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第二章 -理想の代償-

第12話 11月19日

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 放課後になると、大雅と奏汰、陽斗はともに帰路についた。

 琴音を殺害した祈祷師や冬真の襲来に備えるため、一人になるべきではないと判断してのことだった。

 陽斗は昨日退院し、今日から学校へ復帰したところだ。

「……でも、何か信じられないな。琴音ちゃんが亡くなったなんて」

 目を伏せた奏汰はぽつりと呟いた。

 実感が湧かないという意味でも、彼女が敗北したという意味でも、未だに信じられない。

 琴音は瑠奈同様、行方不明という扱いになっていた。

 うららが言っていたように、祈祷師が遺体を消したためだろう。

「やっぱ、あのとき止めるべきだった。つか、俺が行くべきだった」

 うららの救出を安易に任せてしまったことを悔い、大雅は表情を歪める。

「お前が行ってたら、お前が殺されてたかもよ」

「それに、祈祷師なんて存在は知らなかったわけだし……」

 陽斗と奏汰の言葉は尤もだが、だからと言って割り切れない。

 もっと他に何かあったはずだ。こんな展開を生まないための、最善の選択が。

「何者なんだろうな? 何で狙われるんだろ?」

 陽斗が首を傾げる。

 何とも言えない。皆が一様に同じ疑問を抱いていることだろう。

「……ねぇ、桐生くんはこれからどうするの?」

「ん?」

「如月くんにも色々バレちゃったわけでしょ。学校も危険なんじゃない?」

 奏汰の言葉に大雅は「んー」と唸った。

「確かにな。ま、でも全力で逃げるしかねぇ。学校でも顔合わせねぇようにするし」

「そこまでして通う必要あんの? 大雅って不良の割に真面目なとこあるよなー」

「……別に真面目なわけじゃねぇよ」

 ただ、登校することへこだわるのは、自分を侮蔑するような教師たちへの当てつけだった。大雅の意地だ。

 また、冬真たちに少しでも圧力をかけておきたいのだ。休むことを“逃げ”だと捉えられれば、彼らの士気を高めてしまう。

「それで言ったらお前らも危ねぇぞ。あいつらに俺らの仲間だってバレたら……」

「大丈夫! そうなったら俺らはすぐ休むし」

 陽斗は得意気に笑い、ピースサインを作って見せる。

 戦闘狂の彼でも、時に身を引く判断が大切であることは承知していた。

「そうだね。逆にそれまでは、下手に慎重になり過ぎない方がいいかも。かえって怪しまれそうだし」

「あ、俺らが魔術師ってことはバレてんの?」

「いや、今はまだ。でも俺が捕まって連れ戻されたらアウトだな」

 現状、星ヶ丘高校に絞って言えば、冬真に報告したのは一年生の魔術師のみだ。二年生と三年生の魔術師についてはまだ精査していない。

 だが、もしも大雅が引き戻された挙句、再び服従させられようものなら、それらをことを強いてくるに違いない。

「うっわー……如月冬真もしつこい奴だなー。どんだけ大雅のこと好きなんだよ」

「サドマゾなだけだろ」

「はは、桐生くんは何処までも反抗的だよね」

「そりゃな。嫌いだし」

 二人と話しながら、大雅は何処か不思議な気分になった。

 学年もタイプも異なる彼らとは、恐らくゲームがなければ関わることもなかっただろう。

 それは当然、小春たち他の仲間にも言えることだが、奏汰たちとは“同じ学校の生徒”という繋がりもあり、一層そのように感じられた。

 ついこの間までは、こんなふうに一緒に下校するとは思いもよらなかった。

 ふと、陽斗は気になった。

 どう見ても相性最悪な冬真と大雅だが、当初は何故行動をともにするようになったのだろう。

 尋ねてみようとしたとき、ちょうど大雅が立ち止まった。

「俺、こっちだけど……お前らは?」

 どうやら岐路に差し掛かったらしい。

 大雅は右手に伸びる道路を指して問うた。陽斗とは方向が異なるが、奏汰は頷いた。

「俺も同じだよ」

「マジか、俺だけ別じゃん」

 陽斗はやや大袈裟に項垂れる。出来ればもう少し互いについて掘り下げたかったが、それはまた今度の機会になりそうだ。

「そんじゃ、また明日な!」

 朗らかな笑顔を湛え、二人に手を振った。

「ああ、じゃあな」

「またね」



 二人と別れた陽斗は、特に何事もなく自宅へ到着した。

 明かりの漏れるキッチンに「ただいまー」と声をかけつつ、自室のある二階へと上がる。

