猫に珈琲の味は分からない

猫パンチ三世

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猫に珈琲の味は分からない

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 十二月、世間がクリスマスや少し気の早い正月に浮足立つ中で祥子は小さくため息を吐きながら街を歩いていた。
 冬が深まるにつれて街はどんどん煌びやかに彩られていく、宝石を散りばめたようなイルミネーションやあちこちに現れるサンタクロースやトナカイ、店先ではそのサンタやトナカイの紛い物たちが客引きに精を出していた。

 ひゅう、とおもむろに冷たい風が吹く。
 祥子は体を小さく震わせ、マフラーとコートの位置を直す。空はどんよりとした曇り空で、この時期なら雨よりも雪が降りそうだと感じさせる黒い雲に覆われていた。
 少し艶を失った黒髪、疲れたように目元は落ち込み背中が気持ち曲がっているように見えなくもない彼女は一人煌びやかな街を歩く。

 特に顔が秀でているわけではないが、どこか可愛らしい印象を持てるはずの顔はなぜかひどく疲れていた。

「今日もしかしたら雪が降るかもしれないんだって!」

「マジ!? うわー雪ふんねえかな!」

 通行人の中には雪が降るのを心待ちにしている人間もいるようだったが、祥子はちっとも楽しみではなかった。
 雪なんて降らなければいい、どうせ寒くなるだけだ。そんな擦り切れたような、批判的な、考えを抱えたまま硬くて冷たいコンクリートを踏む。

 金曜日の二十時、仕事はすでに終わり家へ帰る途中でしかも土日休み。
 ステップの一つでも踏みながら帰れるような、十分に喜べるだけの理由が揃っている。だというのに彼女の心は晴れない、空を覆う雲がそのまま心まで覆いつくしてしまったようなどんよりとした気分で彼女は帰路についていた。

 
 天野祥子、という人物を一言で言い表すならば『優しい人』だ。
 今でこそ街の浮かれた様子にうんざりしているが、普段は決してあんな事は思わない。もうそんな季節か、と自分もほんの少しだけ浮かれるような人間だった。

 この優しい人、という言葉は決して言い過ぎではない。
 当然だが今に至るまで犯罪行為に手を出した事は無いし、教師や親を困らせたような事も無い。
 勉強も真面目に取り組み赤点を取った事もない、思春期特有の意見の衝突から多少の口論などはあったが、少しの時間が解決してくれるようなささやかなものだった。

 そんな彼女は、とても気遣いのできる女性だった。
 両親の指導の賜物でもあるが、彼女の穏やかな性格も手伝い自然と周りを気遣える人間に彼女は成長した。

 今まで彼女はそれを誇らしげに自慢したり、困っている人を助けない人間を非難した事はただの一度も無い。
 困っている人がいる、だから手助けをする。
 それは彼女にとって特別な事では無かった。

 祥子は大通りの雑踏の中を歩く、彼女の頭の中には今日言われた言葉が繰り返し反響していた。

『天野さんってさ、良い人なんだろうけどちょっとムカつくよね。いかにも良い人って感じがさ』

『うわ、それすっごい分かる。何か優しくしてる自分に酔ってる感じするよね』

『良い子ちゃんアピールも大概にしとけって感じ』

 大学を卒業してから入った会社で、祥子は事務職として働いていた。
 彼女の周りに対する気遣いは、社会人になってからも続いていた。
 二年目でできない事もまだまだあるが、それでもひたむきに働き続け自分の手が空けば忙しそうな人の仕事を手伝うなどやれるだけの事はやってきたはずだ。

 だが今日の昼休憩で、つい給湯室にいた同じ職場の同期たちの話を聞いてしまった。自分に対する文句が出るわ出るわ、そこまで自分の事が嫌いだったのかと悲しみと驚きが同時に襲って来た。

 更に不幸な事に彼女は彼氏に振られてしまっていた、それも今日。
 大学三年生から付き合っていた彼氏で、彼女から彼に対しての不満はあまりなかったが、彼はどうやら祥子の受け身な態度が段々と気に入らなくなったらしい。
 つい先日会った時も、優しいけどつまらないと彼女は言われており二人の仲は順調とは言えなかった。

 だがそんな小さなイザコザは今までも何度かあった、そしてその度に乗り越えてきた。
 だから今度も大丈夫、自分から食事にでも誘って一言謝れば大丈夫と考えていた矢先の彼の言葉。

