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忌み仏 5
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廻と義時の二人がホテルを出ると、外は今にも雨が降り出しそうな鉛色をしている。言葉少なく二人は車に乗り込み、例の古物商の元へ出発した。
車内には何とも言い難い、重苦しい空気が流れる。
義時は大して気にしていないようだが、廻の方はそうも行かない。彼の心は、この重苦しい空気を浴びて平然とできるほど頑丈にできていない。
彼の頭の中では、先ほど義時としたホテルでの会話がいつまでも反響している。
「で、君は一体なにを見たんだ?」
「はあ?」
廻の頭を拭いていた手が止まる、彼は驚きと共に声を上げた。
「お前あんだけ何か知ってるような……くそっ」
「まあまあいいじゃないか、それよりも君の話をしてくれよ」
「分かったよ……」
廻は昨夜、自分が見た得体のしれない女の話を始めた。
普通の人間なら、作り話かよくある怪談話で済ませるような内容だ。話している間に彼自身も、本当は何もかも質の悪い夢だったんじゃないかと思うほど、陳腐でありきたりな話だった。
彼は話している途中で茶々を入れて、何もかも無かった事にしようと、冗談だったという事にしようとも考えていた。だが自身の話を食い入るように聞く義時の姿を見て、そんな気はすっかり無くなってしまった。
「白装束の泣く女か……なるほどね」
「心当たりがあるのか?」
「恐らくね、神原老人の日記にそれらしい記述があった。ほら、ここだ」
義時はパラパラと日記をめくり、単語が書きなぐられたページを指差した。
そこには、確かに『泣く女』という言葉が書かれている。
「俺と爺さんは、同じ女を見てたってのか?」
「そう捉える事もできる……が、まだ断定はできないな。あくまでここには泣く女としか書かれていない、この日記や神原沙也加の話に出てくるのは『黒い影』だ。君が見たのは『白装束の女』だろう?」
確かに神原沙也加は黒い影を見たとは言っていたが、それが女だとは言っていなかった。神原老人の日記にも、黒い影や泣く女といった単語はあるが白装束の~という言葉は見受けられない。
些細な事だが、義時はこういった小さな違いを軽視する人間では無い。
まだ彼の中では、黒い影と廻の見た白装束の女をイコールで繋ぐ事ができないらしい。
「……とにかくあれが何なのかは今はどうでもいい、まさかとは思うけどよ……俺もその……」
「不幸になるかもしれない、そう言いたいのかい?」
「馬鹿げてるとは思う、けどよ……昨日見たあれが夢だとは思えねえし、それに不幸になるって話に無関係とも思えねえんだよ」
ふむ、と義時は一つ息を吐くと、珍しく丁寧に言葉を選んでいるような素振りを見せる。いつもなら言葉を選ぶ事などほとんど無い男だ、特に廻に対しては髪の毛ほどの遠慮も持ち合わせていな様な男だ。
だが今回は珍しく、彼にかける言葉をしっかりと選んでいるように見える。
「まあ、僕から君に言える事は今の所一つしかない」
「なんだよ」
「目の前の出来事を過剰に恐れるな、という事さ」
「またお前は……ふわっとした事を言いやがる」
「確かに得体の知れないものは恐ろしい、けど僕らはまだ何も知らない。怖がるにはまだ早いというわけさ」
「そんなもんかね……」
「それに『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という言葉もある。君の見た女もこの仏像も、調べてみれば案外大した事なかったりするかもしれないじゃないか」
「だといいけどな」
「とにかく、僕らが今するべき事は一つ。この仏像について理解を深めるという事だけだよ」
義時の言葉を噛みしめながら、廻はアクセルを踏む。
空は、まだまだ晴れそうにない。
「お疲れ、ここだよ」
約束していた時間の二十分前に、二人は例の古物商の店の前にやってきた。
