特別な人

鏡由良

文字の大きさ
178 / 552
特別な人

特別な人 第177話

しおりを挟む
「それで、葵はどうしたんだ?」
「ああ。パーティー疲れしたみたいなんでもう部屋で休ませますね」
 抱きかかえられている僕を心配する父さんの声に何故か虎君が謝る。自分が一緒に居ながらすみません。って。
 その『お兄ちゃん』として模範的な振る舞いに心がどんどん擦り切れていくのを感じた。
(やめてよ……。これ以上惨めな気持ちにさせないでよ……)
 お願いだから降ろして欲しい。
 そう思うものの、虎君と離れたくない浅はかな自分は心に反してぎゅっとしがみついてしまっていて、自分がどうしたいのかすら分からなくなる。
「大丈夫? 風邪とかじゃない?」
「たぶん大丈夫だと思いますけど、念のため体温計を持って行っていいですか?」
 葵は疲れると体調を崩しやすくなるから……。と心配してくれる母さんは体温計を取りに行って、父さんも微熱でも病院に連れて行くから言うようにと言ってくる。
 僕の心配をしてくれる優しい父さんと母さん。心から愛してくれる二人に、僕はさっき抱いた醜い感情に罪悪感を覚えた。
「はい、体温計。熱冷ましの冷却シートもあったと思うから持っていく?」
「いえ、それは熱があった時に取りに来ます」
「そう。……葵、無理しちゃだめよ? 辛いならすぐに言うのよ?」
 虎君は僕を抱き上げたまま母さんから器用に体温計を受け取ると、僕に部屋に行こうと声を掛けてくれる。
 でも僕は虎君の声にも母さんの声にも頷くだけで言葉を発することはできなかった。声を出したら、泣いてしまいそうだったから……。
(もうちょっとの我慢……)
 部屋に着いたらすぐに眠ったフリをしよう。そうすれば虎君だって気兼ねなく僕を放っておくことができるだろうし、お互いのためにもその方が良い。
 そして一人になったら思いきり泣くんだ。我慢したぶんも、思いきり。
 我ながら情けないことを考えていると思うものの、今はそれ以外考えられなかった。
 虎君は母さんとの会話もそこそこに、僕が寝落ちする前に部屋に連れて行くと言って再び歩き出した。
(よかった……。母さん達の前で泣かずに済んだ……)
 正直、高ぶった感情のせいであと数分遅かったら我慢できずに泣いていたと思う。
 もしそんなことになっていたら母さんは絶対に理由を話すまで解放してくれないだろうし、本当に危ないところだった。
 でも僕が安堵した次の瞬間、どんなに我慢したところで現実は何も変わらない事を教えられた。
「ただいまー」
「おかえり、桔梗。今日は随分遅かったわね」
 今一番聞きたくない声が、耳に届く。
 何処か楽し気な母さんに「門限ギリギリに帰るのはダメだって言われちゃったんだもん」と姉さんは少し不機嫌そうだ。
 それだけでは姉さんの『デート』が成功なのか失敗なのかは分からない。でも、『ギリギリまで一緒に居たい』と願った姉さんの気持ちに相手の人はとても理性的な対応をしたみたいだから姉さんの『恋』は実っていない気がする。
 僕は思わず虎君を見上げた。どうか姉さんを振り返っていないで……。と願いながら。
(虎君……)
 縋る思いで見上げた虎君の顔は、僕に向いていなかった。
 後ろを気にしているその横顔に僕の心は限界を迎えた。
「虎君、ごめん。降ろして」
「! 葵? どうした?」
「トイレ、行きたいから降ろして」
 抱き上げる腕に抗うように身を捩れば、虎君は漸く僕を見てくれる。
 僕はただただ惨めだった。
「なら先に部屋に行ってるよ。飲み物いるか?」
「いいよ。僕もう寝るし、わざわざついててくれなくても大丈夫だよ」
 僕を立たせてくれる虎君の笑顔はいつもと一緒。でも、いつもの僕はもう何処かへ行ってしまった。
 いつも通り世話を焼いてくれる虎君を僕は拒絶するようにその身体を押しやって踵を返し、歩き出す。
 心配そうに僕を呼ぶ虎君の声が後ろから聞こえたけど、僕は「ごめん、眠いからまた明日ね」と振り返ることなく階段を上がって部屋へと向かう。
 きっと、ううん、絶対虎君は僕の様子が変だって思ったに違いない。でも、僕がそう仕向けたとはいえ追いかけてくることは無かった。
 自業自得だと分かっているのに、どうしてこんなに胸が押し潰されるほど苦しいんだろう?
 僕は部屋に辿り着くと内側から鍵をかけ、着替えることなくベッドへと倒れ込んだ。
 シンと静まり返った部屋。
 昔は虎君が使っていたこの空間は今は僕のものなのに、まだそこら中に虎君を感じることができる。
(虎君の匂いがする……)
 倒れ込んだベッドから蘇る虎君との思い出の数々。それはとても幸せなものばかりで、こんな日が来るとは想像すらしていなかった頃の自分が虎君の傍で笑っていた……。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい

日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。 たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡ そんなお話。 【攻め】 雨宮千冬(あめみや・ちふゆ) 大学1年。法学部。 淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。 甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。 【受け】 睦月伊織(むつき・いおり) 大学2年。工学部。 黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...