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番外編
SS:ゆいの特訓、そのいち!
しおりを挟む「まえまわりおしえてください!」
とある冬の日。
ゆいは龍誠の部屋に突撃して言った。
「突然どうした?」
「ぜったいぜつめい!」
いつも通り元気よく全力で言ったゆい。
その力強い言葉を聞いて、まったり本を読んでいたみさきも目を向ける。
しゃー! ゆいはみさきを威嚇した。
みさきは欠伸をして、本に目を戻す。
「学校で何かあったのか?」
子供達の微笑ましいやりとりに肩を揺らしながら問いかける。ゆいは鬼気迫る顔をして、
「まえまわりができません!」
「そうか、難しいもんな」
ゆいはピョンと一歩だけ龍誠に近付いた。
その小さな衝撃で、しかしボロアパートの床は軽く悲鳴を上げる。
「……」
ゆいは硬直していた。
龍誠が気にするなと声を掛けると、ゆいは顔を真っ赤にして言った。
「ちがいます!」
大きく息を吸って、
「いちにんまえのレディーは、ほうひしません!」
誰だよ一年生に放屁とかいう言葉を教えたやつ。
龍誠は心の中でツッコミを入れながら、
「大丈夫、今のは床さんが放屁した音だ」
「ええぇ!?」
ゆいはひっくり返りそうなくらいに仰け反って、
「おしりなの!?」
「ああ、そこは床さんのおしりだ」
「あたまどこ!?」
「頭は、あっちかな」
笑いを堪えながら言う。
ゆいはビックリ仰天といった様子。しかし急に表情を引き締めると、龍誠が指で示した場所まで走った。
「こらー!」
ゆいは叫んで、
「くっさー!」
ゆ、ゆかに、ゆかにキレてる。
龍誠は必死に笑いをこらえる。一方で満足した様子のゆいは、
「まえまわりおしえてください!」
「よし、そこの布団で練習しようか」
「はい!」
ゆいは元気に返事をして、
「せんてひっしょう!」
とてとてたったと布団に土下座!
「これが! あたしのじつりょくです!」
土下座! ……そして不動!
龍誠は悩んだ。たっぷり十秒ほど考えて、ゆいの実力を受け入れる。
「厳しい戦いになりそうだな……」
「ママもせんせもサジなげた!」
妙にリズム良く見捨てられたことを宣言したゆい。
「やーい! まえまわりできないのひとりだけぇ……」
少しずつ声が小さくなって、
「ぐすん……くやしぃ」
龍誠は覚悟を決めた。
ゆいの実力は驚異的だ。しかし、如何なる困難であろうと逃げ出すワケにはいかない。だって彼女は、みさきの友人なのだから。
みさきに目を向ける。みさきは直ぐに視線に気が付いて、本から顔を上げた。それからコクリと頷いて、龍誠の足元までテクテク歩いて、となりにいるね、と目で伝えた。
龍誠はポンとみさきの頭に手を当てて、ゆいのところへ向かう。みさきは「んっ」と、ゆいにエールを送って、檀の膝を目指した。
「さて、まずは転がる感覚を覚えようか」
「おねがいします!」
「うし、まずは布団に手をついてみろ」
「はい!」
素直に従ったゆい。龍誠はゆいの腹部に手を当てて、くるりと回転させる。
小さな身体は簡単に持ち上がって、ゆいは見事に一回転すると、龍誠に支えられながら尻餅をついた。
「……」
ちょうど土下座の姿勢から90度だけ起き上がった姿勢で唖然としているゆい。
「……にんげんじゃない!」
龍誠は不思議な感想に肩を揺らして、
「やめるか?」
「やります!」
直ぐに返事をして土下座の姿勢になるゆい。
龍誠は再び手を添えて、くるり。
「……」
何も言わず土下座の姿勢に戻ったゆい。
もう一度くるり。
「……」
ちょっと楽しくなってきたゆい。
期待に応えてくるり。
「もういっかい! もういっかい!」
「よっしゃ、任せろ」
くるり。わーい!
くるり。やっほー!
くるくるり。にかいてーん!
――と回り続けて、
「たいむ、たいむです……」
ゆいの三半規管は限界を迎えた。
「すまん、調子に乗った。平気か?」
「……いちにんまえのレディは、おうとしません」
必死に耐えるゆい。
すーはー、と深呼吸をして、
「イケる気がします!」
「そ、そうか。無理すんなよ」
ゆいは一人で床に手をつく。
そして――足が宙に浮いた!
「おおっ」
思わぬ急成長に龍誠は声を上げる。
そのまま徐に半回転して――果たして、ゆいは横に倒れた。
「……」
横になった姿勢でコロコロするゆい。
龍誠は掛ける言葉が見つからない。
コロコロ。コロコロ――くるり。
「!?」
龍誠は驚愕して目を見開いた。
不貞腐れたようにコロコロ回るゆいが、無意識に前回りを成功させたのである。
本人は気が付いていない。
ただ無表情で、何が楽しいのかコロコロクルクルしている。
そのうち床がキッと音を鳴らす。
ゆいは不意に立ち上がって、てくてく部屋の隅まで歩いた。
「くっさー!」
そして、床さんの頭に八つ当たり。
それからキレのある動きで龍誠を見て、
「はんぶんできました!」
「おう、そうだな」
「でもきょうはかえるじかんです!」
ゆいは元気な声で言って、
「またきます!」
それからダッシュで入り口に放置したランドセルを回収して、龍誠に軽く会釈する。
「一人で帰れるか?」
「もちろんです!」
回れ右して走り出したゆい。
龍誠は微笑んで、ゆいの背中を見送った。
そして、この日を境に、ゆいは体育で困ると龍誠を頼るようになったのだった。
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