『別れよう』

 たった四文字の言葉に、もう元には戻れないという確固たる事実が込められていた。

 そんな最悪の週末を家で過ごすべく、彼女はいつもより足早に家へ向かう。
 いつもはあまり飲まない酒も飲んでしまおう、家の手前にあるコンビニで食べたい物を片っ端から買って食べてやろうと歩く彼女の目に不思議な店が映る。

 今日の祥子は早く家に帰るために近道をしていた、人通りが少なく薄暗いため二、三回しか使った事が無い道だったが、大体どんな建物があるという事は知っているはずだった。

「こんなお店……あったっけ?」

 彼女の記憶が正しければ、この道には飲食店などの目立った店は無かったはずだ。
 明かりの落ちたビル、シャッターの降りた店舗など寂しい雰囲気の道だったはずだ。

 だが彼女の目には明かりの灯った、小さな店が映る。
 茶色い木製のドア、その上部から優しい光が道に差し込んでおり、入り口の前には『リサイクルショップ・わ』と書かれた看板がぼんやりと光を放っていた。

 いつもの彼女ならこんな店は目にも留まらないか、見つけたとしてもスルーしてしまうだろう。
 だが物珍しさに加え、この日の彼女は悲しみなどのもうよく分からない感情がごちゃ混ぜになっており、つい勢いで店の中へ入ってしまった。


 カランカランと入口の鈴が澄んだ音を響かせる、祥子は目を丸くしながら店の中央へ足を進めた。
 店内はこじんまりとしているが、天井が高いおかげかそこまで狭くは感じない。床は木製で、彼女が一歩足を進めるたびにギイギイと音が鳴る。
 部屋に窓は無く、両脇に大きな棚があり何かはよく分からないがキラキラと光る何かが入った瓶が並んでいた。
 横長のバーのカウンターのような机の後ろにも瓶がいくつも並んでおり、机の上ではサイフォン式のコーヒーメーカーが静かに動いている。
 部屋の隅には懐かしい白い石油ストーブがあり、懸命に部屋を暖めていた。

 リサイクルショップと書いてあったため、もっとゴチャゴチャした店内を祥子は想像していたが、それに反して驚くほどに物が無い。
 きっとオープンしたばかりなのだろうと考え、彼女は店の中央に立つ。

 この『わ』という店は不思議な感覚のする店だった。
 初めて来たというのにどこか懐かしい、一度来た事があったかもしれないと思ってしまうような心が溶けていくような感覚がある。
 
 祥子はその懐かしい感覚に僅かだが心を癒された、そしてふと棚に置かれた瓶に目が行く。
 中にはよく分からないキラキラと光る粒子のような物が、不規則に漂っている。

 祥子がその瓶に思わず手を触れようとした時、店の奥から急いだような足音が聞こえてきた。
 
「いやあ、すいやせん。お客さんが来てたとは、どうもお待たせしてしまいやして」

 店の奥から慌てて出てきた人影は、その軽薄そうな言葉とは裏腹に丁寧に頭を下げる。
 それを祥子は目を大きく丸くして、開いた口も閉じないままで見ていた。
 彼女は今年で二十六歳になる、すでに十分大人だと言える彼女がどうしてそんな間抜けな顔をしてしまったのかという原因は、奥から現れた影に原因があった。


 店の奥から現れた影、それは猫だった。
 猫だ、大きな猫なのだ。
 茶色の毛をベースに黒い縞模様の入ったキジトラ猫、口元と手足の先だけが白い。
 後ろから生えた尻尾も茶色と黒の縞々模様で、彼女を見るその目は美しい金色をしていた。
 全体的に毛の量が多いのか、シュっとしたスマートな猫ではなく愛嬌のある丸みを持つ青い腹掛けをした猫は、驚いている彼女を不思議そうに見ている。
 

 彼女は最初、そういう仮装をして接客する店なのかもしれないと考えた。
 だがいかに精巧に造られた仮装をしていても、さすがにそれが作り物である事は分かる。それがどうだ、目の前にいる猫は作り物にしてはあまりにも生気に満ち満ちている。
 毛は見ただけでふんわりとしている事が分かる上に、尻尾や耳も彼女が知っている猫と同じようにピコピコと極々自然な動きをしている。

 デフォルメされたキャラクターのような猫ではなく、例えるなら『その辺にいる普通の猫が人間サイズまで大きくなって腹掛けをし、二足歩行している』といった具合だ。
 彼女の目が丸くなり、口が閉じなくなるのも無理からぬ話だろう。

