触れても伝わらない

河原巽

文字の大きさ
1 / 6

1

しおりを挟む
「君、王都に来ないか?」

 大男が口にした快活な誘い文句に、マグラは思わず胡乱な視線を返した。


--------------------------------------------


 マグラの住むエンフォ地方は王都から馬で数日という離れた場所にあり、獣人と人間が共存する領地である。
 かつて国境向こうの山奥から獣人たちが移住してきたのが始まりで、優れた身体能力を持つ獣人がその力を振るい、人間の生活に利益をもたらすことで永住の地を得ることとなった。それ以来、互いの種族は永く友好な関係を保ち、大きな諍いもなく今日にまで至っている。

 祖先や親類縁者がそうしてきたように、彼もまた恵まれた能力を活用するために警護団地方支部と呼ばれる組織に身を置き、様々な仕事をこなして生活していた。
 猫の獣人であるマグラは柔軟で素早い身のこなしと夜目が利くことから夜間の活動を得手としており、その日も星が煌々と輝く時分に任務に繰り出していた。

 エンフォ地方は能力自慢の獣人たちと築き上げてきた領地だけあって、王都から距離がある地方にしては栄えている方だと言える。人が多くなれば良からぬことに手を染める者が増えるのも必然で、違法な薬の取引現場を押さえるのがこの夜の最重要任務だった。
 武器を携帯しないマグラは物音を立てずに繁華街の屋根を駆け抜ける。通りの端にある寂れた酒場の屋根まで辿り着くと裏口の真上で身を潜めた。街灯の光がほとんど射さないこの裏口が取引場所と有力視されているため、マグラが朝まで張り込むことになっている。

 どれくらいの時間が経ったか、じっと目を閉じて神経を研ぎ澄ませていると頭上の左耳がピクピクと揺れた。ふたつの足音が同じ方角から、いくらか距離を置いてこちらに向かってくる。売人と購入者かと思われたが、不意に後ろを歩いている方の足音が止んだ。
 二人同時に相手にする可能性を考えて位置関係を頭の中に浮かべながら、まだ動いている足音に耳を澄ませているとやがて裏口の扉前――マグラの真下まで辿り着いた。

(薬が渡ったところで捕縛だな)

 焦らず事の経緯を見守ることにすると、真下にいる人物が木製の扉を変則的なリズムで叩いた。すると内側からトン、とノックが一回。外側からも返すようにトントンと二度鳴らす音が聞こえたかと思うと、蝶番の軋みが小さく響いた。

「支払いは?」
「ルビーを一粒」
「……これなら二回分だな」

 くぐもった囁き声でもマグラは聞き逃さない。そっと上体を乗り出して見下ろしてみれば、扉から半身を出している男が小さな包みをふたつ、掌に乗せて差し出していた。紫色の絞り模様が入った包み紙は問題とされている違法薬のそれと一致している。
 小指の爪半分ほどの紅い石を差し出した人物が包みを受け取った、そのタイミング。

 屋根を蹴って飛び降りたマグラは購入者を後ろから足払いして転倒させると、闖入者に驚いて扉の奥に逃げようとした男の腕を即座に掴んで引きずり出す。
 ここでもう一人、離れた位置で控えていた人物がこちらに向けて駆けてきた気配を感じる。

(縄が足りない。一纏めにするか)

 掴んだままの売人が何とか逃れようともがいて鬱陶しいので鳩尾を蹴りつける。弾き飛んだ身体が駆け寄ってくる巨体にぶつかる音と「うおっ」と素っ頓狂な声が聞こえた。
 壁の目地を足場にして、その身で売人を受け止めた男の背後まで飛び越える。首を締めて落とすか、と目算して腕を伸ばしかけたそのとき。

「確保完了」

 マグラよりも上背のある男が事も無げに言った。

「は?」
「この男、捕縛対象だろう?」

 肩越しに振り返る男の目に邪気はなく、男の腕に収まっている売人を覗き込んでみればすでに手錠が掛けられていた。いつの間に、と瞠目するマグラに大男はにっこりと微笑んだ。

「君、地方警護団所属だね?」


 その晩に王立警護団の支部長だと名乗った男とは数日の間に何度か出くわすことになり、最終的には王立警護団に勧誘されていた。獣人が当たり前に住んでいるこの地で一生を終わらせるものだと思っていたマグラがこの申し出を受け入れたのはただただ何となく、それだけだった。