 夕飯まで、最近ハマっているシューティングゲームでもやろう、と心を弾ませつつ扉を開けた。

「ん……?」

 漫画や脱ぎ捨てた服で散らかった部屋の中央に、異質な少女が立っていた。室内なのに傘をさしている。

 市女笠を被っている上、フェイスベールをつけており、顔の全貌は窺えない。膝丈ほどの漢服風の衣装といい、全体的に真っ白な雰囲気だ。

 明らかにこの空間とはマッチしない。

 少女がゆったりと顔をこちらへ向けた。

「誰だ、お前。どうやって入ったんだよ? 魔法か?」

 一瞬、祈祷師とやらが現れたのかと思った。しかし、祈祷師は男だと聞いている。

 彼女も彼女でただ者ではないだろう。魔術師だろうか。

 少女は不敵に微笑んだ。

「よく分かってるじゃん。その通り、魔法ですよ~」

 くるくると傘を回し弄ぶ。

 いったい、何の魔法だと言うのだろう。思いつくのは“瞬間移動”だが、それは────。

「ねぇ、私が何しに来たのかももう分かってるでしょ? 今さら喚いたりしないでよね。身から出た錆なんだから」

 少女は言いながら、右手を銃のように構えた。

 その人差し指の先が陽斗に向けられる。

 放たれた何かが迫ってきた。
 反射的に飛び退くと、陽斗の背後の壁にドォンと直撃した。

 咄嗟に振り返れば、穴の空いた壁から煙が上がっている。よく見ると、石のようだ。



「陽斗ー……? 大丈夫? 何の音?」

 階下から母親の声がした。今の銃声のような音が聞こえたのだろう。

 少女は面倒そうにため息をつく。

「うるさいなぁ。先に殺っちゃおうかな」

 はっとした陽斗は少女に向き直った。

 このままでは母親にまで危険が及んでしまう。

「狙いは俺だろ!? 余所見してんなよな! ついてこられるならついてこい!」

 陽斗は少女に宣言すると

 隙を見て、生前の琴音からコピーしていたのだった。

「ふぅーん……、面白いじゃん」



 陽斗が移動した先は河川敷だった。

 一瞬ここが何処なのか分からず戸惑った────コピー魔法による瞬間移動だと制限がかかり、思い通りの場所へ行けない────が、見知った場所で良かった。

 それに、ここであればそれほど人気ひとけもないし、スペースもある。……戦闘向けだ。

 瞬間移動魔法の移動先の制約は、本来の術者である琴音の方によるのか、あるいは陽斗の方によるのか、それすらまだ確かめられていない。

 ……と、コツと背後で靴音がした。

 少女が現れたことを察した陽斗は、音の出処に向け火炎魔法を放った。

「きゃ……!」

 少女は小さく悲鳴を上げながら避ける。

 だが、避けきれず、市女笠のしゃの裾がじりじりと黒く焦げた。彼女の脚も軽く火傷を負う。

「熱……っ! 痛ったー! 女の子に何すんの!」

「挑んできたのはそっちだろ。戦いに男も女も関係ねぇよ」

 少女の無茶な言い分を陽斗は一蹴した。

 すぐさま氷の剣を作り出し、切っ先を少女に向ける。

「お前は誰だ?」

「そんなの教える義理ないんだけどなー。ま、いいや。せっかくだし、冥土の土産に……」

 少女は紗を捲り上げた。依然としてフェイスベールはつけたままだが、強気な色の滲む瞳が顕になる。

「私は通称、霊媒師れいばいし

 眉を顰めた陽斗は首を捻った。

 霊媒師と言うと、除霊なんかのイメージが強い。確かに特殊な能力を持っているかもしれないが、何となく魔術師とは種類が異なっているように思える。

「霊媒師が魔法なんか使うのか?」

「だから“通称”なんだって」

 少女はうんざりとした様子で言った。

「私もも通称なの。つまり、ただの呼称! 私は“霊媒師”だけど、ガチの霊媒師じゃないんだよ。分かる?」

 侮ったように捲し立てられる。

 何となく理解出来た。“霊媒師”とは職業的なものを指すのではなく、彼女の呼び名だということだ。

(てか、他の三人って……)

 祈祷師という男もそこに含まれるのだろうか。いや、絶対にそうだ。

 彼女は祈祷師の一味なのだ。

 陽斗が思い至ると同時に、足元が渦を巻いた。いつの間にか水で浸されている。

 瞬く間に突き上がった水柱を何とか避けた。

「あ、もしかしてトラウマが蘇っちゃった?」

 くすくすと霊媒師は笑う。

 トラウマ────瑚太郎、いやヨルに襲われたときのことを言っているのだろう。

「……確かに死ぬ思いしたけど、トラウマになるほどじゃない」

「なーんだ、つまんない」

 何故、彼女はそのことを知っているのだろう?

