強く儚い者達へ…

鏡由良

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そして時は動き出す

そして時は動き出す 第12話

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 今でもよく夢に見る。血まみれの父と義母が自分を見ている夢を、悲しげな姉の夢を、泣き叫ぶヘレナの夢を…。そして…。
 フレアの夢を、見る…。
 もう何年も、何十年も昔の事のはずなのに、忘れることが出来ない自分が女々しいと思う。それでも、忘れられない…。
「…大切な人が泣き叫ぶ様も見たし、恐怖に震える夜を過ごしたのを知っているから、君の傷の深さが俺には分かるよ」
 リムがミルクに向ける笑顔は何処までも悲しげで、触れれば壊れてしまいそうな脆さがあった。彼女の笑顔に、ミルクは必死に強く見せようと作っていた表情を、外して泣きそうに顔を歪めて蹲ってしまう。
「それでも、男の貴方には分からないわ…無理やり押さえつけられて体を触られる恐怖を…貴方には分からない…」
「…うん…ごめん…。でも、俺は君に立ち直って欲しい…男がすべてそんな下衆ばかりじゃない事を、分かって欲しい…」
 近づいて、蹲る彼女の前に跪くとなるべく優しい声で少女に「俺は純粋に君が心配なだけだよ」と言ってやる。
 こんな風に傷つく女の子を、もう見たくないから…。
 師が自分に教えてくれた事を、彼女にも知って欲しい。弱い者を力で捩じ伏せ、欲の捌け口としてしか見ない連中だけじゃない事を分かって欲しい。人を大切に想う心優しい人が居る事を、知って欲しい…。
「…貴方も、一緒だわ…今までの連中と一緒よ…そうやって、優しい言葉をかけて…私を裏切るのよ…」
「信じろというのは容易いけど、俺は『信じる』と言う言葉の重さを分かってるから言えない。それでも、俺は君を守るから…」
 君を、救うから…。だから、立ち上がって…。
 怯えて涙を零す少女と、親友が重なって見える。容姿は全く違うのに、それでも、彼女がヘレナに見えてしまった…。
(泣かないで…ヘレナ…絶対に私が助けるから…)
 過去の愚かな自分を未だに許すことが出来ないのは親友の未来を自分が奪ってしまったから…。リム自身が悪いわけではないのに、罪悪感が彼女を蝕む。
「貴方は…何故…そんな辛そうな顔をするの…?」
 涙声でリムに尋ねるミルクは顔を僅かに上げてジッと見つめてくる。
 誤魔化しなど、許さないと言った強い瞳…。
「…大切な人が、君と同じ目に遭ったと言ったよな?…彼女は俺の目の前で堕とされ、殺されかけた俺が再び目覚めた時、野盗もろとも姿を消していた…。…奪われたんだ…それまでの俺達のすべてを……。もう二度と、彼女のような人を作りたくない。だから、俺は君の魂を救いたい…誇りを、思い出して欲しい…」
 ミルクが驚きに瞳を見開いたのに、リムは悲しげな笑みを浮かべて彼女の髪を優しく撫でてやった。嫌がるかと思ったが、ミルクは黙ってそれを受けていて…。
「昔のように笑いたいだろ?」
 優しい声に小さく頷いて、また泣き出した少女…。
 リムはミルクが落ち着くまで辛抱強く大丈夫だから、怖くないからと繰返し言ってやったのだった。
「…もう遅いから部屋に戻ったほうが良い。君はこの家の大切なお嬢様だから、こんな夜に敷地内とは言っても外に出ることは避けるべきだ。何時誰に襲われても文句は言えないぞ」
 これは脅しているわけではなく、事実。ミルクもそれを分かっているからリムの言葉に素直に従ったのだった。
 自分達が中庭に出たドアとは正反対の方向にあるドアまで彼女を連れてゆくと、そこにはカスター卿のボディーガードを務める女戦士がいた。
「お前は…確か《ベリオーズ》と言ったな…何故ここにいる?」
「寝付けなくて屋敷を見て回っていたところです。…お嬢様を、よろしくお願いします」
 彼女はよほどミルクを大切に想っているのだろう。リムに向けられるのは警戒というよりも、殺気に近い威圧感だった。リムはそれを理解したうえで、一礼し、ミルクを彼女に託すと踵を返し、また、夜光花の中へと姿を消したのだった。
 背の高いリムの姿を隠す、淡い青色の光を放つ花を持った夜光花達の中、リムは立ち止まると光の無い漆黒の闇色の雲で覆われた空を見上げた。
 震える指が、無意識にまた、十字架を握り締める。
 泣き出しそうに歪められるリムの顔に一滴の水滴が降ってきて…。
(…弱さを…隠して…)
 堪えきれなくなった涙を、降り出した雨が隠す…。
 辛さに押し潰されそうになっても、泣く事など無かったのに…今日は、苦しさと、後悔に弱い自分を抑える事が出来なかった…。