--------------------------------------------


「王都に獣人はほとんどいないが、その能力の高さは広く知られているから皆温かく迎え入れてくれるだろう」

 王立警護団第四支部長はよくしゃべってうるさい。話半分で聞き流しているマグラだが、お構いなしに王都でのあれこれを話し聞かせてくる。
 勧誘されたあの日から何日経ったのか、生まれ育った街から離れたことのなかったマグラは今王都の地を踏んでいる。到着したのは昨日の朝のことで、それから一日身体を休め、今日は諸々の手続きを済ませたら早速第四支部詰所に顔を出すことになっている。朝一番に宿へ迎えに来た支部長は朝食を摂っている間もあれこれとやかましい。

「ただ、その獣人の特徴は隠しておいた方がいいかもしれない。見た目を覚えられると犯罪者に警戒される恐れがある」

 俺たちも休日は髪型を変えているんだ、と聞き、なるほどと思った。獣人が多いエンフォ地方なら警護団員が獣人であることは当たり前だが、こちらでは浮いてしまうのだろう。スッと耳と尻尾を引っ込めると対面の男は一瞬驚いた顔を見せたが、その口は留まるところを知らないらしい。

「団員たちには好きに明かしてくれて構わない。警らの規定ルートはいくつかあるが地方と王都こっちじゃやり方も違うだろうし、ちゃんと連携が取れるならそううるさく言うつもりはないから」

 第四支部の主な任務は城下の治安維持と聞いている。マグラが何となく勧誘を受け入れたのは第四支部だったからだ。これが要人警護だの王城警備だのの堅苦しい部署であったなら即座に断っていた。

「よし、それじゃ行くか」

 マグラの二倍ほどの食事量をあっさり平らげた支部長に続き、マグラも席を立った。



 その後、入団届けと団員寮の入寮届けを第一支部に提出し、第四支部詰所へ向かう。初日の今日は出勤している団員たちに挨拶をしたら仕事現場である城下へ赴き、直に歩いて道を覚えることになっている。王城に程近い場所に各支部の詰所が並んでおり、目的地である第四支部詰所もまた王立と冠するだけあって立派な建物だった。

エンフォあっちの領主館と同じくらいか?)

 ぼんやりと考えながら前を歩く支部長に続く。やがて重厚な両開きの扉の前に辿り着き、そこで一旦足を止める。

「細々した部屋はいくつかあるんだが、基本はこの大部屋に詰めることになっている」

 理解を示す意味で一度頷くと支部長は大きな拳で雑に扉を叩き、返答も聞かないままに取っ手を引いた。
 サッと視線を走らせて二十人くらいがいるだろうか、と当たりをつける。これで夜勤当番に出る者や休暇を取っている者もいるというから、地方支部団の抱える人数と比べると随分多い。

「彼がエンフォ地方から来てくれたマグラ・イレンくんだ」

 支部長が身体を横にずらしたことで周囲の視線が一身に集まる。

「よろしくお願いします」

 紹介されてしまったらそう言うしかない。もう一度見渡して獣人がいないことを確認した。匂いもしないのでここにいるのは人間だけなのだろう。

「それとエレノア」
「はい」

 何かをダラダラ話していた支部長が唐突に呼び掛け、それに返事をした女が団員たちの影から顔を覗かせた。その動きに空気が流れ、甘い花のような香りが漂うのをマグラは嗅ぎ取った。
 赤味を帯びた金髪を後頭部の高い位置でひとつ括りにしている女が一歩一歩丁寧に歩くと、ゆらゆらと尻尾のように毛束が揺れる。警護団の制服を着こなしているが現場に出ることはないらしい。

「マグラ、彼女は第四支部ここで事務をしているエレノア・ザキーラだ。現場には出ないがスケジュール管理や住民との橋渡し役をしてくれているから何かと接点も多いだろう。頼ってやってくれ」

 女が距離を詰めて甘い香りも一層強まったのだが、マグラの鼻は違う匂いも捉えていた。この場では初めて嗅ぐ――男の匂いだ。

「初めまして、エレノア・ザキーラと申します。他に事務補佐もいますが大きな取りまとめは私がしておりますので、これからお世話になると思います。よろしくお願いします」

 淑やかな笑みを浮かべてこちらを見つめているが、べったりと接触しただろうことがわかるくらいに男の匂いが残っている。獣人の嗅覚と人間のそれとでは大きな差があるのは承知しているが、それにしてもこれだけの痕跡を残しておきながら淑女然とした振る舞いをよく出来るものだ。
 鼻障りな匂いに無性に苛立ち、顔を背けて「どうも」とだけ返す。せっかく良い香りを嗅げたのに余計なものは鼻に通したくない。