 霊媒師や祈祷師といった存在は、魔術師とは独立していると捉えていいのだろうか?

 そうでなければ、同じ魔法を使っている点に説明がつかない。

 ────だが、ともかくそんな疑問は後回しだ。

 今は霊媒師を倒すことに集中する他ない。

 彼女が祈祷師と同類なのであれば、自分を殺しに来たに違いないのだから。

 陽斗は素早く駆け出すと、その肩目掛け氷剣を突き刺した。

「……っ」

 じわ、と彼女の服が赤く染まる。

 霊媒師は怯みつつ、痛みに悶絶した。

「なんだ。何かえらそーにしてるけど、普通に攻撃当たるし……思ったより弱い?」

 率直な感想を述べた陽斗だったが、霊媒師にとっては侮辱に等しかった。

「うっざ、何それ……。調子乗んないでよ」

 霊媒師は炎で氷剣を溶かした。その炎が陽斗の腕を伝ってくる。

「あつっ」

 皮膚に火傷を負ったが、当然ながら痛みはない。

 霊媒師はさらに追撃する。塊のような炎を陽斗へ放つ。

 陽斗は水魔法を使い、その炎を消した。手を銃のように構え、霊媒師に向け水弾を飛ばす。

 霊媒師は軽やかに飛んで避けたものの、一発だけ左腕に被弾した。

「よし……」

 陽斗が手応えに喜ぶ間もなく、すぐさま同じ攻撃をして返された。

 霊媒師と同じ位置に命中する。左腕に走った衝撃に思わず怯んでしまう。

「いってぇ……くはないけど! くっそ」

 腕からはどくどくと血があふれた。

 同じ技を食らわせた彼女の腕と比較しても、陽斗の方が重傷である。

「水鉄砲、これ便利だよねー。……あれあれ、どうしたの? 悔しそうだね?」

 余裕を取り戻した霊媒師は挑発するように首を傾げた。

「ま、当然だよね! あんたのは所詮コピー。偽物はオリジナルには敵わない、これ常識」

 霊媒師の言う通り、それはコピー魔法の弱点の一つだった。

 瞬間移動にしても思い通りにコントロール出来ない。攻撃にしても威力が弱まる。

 オリジナルと戦ったとき、どうしてもコピーは敵わない。

「うっせぇ……。だったら数打つ!」

 陽斗は両手を構え、機関銃の如く水弾を連射した。

 霊媒師はふわりと舞い上がり、空中へ逃亡する。あれは小春の魔法と同じものだろう。

 蝶のようにひらひらと躱され、なかなか当てられない。

 そのうち、次第に周囲に霧が立ち込めてきた。それも霊媒師の使う魔法の一つなのだろう。

 視界が霞み、彼女の姿を捉えられなくなる。

「何処行ったんだよ!? 逃げんのか!」

「ばーか、そんなわけないじゃん」

 不意に真後ろから声がした。

 陽斗は慌てて距離を取り、再び指を構える。

「……っ」

 目眩がした。というより、脚に力が入らない。

 何だろう────確かに疲弊はしているが、倒れるほど魔法は使っていないはずなのに。

「あははっ! さっきまでの威勢はどうしたの? もう反動が出ちゃった?」

 霊媒師は高笑いすると、得意気に歩み寄ってくる。

「ま、今回は反動より……が原因かな?」

 彼女の指した先を見た。すなわち、陽斗自身の脚を。

 風穴がいくつも空き、血が滴っていた。地面が赤く染まっていく。

「何だこれ……っ」

 まったく気が付かなかった。彼女の攻撃を避けきれていなかったということだろうか。

 いや、厳密には違うだろう。撃ち込まれた衝撃すらなかった。

 霊媒師は水弾の威力を調整し、陽斗に痛覚がないことを利用したのだ。知らぬ間に蝕まれていた。

 がく、と崩れ落ちる陽斗を彼女は見下ろした。

「あぁ、可哀想に……。もう逃げることも戦うことも出来ないね!」

 その挑発は紛うことなき真実だった。

 立ち上がることすら出来ない陽斗には、逃げることも出来ない。

 荒い呼吸の中、不意に咳き込むと血があふれた。反動だ。

 もうこれ以上能力を使うな、という身体からの危険信号。

(く、そ……!)

