ガドリング・フィールド

猫パンチ三世

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第一章 猫を拾った日

八話 スウィートバイオレンス

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「……分かった。そのまま捜索を続けてくれ」

 電話を切り、オルロはため息を吐いた。いまだにアタッシュケースは見つからない、焦っているわけでは無いが少しばかりの苛立ちを彼はため息に込めていた。
 彼の座っている石のベンチの後ろにある噴水が、勢いよく噴き上がる。首筋に細かい水滴を浴びながら、考え込む彼の表情は険しい。
 顔を上げると心配そうにこちらを見ている部下に気付いた、軽く笑顔を見せてから彼はお手上げという意思を動きで伝える。

「三班も駄目……と、これで全滅ですか」

 オルロは部下たちを五人ずつ十の班に分け、アタッシュケースの捜索に当たらせていた。今の連絡は第三班の担当していた区域が、空振りに終わったという報告だった。

「まったく……厄介な仕事を受けちまったもんだ」

 オルロはぼやきながら後悔の色を滲ませる、物探しの仕事は別段珍しくない。だが目的の物は何の特徴も無いアタッシュケース、大体この辺りにあるだろうと言ったおおよその場所も分からない。
 金払いが良かったとはいえ無駄に時間と労力を使わされているような気さえする、彼の怒りは部下では無く依頼人に向けられていた。

「よーし休憩終わり、俺たちも行くぞ」

 ベンチから立ち上がり、まだ探していない区域を確認させそこへ向かおうとオルロたちが歩きだした時だった。
 嫌に大きな音で歩く集団が近づいてくる、静かな郊外の公園の心地よい静寂を壊すような無粋な足音だった。

「こんな所で若手と仲良くお喋りとは、余裕だなオルロ」

 声をかけてきたのは、乱れた短いマットグリーンの髪をした筋肉質の男だった。迷彩柄のパンツに黒のタンクトップ、顔には下卑た笑顔を浮かべ背には男の粗暴さを表すようなアサルトライフルを背負っている。

「……華の無いパレードだな」

 一瞬だけ視線を向け、これ以上は見たくも無いと言わんばかりにオルロは目を背ける。彼の目の前にいる十人ほどの男たち、彼らこそがオルロたちの対抗馬であるローグファミリーであり、集団の先頭を歩く粗暴な男こそファミリーのトップ、ローグだった。

「お前らこそ、こんな所で俺たちに絡んでる暇があるのか?」

「てめえらと違ってこっちは人手が多いからな、寂しい人数で仲良しごっこしてるてめえらにも絡めるんだよ」

 馬鹿な男だと、オルロは笑顔を作らずに笑う。確かにローグファミリーの構成員の数は百人ほど、五十人しかいないリリアックと比べれば人数は多い。
 だがこの街には、構成員の数が数百から千人以上の組織が掃いて捨てるほどいる。
 そんな中では五十人も百人も大して変わらない、だがそれに気付くような利口な頭をローグは持ち合わせてはいなかった。

 ローグの見かけに伴わない器の小ささに、オルロは心底うんざりしていた。
 ふと彼の目にローグたちの持つ銃が映る、それは最新式の高価な銃だった。

「お前らの銃、けっこう良いやつだな」

「あ? ああこれか、前の仕事でぶっ殺した奴が武器の売買をやっててよ、そいつが扱ってたのを頂いたってわけだ」

 ローグの引き連れている暴力しか取り柄の無いような男たち、彼らは自らの力を誇示するかのように堂々と武器を背負っている。
 
「まあお前らは精々仲良くやってろ、俺たちはこの仕事を成功させてもっとのし上がってやる」

 オルロはその言葉に何も返さない、何か言いたげな部下に気付きながらもローグの言葉をただ黙って聞いていた。
 
「……腰抜けが」

 吐き捨てるように呟き、ローグたちは去って行った。彼は自身の言葉に何一つ言い返さないオルロを臆病者と断じ、所詮は五十人程度の組織の長かと馬鹿にしていた。彼らが去った後、部下たちは不満げな様子を隠せなかった。

