、祈祷師とかいう────」

 突如として、琴音の目の前に祈祷師が現れた。

 瞬間移動……驚く間も戸惑う暇もなく、彼は手を銃の形に構える。

「ばーん!」

 祈祷師の指先から放たれた光弾こうだんが、琴音の額を貫いた。

『琴音……? おい、琴音!』

 大雅は呼びかけたが、間もなくテレパシーが切断された。

 どさ、と琴音はその場に倒れる。即死だった。

 額に空いた穴から、思い出したようにどくどくと血があふれ出す。床に血溜まりが広がっていく。



「おい、お前!」

 追いついた律が咎めるように祈祷師を呼ぶ。

 冬真は慌てて屈み、琴音の息を確認した。その死を悟ると、怒りを顕に立ち上がる。

 祈祷師の胸ぐらを勢いよく掴んだ。

「なーに? お望み通り消してあげたじゃんか」

 祈祷師は涼しい顔で言う。

 それはそうだが、冬真が殺さなければ意味がないのだ。これで、硬直魔法も奪えなくなった……。

 絶望と憤りを見せる冬真を眺め、祈祷師は面白がるような笑みを浮かべた。

「まさかトーマっちともあろう者が、コトネンのはったりに踊らされてたりしてー!」

 冬真は困惑しながら、祈祷師を離した。律も戸惑う。

「はったりだと……?」

「え、二人とも本気でコトネンが硬直魔法持ってると思ってたの? ありゃー……案外ピュアなんだね、ぷぷぷ」

 祈祷師は煽るように馬鹿にした。

 しかし、困惑が勝り、その態度にいちいち腹を立てる余裕はなかった。

「持ってたらとっくに使ってるって。ここで明かした後は、使えない理由がないんだからさ」

 確かにその通りだ。

 冬真に狙われないよう、硬直魔法を持っていることを隠していたのだとしても、冬真本人に明かした以上、使わない理由がない。

 ────何より祈祷師はじめ運営側は、全員の魔法を把握しているのだが。

「…………」

 冬真は項垂れる。……やられた。

 だったら、別に魔法で殺さずともよかったのだ。最初にナイフで刺していれば。

 とはいえ、硬直魔法を持っていないのなら、殺す必要もなかった。やっと、厄介な女が死んでくれた。

 普段の調子を取り戻した冬真は、その事実を噛み締めほくそ笑む。

「……この場合、こいつの魔法はどうなる?」

 律は祈祷師に尋ねた。

「魔法は奪えない、と言っていたが」

「コトネンの持ってた瞬間移動魔法は、即座に“天界”へ還るよ。天界っていうか、ボクらのリーダーの元へ」

 祈祷師は答えつつ、倒れた琴音の傍らに腰を下ろし胡座をかいた。

「その他にもー、魔術師が死んでから魔法を奪われることなく五分経過したときとか、さっき言ってたように自殺したときにも、おんなじように魔法は還ってく」

「……天界? リーダーとは誰だ?」

「はいはい、質問タイム終わりー」

 聞き慣れない言葉や新たに判明した事実に、さらなる疑問が募ったが、祈祷師に答える気はないようだ。

「そんじゃ、この死体どうする? 欲しいならあげるけど」

「誰がいるか。魔法も奪えないんだろ」

 祈祷師の話からして、琴音の魔法は既に天界とやらへ還った後なのだろう。

「敵の抜け殻なんて見たくもない」

「じゃ、せめてこれあげるよ」

 祈祷師は琴音の眼帯を外した。

 左目の眼窩がんかには闇のような空洞が広がっており、眼球がなかった。

「おい……」

 戸惑う律を他所に、祈祷師は眼帯を差し出す。

「はい、どーぞ。戦利品だよ」

 拒絶するかと思ったが、冬真はそれを受け取った。何を考えているのか、律にも分からない。

「じゃ、いらないということなんで消しまーす。バイバイ、コトネン」

 祈祷師は琴音の遺体に触れた。
 その瞬間、彼女は閃光とともに消える。残ったのは血溜まりだけだ。

「ボクもそろそろお暇しよう。また何かあったらヨロシクね、トーマっち。リッちゃんも」

「やめろ、その変な呼び方」