「……猫?」

「はい、あっしは猫ですよ。どうされたんですかお客さん、そんな珍妙なものを見たような顔をして」

「猫が……喋ってる」

「そりゃ喋りますよ、生きてますからね」

「私……おかしくなったのかな」

「おかしくなったというよりも、ずいぶんお疲れのようですね。どうです、せっかく来ていただいたんだコーヒーの一杯でも」

 猫は髭をピクピク動かしながら、ニコリと笑った。


「さあどうぞ、あっしの特性ブレンドでさあ。お口に合うかは分かりやせんがね」

「あ、ありがとうございます」

 そこから猫は流れるようにカウンターの前に椅子を持ってきて、コートとマフラーを預かり祥子を座らせると、猫は毛に覆われた触り心地の良さそうな手を器用に使ってテキパキとコーヒーを準備し、彼女の前に差し出した。


 得体のしれない猫が淹れたコーヒー、普通の人間であれば飲むのを躊躇うだろうが彼女は礼を言うと躊躇いなくそれを飲んだ。

「……これは、その……何と言うか独特な苦みがありますね」

 コーヒーはコーヒーなのだが、いつも自分が飲んでいるものとはあまりにも違う味に彼女は語彙力を失ってしまっていた。
 まずい、と言うほどでもないが美味い、とは言えない味。
 深みのようなものはあるが口の中にしつこく苦みが残る、だというのに不思議と飲みやすいのがかえって不思議だった。

「あっはっはっ、お客さんはずいぶんとお優しいんですねえ。大抵の人は一口飲んだ後の第一声はまずいなんですが」

 猫は上機嫌に尻尾と耳を動かしながら笑う、それがあまりにも嬉しそうでつい祥子もクスクスと小さく笑ってしまった。

「あの……ここって何のお店なんですか?」

「リサイクルショップですよ」

「ええと、それは表にも書いてあったんですが商品はあの瓶だけなんですか?」

「瓶? ああ、なるほど、いえいえうちの商品はあの瓶の中身でさあ」

「中身? でも中には何も……あのキラキラしたものですか?」

「そうですそうです、あれがあっしの取り扱ってるもの何でさあ」

「あれって何なんですか?」

 猫はその言葉には答えずに、自分の分のコーヒーをカップに注ぐと椅子を持ってきてカウンターを挟んで祥子のと向かい合う形で腰掛けた。

「それをお教えする前に、少しばかりお話させて頂けやせんかね」

「話って?」

「お客さんのお悩みについてです。、これはあっしの勝手なルールなんですがね、商品をお売りする前にお客さんと話をしてその上で何をお売りするか、お客さんには何が必要なのかを判断させて頂いているんでさ」

「悩み……ですか?」

「ええ、ここに来たって事は大なり小なり悩みを抱えてるって事ですからねえ。それにお客さん最初こそ驚きはしてたみたいですが、もうあっしを受け入れてらっしゃる。それはつまるところ、目の前でデカい猫が喋っていても気にならないほどお疲れって事じゃあないんですかい?」

「そうかも……しれませんね」

 彼女は猫の言葉通り、この非現実的な空間をすでに受け入れていた。
 人間サイズの猫がいようが、喋ろうがコーヒーをサービスしてくれようが、それすらあっさりと受け入れてしまうほど彼女は疲れていた。

「もちろん無理にとは言いやせん、お話したくなかったら帰ってもらってけっこうです。ただあっしは見ての通りの猫ですからね、人に話せない悩みを話すにゃあちょうどいいと思うんですがね」

 祥子は普段あまり悩みや愚痴を人に漏らさない、誰かに不平不満や悩みを言った所ですっきりできるのは自分だけだろうし、相手の気分を害してしまう事があるだろうという考えを持っているからだ。
 それに何てことなしに言った愚痴や文句が、思わぬ形で広がり揉めている人間を彼女は何人も見ている。
 そういった事もあり、できるだけ人に文句や愚痴を言わないのだ。