 もちろん自分たちのボスが馬鹿にされた事に対する憤りはある、だがそれと同じくらいオルロに対する不満もあった。仲良しごっこと言われ、挙句に腰抜けとまで馬鹿にされたのに言い返すでもなく、先ほどまでの飄々とした態度を崩さないオルロの考えが全く理解できなかったのだ。

「とんだ邪魔が入ったな、気を取り直して行くとするか」

「……どうして何も言い返さなかったんですか?」

 部下の一人が悔しさを滲ませる、自分が憧れた人を馬鹿にされて彼は悔しくてたまらなかった。若さゆえの素直で実直な怒りを含んだ悔しさは、オルロにも痛く伝わる。

「すまないメルム、悔しい思いをさせたな」

 名前を呼ばれた彼は驚いた、ここにいる五人は全員が若手でしかもまともに話すのも今日が初めてだと言うのに自分の名前をオルロが知っていたからだ。
 五十人程度の組織、部下の名前など把握しているだろうと思うかもしれないがここでは違う、今朝会った人間が夕方にはわずかな肉片を残しこの世を去る事も少なくない。
 入れ替わりの激しい部下たちの名前を、幹部級ならともかく末端の構成員のものまで把握しているとは思っていなかったからだ。

「だが良い機会だ教えとくぞ、ああいう奴らは相手にしないのが一番なんだ」

 ローグファミリーはフリッシュ・トラベルタでは比較的新しめの組織で、ローグは元々別の都市にいたが更なる利益と勢力拡大のため半年ほど前に部下を引き連れこの街にやってきた。
 彼らの評判は悪く、想定以上の破壊やターゲット以外への暴行などとにかく荒っぽさが目立つ、そのため依頼を出す者たちの間では評判が悪くあまり使われない。だが依頼金が安く済むという点だけは他よりも優れており、一定数の顧客の獲得には成功していた。

「これからも付き合いのあるような相手ならまだしも、今日明日にでも消えるような奴らだ。相手にするこたねえ」

 長く付き合う相手ならば舐められないよう強気に出るのも良い、友好的な態度を示し少しでも良い関係を築いても良い。
 だがローグのような付き合っても何のメリットも無い人間とは、話すだけ時間の無駄というのがオルロの考えだ。

「しかし……」

「もうよせって、オルロさんの言ってる事が分からないわけじゃないだろ」

 メルムを止めたのは同期のリットンだった、彼もまた悔しい気持ちを持っていたがオルロの言う事を理解しており、これ以上この話を続けるのは先ほどの屈辱に耐えた自分たちのボスを貶める事にしかならないという事も理解していた。

「……くそっ」

 肩を掴んでいたリットンの手を振り払い、メルムはそれ以上なにも言わなかった。
 
「うし、今度こそ出発だ」

 先だって歩き出したオルロの後を五人が追う、だが心なしかその足取りは重い。彼らの足には悔しさと怒り、そしてほんの僅かばかりの疑惑が絡みついていた。
 オルロの言葉は正しいのかもしれない、だが結局は武器をもったローグたちを恐れただけではないのか、そんな疑問を五人は抱かずにはいられなかった。




「長かったですね、何かあったんですか?」

 シギはやる事が無かったのか店のテーブルを丁寧に拭いていた、バグウェットがカウンター席に座るとシギは再びコップに水を入れて持ってきた。

「特に何も、つーかまた水か……酒はねえのか酒は」

「いっぱいありますけど……いいんですか? また殴られますよ」

「大丈夫、女の風呂はなげーんだ。今のうちに一、二本くすねるぞ」

 呆れるシギを尻目にバグウェットはカウンター下の酒を漁る、ジーニャは酒に強いこだわりがあり、どれだけ通な酒でも注文すれば必ず出てくると客たちからの評判は上々だった。
 だがバグウェットのようなバカ舌の持ち主は通な酒など興味は無い、彼が飲むのは安くて量のある酒だ。