 ひたすらに苦しかった。血の絡んだ浅い呼吸を繰り返す。

 誰か助けてくれ、などという儚い願いは、しかし誰にも届かない。

 悔しいが、自分の負けだと認めざるを得なかった。

 ────ここまでのようだ。

 大雅に冬真と手を組んだ経緯いきさつを尋ねることも、シューティングゲームをすることも、もう叶わない。

 “運営側を倒す”という、目的を果たすことも。

「今楽にしてあげるから。さっさと死ね」

 霊媒師は手の内に雷を蓄えると、陽斗に落とした。

「……っ!!」

 当然避けられない陽斗は、威力増大の上まともに食らった。
 閃光が走る。

 どさ、とその場に倒れ────絶命する。

「……ん? 何かデジャヴ? ま、今回は死んでますけどねー。よし、消えちゃえ」

 霊媒師は独り言を唱えながら、陽斗の遺体に触れた。眩い光が閃くと、転がっていた陽斗が消える。

 彼女は肩口を押さえ、顔を歪めた。

「弱いくせにいきがっちゃって……ほんと癪。はー、早く帰んなきゃ。いててて……火傷も治さなきゃな」

 そう呟くと、霊媒師は姿を消した。

 ザァ、と吹いた風が草を揺らし、川の水面をわずかにさざめかせる。

 河川敷には静寂が戻った。



*



 カンカンカン……と、けたたましい音を立てながら踏切のランプが点滅する。

 小春を急かしつつ、蓮は歩調を速めた。

 そんな蓮に追従しようとした小春だったが、不意に目の前から小銭の散る音がした。

 高齢女性がまごついているのが目に入り、咄嗟に駆け寄って屈む。

「大丈夫ですか?」

 ぶちまけられた小銭を拾い集めていると、踏切の向こう側で蓮が振り返った。

「小春?」

「ちょっと待ってて!」

 そう返したとき、遮断かんが下りてきた。

 二人は分断された形となり、電車の走行音が聞こえ始める。

「まぁ、ごめんなさいねぇ……。ありがとう」

「いえ、気にしないでください」

 集めた小銭を渡すと、高齢女性は笑顔で礼を言いつつ立ち去って行った。

 ふわ、と風が吹き上がり、電車が通過していく。

 それを待っていると、頭の中で余裕のない大雅の声がした。

『陽斗と繋いでたテレパシーが切断された。この感じ、琴音のときと一緒だ……。たぶん、陽斗も────』

 その言葉に衝撃を受ける前に、ぱん、と何処からか手を打ち鳴らすような音が聞こえた。

 振り向こうとした小春だったが、突如として何かに捕まった。がっしりと首に右腕を回され、身動きが取れなくなる。

「誰……!? 離して!」

 もがいても力では一切敵わない。

 そのとき、目の前を走っていた電車が完全に通過し、向こう側に蓮の姿が見える。バーが上がっていく。

 小春は縋るように彼を呼んだ。

「蓮……!!」



 蓮は大雅からのテレパシーを受け、驚きを顕に眉を寄せた。

「また祈祷師の仕業なのか?」

『分かんねぇけど、あいつが他の魔術師に容易く殺られるとは考えにくいよな。まだ日も出てたから、ヨルでもねぇだろうし……』

 大雅と話している蓮は、小春の異変に気付いていないようだった。

「蓮! 助けて!」

 小春は精一杯叫ぶが、どういうわけか、蓮には届かない。

 うららと同じ消音魔法だろうか。小春から発せられる一切の音が消されている。

 心臓が嫌な音を立て始める。指先が冷えていく。

 背後にいるこの男は、いったい……?

「ボクじゃないよ? カイハルトを殺したの」

 小春の耳元から声がした。

 はっとした蓮は声の出処を見たが、誰もいなかった。

 得体の知れない気配を感じ、咄嗟に手に炎を宿す。小春を庇おうとしたが、周囲に小春の姿がないことに気が付いた。

「小春!?」

 そんな蓮の様子に小春は戸惑った。

 音や声が聞こえないだけでなく、見えてすらいないようだ。何の魔法なのだろう……?