 だが今の自分の前にいるのは人間ではない、ただのデカい猫だ。
 変わったコーヒーを淹れる、気の良いデカい猫。人に話すよりもずっと気楽に話せそうだ。

「さて、どうされやすか」

「じゃあ……話を聞いて貰ってもいいですか?」

「もちろん、喜んで」

 猫は話を聞くために、真っ直ぐに祥子の目を見た。
 キラキラと美しい金色の目、あまりにも澄んだその瞳が眩しくて彼女は思わず目を背けそうになった。
 だがそれは目の前で自分の話を聞いてくれる猫に対して、あまりにも失礼だという事に気付き目を背けるのをやめ、大きく息を吸ってから口を開く。

「少し……疲れてまして」

「理由は?」

「私を見ているとムカつくらしいんです、自分の意見が無くて周りに気を使ってる良い人アピールが鼻につくらしくて」

「良い人アピール、ですか」

「ええ、私はそんなつもりは無いんです。昔から困ってる人は助けてあげなさい、手伝ってあげなさいって教えられてきましたから。でも周りはそれが面白くないらしくて」

「誰かにそれを言われたんで?」

「直接じゃなく陰で言ってるのを聞いてしまって……直接言われるよりも……悲しくて」

「なるほど……それはお辛いですねぇ、しかもその様子だとそこまで仲が悪いと思っていた相手では無かったんでしょう?」

「はい、私は……仲良くできてると思ってて」

 悲しげにそう呟くと、祥子は自分の前に置かれた冷め始めているコーヒーを飲む。
 二口ほど飲み、半分ほど残して彼女はまたカップを置いた。

「私、これが初めてじゃないんですよ。昔から言われてたんです、良い人アピールとか点数稼ぎとか優等生気取りとか。でもずっとずっと聞こえないフリしてたんです、自分のしてる事は間違いじゃないってそう思って知らないフリしてたんですよ」

 机に置いた彼女の手の平に力が入る。
 今までもそうだった、ずっと彼女は心無い言葉に晒されていた。
 小学生くらいまでは良かった、周りは偉いと褒めてくれたし友達からも素直なありがとうをもらえていた。
 だが中学、高校と年齢を重ねるうちに周りからの目は冷たくなっていった。

 教師などの大人からの評判は悪くなかったが、それが余計に彼女の立場を悪くした。
 同級生の一部からは点数稼ぎやゴマ擦りと陰口を叩かれ、あからさまに避けられたりなどの陰湿な嫌がらせを受ける事もあった。

「陰口を言われて、彼氏にはつまらないって言われたあげくに振られて。もうどうしたらいいのか分からなく……なっちゃって……」

 祥子はそこまで言うと静かに泣きだしてしまった、頬を伝う涙に気付いた時にはもう手遅れでそこからはどうしても流れ出す涙を止めることができなくなってしまった。
 せき止めていた、押し殺していた思いは涙となって流れ出す。彼女は声を殺しながら、肩を震わせて泣く。
 猫は静かに白いハンカチを差し出した。

「あり……がとう……ございます」

「泣いてください、思う存分。あっしがいない方がいいなら奥に行ってますから」

「いえ……ここにいてください」

 ここから彼女が泣き止むまで、時間にして十分ほどかかった。
 グスグスと泣く彼女の側で、猫は静かに苦いコーヒーを淹れていた。

「……すいません、これは洗ってお返ししますね」

 泣き止んだ祥子は、恥ずかしそうに涙でグチャグチャになったハンカチを持ったまま顔を赤らめていた。

「いえいえ、お気になさらず。泣くのは久方ぶりで?」

 猫はそう言って笑顔を見せながら、冷めたコーヒーを下げ新しいカップに温かいコーヒーを注ぎ差し出した。
 猫の問いに小さく頷きながら、祥子はコーヒーを飲む。独特な苦みが不思議と癖になったのか、最初よりもずっと飲みやすかった。

「みっともないですよね、愚痴って泣いて……」

「そんな事はありやせんよ、感情ってのは水と一緒でずうっと留めておくと濁っちまう。だから泣いたり愚痴ったりして、時々流してやらねえと駄目なんでさあ」

「そう……かもしれませんね」

 猫も自分のカップにコーヒーを注ぐ、可愛らしい手からは想像できないほど慣れた手つきに感心しながら、祥子はコーヒーを飲んだ。

「お客さん、今の話を聞いててあっしがどうしても言いたい事があるんですが聞いてくれやすかい?」

 猫はコーヒーを一口飲んだ後、髭を少し垂らしながらそう呟いた。

「言いたい事?」

「ええ、でもあっしはただの猫なもんで見当はずれな事を言っちまうかもしれやせん。だもんで話半分に聞いてくれると助かるんですが、よろしいですか?」

「分かりました、じゃあ話半分で聞きます」

 そう答えた祥子を見て、ニヤリと嬉しそうに猫は笑う。
 それを見た祥子も、それに応えるようにニヤリと笑った。

「お客さんは何にも間違っちゃあいやせんよ、もちろんおかしくもありやせん」

「でも周りはムカつくって、つまらないって言いますよ」

「それは仕方ない事なんでさあ、人間てやつは自分ができない事ができる人間を見るとどうしたって妬んじまう。凄いと思っていても、それを素直に認められる人間ってのは少ないもんなんですよ」