店は木造平屋の造りで、色褪せた外観はかなりの年季を感じさせる。店の外には古ぼけた壺や、雨風に晒されて汚れてしまった大きな陶器製のたぬきが寂しげに佇んでいる。
いまにも壊れそうな扉には『休業』の二文字が書かれた看板がかかっていた。
「確か家の方に来てくれって言ってたよ」
二人は店の隣にある母屋へ向かい、チャイムを鳴らす。
だが家の中から誰かが出てくる気配は無い、廻は失礼だと思いながらも二度、三度とチャイムを鳴らすがやはり誰も出てこない。
「すいませーん! 誰かいませんかー!」
廻は声を上げるが、全く返事がない。
あまりの人気の無さに、彼はぞくりとする感覚に襲われる。
もしかしたら、もしかしたらと嫌な光景だけが彼の頭に浮かぶ。瘦せこけた老人が暗く、ジメジメとした部屋で孤独に生を終えているような光景が。
「出てこないね、もしかしたら呪いとやらでとっくに死んでるかも」
義時は軽く笑いながら軽口を叩く、人によっては残酷な人間だと確信させてしまうような表情と言葉だ。
「お前……やめろよ、さらっとそういう事言うの」
廻は彼の時折でるそういった態度をたしなめるが、手応えを感じた事は一度も無い。
そんな話をしていると、物音と共に誰かが玄関にやってきた。
カチャリと鍵の開く音がし、ガラガラと音を立てて扉が開く。
「……あんたたちか、電話を寄こしたのは」
廻は、静かに息を飲む。
家の中から出てきた老人は、彼が電話口で聞いた声から想像できた人物像そのままだった。
身長は百六十センチほど、頭髪はほとんどが白く変わっており深いシワが刻まれた顔は、白々として生気を感じられない。目の下には深く黒々としたクマが浮かび、折れた背中のせいか実身長よりもずっと小さく見える。
あからさまに不健康な老人は、二人を交互に見てから、何も言わずに家の中へ戻って行ってしまった。
突然の事に、廻は挨拶をする間もなかった。呆気にとられた彼が立ち尽くしていると、義時が彼の背中を軽く叩く。
「中に入ろう、帰れって言われたわけじゃないしね」
「あ、ああ」
二人は老人の後を追って、家の中へと足を踏み入れる。
外よりも一回りほどひやりとした老人の家の空気は、廻の気分を少しばかりだが確実に憂鬱にさせた。
車内には何とも言い難い、重苦しい空気が流れる。
義時は大して気にしていないようだが、廻の方はそうも行かない。彼の心は、この重苦しい空気を浴びて平然とできるほど頑丈にできていない。
彼の頭の中では、先ほど義時としたホテルでの会話がいつまでも反響している。
「で、君は一体なにを見たんだ?」
「はあ?」
廻の頭を拭いていた手が止まる、彼は驚きと共に声を上げた。
「お前あんだけ何か知ってるような……くそっ」
「まあまあいいじゃないか、それよりも君の話をしてくれよ」
「分かったよ……」
廻は昨夜、自分が見た得体のしれない女の話を始めた。
普通の人間なら、作り話かよくある怪談話で済ませるような内容だ。話している間に彼自身も、本当は何もかも質の悪い夢だったんじゃないかと思うほど、陳腐でありきたりな話だった。
彼は話している途中で茶々を入れて、何もかも無かった事にしようと、冗談だったという事にしようとも考えていた。だが自身の話を食い入るように聞く義時の姿を見て、そんな気はすっかり無くなってしまった。
「白装束の泣く女か……なるほどね」
「心当たりがあるのか?」
「恐らくね、神原老人の日記にそれらしい記述があった。ほら、ここだ」
義時はパラパラと日記をめくり、単語が書きなぐられたページを指差した。
そこには、確かに『泣く女』という言葉が書かれている。
「俺と爺さんは、同じ女を見てたってのか?」
「そう捉える事もできる……が、まだ断定はできないな。あくまでここには泣く女としか書かれていない、この日記や神原沙也加の話に出てくるのは『黒い影』だ。君が見たのは『白装束の女』だろう?」
確かに神原沙也加は黒い影を見たとは言っていたが、それが女だとは言っていなかった。神原老人の日記にも、黒い影や泣く女といった単語はあるが白装束の~という言葉は見受けられない。