「まぁ、そういうことだからよろしく頼むな、二人とも」

 支部長が話をまとめてくれたのでさっさと退室することにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

【完結】深く青く消えゆく

ここ
恋愛
ミッシェルは騎士を目指している。魔法が得意なため、魔法騎士が第一希望だ。日々父親に男らしくあれ、と鍛えられている。ミッシェルは真っ青な長い髪をしていて、顔立ちはかなり可愛らしい。背も高くない。そのことをからかわれることもある。そういうときは親友レオが助けてくれる。ミッシェルは親友の彼が大好きだ。

【完結】大好きなあなたのために…?

月樹《つき》
恋愛
私には子供の頃から仲の良い大好きな幼馴染がいた。 2人でよく読んだ冒険のお話の中では、最後に魔物を倒し立派な騎士となった男の子と、それを支えてきた聖女の女の子が結ばれる。 『俺もこの物語の主人公みたいに立派な騎士になるから』と言って、真っ赤な顔で花畑で摘んだ花束をくれた彼。あの時から彼を信じて支えてきたのに… いつの間にか彼の隣には、お姫様のように可憐な女の子がいた…。

【完結】悪役令嬢の薔薇

ここ
恋愛
公爵令嬢レオナン・シュタインはいわゆる悪役令嬢だ。だが、とんでもなく優秀だ。その上、王太子に溺愛されている。ヒロインが霞んでしまうほどに‥。

【完結】冷遇・婚約破棄の上、物扱いで軍人に下賜されたと思ったら、幼馴染に溺愛される生活になりました。

天音ねる(旧:えんとっぷ)
恋愛
【恋愛151位!(5/20確認時点)】 アルフレッド王子と婚約してからの間ずっと、冷遇に耐えてきたというのに。 愛人が複数いることも、罵倒されることも、アルフレッド王子がすべき政務をやらされていることも。 何年間も耐えてきたのに__ 「お前のような器量の悪い女が王家に嫁ぐなんて国家の恥も良いところだ。婚約破棄し、この娘と結婚することとする」 アルフレッド王子は新しい愛人の女の腰を寄せ、婚約破棄を告げる。 愛人はアルフレッド王子にしなだれかかって、得意げな顔をしている。 誤字訂正ありがとうございました。4話の助詞を修正しました。

あの、初夜の延期はできますか?

木嶋うめ香
恋愛
「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでとは今はいえないのだが」 私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。 結婚祝の宴を終え、侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫のギュスターヴが来るのを待っていた。 けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、明け方朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れたと思ったら、私の前に跪き、彼は泣きそうな顔でそう言ったのだ。 「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があり延期するだけでしょうか?」  なぜこの人私に求婚したのだろう。  困惑と悲しみを隠し尋ねる。  婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでも頻繁に会っていたし、会えない時は手紙や花束が送られてきた。  関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。 ボツネタ供養の短編です。 十話程度で終わります。

嫌われ公女に転生したけど、愛されたい願望を捨てたら全員がデレてきた

桃瀬さら
恋愛
嫌われ公女ナディアは、婚約破棄され学園で孤立し、家族からも見放されていた。 どれほど努力しようが周囲からは「嫌われ公女」と蔑まれ、誰も味方なんていない。 「もういい。愛されたいなんて、くだらない」 そう心に誓った瞬間から、状況が一変した。 第二王子が婚約破棄を撤回し跪き、寡黙な騎士団長が「君を守りたい」と熱く迫ってくる。 そして、冷ややかな兄まで「婚約など認めない。家を出ることは許さない」と……。 愛されることを諦めた途端、なぜか執着される。

【短編】記憶を失くした令嬢が、二度目の恋に落ちるまで

夕凪ゆな
恋愛
 ある雪の降る日の朝、ヴァロア伯爵家のリディアのもとに、信じられない報せが届いた。  それは、愛する婚約者、ジェイドが遠征先で負傷し、危篤であるという報せだった。 「戻ったら式を挙げよう。君の花嫁姿が、今から楽しみだ」  そう言って、結婚の誓いを残していったジェイドが、今、命を落とそうとしている。  その事実を受け入れることができないリディアは、ジェイドの命を救おうと、禁忌魔法に手を染めた。

処理中です...