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第三章 金・金・金
五十三話 パストアトウンメント
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「俺に何を聞きたいんだ?」
リウは目線をポートンが入って行った厨房の方へ向けてから、改めてエリオットの方を見た。
「その……どうしてポートンさんはお店を閉めようとしているんですか? 前にお話しした時はまだ続けたいと言っていたのに」
以前バグウェット達と初めてこの店を訪れた時、ポートンは経営が苦しいと言っていた。だがそれと同時に、本心ではまだ店を続けたいとも言っていた。
にもかかわらず、先ほどのエリオットの話し方を聞くに是が非でも店は閉めるという姿勢を見せていた。
なぜかリウはそれが引っかかる、自分たちに吐露したような感情をなぜ息子に隠すのかが。
「……やっぱりな、ったくそんなこったろうと思ったぜ。あの人がそう簡単にこの店を捨てれるはずがねえんだ……」
深いため息と共に、エリオットは自分の髪をくしゃっと握る。
その顔は悩んでいるように見えるが、それと同時にどこか嬉しそうでもあった。
それから彼は少し悩み、躊躇うような顔をしてからぽつぽつと話だした。
「……店をやめなきゃいけない原因は俺にあるんだ」
「あなたに?」
リウの言葉に小さく頷き、彼は二人に自分の息子の話を始めた。
名前はケビン、今年で六歳になる彼の息子は生まれつき心臓が悪くずっと入退院を繰り返していた。
走る事はもちろん、歩く事すら難しく。わずかに息が弾むだけでも動けなくなるほどで、医者には六歳まで生き延びたのは奇跡だと言われた。
「同い年の子供が楽しそうに駆け回る姿を、ベットから見る事しかできない現実にケビンはずっと耐えてきたんだ。ずっと……ずっとな」
そう語る彼の目には、じわりと涙が滲んでいた。
彼の息子は走りたい、どこか遠くへ行きたいと思ってもそれを彼や彼の妻に伝える事は無かった。
六歳にして、それを言ってしまったら両親が困るという事に気付いていた。
だからケビンは胸の中にある衝動を押し殺し、本が好きだと言って笑うのだ。その健気さ、そして六歳の息子にそこまで大人にならざるを得ない現実、それを前にして何もできない自分たちの無力さをエリオット夫妻はただただ呪うしかなかった。
「心臓を治す方法は……無いんですか?」
「難しい病気だ、完治は難しい。……はずだったんだ、つい先日まではな」
「というと?」
「人工臓器の事は?」
リウは分からず首を横に振り、シギを見た。
シギも特に詳しいわけでは無く、人並程度の知識しかない。
「詳しくは……ただ心臓はまだ実用段階では無いと……」
「そうだ、だが先月やっと使用認可が下りたんだ。ケビンと同じ年頃の子に適合した事例もすでにある」
エリオットの表情がにわかに明るくなる、興奮しているのか彼の声はやや上ずって聞こえた。
「でも人工臓器の移植には大金が必要なはず、部位によって値段は違うらしいですけど……心臓ならそれなりの額は必要なんじゃ?」
「人工心臓の移植に必要な額は一千万、俺たちの貯金を全部使っても足りない額だ」
一千万、その額に二人は小さく反応した。
彼らが求めているものと、同じだけの金が自分たちの手元にある。それを偶然だと思うほど、二人は馬鹿ではなかった。
「だからポートンさんはこの店を?」
「そうだ、親父はケビンに手術を受けさせるために、あの成金野郎にこの店を売るつもりなんだ。俺が……不甲斐ないばっかりに……ちくしょう……」
悔しさを滲ませ、エリオットは小さく机を叩いた。
彼の握った拳には行き場の無い怒りと、父親に対する罪悪感が嫌というほど見て取れる。
「すまない、話の途中だったな。他には何かあるか?」
「えっと……じゃあ最後に一つだけいいですか」
「ああ」
「どうしてそこまでお父さんにお店を辞めてほしくないんですか?」
「それは僕も気になりました、息子さんを助ける為にはお金が必要なんですよね? であればポートンさんの店を売るという決断に感謝するのが普通かと、怒鳴り合う理由が分かりませんね」
二人の言葉を聞き、エリオットは深く頷いてから口を開いた。
「君たちの言う事はもっともだ、確かにケビンを助けるためには金がいる。本音を言えば俺も一瞬あてにしてしまった。けどな、親父にこの店を売らせるって事は親父の生きてきた証を全部捨てさせちまうって事なんだ」
「生きてきた証?」
「ああ、この店は親父とお袋が始めた店なんだ。俺のお袋は料理もできたし、コーヒーを淹れるのが本当に上手かったんだ。だけど昔の親父は料理はまだしも、コーヒーを淹れるのがド下手糞だったんだよ」
「ええ? あんなに美味しいのに?」
「今はな、だけど昔はそりゃあひどいもんだった。客にコーヒーをぶっかけられた事もあったぐらいさ、だけど親父はなんとか美味いコーヒーを淹れようと毎晩遅くまでお袋と練習してたよ。その甲斐あって今じゃそれなりのコーヒーを出せるようになったんだ」