*



「お嬢様は落ち着かれましたか?」
「!な…帝、お前なんで…」
 部屋に戻る為、中庭から室内に入るリムに突然投げかけられる帝の質問。振り返ってみれば、柱にもたれて腕組をしたままニッコリ笑っている彼の姿を確認できた。
 もうとっくに部屋に戻っていると思っていた彼女は驚きを隠せない。
「戻ろうかとも思いましたが、なんとなく、貴女を待っていただけです。それで、お嬢様は?」
「あぁ、何とか落ち着かせてきたよ。雨も降ってきたし、部屋に送ってきた」
 今さっき降り出してきたような言い方だが、ずぶ濡れの彼女を見ればその言葉が偽りだとすぐに分かる。
 力なく笑うリムの隣に歩み寄ると、「眠れそうですか?」と静かな声で尋ねる帝。自分の言葉に嘘があると分かるのに何も聞かないでいてくれる優しさが嬉しかった。
 屋敷全体が眠りに落ちていると錯覚するほど静まり返った空間に、リムは随分長い時間涙を零すミルクをあやしていた事に気がついた。…いや、随分長い時間泣いていた事を、知った…。
「まだ、目は醒めてるけど…もしかして、お前ずっと待ってたのか?こんな長時間?」
「ええ。色々考え事をしていたので時間は気になりませんでしたよ」
 彼の言葉に呆れたように笑って「あ、そう」と返すと彼女は再び歩き出す。帝は慌てて後をついて来て…。
「なんでついてくるんだよ?部屋に戻って寝ろよ。明日、体が持たないぞ」
「その言葉、そっくりそのまま返させていただきますよ」
 掴まれた腕が、痛い。そんなに強く掴まれているわけじゃないのに、一人になりたくて、逃げたくて、帝の視線が、痛い…。 
 コートの上からでも掴まれた箇所から帝の熱が伝わってきて、雨に打たれて奪われた体温が熱を認識する。
 …男の表情からはは先程の笑顔が消えていた…。
「泣いていたんですか…?」
「!な、んなわけないだろ!!放せよ!!」
 図星をつかれて頬が一気に高揚する。力いっぱい帝の腕を振り払うとリムは殺気の篭った眼光で男を見据えた。
「そんな濡れた身体で何処に行く気ですか?部屋に戻って暖かいシャワーでも浴びて寝て下さい」
「なんでお前にそんなこと言われなくちゃならないんだよ!ほっとけ!」
「女性を心配して何が悪いんですか!?」
 初めて聞いた帝の怒鳴り声に、驚いて言葉を失うリム。短い沈黙が二人の間に流れる…。
 帝はため息を吐くと「お願いします…」とだけ零したのだった。
 いたたまれなくなって顔を背けるリムの手をそっと握ると、そのまま手を引きゆっくりと歩き出す。
「…貴女は無茶をしすぎるようですね。《煉》君や《ディック》さんの苦労が目に浮かびますよ」
「…大きなお世話だ…」
 不貞腐れる姿が、可愛いと思うが言葉に出せば今度こそ本気で殴られると思うから帝はただ笑っていた。
 リムは自分の後に出来る水跡に、明日の朝メイド達が大慌てで掃除をするんだと思うと申し訳ない気持ちになってしまう。