「でも……」

「でももへちまもありやんよお客さん、優しさってのはねつまらなくもなけりゃあムカつくようなもんでもない。この世で一番大事なことなんでさあ」

 猫ははっきりと、力強くそう言った。
 それを祥子は素直に嬉しく思ったが、それでもまだ自分に自信を持てずにいる。自分が客で向こうが店員だから、猫だから。
 ネガティブな感情は、猫の温かい言葉の熱を冷ましてしまう。

 そんな彼女を見て、猫は肉球をポンと叩き少し待っていてほしいと伝えると店の奥へ姿を消した。

「お待たせしやした。お客さん、こいつが何か分かりますかい?」

 猫は店の奥から棚に並んでいるものと同じ瓶を、両手で抱えられるだけ持ってきた。
 並べられた瓶の中にはやはり棚の物と同じような、キラキラとした何かが漂っている。

「これは……?」

「こいつはねえ、どっかの誰かが捨てちまった『優しさ』でさあ」

「え?」

「そろそろ最初の質問にお答えしやしょうか、初めに言った通りここはリサイクルショップ。でも取り扱ってるのは家電とかそういうのじゃなく、人の感情や心なんでさあ」

「感情? 心? どういうことですか?」

「文明が発展し、身の回りの生活がどんどん便利になっていく。産まれるもんがありゃあ捨てられるもんも当然ある、お客さんも例えば新しい家電とかを買ったら今まで使ってたのは売るなり捨てるなりするでしょう?」

 その言葉に祥子は頷く、新しく何かが増えればその代わりに何かを捨てる。
 それは当然の事だからだ。

「便利になっていく生活の中で、人間は自分の中にある綺麗なもんを簡単に捨てちまう。あっしにはそれがどうにもやるせなくてねえ、だからそいつを拾ってリサイクルする事にしたんでさあ」

「じゃあこのキラキラしてるのって、誰かが捨てた優しさって事ですか?」

「そういう事でさあ、見てくださいよ人間の優しさってのはこんなにも綺麗なんです。そこらの星やお月さんやお天道さんにだって負けやしない、綺麗なもんなんですよ」

 瓶の中で輝く優しさたち、小さくともその輝きは強く眩しくそして優しい。
 見ているだけで、心が潤んでいくようなそんな光を放っている。

「この輝きがお客さんの中にはある、悪く言う人間はちょいとこの眩しさにやられちまってるだけなんでさ。きっとお客さんの優しい光は、誰かを照らして温めてる。もし今までがそうじゃなかったとしてもきっと、誰かを照らせるとあっしは思いやす」

「私の中に……この光が」

「それにねえお客さん、この優しさってやつは実は大して珍しくないんでさあ。街に出りゃそこら中に転がってる、裏の倉庫にも山のようにね」

 猫の言葉は嘘ではない、その言葉通り優しさはもうそこら中に転がっている。
 人間の中には優しさなど、欠片も残っていないのではと思ってしまうほどあちこちに転がっているのだ。
 地面に転がり、人に蹴られ踏まれても尚その輝きを失わない優しさ。それが猫にはたまらなく愛おしい、だから彼は見つけた優しさを片っ端から拾い集めている。

「つまるところ優しい人間が生きづらいのは当然の事なんでさあ、何てったって優しい人間の方が珍しいんですからねえ」

 猫は少し悲し気な表情を見せる、髭は垂れ耳も力なくしおれていた。
 だがそれを振り払うように顔をブルブルと振るわせた猫は、後ろの棚に置いてあった赤い蓋の瓶を取り先ほどと同じように彼女の前に置く。

