特別な人

鏡由良

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初めての人

初めての人 第47話

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 大好きな虎君の大きな掌をもっと感じたくて、ついつい自分の手を添えてしまう。それは完全に無意識の動作だったんだけど、望むままキスが落ちてきて、幸せ。
 ちゅっと耳に届く唇が離れる音に、幸せすぎて緩んだ頬が全然戻らない。
「幸せ?」
「うん。すごく幸せ」
 鼻先が擦れる程近い距離。尋ねられた言葉にはにかめば、三回目のキスが。すぐに離れてしまうそれを恋しいと思ってしまうのは仕方ない。だって大好きなんだもん。
「虎君、早く帰ろう?」
「甘えたくなった?」
「うん。……ダメ?」
「俺がダメって言うと思う?」
 ほっぺたをくすぐる虎君は急いで帰ると言ってくれる。エンジンをかけてギアを入れるその横顔に、もう見慣れているはずなのにとてもドキドキしてしまった。
(僕、何処まで虎君のこと好きになるんだろう……?)
 好きって気持ちには際限がないのかもしれない。それを嬉しいと思う反面、少し怖くなる。
 今でさえ虎君のことが大好き過ぎて周りに呆れられることが度々あるのに、これ以上好きになったら本当に虎君が傍にいないと生きていけなくなる気がする。と。
(もっともっと虎君のこと好きになりたいけど、これ以上は本当に慶史達に呆れるを通り越して嫌がられそう)
 そもそも慶史の本音を聞いた後だから気を付けたいと思っているのに、言動が一致しないことになりそうで怖い。
 僕は、自分のために虎君に歩み寄ってくれた親友のためにもきちんと自制しないと! と決意を新たに一人意気込んだ。
 すると、そんな僕の様子を不思議に思ったのか、虎君は前を向いたまま「何をそんなに気合を入れてるんだ?」と尋ねてくる。気づかれないようにしたつもりだったけど全然できていなかったようだ。
 むしろあからさま過ぎたのか、虎君の表情に浮かぶのは苦笑い。その笑い方に、もしかして僕が何を考えていたのかわかっちゃったの? とよぎる不安。
(でも虎君、慶史のこと、知らないよね……?)
 僕だけが知る過去はもちろん、恋人を大切にする人を見てると辛い気持ちになってしまうってことも、虎君は知らないはず。だから僕が何に意気込んだのかまではわからないはずだ。
 それなのに虎君が見せる表情はとても複雑そうな、後ろめたそうな、そんな表情。
 僕はその横顔を見て、『ヤキモチを妬きたいけど妬けないから困った』と言っているような気がしてしまう。
 もちろんこれは僕の勝手な想像なんだけど、何故かこの時は『絶対そうに違いない』と思い込んでしまって、この話を慶史達に話したらまた『思い込みが激しい』と呆れられるに決まってる。
 虎君が慶史の過去にどこまで気づいているのか確かめないとと思いながら、迂闊なことを口にして虎君が真相に気づいたらどうしようと考え、結局何もいうことができなかった。
 返事をせず黙り込んだ僕をいぶかしく思ったのか、虎君は質問を変えてきた。
 その質問は僕が思っていたものとは全然違っていて、そこでようやく自分がまた暴走していただけだと気づくことができた。
「藤原が言ったこと、気になる?」
「え?」
 前を向いたまま苦笑を濃くする虎君。僕はその言葉の意味が分からずきょとんとしてしまう。
(慶史の言ったことって何?)
 ついさっきまで頭を占拠していた想像のせいで虎君が何のことを言っているのかすぐには理解できなかった。
 でも「そんなに気合を入れなくても葵の『追及』に嘘は吐かないよ」と続いた言葉に別れ際に慶史が口にした言葉を思い出すことができた。
(『追及』って慶史も言ってたけど、そもそも何を『追及』したらいいのかわからないんだけど……)
 前後の二人のやり取りを思い出しても何を追及するのが正解か分からない。
 きっとそのことを正直に伝えればいいんだろうけど、記憶を辿っていた際に思い出した疑問をぶつけてからでいいかと思い直し、僕は口を開いた。
「どうして慶史が『虎君』って呼んじゃダメなの?」
 慶史は『嫌がらせ』って言ってた。そして虎君はそれにすぐに気づいて嫌悪感を露わにしてた。
 でも、なんで『虎君』って呼ぶことが『嫌がらせ』になるんだろう?
 僕は自分だけそもそもが分かってないことに疎外感を覚え、胸がもやもやしてしまう。
 感じたモヤモヤはそのまま表情に出てしまう。
 でも虎君は運転中だから気づかれないだろうと思っていたのに、運悪く赤信号につかまってしまって平静を装う前に虎君に不機嫌な顔を見られてしまった。
 虎君は苦笑を濃くして「どうしても聞きたい?」と僕のほっぺたに触れてきた。
「……僕が今何を考えてるか、虎君なら分かるよね?」
「分かるよ。……けど、できれば『追及』しないで欲しかったんだよ」
 困ったように笑う虎君。どうやら僕が口にした『疑問』こそ慶史が言った『追及するべき話』だったようだ。
 僕はその時、虎君と慶史はぶつかり合いながらも近い存在なのかもしれないと怖くなった。今はお互いを快く思っていないけど、でもいつか自分と近い存在に二人が惹かれ合ったりしないだろうか? と。
 どんどん進む想像。頭の中で繰り広げられる『もしも』の未来。それは僕の胸を締め付け、息ができなくなるほどの恐怖を与える。
「ちょっと待ってって」
 どうかそんな未来が来ませんように……。そう祈る僕の耳に届くのは、虎君の慌てた声。
 いつの間にかほっぺたから離れていた手でハンドルを切る虎君は、交差点を進んで少ししたところで車を左に寄せて停車させた。
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