日刊幼女みさきちゃん!

下城米雪

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最初の一歩

銭湯に行った日

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 目的地に着いた直後に時計を見たら8時を少し過ぎたところだった。10時まで営業しているらしいから、まだ余裕がある。唯一問題があるとするならば、みさきが睡魔に負けないかって点だったんだが、見た感じだとケロっとしているから大丈夫っぽい。昼寝とかしてるのだろうか。

 さておき、ちょうどピークの時間帯なのか数時間前に比べて人が多い。少しだけ並んでチケットを購入し、みさきと逸《はぐ》れないよう注意しながら脱衣所へ向かった。もちろん混浴ではないけれど、まぁ5歳なら問題ないだろう。店員にも止められなかったし、きっと大丈夫だ。

 開いていたロッカーに荷物を突っ込んで、せっせと服を脱ぐ――くいっ。
 ズボンを引っ張られたので目を向けると、みさきがバンザイしていた。

「なんだ、自分じゃ脱げないのか?」

 こくこく。

「たく、あんま動くなよ」

 ほんと、なんにも出来ないガキだな……まぁ、何も教えられて無いからか。いやでも、歯磨きとか知ってたし……んん? どこまで知ってて、どこまで知らないんだ? それとも、これくらいのガキは自分で服が脱げなくて普通なのか? ……分からん。

「……まだ?」
「おう、わりぃわりぃ」

 みさきの服を引っ張ると、キツイ臭いが鼻を刺激した。新しい服を買ったのは正解らしい。

 ガキの頃、風呂に入った後は鼻の機能がリセットされるとかいう話を聞いたが、これほど世界が変わるとは思わなかった。これからは気を付けよう。

「よし、行くか」
「……」
「どうした、なぜ俺の股間を凝視している」
「……なに?」

 これなに? ってことだろうか?

「おちんちんだよ」
「……おちんちん?」
「(知らない人1)おい、あいつ娘におちんちんって言わせてるぞ」
「(知らない人2)マジかよ、レベルたけぇな」

 やばい、死にたい。

「……れべる?」
「後で教えてやる。とにかく風呂行くぞ、風呂」

 こくこく。
 みさきは俺の息子をガン見しながら頷いた。

「とりあえず、見るのやめろ」
「……ん?」
「いいかみさき、いい女はおちんちんを見たら恥ずかしそうに目を逸らすんだよ。分かったか?」
「……んん?」
「はい、恥ずかしそうに目を逸らす。せーの」
「……むずかしい」

 と眉を寄せて真剣な表情でみさき。

「……おてほん」
「それは、流石に……」
「……おてほんっ」

 少し強く言って、ぷくっと頬を膨らませた。
 ……おい、さっき俺にレベル高いとか言ったバカ見てるか? レベル上がったぞ。

「上等だ、見せてやるよ」

 敵が強ければ強い程、乗り越えた時に得られる経験値は大きい。
 ふっ、俺はあえてレベルを上げたのさ。
 より大きな経験値を得る為にな!

「よし、じゃあ、行くぞ」
「……ん」

 覚悟を決めた俺は素早く屈んで、みさきの股間を見た。
 穢れを知らない白い肌に包まれた無垢な蕾は――あ、やべ、なんか普通に恥ずかしくなってきた。

「……ん」

 お? なんか伝わった?

 みさきはコクリと頷いた後、また俺の息子を凝視する。それから口を一の字にして、俯きながら少し頬を染め、ゆっくりと顔を逸らした。

「……どう?」

 と得意気な表情でみさき。
 え、さっきの俺こんな感じだったの?