*



「…こんな夜中に水浴びか…?」
 部屋まで後少しという所で帝とリムにかけられる声はジェイクのものだった。
 苦笑いを浮かべ、
「中庭を散歩していたらいきなり降られてしまいまして」
 と答える帝の後ろには、黙り込んだリムの姿。ジェイクは物腰柔らかに微笑み、「連れが世話になったな」と男に礼を言うとリムにこっちにおいでと手招きをする。
 子供扱いに腹が立つが、帝と一緒に居たくない彼女はなんとも言えない顔をしてジェイクの方へと歩いてゆく。
「ちゃんと身体を温めるよう言ってくださいね」
「ああ。…行くぞ」
 男に触れられる事が嫌いだとジェイクに言った覚えが無いのに、彼はそれを知っているかのように距離をあけて歩いてくれる。そして、その後ろを無言でついて歩くリムの背を見つめる白髪の男の口元には、何故か笑みが浮かんでいたのを二人は知らなかった…。
 無言で前を歩くジェイクは弱い自分を見られて落ち込むリムを時折振り返って見るが、何も言わずに彼女の部屋まで先導して歩いてゆく。
「…中庭で何をしていたのかは知らないが、そんな格好だと本当に風邪を引くぞ。自己管理の出来ないボディーガードはすぐに首切りだ。早くシャワーを浴びてきなさい」
「分かってる…ごめん…」
 リムの素直な反省の言葉に、ジェイクは笑みを浮かべてそれ以上何も言わずに本棚から一冊取り出すと部屋のソファに腰掛けてそれを読み出したのだった。
 それにタオルと着替えを手にして部屋に備え付けられていたバスルームに入ろうとしていたリムが不思議そうに部屋に戻らないのかと尋ねれば、
「氷華に連絡を入れといたから待ってるんだよ。服、乾かさないとな。烈火の方が適任だろうけど、今は会いたく無いだろう?氷華が来たら俺も自室に戻らせてもらうから安心してゆっくり温まれば良いから」
 と、また笑われた。
「…ありがとう…」
 言葉を多く交わしたわけではないのに、どうして彼はこんなに自分を分かってしまうのだろう?まるで、父親のように自分を見つめる瞳に、心が落ち着くのが不思議でならない。
 心穏やかに微笑むことが出来る…。素直に、感謝の言葉を紡ぐことが出来る…。こんな安らいだ気持ちになれたのは、師達が去ってから初めてのことだった…。
「ほら、本当に風邪引くぞ」
「分かってる。それじゃ、氷華きたらよろしく」
 ドアを閉めて大きく深呼吸をすると少しから軽くなった気持ちに笑みが零れる。水を吸って重くなったコートを脱ぎ捨てると、特有の湿った音がした。悲しい気持ちが洗い流されるまで雨の中佇んでいたせいで全身ずぶ濡れだと改めて思うと笑えてくる。
(本当に…バカだな、私は…)
 蛇口を捻ると熱いシャワーが冷えた体を暖めてくれる。その心地よさに、思わず大きく吐息が漏れ、頭を垂れて髪から伝う湯が頬を伝い、唇をなぞり、床へ落ちてゆく。そして、視界に入る女性の体…。外から見れば、完全なる女性を象る体躯も内を見れば、不完全な欠陥品だと分かっている……。
 人型のほとんどは異性間の性交でのみ、新たな命を宿す…。リムも他と変わらず人型の生物であり、繁殖方法はそれに当てはまっている。しかし、彼女が生命を宿すことなど天地が逆さになってもありえないことだった…。
 他の女性と変わることなく成熟し、月に一度血を吐き出すのに、子供を宿す機能を失った臓器だけが中に残っていて…。
 涙は出ない。ただ、言葉では言い表せない感情が湧き上がり、蝕まれてゆく気がする。
「……負けてたまるか…」
 この言葉をもう何度口にしただろう?決意を口に出さないと、潰れされてしまいそうになるから、何度も、口に出した。
 誇りを取り戻すんだと、息を吐く。
