荒井良治は医師である

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永久

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 受付用の椅子に、待合室に背を向けて永久とわさまが座る。俺は永久さまを見上げるように、床に片膝がギリギリつかないようにしゃがんだ。

 永久さまが慌てる。
「あなたも座って下さい」
「この方が都合がいいんです。口の動きを読まれてしまうかもしれないでしょう?」
「辛くなったら言って下さいね。
 2週間前、私は獅堂家が全国に持つほこらを目印にして家を抜け出すことにしました。どの祠に出ようかと感覚を繋いで選んでいたら、その1つに何かあったのが分かったんです。

 心配になってその祠に出ると、私と同じくらいの人が謝りながら、祠に付いた泥を太い筒に入った水で流していました。すぐ近くにある物が何かその時は分かりませんでしたが、ここへの道中で似た物があって何か訊ねたら自転車と言うそうです」
 自転車も見たことないの!?

 つまり自転車の跳ね上げた泥が祠に掛かってしまい、乗っていた少年が慌てて飲み水で流そうとしたってところか。太い筒……自然たっぷりな山にいる自転車……マウンテンバイクとそれにくっ付ける水筒か?

「それでその人の言葉がよく分からなかったので教えてもらえますか?
 『それコス? 本物ならマジでごめんなさい』と言われました」

 ……まあ、少年がいきなり永久さまを見たらそうなるかもな。神社でよく見る赤や水色のはかまと比べたら、ふざけて派手にしたと見えなくもない。
ちまたには普段とは違う職業や人物像の服を着るという遊びがあり、それをコスチュームプレイと言います。
 少年は、『あなたはコスチュームプレイをしているのですか? そうではなく本物の神職しんしょくさんなら誠に申し訳ありませんでした』と言っていたのです」
 コスプレを真面目に説明するのってなんか恥ずかしいな。

「そうだったんですね。祠をけがしたことを詫びているのは伝わったので、『悪気は無かったのでしょう? それよりもお水が無くなってしまいましたね』と私が彼の持っていた筒にお水を召喚んだら何かにとても驚いて」

 あなたのしたことにですよ。

「落として転がった筒を拾おうとした彼がそのまま筒と一緒に道から落ちてしまったんです。力を使うより先に自分の手で助けようとしてしまい、私も一緒に。
 治癒を掛けた後は落ち着いていて、この事は忘れると約束してくれました。それで祠まで彼を送ったら疲れて眠ってしまったんです。
 彼には忘れてと言ったのに、私は彼のことが忘れられなくて……」

 永久さまは両手で頬を包んでうつむいた。しゃがんでる俺にはその表情がしっかり見える。

 え、これって。
「外出はその子にまた会いたくてですか?」
 永久さまはすぐに両手を頬から離し淋しそうに微笑んだ。
「外出は普通の暮らしに触れたくてです。大きな危機のために生まれてきたというのが家では常に付きまといますから。
 彼は私の肩に手を置いて立ち上がり、私の手を掴んで引き上げるように立たせてくれたんですよ? そんなことをされたのは初めてです。友達というのはそういうことをよくするのでしょう? 一生の思い出です」

 なんか切ないな。
 でも冷静に考えて見落としちゃいけないことがある。

「本当にこれっきりということでいいのでしょうか?」
「でも名前も知りませんし、本家に知られたら彼が叱られてしまいます」
「祠を穢したとか永久さまを危険に晒したとかよりも重要なことが」

 永久さまは気付いてないみたい。
「その少年は永久さまの血に触れたましたよね?」
「触れたくらいで得る力は傷の治療で使い果たす程度です」
「もしもその少年の傷口に永久さまの血が当たっていたら? 体内に取り込んだことになりますよね?」
「そんな偶然」
「お互いの血の溶けた水に一緒に浸かったんですよね?」

 永久さまの手が無意識のように口元に上がった。
「あの眠気は水と治癒の疲労ではなく、契約した反動?」

 永久さまは苦しそうに決断した。
「話さなければいけませんね」
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