特別な人

鏡由良

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特別な人

特別な人 第57話

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「今すぐ撤回して! 後、虎君に謝って!」
 今まで僕はこんな風に激しい怒りを覚えたことはなかった。初めての激情に声は大きくなって教室中に響く。
 両手で机を叩いた音と共に訪れるのはシンと静まり返った空間で、朋喜達だけじゃなくクラス中が僕の怒声に驚いているようだった。
 みんなの視線が僕に向けられているのは分かってる。分かってるけど、どうしても引けない。たとえ冗談だとしても、虎君への侮辱は絶対に許せないから。
「ま、葵君、落ち着い―――」
「慶史!」
 慶史を睨む僕を宥めようと言葉を発した朋喜の声に反応して、再度凄む。
 そしたら慶史は驚いた顔から一転して苦笑いを浮かべると、「ごめん」って謝ってくれた。凄んでいた僕ですら驚いてしまうぐらい素直に。
「……何企んでるの?」
「そんな疑う? 別に何も企んでないって。……確かに言い過ぎだと思ったしね」
 素直すぎるって疑いの眼差しを向ける僕に慶史の苦笑いは濃くなって、本心だよって言葉が続いた。
 こんな風に力なく笑う慶史を見るのは久しぶりで、それだけ反省してくれてるってことは分かる。でも、それでもまだ疑うは、相手が他でもなく『慶史』だから。
「オイ。マモ、まだ疑ってる顔してるぞ」
「分かってるよ。葵もちゃんと成長してる証拠だし、安心するわ」
 納得できない顔をしていた自覚はある。それを悠栖が指摘して、慶史にもう一回謝っとけって謝罪を促した。
 悠栖よりも付き合いが長い慶史は勿論僕が納得してないって分かってて、自分が蒔いた種だからってまた苦笑い。
「葵、本当に反省してるから許してよ? 来須先輩の事は確かにきら―――、苦手だけど、『ストーカー』とか『変人』とかは思ってないから」
「全然隠せてないね、慶史君」
「だな」
 どう頑張っても慶史は虎君が『嫌い』みたい。朋喜と悠栖は苦笑しながらも僕に視線を向けると『許してやったら?』って顔をする。
 絶対何か裏があるって思ってた慶史の素直さは本気の反省だったみたいで、それがちゃんと伝わったから僕は小さく息を吐いて頷きを返した。
「今度から『虎君と仲良くして』って言わないから、その代わりに慶史も虎君の事悪く言わないでねっ」
「うーん。頑張るよ」
「そこは頷いとけよ」
 最近悪口がエスカレートしてるからって釘をさす意味を込めて交換条件を提示する僕。慶史は我慢するけど無理だったらごめんって早くも弱気。悠栖の突っ込みに僕と朋喜は苦笑いだ。
「だってあの人、昔からすっげぇ俺の事敵視してくるんだもん。特にこの3年間は顔合わせるだけで『邪魔だ』オーラだしてくるし、積年の恨みはそう簡単には消せないよ」
「! それは慶史が虎君の事苦手だからだよっ! 虎君、いつも慶史の事気にしてるんだよ?」
「それってどんな風に気にしてるの?」
「『どんな風に』って、ちゃんと友達いるのか? とか、恋人はできたのか? とか……」
 慶史が誤解してるだけって訴えるも、向けられるのは疑いの目。心配された覚えがないって言わんばかりのその眼差しに、僕は教えてあげる。虎君は慶史と会った日は必ず慶史を心配して僕に近況を聞いて来るんだよ? って。
(『虎君は僕の幼馴染なのに……』って僕がちょっとだけ落ち込むぐらいなんだからねっ!)
 虎君は本当に優しい。中等部への進学する時だって急に外部受験に切り替えた僕と慶史の心配をして、瑛大も一緒に3人分の勉強を見てくれていたんだから。そのこと慶史も覚えてるでしょ?
「それ、俺の心配じゃないし」
「! またそんなこと言うっ!」
「いや、本当に。あの人が俺と喋る理由は1つだけだし、葵に俺の事聞くのだってただ敵情視察だよ」
 苦笑交じりの言葉に僕は眉を顰める。なんで慶史がそこまで虎君の事誤解してるのか理解できないからっていうのは勿論なんだけど、喋る慶史の顔がいつもの悪戯なものじゃないから。
(これ、本気で思ってるってこと……?)
 きっと、ううん、絶対そうなんだろうな。慶史は「これ以上聞かないで」って言ってくる。これ以上はまた葵を怒らせる自信がある。って。
「な、なんでそんなっ……」
「俺は葵の事大好きだよ。でも、そんな葵の頼みでもあの人と仲良くすることは絶対無理。だからそこは謝る。ごめんな?」
「そんなの納得できないっ!」
「葵君、慶史君の事責めないであげて?」
 食い下がるものの、朋喜にまで止められてしまう。まるで慶史の気持ちがわかると言わんばかりに。
 僕は眉を下げて朋喜に向き直ると、尋ねた。朋喜も慶史と一緒なの? って。
「朋喜も虎君の事、苦手なの……?」
「『苦手』っていうか、怖い人だなぁ……って思ってる、かな?」
 そんな顔しないで?
 ショックが隠せない僕の表情に朋喜は苦笑いを濃くして、泣かないでって言ってくる。僕は泣かないよって言葉を返すけど、声に説得力は乗らなかった……。
 慶史だけじゃなくて朋喜まで虎君の事を誤解してる。それが凄く悲しくて苦しくて、言葉は詰まって何も言えなくなる。
(なんで……? 虎君、凄く優しいのに……)
 僕の大好きな『お兄ちゃん』は、僕の大好きな友達から良く思われてない。
 それは虎君も友達もどっちも大事な僕にとって辛すぎる事実だった……。
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