「……合格だ」

 俺は何か大切な物と引き換えに、グッと拳を握りしめて喜ぶみさきの姿を見た。
 ……割に合わねぇ。



 そんなこんなで浴場へ。
 銭湯といえばデカイ風呂がひとつって印象だったが、最近はそれだと客が取れないのか、なんかいろいろある。サウナーとか、水風呂とか、なんちゃらの湯とか。ちょっと豪華な温泉みたいな充実っぷりだ。

 沢山の湯を前に、うずうず体を揺らし始めたみさきの手を引いて、シャワーのある場所へ向かった。

「……おふろ」
「体を洗うのが先だ。覚えとけ」
「……ん」

 素直に頷いたみさきを椅子っぽい物に座らせて、慎重に蛇口を捻る。
 さっき来た時すげぇ熱くて後悔したからな。みさきを火傷させたら大変だ。
 そう思いながら自分の手で温度を調整して、ふと気が付く。

「みさき、これくらいでいいか?」
「……あつい」
「これくらいか?」
「……ん」

 やっぱりだ、俺とみさきじゃ感覚が違った。
 ……ふっ、こういう気遣いが出来る俺、ほんと有能だぜ。

「じゃあシャンプーするから髪濡らすぞ」
「……ん――んんっ」
「ど、どうした!?」

 髪にお湯をかけた途端、みさきが両手を上げて抵抗した。

「……あつい」
「いやでも、さっき手で確認して平気って……ハッ」

 馬鹿野郎! 手と頭じゃ感覚がチゲェじゃねぇか!

「すまねぇみさき……まずは肩、次は首、それからようやく頭だよな……そんなの、常識だよな」

 ぼんやりとだけど、まだ親が風呂に付き合ってくれていた頃、そんな感じの気遣いがあったような気がする……くそっ、俺はなんて無能なんだ。

 仕切り直し。
 順を追ってみさきの短い髪を濡らしたあと、シャンプーを両手に装備した。それをみさきの髪に当て……ど、どうすればいいんだ?

 やばい、他人の、しかもガキの髪なんて洗ったことねぇよ。自分の時と同じ感じでいいのか? いやでも、痛がったらどうする? ……よし、ここは優しく、ソフトタッチで行こう。

「……っ」
「どうした、痛かったか!?」
「……くすぐったい」
「そうか、もう少し強くするな」
「……ん」

 なんだよこの緊張感、こんなの組を抜ける時にボスとやりあって以来だ。
 ……みさき、こいつやっぱ、ただ者じゃねぇ。

「目をあけるなよ」
「……ん」

 針の穴を通すような緊張感の中、なんとかみさきの髪を泡で包むことに成功した。

「……なまえ」
「あ? パパでいいよ、パパで」
「……なまえっ」
「なんだよ、パパでいいじゃんかよ」
「……やだ」
「たく……龍誠だ、かっこいいだろ?」
「……ようせい?」
「龍誠だ。りょ、う、せ、い」
「……りょーくん?」
「好きに呼べ」
「……りょーくん」
「おう」
「……りょーくん、おてて、おっきい」
「大人だからな」
「……おおきく、なる?」
「ああ、大人になったら大きくなる」
「……りょーくん、くらい?」
「いやいや、ここまで大きくはならねぇだろ」

 あ、あれ? なんか拗ねた?

「……シャンプー、へた」

 なんか怒った!?

「別にいいじゃねぇか。小さい方が可愛いだろ」
「……かわいい?」
「おう」
「……ん」

 よし、機嫌なおった。

「それじゃ、髪流すぞ」
「……ゆっくり」

 な、なんだ、どういう意味だ?
 ゆっくりも何も、ジャーってシャワーかけるだけじゃねぇのか?

「おぅ、任せとけ」

 やっべ言っちまった。
 どうする?
 どうすればいい?

「……まだ?」

 ゆっくりって言ったじゃねぇかよ!?
 いいぜ分かった。さっさとシャワーぶっかけてやるよ!

「……んんっ」
「わりぃ、熱かったか!?」
「……へた」
「すまん!」

 ちくしょう! 全然わからねぇ!