「おっ、こりゃいい。二本くらい持ってくとするか」

「遠慮しなくていいわよ、おまけでもう一本付けてあげる」

 バグウェットが振り向くと、ジーニャはいつものように美しい笑顔で後ろに立っており、その手にはおまけの酒瓶が握られていた。


「リウちゃんはオレンジジュース、シギ君は特性ドリンクね」

 ジーニャは二人の前に飲み物の入ったグラスを置く、いただきますと言って二人はそれを飲みだした。リウは風呂上がりの火照った体に冷たいジュースが沁みる感覚を楽しむ、唇に当たる氷も喉を通って流れ込んでくる冷たいジュースもそのどれもが初めてかつ素晴らしいものだった。
 恍惚とした表情を浮かべるリウの横でシギもドリンクを口に入れた、口に残った味を楽しんだ後に彼は満足げな笑顔を見せた。

「さすがですねジーニャさん、また甘さに磨きがかかってる。砂糖を変えたんですね、多分ビルトップのやつに……違いますか?」

「ピンポーン! そこに気づくなんて流石ね」

 楽しそうに会話する二人、リウの目はシギの飲んでいるドリンクに向けられた。白く濁った特性ドリンク、何の変哲も無いドリンクに見えなくも無いが何やらただならぬ気配を彼女は感じていた。

「飲んでみますか?」

 視線に気づいたシギは、ジーニャにドリンクの余りを出すように頼む。彼女はドリンクの余りを小さなコップに入れて持ってきたのだが、どうにも顔色が晴れない。
 心配そうにコップをリウの前に置く。

「リウちゃん無理しなくていいから、危ないと思ったらすぐに飲むのやめてね」

 そう念を押すジーニャ、だが残念な事にリウはその言葉をあまり深く考えてはいなかった。目の前に置かれたコップを持ち、彼女はドリンクを一気に流し込んだ。
 そしてその迂闊さを、彼女はすぐに後悔する事になる。

 リウの目が勢いよく見開かれた、凄まじいまでの甘さの拳は喉を破壊し、食道を蹂躙した後に胃へと戦場を移した。
 あまりにも甘すぎるその液体はもはや兵器と言っても過言では無い、美味しいやまずいといった概念など容易く吹き飛ばす甘さの暴風雨がリウの体の中で吹き荒れた。

「あ……あ……」

 床に倒れたリウにジーニャが素早く水を手渡す、それに飛びつきリウは喉を鳴らし口の中を洗い流すように水を飲む。だが少々の水程度で攻撃の手を緩める甘さではない、リウは次から次へと水を飲む。
 ようやく少しばかりの落ち着きを取り戻したのは、ピッチャー三杯分の水を飲み干した後だった。

「何なんですか……あれ」

 リウの腹に溜まった水がチャポチャポと鳴る、口内にはいまだに甘さが残りひどい胸やけから、彼女は先ほどまでのバグウェットと同じようにカウンターに突っ伏していた。

「まだまだ僕の味覚に人類は追い付けないみたいですね」

 にこやかに笑いながらシギはドリンクを飲み続ける、ジーニャ曰くあのドリンクを飲んで無事だった人間はほとんどいないとのことだった。

「私だって味見をする時はほんの少しだけにしてるんだから、それをまさかあんな一気に飲むなんて」

 とにかく無事で良かったと胸を撫でおろしたジーニャに礼を言い、リウは残っていたオレンジジュースを飲んだ。
 だが悲しい事にオレンジジュースの味は全く感じられず、先ほど嫌というほど飲んだ水と変わりなかった。

「でもだいぶ見違えたんじゃないですか?」

 シギはリウの姿を見て笑う、傷だらけで汚れていた服の代わりにジーニャが新しい服を用意してくれたのだ。
 履いているスニーカーは先ほどのものとは違い、足にぴったりと合っている。ただ靴のサイズは合ったのだが服のサイズが合わず、仕方なくフリーサイズの可愛らしい猫が描かれたグレーのトレーナーと、黒のジャージという何とも地味な出で立ちになってしまった。