「ここ……、ここだよ。蓮!」

 急速に不安になった。

 このまま存在まで消されてしまうのではないだろうか。

 蓮にも気付かれないまま、殺される?

「お前、祈祷師だな? 小春を返せよ。何処にやったんだよ!」

「はいはい、うるさい。キミは後でボクが……、いや────」

 一時的に小春を解放した祈祷師は自身の姿を現した。

 白髪に和装、半狐面の男。それを認めた蓮は睨むように見据える。

 祈祷師は口元に笑みを湛えた。

呪術師じゅじゅつしにでも相手して貰って来なさいな」

「な……」

 瞬間的に蓮と距離を詰めた祈祷師は、そのまま彼に触れた。

 蓮が何か言ったり抵抗したりする隙もなく、その姿が消える。

「蓮!!」

 突然、目の前から消えた。触れられて消えた────瞬間移動だろうか?

 何処へ行ってしまったのだろう。どうすればいいのだろう。

 身に迫る危険と孤独感が冷静さを奪っていく。

 祈祷師はくるりと振り返ると、わざとらしく両手を広げた。

「さぁ、ミナセコハル。邪魔者は消えた。遠慮なくぶっ殺させて貰うよー」

 足が竦んだ。背筋が冷えた。

 自分一人でどうにか出来るとは思えない。倒すなんてことは絶対に無理だ。隙を見て逃げるしかない。

 小春は深く息を吸い、必死で心を落ち着けた。

「ま、待って……。どうせ殺すなら、聞きたいこと聞かせて」

「えぇ? んー、まぁいいけど」

 祈祷師は答えるなり、小春の前に瞬間移動した。

「あなたは……何者なの?」

「だからボクは祈祷師だってば。運営側ね」

 さらりと言われたその言葉に息をのんだ。“運営側”────まさに自分たちが倒さんとする連中だ。

 何故、狙われるのか。その答えにも見当がついたような気がする。

 ……ならば、少しでも情報が欲しい。

「あのメッセージは何なの? 私たちのクラスや学校以外にも魔術師はいる。嘘なんだよね?」

「ありゃりゃ、バレちったか。ま、そうだねー。特定のクラスだけを殲滅するってのは確かに嘘」

 祈祷師は口を曲げた。

「だって、コウコウセイってクソガキじゃん? マジっぽいこと書かないと信用してくんないデショ?」

「…………」

「そんでスルーされて殺し合ってくれなかったら、こっちが困るかんね。ま、要するに“釣り”みたいなもんさな」

 その点は小春たちの推測通りだった。単なる扇動に過ぎなかったのだ。

 だが、何から何まではったりというわけでもないのだろう。

 彼らであれば、クラスの一つや二つ、学校の一つや二つ、下手したらそれ以上の規模で殺戮を行うことも容易いはずだ。

 実際、彼は“特定のクラスだけを殲滅する”ことが嘘であるとしか認めていない。

 バトルロワイヤルの根底は揺らがないのだ。

「十二月四日っていうのは────」

「それはホント。戦おうが戦わまいが、その日にはすべてが終わる。みーんな死ぬ」

「……っ」

 小春の蒼白な顔を見た祈祷師は、へらへらと笑った。

「なになに、今さら絶望? キミ、おバカさんだねぇ。別に何も変わんないじゃん? もともとそういう予定だったんだからさ」

 彼の口元から笑みが消える。

「ボクたち、最初から言ってるよね? 嫌なら殺し合え、って。そんで一人生き残ったヤツだけが助かる。単純めーかいデショ?」

 小春は肩を震わせた。

 恐ろしいのか、怒っているのか、自分でも感情の整理がつかない。

  ただ文面で見るのとは違う。面と向かって身勝手な理屈を並べ立てられ、直接悪意に触れた今、明確に思う。

 そんなことがまかり通るなんておかしい。自分たちが巻き込まれる筋合いなんてない。

 ぎゅ、と握り締めた両の拳に力が込もる。

「そんなの、滅茶苦茶過ぎる……!」

「ははは。まー、言ってなよ。嘆いたって状況は変わんない。さー、どっちが早いかな? コウコウセイを皆殺しにするのは────キミたちか、ボクたちか」

 何を言おうと、彼らはゲームを止める気などない。それを思い知らされた。

 やはり、倒すしかない。彼の言うような結末が嫌なら、何がなんでも、どんな手を使っても、倒すしかないのだ。

「じゃ、そろそろ殺っていい? ちっと喋り過ぎた。ま、どのみち殺すからいいんだけどねー」

 冷ややかな声色から一転、興がるように祈祷師は首を傾げる。

 小春は彼の多彩な魔法を思い出した。まともに戦ったとして、絶対に敵わないだろう。少なくとも、自分一人では。

 いずれ倒すとしても、今は逃げなければならない。

「そーれ」

 祈祷師が両手を翳すと、小春を取り囲むように円形の炎が地面から燃え上がった。

 その熱気に怯みながらも、何とか空中へ逃れる。

 飛行魔法を持っていて助かった。そうでなければ、このまま焼かれて死んでいた。

 ぺろりと舌なめずりをした祈祷師は、空中の小春を見定めると再び手を翳す。

 ヒュッ、と何かが素早く飛んできたのが分かったが、突然のことで避けきれなかった。

「い……っ、ぁ」

 何が起こったのか、小春自身にも分からなかった。

 突如として痛みが走ったかと思えば、地面へ向かって急速に落下していく。

 どさ、と叩き付けられるように倒れ込むと、次いで何かが降ってきた。……脚が見える。

 痛い。熱い。苦しい。それだけが頭の中を駆け巡る。

(何が……起きたの?)

 どくどくと血があふれていくのが分かった。あまりの激痛に、何処が痛いのかすら最早判然としない。

 せり上がってきた血が口からあふれた。

 キィン、と耳鳴りのような感覚がする。意識が遠のきそうになる。

 力が入らない中、小春は必死で顔を動かした。

(え……?)

