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支部長と共に街を歩く。警らの道筋を記憶するためだ。
王都は広く、エンフォ地方よりも一層人が多ければ店も多い。雑多に様々な匂いが入り混じりマグラに情報を与えてくれるが、さっきの女よりも良い匂いは伝わってこなかった。
王都の名物料理や観光名所を挙げ連ねつつもしっかりした足取りで案内を務める支部長と歩を進めていると、彼らと同じ制服に身を包む男が前方で手を振っていた。ふと漂う匂いに顔合わせの際に詰所にいた男だと判断した。
「こっち通ってるんスか、支部長」
「一番単純なルートからと思ってな」
互いが足を止めて話し出したのを見てマグラは近くに植えられた木の元へ行き、その幹を撫でさする。高さもそれなりなので目視でも目印になるだろう。
すると遭遇した団員が興味深げにこちらにやってきた。
「よお、何してんだ」
「匂いを付けてる」
「匂い?」
「匂い」
問われたことに答えたのに相手は首を傾げている。すると支部長から助け舟が出された。
「マグラ、それだけでは我々には通じんぞ」
「……あぁ、そうか。俺は獣人だ」
「マジっすか」
マグラではなく支部長に確認した男は支部長の深い頷きに納得したようで、すぐさまマグラに向き直り、良い笑顔を見せた。
「獣人と仕事するのは初めてだ。俺はルーク、よろしくな」
首肯で返すとルークと名乗った男は眼前の木を見上げて続けた。
「匂いを付けるってのはどういうことだ?」
「目で覚えるより匂いで覚える方が早いから。マーキングみたいなもの」
「なるほどなぁ。じゃあ人の判別も匂いでしてたり?」
「さっきみたいな大人数なら匂いで覚えた方が早い」
強烈な匂いを放つ者は特に記憶に残りやすい。例えば、あの甘い花のような香りとか――
「……事務の女」
「エレノアのことか?」
ルークの答えにエレノアという名だったか、と改めて意識する。
「男の匂いが酷い」
「は? エレノアが? いやいや、ないだろ」
「べったり付いてた。既婚者か?」
もしそうなら、まぁ納得しないこともない。
「いや、未婚だ。婚約者がいるとかって話も聞いてないが」
にも関わらず、あんなにも匂いを付ける行為を許しているということか。思わず口元が歪んでしまう。
「警護団で働いちゃいるけど良いとこのお嬢さんだぞ。滅多なことはないはずだ」
ルークはそう弁護するが人間にはあの親密さを窺わせる匂いの付き方なんてわからないだろう。益々顔を顰めるマグラに支部長は言った。
「まー……うん、今は仕事。なっ?」
上に立つ者の威厳は感じられなかった。
--------------------------------------------
その四日後、マグラはエレノアと再会した。
支部長に付き添われていくつかの警らルートを確認した後、自由に動かせてもらって目印となる場所にマーキングしておいた。あらかたの道を覚えたところで詰所待機の任を与えられ、訪れた部屋で赤味を帯びた金髪が揺れるのを見つけた。
厚みのある本を両手で抱えるエレノアの背後にそっと忍び寄る。一歩近付くごとに甘い香りは強まっていくのだが、徐々に別の匂いがじわりと混じってくる。
心地よい香りだけを収めたいのに不要なものが割り込んでくる感覚。
胸中に不快な気持ちが瞬時に湧き上がる。
(そんな匂いを付けるくらいなら俺が――)
たとえ人間にわからなくとも。
この女から他の男の匂いがするのは嫌だと心底思った。
だからマグラはこの香りは自分だけのものだと主張することにした。無音で歩み寄り、特に匂う肩の辺りに自らの身体を擦り付ける。瞬時に出した尻尾で彼女の背中をひと撫でするのも忘れない。
これで不要な匂いを己の匂いで上書き出来た。
すぐさま尻尾を引っ込めて彼女の反応を待ったが、エレノアが触れ合った勢いでよろめいたことは想定外だった。体勢を整えてこちらを見上げる青い瞳は、不快なものを纏わり付かせていたことすら察していないようなので、ついでに忠告もしておく。
「邪魔」
「ご、ごめんなさい」
素直にも謝られた。わかればいい、と納得しかけたマグラだったけれど。
「邪魔をしたことは謝りますけど、ぶつかることはないんじゃないかしら?」
(俺には匂いを付けるなと言いたいのか?)