「ごめんねリウちゃん、もっと可愛いのがあれば良かったんだけど」

「いえ、この服とっても動きやすいし楽で最高です」

 ジーニャはもっと可愛らしい服を着させたかったが、リウは今まで着ていた物よりも着心地が良いこの格好を気に入っていた、

「でもこれ本当に頂いてしまっていいんですか?」

「いいのよ、気にしないで」

 和やかに談笑する三人、それを恨めしそうに見ている人物がいた。

「お前ら……心配する振りくらいできねえのか……」

 一日に、しかも短時間に二発も頭を殴られたのは久しぶりだった。バグウェットは先ほど殴られてから今に至るまでホールの隅に転がされていた。彼の頭からは、血が三筋ほど流れている。

「あ、生きてたんですね」

「あんまりおっきな声ださないで、今ちょっと相手に出来そうにないから……」

「ちょっと! 血が飛ぶからあんま騒がないでよ!」

 ここは地獄か、バグウェットは膝から崩れ落ちそうになった。あいにく彼を心配してくれるような物好きはここにはいない、ぶつくさと文句を言いながらバグウェットは顔に付いた血を拭き取った。

「そろそろ行くわ、こいつの道案内もしなきゃなんねえしな」

 バグウェットは置いてあったボストンバックを背負う、シギもそれにならって帰り支度を始めた。リウも急いで残っていたオレンジジュースを飲み干す、バグウェットはポケットから小銭を取り出しカウンターに置く。

「今日は新しいお客さんが来たから奢ろうと思ってたのに」

 ジーニャは置かれた小銭を数え、レジに放り込む。

「飲み食いした物の金はしっかり払う、当然の事だろ」

「そういう事はツケを全部払ってから言ってよね」

 突き出された分厚い伝票から目を逸らし、バグウェットは逃げ出そうとした。だが逃げ出す前に首根っこを掴まれ、彼の逃走は失敗に終わった。

「バグウェット、先に出てますよ」

「ジーニャさん色々ありがとうございました!」

「またね、二人とも」

 頭を下げた二人に手を振り見送る、扉が閉まり店内にはバグウェットとジーニャだけが残った。

「色々と世話になったな、もう店を開ける時間だろ?」

 その言葉の後に、首根っこから手を離され自由の身となったバグウェットはジーニャに向き合う。
 二人の間に一瞬の沈黙が流れた。

「今から開けるから別にいいわよ。申し訳なく思うならまた飲みに来てお金を落としてよね」

「今度また改めて飲みに来るさ、ツケでな」

 店を出ようとバグウェットは歩き出した、カウンターから何歩か歩いたところで後ろから聞こえた自分を呼ぶ声に振り向くと、目の前に酒瓶が飛んできた。
 バグウェットの好きなドルトロットのウイスキー、青いラベルの貼られた奥深いまろやかな甘みが特徴的な酒だ。投げられた酒瓶を顔面ギリギリで受け取り、あぶないと文句の一つでも言ってやろうと思いバグウェットはジーニャの方を見た。

「それ、私からの依頼料。あの子の事、ちゃんと最後まで面倒見なさいよ」

「現金以外は受け付けてねえが……分かったよ」

 酒瓶をジーニャに掲げ、用意していた文句は言わずにバグウェットは店から出た。
 一人残された彼女は店の準備を手早く済ませ、外に出てドアの表示を『open』に裏返した。外にはもう三人の姿は無く、辺りには静かで少し寂し気な空気が漂っていた。

 ジーニャは店内に戻り、客が来る前に一杯だけ酒を飲む事にした。グラスに氷を入れ真ん中あたりまで酒を注ぐ、カランと氷が動く音と共に一口目を口に運んだ。

「……あま」

 小さく文句を言いながら、彼女は一人で客を待つ。
 ドルトロットのウイスキーを飲みながら。
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