 

 そんなこんなで悪戦苦闘して、ようやく湯船に辿り着いた時の達成感は半端なかった。そこそこ熱い湯に肩まで沈んで、ふぅぅぅと息を吐く。なかなか気持ちい。

「……さげて」
「あ? 何を?」
「……ひざ」
「膝? こうか?」
「……ん」

 少し膝を下げると、ぷにっとした柔らかい感覚に襲われた。

「……かたい」

 何してんだこいつ……って、座りたいのか。そうだな、こいつの座高で座ったら息出来ねぇもんな。

「あっちの湯なら大丈夫なんじゃねぇか?」
「……ここ」

 ここでいいのか。つっても、膝の上じゃ……まぁ、水の中だし平気なのか?
 ……分からん。本人がいいなら、それでいいか。
 
「……かべ」
「壁?」

 また良く分からん暗号だ。どういう意味なんだ?

「……せなか、て」

 んん? 壁、背中、手……あ、こうか?

「……ん」

 みさきの小さな背中に手を当てると、これまた軽い抵抗が加わった。体を倒したかったらしい。

「……」

 たく、気持ちよさそうに目を細めやがって……。
 よし、これからは毎日連れてくことにしよう。
 俺も風呂に入らねぇとみさきに臭いって言われちまうしな。

「……」
「……」

 まったりとした時間が流れた。うっかり気を抜いたら寝ちまいそうだが、そうするとみさきを湯船に沈めることになるので気は抜けない。さりとて、眠気はやって来る。

 ……この感じ、いつ以来だっけ?

 右手一本で支えられる小さな女の子をぼんやりと見ながら、ふと思った。
 和やかというか、時の流れがゆっくりというか、よく分かんねぇけど悪くない気分だ。ここ数年、こんな感じでぼーっとしてる時間は多かったが……これは、全然違う。なんでだろうな。

 よく分からないまま、俺達は閉館時間に追われて湯船から出た。
 脱ぐのがダメなら着るのもダメらしく、バンザイするみさきに新しい服を着せた。
 次に古い服の扱いに迷って、とりあえず服屋で貰った袋に入れることにした。多分、こいつは洗えばまだ使える。
 そうして準備が完了し、外を目指したのだが、途中でみさきが足を止めた。

「どうした?」

 みさきの目を追うと、そこにはゴミ箱があって、俺が捨てた服が残っていた。

「……りょーくん?」
「ああ、俺が捨てたヤツだな」
「……なんで?」
「なんでって、もう使えないだろ、あれ」
「……つかえない?」
「ああ、もういらないものだ」
「……いらない、すてる?」

 流れに任せて返事をしようとして、言葉につまった。
 いらなくなったから捨てる。それはみさきが持つ最大の地雷だ。

 だが、ここでアレを拾ってどうする?
 この先、何かある度に物を残すのか?

 みさきの表情を見ると、くりくりした瞳を潤ませ、不安そうな表情で俺の返事を待っていた。その目には、期待の色があるような気がする。きっと俺があの服を拾うことを期待しているのだろう。きっと、そうすればみさきは喜ぶ。

 ……そんなの、意味ねぇだろ。

「ああそうだ。いらなくなったものは捨てろ」

 裏切られた。
 そんな表情をして、みさきは俯いた。

「俺達の手は二本しかねぇんだ。あれもこれも抱えてたら転んじまうよ」

 みさきの頭に手を乗せて、乱暴に撫でる。
 それから膝を追って、目線を合わせて、下手な笑顔を作った。

「だから、一番大事なもんだけ、心にしまっとけ」
「……いちばん?」
「ああ。感謝の気持ちだけは、絶対に忘れんな」
「……かんしゃ?」
「ありがとうってことだよ」

 少し難しかっただろうか? それとも、単純に説得力が無かったからだろうか?
 みさきは、よく分からないといった表情をしている。

 ……しゃーねー。

 俺はゴミ箱の前まで歩き、クッセェ服に向かって、頭を下げた。

「ありがとうございました」

 ……こっぱずかしい。
 なんだこれ、なにしてんだ俺。

「……ありがと」

 声のした方を見ると、俺の隣で、みさきも同じように頭を下げていた。
 それを見て驚いていると、みさきはゆっくり顔を上げて、微笑んだ。

 それは、口元を少し緩めるだけの笑顔とは違う。
 目を細めて、本当に嬉しそうな表情をしていた。

 だから俺は、あらためて思った――
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