些細な事だが、義時はこういった小さな違いを軽視する人間では無い。
まだ彼の中では、黒い影と廻の見た白装束の女をイコールで繋ぐ事ができないらしい。
「……とにかくあれが何なのかは今はどうでもいい、まさかとは思うけどよ……俺もその……」
「不幸になるかもしれない、そう言いたいのかい?」
「馬鹿げてるとは思う、けどよ……昨日見たあれが夢だとは思えねえし、それに不幸になるって話に無関係とも思えねえんだよ」
ふむ、と義時は一つ息を吐くと、珍しく丁寧に言葉を選んでいるような素振りを見せる。いつもなら言葉を選ぶ事などほとんど無い男だ、特に廻に対しては髪の毛ほどの遠慮も持ち合わせていな様な男だ。
だが今回は珍しく、彼にかける言葉をしっかりと選んでいるように見える。
「まあ、僕から君に言える事は今の所一つしかない」
「なんだよ」
「目の前の出来事を過剰に恐れるな、という事さ」
「またお前は……ふわっとした事を言いやがる」
「確かに得体の知れないものは恐ろしい、けど僕らはまだ何も知らない。怖がるにはまだ早いというわけさ」
「そんなもんかね……」
「それに『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という言葉もある。君の見た女もこの仏像も、調べてみれば案外大した事なかったりするかもしれないじゃないか」
「だといいけどな」
「とにかく、僕らが今するべき事は一つ。この仏像について理解を深めるという事だけだよ」
義時の言葉を噛みしめながら、廻はアクセルを踏む。
空は、まだまだ晴れそうにない。
「お疲れ、ここだよ」
約束していた時間の二十分前に、二人は例の古物商の店の前にやってきた。
店は木造平屋の造りで、色褪せた外観はかなりの年季を感じさせる。店の外には古ぼけた壺や、雨風に晒されて汚れてしまった大きな陶器製のたぬきが寂しげに佇んでいる。
いまにも壊れそうな扉には『休業』の二文字が書かれた看板がかかっていた。
「確か家の方に来てくれって言ってたよ」
二人は店の隣にある母屋へ向かい、チャイムを鳴らす。
だが家の中から誰かが出てくる気配は無い、廻は失礼だと思いながらも二度、三度とチャイムを鳴らすがやはり誰も出てこない。
「すいませーん! 誰かいませんかー!」
廻は声を上げるが、全く返事がない。
あまりの人気の無さに、彼はぞくりとする感覚に襲われる。
もしかしたら、もしかしたらと嫌な光景だけが彼の頭に浮かぶ。瘦せこけた老人が暗く、ジメジメとした部屋で孤独に生を終えているような光景が。
「出てこないね、もしかしたら呪いとやらでとっくに死んでるかも」
義時は軽く笑いながら軽口を叩く、人によっては残酷な人間だと確信させてしまうような表情と言葉だ。
「お前……やめろよ、さらっとそういう事言うの」
廻は彼の時折でるそういった態度をたしなめるが、手応えを感じた事は一度も無い。
そんな話をしていると、物音と共に誰かが玄関にやってきた。
カチャリと鍵の開く音がし、ガラガラと音を立てて扉が開く。
「……あんたたちか、電話を寄こしたのは」
廻は、静かに息を飲む。
家の中から出てきた老人は、彼が電話口で聞いた声から想像できた人物像そのままだった。
身長は百六十センチほど、頭髪はほとんどが白く変わっており深いシワが刻まれた顔は、白々として生気を感じられない。目の下には深く黒々としたクマが浮かび、折れた背中のせいか実身長よりもずっと小さく見える。
あからさまに不健康な老人は、二人を交互に見てから、何も言わずに家の中へ戻って行ってしまった。
突然の事に、廻は挨拶をする間もなかった。呆気にとられた彼が立ち尽くしていると、義時が彼の背中を軽く叩く。
「中に入ろう、帰れって言われたわけじゃないしね」
「あ、ああ」
二人は老人の後を追って、家の中へと足を踏み入れる。
外よりも一回りほどひやりとした老人の家の空気は、廻の気分を少しばかりだが確実に憂鬱にさせた。
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