 腰から下がなくなっていた。

 身体が、二つに分断されている。

 意味が分からなかった。どうなっているのだろう。

 ただ、止まらない鮮血と激痛が、夢ではないことを強く訴えていた。

「焚き付けた主犯のキミには楽な死に方させないよー。ボクたち運営側は、に制裁を加えなきゃね」

 祈祷師の声がぼんやりと聞こえる。だが、その内容を正確に理解出来るほど頭が働かない。

 こんなところで死ぬわけにはいかないのに────。

 死にたくない。死にたくない。

 自分の状態を把握した途端、切に願わずにはいられなくなった。

 だが、そう思う反面、この苦痛から早く解放して欲しい、とも考えてしまう。

 ばくばくと激しく脈打っていた鼓動がだんだん速度を落としていく。

 その心拍により、波動のような激痛と鈍痛が全身を駆け巡る────。

 心音が遅くなるほど、その苦痛は増幅していった。まるで拷問だ。

「う、ぅう……っ!」

 耐え難い痛みと苦しみに叫び出したいほどなのに、そんな気力も体力も残っていなかった。

 早く意識を失ってしまいたい。そうすれば、きっと少しは楽になる。

 だが、そうすればもう二度と目覚められないだろう……。

「ふふふ、いっそのこと殺して欲しいでしょー。でも、ボクはそんな優しいことしないよ。勝手に命尽きるまで見守ってるね」

 祈祷師は倒れた小春の前に屈み、自身の膝に頬杖をついた。

 小春の呼吸が鈍っていく。心音の間隔が広くなっていく。

 目を閉じれば、蓮や仲間たちの姿が蘇った。自分の言葉が過ぎった。

『────私が助ける。私が守る。皆のこと』

 つ、と涙が伝い落ち、ぽたぽたと地面の血溜まりに溶ける。

 何て情けないのだろう。何て無責任なのだろう。

 誰のことも、自分自身でさえ、守れなかった。

「ごめ……ね……」

 やがて小春は力尽き、その心臓は拍動を止めた。

 身体の切断面からあふれる血は未だに止まらない。血溜まりは広く深くなる一方だ。

 小春の死を確かめた祈祷師は、ふわりと満足気に口角を持ち上げた。

「あーあ、死んじゃった。案外あっけなかったな」

 そう呟きながら、その亡骸に手を触れる。

 辺りに眩い閃光がほとばしった。



*



 蓮は突然の景色の変化に驚いた。放課後の学校だ。

 見慣れた校舎内だが、人影はなかった。

「くそ……! こんなとこにいる場合じゃねぇんだよ」

 ひたすらに小春の身が案じられる。忽然と姿を消した彼女は無事だろうか。

 今すぐにでも捜しに行かなければ────。

 廊下を駆け出した蓮だったが、すぐに足を止める羽目になった。

 不意に廊下の先に一人の女が現れたからだ。

 彼女は片方の唇の端を持ち上げ、高圧的な笑みを浮かべた。

「あんたがあたしのお相手ってわけね」

 スリットの入ったタイトなドレスに身を包み、羽根のついた扇子を手にしている。

 女は蓮の反応を待たずして手を翳した。掌から飛び出した水が、まるで意志を持った大蛇のように蓮を追尾する。

 蓮は「チッ」と舌打ちし、反対方向へ駆け出して逃げた。

 廊下を曲がり、適当な教室へ飛び込む。扉を閉めると、バシャッと水がぶつかって散った。

「何なんだよ……」

 蓮が火炎魔法の持ち主であるということが、既に露呈しているのだろうか。

 水魔法を繰り出されたのでは、蓮はほとんど無力も同然だ。

 コツ、コツ、と靴音が近づいてくる。

 臨戦態勢を取りながら、得体の知れない女に声をかけた。

「お前も祈祷師の一種なのかよ」

「馬鹿だね、祈祷師ってのは肩書きじゃないよ。あたしは通称、呪術師」

