特別な人

鏡由良

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恋しい人

恋しい人 第88話

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「そんなの分からないだろ? 今はそう思っていても人を好きになる気持ちは理屈じゃないし、今回のことで葵に対する好意は他より頭一つ抜き出てるだろうからそれがいつ恋愛感情に変わるかなんて誰にも分からないぞ」
「それはそうだけど……」
 好きになる気持ちは止められないってことは僕も身を持って知っている。そして、好きになる人を選べないことも。
 だから虎君の言ってることは理解できるし、その通りだとも思う。でも、だからと言って姫神君が僕を好きになってくれると思えるかと言うと、それはまた別の話だ。
「だいたい可愛くて優しい葵に惹かれない奴なんていないんだからな?」
「! そんな風に思ってるのは虎君だけだよ?」
 誰からも愛される存在だと自覚して欲しい。なんて、他の人が聴いたら呆れるを通り越して大笑いされるに違いない。恋は盲目とはよく言ったものだ。
 僕は苦笑いを浮かべ、「他の人には絶対に言っちゃだめだよ?」と釘を刺した。
「どうして? 事実を口にしちゃダメなのか? 『そんなことない』って嘘吐けって?」
「だから、事実じゃないからダメなの!」
 虎君は僕を好きでいてくれるから『恋人補正』が掛かってるだけで、他の人はそんな風に思っていないし、なんなら気にも留めていないだろう。
 強すぎる補正にどうやって軌道修正しようと頭を悩ませていれば、虎君は珍しくムッとした顔をして見せた。どうやら軌道修正しようとしていると気づかれてしまったみたいだ。
「いくら葵の言葉でも、今のは聞き流せないぞ」
「もう! 虎君の分からず屋!」
「分からず屋は葵だろ? 葵が全然自覚してくれないから俺が嫉妬深くなるんだぞ。前々から思ってたけど、俺は無自覚に他に愛想を振り撒かないで欲しいんだからな」
「愛想なんて振り撒いてないでしょ!?」
「振り撒いてるだろ。藤原に天野に深町。更に今日から姫神も追加されて嫉妬しすぎて頭がおかしくなりそうだ」
「みんな友達だよ!」
 愛想を振り撒いているわけじゃないからね!?
 そう言って睨めば、葵がそう思ってるだけだろ? と不機嫌な眼差しが返される。他の奴等は葵のことが好きかもしれないだろ? と。
 今まで散々慶史から虎君は嫉妬深いと言われていたし、独占欲の塊だとも言われていた。でも、僕はそんな虎君を見たことが無かったから、そんなことないと思っていた。慶史が誇張して話しているだけだ。と。
 けど、今の虎君はまさに嫉妬深くて独占欲の塊だった。
 虎君は不機嫌を露わにしながらも僕を抱きしめる腕を緩めず、むしろぎゅうぎゅうと力を込めて僕を放さないとばかりに抱きしめてくる。顔を上げていなければ胸に顔を埋めて窒息していたかもしれないぐらい強い力に苦しさを覚えてしまうのは当然だ。
「俺は、いつか誰かに葵を奪われるかもしれないって毎日不安なんだからな……」
 初めて見る表情で弱音を零す虎君は情けない顔を見せたくないと僕を胸に押し当て顔を隠してしまう。
 視界は真っ暗になって、虎君の匂いと温もりに満たされる。さっきまで力いっぱい抱きしめてくれていた腕は僕が呼吸できるように少し緩められていて、深い愛を感じた。
(もう……。虎君のヤキモチ焼き!)
 この独占欲を嬉しいと感じると言ったら、慶史は絶対顔を顰めるだろう。
 でも、踊りたくなるほど嬉しい心は誤魔化しようがない。
 僕は負けじと虎君をギューッと力いっぱい抱きしめた。
「他の誰が僕を好きって言ってくれても、僕はその気持ちを嬉しいと思っても応えたいとは思わないよ」
「……本当に?」
「僕が大好きな人は誰か、ちゃんと知ってるでしょ?」
 顔を上げれば頼りない眼差しとぶつかって、不謹慎ながらもきゅんとしてしまう。
 僕の好きな人は誰か教えて? と笑えば虎君は困ったように笑い、「俺だよな」とちゃんと答えてくれた。
「そうだよ。僕の心は虎君だけのものだからそんな風にヤキモチ焼かなくても大丈夫だからね?」
「分かってるよ。……でも、信じていても不安になる……」
 葵を失ったら俺は生きていけない。
 そんなことを言いながら縋るような目で見つめられたら何とかして安心させてあげたいって思っちゃう。だって、虎君の方が5歳も年上で身体だって僕を包み込んで抱き締められるほど大きな大人の男の人なのに、まるで小さな子どもみたいなんだもん。
(どうしよ……、虎君が凄く可愛いっ!)
 きっとキュンキュンするってこういうことだ。
 僕は高鳴る胸に苦しさを覚えながら、逸る気持ちを抑えきれずに虎君に伝えた。今僕が伝えられる命一杯の想いを。
「僕は何処にも行かないよっ! 僕だって、僕だって虎君が傍にいてくれないと死んじゃうんだからねっ!!」
「なら、この先ずっと俺の傍にいてくれる……?」
「当たり前でしょ! 嫌がられても傍にいるんだから!」
 もしも他に好きな人ができて別れたいって言っても絶対別れてあげないんだから!
 絶対に来て欲しくない未来の話をすれば、虎君は同じ言葉を僕に返してくれる。絶対に別れないし、誰にも人にも会わせない。と。
「もし葵が他の誰かを好きになったら、二度と俺以外の人間に会えないことになるからな」
 閉じ込めて誰にも会わせない。たとえ犯罪者になったとしても、葵を誰にも渡さない。
 強い意志を秘めた眼差しで独占欲を告げられ、僕は笑う。それは脅し文句にならないよ? と。
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