思いもよらず反論されて、それがまた苛立ちを増幅させるものだから再度言い含める。
「邪魔なものは邪魔」
どこの誰かもわからない男への怒りは募る一方だった。気分転換を図るために屋外訓練場に足を向けると、背後で小さく「何なの……」と呟く声が聞こえる。その拗ねた感じを思わせる言い草が可愛くて少し気を良くした彼は、けれどマグラの一連の挙動を追っていた仲間の団員たちに睨みを利かせることは忘れなかった。
王都は広く、エンフォ地方よりも一層人が多ければ店も多い。雑多に様々な匂いが入り混じりマグラに情報を与えてくれるが、さっきの女よりも良い匂いは伝わってこなかった。
王都の名物料理や観光名所を挙げ連ねつつもしっかりした足取りで案内を務める支部長と歩を進めていると、彼らと同じ制服に身を包む男が前方で手を振っていた。ふと漂う匂いに顔合わせの際に詰所にいた男だと判断した。
「こっち通ってるんスか、支部長」
「一番単純なルートからと思ってな」
互いが足を止めて話し出したのを見てマグラは近くに植えられた木の元へ行き、その幹を撫でさする。高さもそれなりなので目視でも目印になるだろう。
すると遭遇した団員が興味深げにこちらにやってきた。
「よお、何してんだ」
「匂いを付けてる」
「匂い?」
「匂い」
問われたことに答えたのに相手は首を傾げている。すると支部長から助け舟が出された。
「マグラ、それだけでは我々には通じんぞ」
「……あぁ、そうか。俺は獣人だ」
「マジっすか」
マグラではなく支部長に確認した男は支部長の深い頷きに納得したようで、すぐさまマグラに向き直り、良い笑顔を見せた。
「獣人と仕事するのは初めてだ。俺はルーク、よろしくな」
首肯で返すとルークと名乗った男は眼前の木を見上げて続けた。
「匂いを付けるってのはどういうことだ?」
「目で覚えるより匂いで覚える方が早いから。マーキングみたいなもの」
「なるほどなぁ。じゃあ人の判別も匂いでしてたり?」
「さっきみたいな大人数なら匂いで覚えた方が早い」
強烈な匂いを放つ者は特に記憶に残りやすい。例えば、あの甘い花のような香りとか――
「……事務の女」
「エレノアのことか?」
ルークの答えにエレノアという名だったか、と改めて意識する。
「男の匂いが酷い」
「は? エレノアが? いやいや、ないだろ」
「べったり付いてた。既婚者か?」
もしそうなら、まぁ納得しないこともない。
「いや、未婚だ。婚約者がいるとかって話も聞いてないが」
にも関わらず、あんなにも匂いを付ける行為を許しているということか。思わず口元が歪んでしまう。
「警護団で働いちゃいるけど良いとこのお嬢さんだぞ。滅多なことはないはずだ」
ルークはそう弁護するが人間にはあの親密さを窺わせる匂いの付き方なんてわからないだろう。益々顔を顰めるマグラに支部長は言った。
「まー……うん、今は仕事。なっ?」
上に立つ者の威厳は感じられなかった。
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その四日後、マグラはエレノアと再会した。
支部長に付き添われていくつかの警らルートを確認した後、自由に動かせてもらって目印となる場所にマーキングしておいた。あらかたの道を覚えたところで詰所待機の任を与えられ、訪れた部屋で赤味を帯びた金髪が揺れるのを見つけた。
厚みのある本を両手で抱えるエレノアの背後にそっと忍び寄る。一歩近付くごとに甘い香りは強まっていくのだが、徐々に別の匂いがじわりと混じってくる。
心地よい香りだけを収めたいのに不要なものが割り込んでくる感覚。
胸中に不快な気持ちが瞬時に湧き上がる。
(そんな匂いを付けるくらいなら俺が――)
たとえ人間にわからなくとも。
この女から他の男の匂いがするのは嫌だと心底思った。
だからマグラはこの香りは自分だけのものだと主張することにした。無音で歩み寄り、特に匂う肩の辺りに自らの身体を擦り付ける。瞬時に出した尻尾で彼女の背中をひと撫でするのも忘れない。
これで不要な匂いを己の匂いで上書き出来た。
すぐさま尻尾を引っ込めて彼女の反応を待ったが、エレノアが触れ合った勢いでよろめいたことは想定外だった。体勢を整えてこちらを見上げる青い瞳は、不快なものを纏わり付かせていたことすら察していないようなので、ついでに忠告もしておく。
「邪魔」
「ご、ごめんなさい」
素直にも謝られた。わかればいい、と納得しかけたマグラだったけれど。
「邪魔をしたことは謝りますけど、ぶつかることはないんじゃないかしら?」
(俺には匂いを付けるなと言いたいのか?)
思いもよらず反論されて、それがまた苛立ちを増幅させるものだから再度言い含める。
「邪魔なものは邪魔」
どこの誰かもわからない男への怒りは募る一方だった。気分転換を図るために屋外訓練場に足を向けると、背後で小さく「何なの……」と呟く声が聞こえる。その拗ねた感じを思わせる言い草が可愛くて少し気を良くした彼は、けれどマグラの一連の挙動を追っていた仲間の団員たちに睨みを利かせることは忘れなかった。
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