 そういえば、踏切で祈祷師も“呪術師”がどう……などと言っていたことを思い出す。

「お前らは何者なんだ?」

「そうだね……“天界”の住人、とでも言っとこうか」

 ふっ、と蓮は鼻で笑った。

「天界? 魔界の間違いだろ」

 その瞬間、廊下側から衝撃波が飛んできた。吹き飛ばされた扉が蓮を覆うように落ちてくる。

 咄嗟に退いたが、足首にぶつかってしまった。

 一瞬の怯みを悟った呪術師は、ここぞとばかりに水弾を放つ。

「……っ」

 何とか急所は避けたものの、脇腹に一発食らった。水とはいえ、威力は本物の銃弾と大差がない。

 脇腹を押さえた蓮は一時的なバリア代わりに、呪術師との間に炎で一線を引いた。

「痛……っ。くそ!」

 傷の具合を確認する間も、痛みに悶える間もなく、炎が消されてしまう。シュウゥ、と煙が上がる。

「ふふ、どう楽観視してもあんたはあたしに敵わないよ。前に交戦したような紛い物の水魔法とはわけが違う。あれにも勝てないあんたには、為す術なしね」

 陽斗のことだ。それまで把握されているとは、本当に得体が知れない。

 はぐらかすような回答しか得られていない。“天界”とは結局何の話なのだ。

 しかし、今はあれこれと考える余裕がなかった。

 ……どうせ敵わないのなら、貰える情報だけ貰い、逃げるが勝ちだろう。

 ぼっ、と火炎を宿し、呪術師の足元に放った。

 水魔法で消されるのは分かっているが、情報を聞き出すための時間稼ぎには使える。

「なぁ、何で俺たちなんだよ?」

 呪術師はもったいぶるように炎を無視し、蓮のそばにあった机や椅子を凍らせ始めた。

 氷はパキパキと硬い音を響かせながら、侵食するように床まで広がっていく。冷気が皮膚をなぞった。

「それは……このゲームの対象の話? それとも、あたしらがあんたや仲間を狙う理由を聞きたいのかい?」

「どっちもだ」

 パキ、と氷が蓮の脚を登り始める。さっと手を翳し、炎の熱気で周囲の氷を一気に溶かした。

 呪術師も同じように、足元の炎を消火する。

「……いいだろう。あたしの攻撃を受けてる間は答えてあげよう」

 彼女は素早く手を構え、水弾を放つ。

 蓮が避けるまでもなく、水弾は逸れて天井の蛍光灯に当たった。

 薄暗い教室内は明かりが消えているが、今の攻撃で断線し、バチッと火花が散った。

 何のつもりかと戸惑う蓮に、ばしゃっと水がかけられる。

「うわ、やっべ……!」

 堪らず走り出そうとするも、不意に足首に痛みが走った。扉の衝撃で痛めたのかもしれない。

 呪術師が蛍光灯を撃ち落とすと、蓮の真上から降ってきた。

 避けられないと判断し、咄嗟に背中で受け止める。蛍光灯は蓮の背を強打すると、床に落ちて砕け散った。

 衝撃とともに、ぴりぴりと痺れるような痛みが走る。

 まともに感電することはなかったが、先ほどから小さなダメージが着実に蓄積していっているような気がした。

 脇腹に鈍痛を感じると、銃創から鮮血があふれる。
 思わず顔を歪めた。呼吸が浅くなる。

「汚ぇ奴……」

「あたしは機会を与えてんだ。貶される筋合いはないね」

 その気になれば魔法で瞬殺出来る、とでも言いたげだった。物理攻撃は温情なのかもしれない。

「そうだねぇ……。まず、プレイヤーの対象についてはダイスで決めた。あんたらは運がいい」

「ダイス? んな適当なもんで────」

「これはゲームなんだ。公平に楽しくいかないとね」

 その結果、高校生という肩書きを持つ人たちが巻き込まれたというわけだ。

 会話の流れから嫌でも察する。呪術師は、運営側の一員だ。