 止まった時を、再び刻むんだと、濡れた髪をかき上げる。
 冷え切っていた体はいつの間にか元の体温を取り戻し、もう一度深呼吸すると湯を止め、曇った鏡を手で一度拭い、「負けるな」と今一度腑抜けた自分を叱咤する。
 タオルで体を拭き、持ってきていた着替えに袖を通してバスルームから出れば、そこにジェイクの姿はなく、代わりに空色髪の女性の姿があった。
「あ、お疲れ様。リム。ジェイクから話は聞いたよ」
「あぁ。わざわざありがとう」
 無邪気な笑顔に安堵してしまう自分に笑った。信じたいと思っていても、三人を警戒しなければと思っていたはずなのに、もうとっくにジェイクの事も、烈火の事も、氷華の事も信用している自分に、笑った…。
「?どうしたの?」
 クスクス笑うリムを見つめて不思議そうに首をかしげる氷華。なんでもないと言いながら、乾く気配のない濡れた衣服を差し出すと、「変なリム…」と言いながらもそれを受け取る彼女にまた笑う。
「リム!あんまり人の顔見て笑ってばっかりだと乾かしてあげないよ!」
「!ごめんごめん。お願いします」
「…もー…」
 氷華は頬をプクッと膨らませて見せるが、一呼吸置いて次の瞬間には呪文を唱え始めた。唇から言葉が一言零れるたびに空気が動くのが分かる。火と風の精霊に語りかけ、水に濡れた衣服を乾かす手伝いをしてもらっているらしい。
 かなり濡れていて、普通に干しておいても乾くのに一日はかかりそうなコートやハーフパンツが見る見る乾いてゆくのにある種の感動を覚えるリム。
 簡単そうに見えて緻密な魔力操作を必要とする魔法以外の精霊への語りかけは今のリムには出来ない芸当。何時かはできるようになりたいと願うが、それが何時のことになるやら…。彼女は魔法がとても苦手なのだ。
「…はい、終わり」
「ありがとう。凄いな…さすがって言えばいいのかな?」
「茶化さないの!…でも、こんな夜中にここまで濡れるなんて何してたの?まさかこの雨の中外に居たなんて言わないでよ」
 その『まさか』です。とは言えず、笑ってごまかすリムに氷華は仕方ないなぁとため息を零す。
「いきなりジェイクが来てくれなんて言うから何かと思ったじゃない。これからは気をつけてよ」
 氷華の話では、今から寝ようと思っていた矢先に、ジェイクから呼び出しがあったという。おかげで抜け出すのが大変だったと苦笑して言う彼女。呼び出した原因は自分だからリムは何も言えずにそれを聞いていた。
「あ、そうそう。言うの忘れてたから今言うね。あたし、今、《アイト》って名乗ってるでしょ?本当ははじめの打ち合わせ通り《カレン》って名乗るつもりだったんだけど、この家では縁起が悪い名前らしいから急遽今の名前に変えたんだ。烈火とジェイクにはリムが寝てる時に言ったんだけど、リムは寝てたから言うの忘れてた。ごめんね」
 申し訳なさそうに謝られたが、正直リムはすっかり忘れていたと笑った。
「選抜試験で結構疲れてたみたいで…氷華の偽名忘れてた…。私のほうこそごめん」
「お互い様って事ねw…さてと。抜け出して男の部屋で夜を明かしましたなんて、先輩達に目をつけられる事したくないからそろそろ戻るね。じゃ、明日から頑張って」
 朗らかに笑う氷華に「お前もな」と返すと、返事の変わりに笑顔を返される。
 氷華を見送ると、鍵をかけてリムも今一度眠る為に寝室へと足を運ぶ。明日から石を手に入れる為に少女を騙す日々が待っていると考えると気が重くなるが、それは己の為には仕方のないことだと気持ちを偽って眠りにつくのだった…。
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