 思わず律が反発すると、聞き終える前に祈祷師も姿を消した。

「もう二度と手は借りないからな」

 彼がいた空間に向かって言う。

 掴みどころがなく、ちゃらけたように見えて残酷な男。

 強力なのは確かだが、いつ裏切られるか分かったものではない。

 律は疲れたようにため息をついた。

「…………」

 しばらく眼帯を眺めていた冬真は、それをポケットにしまい込む。

 血溜まりを見下ろし、口端を結んで背を向けた。



*



 大雅は小春たちとテレパシーを繋ぎ、琴音の言葉を伝えた。“祈祷師”という、新たな敵の可能性。それから────。

『琴音の意識が途切れた。……たぶん、殺された』

 感情を押し殺し、事実だけを伝えた。

 にわかには信じ難いが、繋いでいたテレパシーへの反応が消えてしまったのだ。それの意味するところは、すなわち死。

「うそ……」

 小春は呟いた。唇の隙間から言葉がこぼれた。

 つい先ほどまでここで話していた琴音が、今はもうこの世の何処にもいないなど、信じられるはずがない。

「マジかよ……。何で」

 蓮も動揺を顕に視線を彷徨わせた。

 うららを餌に冬真が待ち構えていたということだろうか。

 琴音の魔法をもってしても、彼には敵わないということだろうか。……そんなはずないのに。

 ────恐らくは、その“祈祷師”とやらにやられてしまったということだろう。

 琴音をも凌駕する存在。
 彼女の死にも、その脅威にも、感情がぐらぐらと揺さぶられる。

「……うららは?」

『あいつは生きてる。たぶん、また冬真に術かけられてると思う』

 大雅がそれを解くことも考えたが、冬真が勘づけば同じことの繰り返しだ。下手に手出しすると、うららまで殺されかねない。

「い、いったい何が……」

 小春は掠れる声で言った。琴音の身に何があったと言うのだろう。

『……聞こえた。あいつを貫いた光線銃みたいな音。祈祷師って奴が、冬真たちと組んで琴音を殺したんだ』

 大雅は戸惑いに飲み込まれないよう、平静を装った。

 何が起きたのかと言えばそれがすべてなのだろうが、まるで理解は出来なかった。

『……桐生さん』

 そんな大雅に、うららはテレパシーで語りかけた。

「うらら! お前……」

『わたくしのせいで瀬名さんが殺されてしまった。わたくしのせいで────』

「おい、落ち着け。何があったか見てたのか?」

 うららの声は震えていた。直接発声はしていないはずだが、余程のことがあったに違いない。

『最期を直接見たわけではありませんの。わたくし、あの後再び術にかけられてしまって……。発言しないこと、一定の距離を置いてついて行くことを命じられましたわ。それで、突然あの場に祈祷師という男が現れて』

 要領を得ないながら、うららは必死で言葉を紡いだ。

 テレパシーさえ禁じられる前に、起きた出来事は出来るだけ詳細に伝えたかった。

『瀬名さんが捕まったのだけれど、何とか旧校舎内に逃げて────。でも、その後……聞こえましたの。銃みたいな音や“死体”なんていう言葉が』

 やはりそうだ。やはり、琴音に直接手を下したのは祈祷師だ。

『祈祷師は瀬名さんの遺体を消すと、自分自身も消えた……。それは見ましたわ』

消えた、、、?」

『ええ。それと、瀬名さんを殺めたのは祈祷師だから、彼女の魔法が如月さんたちに渡ったということはありませんわ。天界とやらにいる祈祷師のリーダーの元へ還った、と……』

 大雅は険しい表情を浮かべた。

 仲間の死を悼む間もなく、分からないことばかりが増えていく。

「“天界”とか“祈祷師”とか、もうわけ分かんねぇよ」

 うららの話を伝えると、蓮も困惑を顕にした。

 祈祷師などという異能者は、魔術師の一種なのだろうか。あるいは、まったくの別物なのだろうか。

 また、天界とは何を指すのだろう?