 自分たちが倒すべき相手の一人。そう認識した途端、急激に自信がなくなっていく。果たして、こんな連中に敵うのだろうか……?

 今、既に殺されかけているのに。抗うことは現実的なのだろうか。

 疼いた脇腹の傷が、蓮の体力を削っていく。

「ついでに教えてやろう。代償について」

 ガチャにおける魔法会得の話だろう。

 呪術師は扇子を仰ぎ、風を起こした。斬撃が飛んでくる。

 蓮は足を引きずっても、俊敏な動きなど出来なかった。

 しかし、あえて急所から逸らしたように、腕や肩、脚、頬が切られる。

「く……っ」

「代償もダイスで決まってるんだ。臓器ならどの臓器か、寿命や記憶なら何年分か。当然、出目は六以上あるがね」

 蓮の苦痛など構わず、呪術師は説明した。もともとそういう約束だが、何とも無慈悲だ。

「あぁ、そうそう。代償の選択肢の四つ目はね、あたしらに完全に委ねるって意味だ。一から三に含まれるものは勿論、それ以外も代償の候補になる」

 臓器や四肢などを失う可能性もあり、また、それらに含まれない寿命や記憶を奪われる可能性もあるということだろう。

 最も“賭け”のような選択肢に思えた。運が良ければ、その他三つの選択肢より軽い代償で済むが、悪ければ即死だ。

「……で、お前らの目的は……?」

 荒い呼吸を繰り返しながら、絞り出すように尋ねる。

 何故、運営側が自分たちを狙うのか。何故、こんなくだらないゲームを仕組んだのか。

 呪術師の赤い唇が弧を描いた。彼女が手を翳すと、蓮の胴や両足が蔦で拘束される。

 慌てて燃やそうとしたが、それを阻むように水が放たれた。

 液体なのに空中でも形を保ったままの水は、蓮の鼻と口を覆うようにまとわりつく。

「……!!」

 息が出来ない。苦しい。

 もがいても枷のような蔦や水は外れず、酸素にありつけない。

「目的ね……。それは、最後の生き残りになったら教えてあげよう」

 呪術師はゆったりと蓮に歩み寄った。

 蓮の全身に刻まれた傷から、血が滴り落ちる。

 だんだんと色を失っていく彼の顔を見やり、そっと顎を掬い上げた。

「尤も────あんたはここでゲームオーバーだけどね」

 呪術師の右手が、勢いよく蓮の身体を貫いた。

 今までに味わったことのない激痛が、朦朧としていた意識を覚醒させる。

 それでも、身体は既に言うことを聞かなくなっていた。悲鳴も呻き声も上がらない。

 口から血があふれた。一瞬にして水が赤く染まる。

 力が入らない。立っていられない。

 やっと蔦と水から解放されると、どさ、と床に崩れ落ちる。

 激しく咳き込んだ。そのたびに血があふれ、自身も周囲も真っ赤になった。

 血溜まりの中で、自分の微弱な呼吸音を聞く。

(小春……)

 痛みも苦しみも絶望も、死んでから思い出せばいい。

 ただ、小春のことが気がかりだった。どうか、彼女だけは無事でいて欲しい。どうか……。

 こんなところでくたばったらもう守れないというのに、心臓は今にも止まろうとしていた。

 “死”が迫る。その現実は、受容も拒絶も受け付けない。

 霞む視界の中に、満足気な呪術師の姿がぼんやりと浮かぶ。

 そのとき、頭の奥でわずかに大雅の声がした。

『……小春が────』

「…………」

 蓮は、ふっと瞑目する。

 最後まで聞けないうちに、その命の灯火は消えてしまった。

『小春が、死んだ』

 大雅の告げた残酷な真実は、むしろ彼に届かず良かったのかもしれない。

 訪れた静寂の中、呪術師はこと切れた蓮の身体に手を伸ばした────。
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