裏口の鍵は開いている

猫パンチ三世

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忌み仏 4

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「疲れたな……」

 コンビニエンスストアの駐車場で、廻はポキポキと背中を鳴らす。
 休憩と時々挟みながら三時間半かけて、二人は長野県安曇野市にやってきた。
 神原沙也加が店を訪れた頃に降っていた雨は、長野県に入ったぐらいから落ち着き始め、今はもう降っていない。

「お疲れ、相変わらず運転だけは一級品だね」

「運転だけは余計だろ」

 廻は少しだけ不機嫌そうに呟きながら、義時の買ってきたお茶をひったくる。
 内心では、もっと文句を言ってやりたい気持ちもあったが、それ以上に義時の言葉を否定できない自分もいた。

 はっきり言って、彼には義時のような審美眼はない。
 雑用などはまだしも、客の応対はいつも綱渡りをするような感覚で臨んでいた。

 物見遊山気分の客ならば大して問題はないが、曰く付きの品を買おうとしたり、売ろうとする客は難しい人間が多い。
 常人なら誰もが気味悪がるような品を買おうというのだ、当然と言えば当然だが変人偏屈な人間が多い。
 少しでも気を損ねれば、かなりの儲けを失う事になる。

 売る人間もまた厄介だ。
 品を売りに来る人間のほとんどは、神原沙也加のような一般人が多い。
 そしてそのほとんどが大なり小なり品絡みの苦悩を抱えており、精神が安定していない事も少なくない。
 気が立っていたり、突然泣き出したり、ひどいものでは話がほとんど通じない人間もいた。

 そんな彼が唯一間違いなく役立っているのが、車の運転だ。
 こういった点から、彼は口を尖らせてからお茶を飲む事しかできないのだ。

「それで今日はどうすんだ? 例の古物商のとこに行くのか?」

「いや、今日はもう遅いから明日にしよう。向こうには元々そう伝えておいたからね」

「そうか、じゃあホテルを取ってから飯に行くか」

「ああ、頼むよ」

 廻は電話で近くのビジネスホテルに連絡を入れる、急の電話だったが幸いにも部屋は取れた。

「しかしよー……言っちゃあなんだけど、ここってなーんもねえんだな」

 廻はそばをすすりながら、ぽつりと呟いた。

「そうかい?」

「いやあ……まあ別に悪く言うつもりはねえけどさ。なんだろうな、行く場所はあるけどイマイチこうピンとくる場所がねえんだよな」

 廻には、自然に対してこれといった憧れがない。
 山や海と言った自然風景を見て、美しいとは思うが積極的にそれを求めているわけではないのだ。
 だから彼には、自然豊かだが東京と比べて人工物が少ない安曇野は、やや退屈だった。

 義時はその言葉を聞き、箸を静かに置いた。

「廻、それは感じ方の問題だよ。確かに君の言わんとする事は分かる、でもせっかくの旅を自分でつまらなくしてしまうのは、とてももったいない事だとは思わないか?」

「そうは言うけどなあ……ネット見てもあんまだし」

「それこそ愚の骨頂というやつさ。せっかくの非日常、スマートフォンをいじくっていつもの日常を持ち込んでどうするというんだ。君はとりあえずそばに集中するべきだね」

 二人の前にある、半分ほど減ったざるそば。
 とろろがたっぷりと乗ったそば。味はもちろんだが水を飲むように流れていく食感も素晴らしい、風味のあるつゆは麺によく絡み、薬味の茎わさびのぴりっとした刺激が良いアクセントになっていた。

 称賛するべきは、それだけではない。
 そばが盛り付けられた皿の趣、店内の落ち着いた内装と無駄なBGMが流れていない静かな店内。
 それら全てが、そばを引き立たせる薬味のように働いていた。

「わかったよ」

 廻はそれ以上は何も言わず、ただ静かにそばを口へと運んだ。

 
 その後、そばを食べ終えた二人はホテルへと向かった。
 到着してすぐにチェックインを済ませ、二人は部屋へ入る。そばを食べ終えた後も、デザートを食べたり市内観光をしていたせいか、すでに時刻は二十時を回っていた。

「先にシャワーを浴びてきなよ」

「ああ、そうさせてもらうおうかな。なんか体も重いしな、今日はさっさと寝させてもらうぜ」

「……ああ、そうしたほうがいいよ」

 やけに絵になる、少し陰のある笑みを浮かべた義時が気になったが、特にそれについて触れる事無く廻は浴室へ消えた。
 
 深い、深い夜だった。
 部屋に備えてあるはずの電化製品の音すら聞こえない、ほど深く静かな夜だった。

 窓側のベットに寝ていた廻は、気持ち悪いねっとりした汗をかきながら目を覚ました。
 ぼやけていた視界は少しずつ鮮明になり、暗闇に慣れ始めた目は部屋の中の様子をはっきりと見せ始めた。
 テーブルやイス、脱ぎ捨てた服、隣のベットで眠る義時、何も変わらない。眠る前まであったものと、何一つ変わらない。
 だというのに彼の心はどす黒い膜に覆われたように光が見えず、体は鉛のように重い。

「う……」

 彼は一杯水でも飲もうと思い立ち、体を起こそうとした。
 
「え?」

 彼の体は、ぴくりとさえ動かなかった。鉛のように、ではなく本当に体が鉛になってしまったような感覚。
 どれだけ力を入れようとも、どれだけもがこうとも、指一本すら動かない。
 動かせるのは、首と視線だけだ。
 
「なんだ……よ、これ……」

 廻が動けずに藻掻いていると、ぞわりとした悪寒が足に絡みついて来た。
 恐る恐る彼が、視線を足元にやる。

 その瞬間、彼の息は一瞬止まった。
 
『う……うう……う』

 彼の足元で、女が泣いていた。
 白装束をまとい、腰まで髪を伸ばした女が両の手で顔を覆いながら泣いていた。
 悲痛で、重々しい、悲しみの髄を込めたような声で泣いていた。

 誰だ? 嘘だ、こんなのありえない。

 彼の口はぱくぱくと動くが、声はほんの少しも出ない。
 部屋の隅にある闇が、先ほどよりもずっとずっと濃くなった。

 永遠に続くかと思われた時間は、女が一歩動き出した事でようやく動き出した。
 女は恨めしく泣きながら、足を引きずるように歩き出し、やがて壁の中へと消えた。
 あまりにも現実離れした光景を目の当たりにした廻は、先ほどの恐怖を癒すように、ゆっくりと眠りに落ちて行った。


「やあ、おはよう」

 廻が目を覚ますと義時は既に起きており、椅子に座ってコーヒーを飲みながら神原老人の日記を読んでいた。

「……ああ、おはよう」

 廻はそれだけ言うと、ノロノロとシャワーを浴びる為に立ち上がった。
 背中は汗でぐっしょりと濡れ、体には重くるしい感覚がへばりついている。シャワー程度でどうにかなる気はしなかったが、彼ができる事はそれ以外なかった。

「君、もしかして昨日なにか見た?」

 義時の言葉に廻は目を見開き、振り返った。
 その時の顔といったら、まるで自分の罪を言い当てられた犯罪者のような鬼気迫るものだった。

「お前も……見たのか?」

「その事について話がある、とりあえず君はシャワー浴びてきなよ」

 縁起っぽく手を流し、浴室を指し示した義時の言葉に、廻はただ黙って従った。
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