 何故、自分たちが狙われるのだろう?

 何故、祈祷師は冬真たちに手を貸すのだろう……?

 分からない。分からないが、立ち止まってはいられない。得体の知れない脅威が迫ってきているのだ。

 ────キーンコーン……。
 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 様々な感情が入り乱れ、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる。何の整理もつかない中、現実感だけは歩みを止めない。

「……戻ろうぜ」

 青白い顔で立ち竦む小春を気にかけながら、蓮は促した。



 教室へ戻り、席につく。どっと身体が重くなった。

 思わず瞑目すると、琴音との記憶が蘇ってくる。

 当初、自分を瑠奈から救ってくれた彼女は、仲間として常にゲームにおける指標となってくれていた。

 彼女がいたから、この嘘のような現実と向き合えた。理想を見つけられた。

『────助けてくれてありがとう、小春』

 ……やっと、彼女と理解し合えたところだったのに、もう二度と会うことは出来ない。声も聞けない。

 主を失った琴音の机を見た。鞄やペンケースが置かれたままだ。

 よくやく、彼女の死という事実が、認識として深く浸透してきた。

 悲しみ、怒り、驚き、やるせなさ。あらゆる感情が混濁し、涙に変わる。喉の奥が締め付けられるような痛みを飲み込み、必死で涙を堪えた。

 少しだけ遅れ、五限の教科担任が教室へと入ってきた。

 委員長が起立の号令をかけると、琴音の不在に気が付いたらしく「あれ?」と訝しむ。

「瀬名さんが見当たらないけど……」

 そんな教科担任の言葉に、小春は思わず俯いた。蓮も眉を寄せる。

「誰か、何か聞いてない?」

「あ、の……早退、しました」

 何とか答えた小春だったが、教科担任は怪訝そうな表情を浮かべる。

「荷物も置きっぱなしで?」

「かなり、具合が悪かったみたいで……」

 歯切れの悪い言い方になったが、この他に何とも言いようがなかった。

 “瞬間移動して戦いに巻き込まれ、結果的に祈祷師に殺されてしまった”などと事実を口にしたとして、誰が信じてくれるだろうか。

「そう、一応連絡してくるわね」

 漠然とした不穏な気配を感じたのか、教室内にささやかなざわめきが起こる。

 教科担任も困ったような不安気な表情で息をついた。

「このクラス、胡桃沢さんも行方不明でしょう。望月くんといい、大変だわ……」

 そうぼやきながら教室を出て行った。

 それが引き金となり、ざわめきが大きくなる。こうも立て続けに人がいなくなれば、奇妙な違和感を覚えるのも無理はないだろう。

 花瓶の置かれた慧の机、主のいない瑠奈の机、荷物が置かれたままの琴音の机。

 小春はそれぞれを順に見やり、不意にあることに思い至った。

(もしかして、瑠奈も……?)

 突如として姿を消した瑠奈も、もしかすると祈祷師の襲撃を受けたのかもしれない。

 はっと瞠目し、思わず蓮を見た。彼も同じような顔でこちらを向いていた。恐らく、同じことを考えている。

 祈祷師とは────いったい何者なのだろう。

「…………」

 小春は俯いた。屋上でのアリスとのやり取りを思い出す。

『そのときは、襲われたときは、私が助ける。私が守る。皆のこと』

『どうやって? 小春の魔法は攻撃に向かへんやん。まぁ、誰も傷つけたくないあんたにはぴったりかもしれへんけどな』

 彼女の厳しい声が耳の奥でこだまする。

 ぎゅう、と膝の上で拳を作った。

(私に何が出来る……?)

 何も出来ない。

 だから、次から次へと仲間を失う。誰も守れない無力感に苛まれながら。

 ────小春はスカートのポケットからスマホを取り出す。
 縋るように強く、両手で握り締めた。
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