「これは?」

「あっしの長話を聞いてくださったお客さんへのお礼でさあ、お客さんにはこいつが必要だと思いやしてね」

 猫は瓶の蓋を取り、おもむろにその中へ腕を突っ込んだ。
 キラキラと赤い光を放つ星のようなものを一つ掴む、瓶の外へ出た赤い星は更に光を強めたようで、猫の手の平からは赤い光が漏れ出していた。

「これは人間の何なんですか? 優しさの光とは違う……熱くてすごく眩しい」

「こいつはね『自信』ですよ、お客さんが自分の優しさに自信が持てるようにこいつを送りたいと思いやして」

「自信……ですか?」

「ええ、お客さんにはこいつが必要だ。自分の中の優しさを、自分を信じるためのこいつがね。でなけりゃあせっかくの優しさが可哀想でさあ」

 そう言って猫は祥子に手を出すように言い、恐る恐る手を出した彼女の手に赤い星を置いた。
 熱い、コーヒーを入れたようカップのような熱さがその星にはある。それを胸に当てるように言われた彼女は、それを胸に押し当てた
 じんわりと、心地よい熱が染み入って来る胸から広がりそれはやがて体の端から端までを温めていく。

 体が温まり切った彼女は、ゆっくりと胸から手を離す。
 その顔は僅かにだが赤らみ、夢から覚めようなとろりとした表情を猫に見せた。

「あったかい……これってもっと貰う事はできないんですか?」

「気持ちは分かりますがね、自身ってのは大事なもんだが同時に毒でもある。ほどよく適度に、が一番でさあ」

 その言葉に少し恥ずかしそうに笑う祥子を見て猫は笑う、彼女もまたそれにつられて笑う事ができた。

「さて、本日はどうもありがとうございやした。まずいコーヒーに猫の長話、ずいぶんとお時間を取らせちまって」

「そんな事ありません、私ここに来た事も猫さんと話した事も絶対に忘れません。また来ますから」

「ええ、ええ。またのお越しを気長に待ってやす、でもできれば来ない方がいいとは思いますがねえ」

「どうしてですか?」

「こんなとこに何度も来てたら、服が毛だらけになっちまいやすからねえ」

 その言葉に祥子は楽しそうに笑ってから、財布を取り出した。
 温かな自信と少し苦いがコーヒーを何杯も飲んだのだ、それ相応の額を手渡そうと彼女は考えていた。

「自信のお代はいりやせん。頂くならそうですねえ……コーヒー代は貰いやしょうか」

 猫は千円で良いと言ったが、それでは安すぎると彼女は五千円を手渡した。
 それを猫は最後まで拒んでいたが、けっきょく祥子の熱に負けて受け取った。

 コートとマフラーを着て、頭を下げて店を出て行こうとする彼女に猫もまた深々と頭を下げる。

「本日は本当に、ありがとうございやした」



 祥子は気が付くと自分の家の近くのコンビニの前にいた、近道をした所までは覚えているがそこからここまでの記憶がどうにもはっきりとしない。
 よほど疲れているのか、とも考えたが体に疲れたような感じはあまりなくむしろ会社を出る時よりもずっと調子がいい。

 今までの自分の動きを思い起こそうとする彼女の前を、白い雪が通り過ぎた。
 空は相も変わらずどんよりとしており、そこから更に雪まで降らせ始めたのだ。さきほどまでの、会社を出たばかりの彼女なら憂鬱になっていただろう雪。
 
 だが何故だろうか、いまはそれも気にならない。
 雪も、憂鬱な気持ちも溶かしてしまうような温かな何かが胸の内にあるのだから。

 祥子は力強くコンビニへ歩き出した、今日の夜を豪華に彩るために。


 猫は一匹で店の掃除をする、カウンターを拭きカップを洗いコーヒーの豆を補充し、棚の埃を払い最後の仕上げとしてストーブに灯油を足す。
 
 そして一匹で椅子に座り、自分で淹れたコーヒーを飲みながら気持ちよさそうに目を薄めた。

「さて、次はどんな方がいらっしゃるんですかねえ……」

 猫はほうとため息を吐きながら、天井を見上げていた。


 リサイクルショップ・わ、それは人の持つ美しくも捨てられてしまった部分を扱う変わった店。
 それはどこにだって現れる、東西南北どこの街にもあるいはあなたの街にも。

 そこは少しだけほんの少しだけ、足を止めさせてくれる場所。
 そしてもう一度歩くために、背中を優しく押してくれる場所。

 猫はいつでも待っている、少し苦いコーヒーと共に。
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