エリオットは今でも鮮明に覚えている。
毎晩客が帰った後、母に教えられながらコーヒーを淹れる練習をする父と、手厳しく教えながらもどこか楽しそうな母の顔を。
楽しい事や嬉しい事もあった、だがそれと同じくらい辛い事や苦しい事もあった。だが彼は両親がそれを乗り越え、踏ん張ってくれたからこそ今の自分がある事を十分すぎるほど理解している。
ろくに遊びもせず、自分と来てくれる客たちのために我慢を重ねていた事も知っている。
だからこそこれ以上、父に頼るわけにはいかない。
父が今は亡き母と紡いできた思い出の場所を、自分の不甲斐なさで奪いたくなかったのだ。
「ケビンのために店を売るって決断をしてくれた事に関しては感謝してる、だけど俺もいい大人だ。いつまでも親に頼りっきりってわけにもいかねえのさ」
そこまで言うと、エリオットは店の奥から出てきたポートンの存在に気付き席を立った。
「悪いが俺はそろそろ帰る、言えた立場じゃないがゆっくりしていってくれ」
そう言って店を出て行くエリオットに、二人は頭を下げて見送った。
それと入れ違いにやってきたポートンが持っているトレーには、料理が乗せれるだけ乗せてあった。
「さ、どんどん食べてくれ」
二人は先ほどのエリオットの言葉を思い出し、複雑な気持ちのまま食事を口に運ぶ。
気持ちが晴れず、もやもやとした気持ちを抱えているにも関わらずポートンの料理を二人は残す事無く平らげた。一日の疲れがあったという事もあったが、それ以上に彼の料理がただただ美味しかったのだ。
それなりの量の料理を食べ終えた二人に、ポートンはコーヒーを持ってきてくれた。
「そういえばバグウェット君はどうしたんだ? 今日は姿が見えないが……」
なんてことない彼の問いに、リウは顔を渋めて答えずらそうにコーヒーを飲む。
シギが小さくため息を吐き、口を開いた。
「ちょっと喧嘩中で……何と言うか……まあ意見の食い違いってやつですよ」
シギはそう軽く言ったが、リウは嫌な記憶を思い出したらしく先ほどよりも深く顔を歪ませた。
「ははは、そうかそうか。彼も自分を曲げない方だからね、よくある事だ」
「ポートンさんは、バグウェットと付き合いは長いんですか?」
「それなりにね、初めて会ったのが私が四十五の時だから……かれこれ二十年の付き合いになるかな」
二人の頭の中には、示し合わせたように昔のバグウェットに対する好奇心が生まれた。
リウはもちろんシギですら知らないバグウェットの過去、それは二人が興味を抱くには十分すぎた。
「昔のバグウェットの事、教えてもらえませんか?」
「昔の? 彼は何も変わっていない、昔からあんな感じだよ」
「そ……そうなんですか?」
「ああ」
リウもシギも何となく拍子抜けしてしまい、それ以上は何も聞かなかった。
三人はコーヒーを飲みながら、穏やかな時間を過ごした。
「やっぱり美味しいですねこのコーヒー」
「ありがとう、これの淹れ方は妻が教えてくれたんだ。バカ息子から聞いてるだろうがね」
「聞こえてたんですか?」
「まだまだ耳は衰えていないからね、まあそうでなくともあいつがあんな顔で話す内容は何となく分かるもんさ。あいつは私より妻の方が好きだったからね」
そう言ってポートンは少し寂し気に笑い、二人のカップにコーヒーを注いでくれた。
「ポートンさんの奥さんはどんな方だったんですか?」
「……とても厳しい人だったよ自分にも人にもね、口が悪いからよく客や従業員と喧嘩してたもんさ。私も何度も泣かされたよ、だがね彼女以上に美味いコーヒーを淹れれる事のできる人間を私は知らない」
彼の妻であるミラは、彼曰く料理の鬼だったらしい。
一切の妥協を許さず、常に最高を求め続ける彼女の生き様は凄まじいものだったそうだ。
普段はまだしも、こと料理に関してはとにかく厳しくポートンにもよく文句を言っていた。だが彼はそれが全て、店に来てくれる客の為を思っての事だと知っていた。
だからこそ、彼は彼女と共にこの店を開き生きてきたのだ。
「だが十五年前、妻は病に倒れた。あいつは……息子の事を何か言っていたか?」
「……病気の事は聞きました」
「そうか……妻もね心臓の病気だったんだ」
リウはハッと息を飲んだ、ポートンの表情は辛く悲しく険しいものになっている。
本来であれば、二人が聞いていいような話では無いはずだった。彼が喋る内容は忘れる事はできないにせよ、ポンポンと人に話すような事では無い。
だがだからこそ、リウはポートンの言葉を聞き逃すべきではないと思った。
「病気に気付いた時はすでに手遅れでね、私は日に日に弱っていく妻をただ見ている事しかできなかった。だから今度は何かしたいんだ、この店を失ってでもな。それが何もしてやれなかった妻と息子への贖罪なんだ」
「いいんですか……? それで」
ふうと息を吐き、ポートンは店を見回した。
妻と選んだイスやテーブル、センスが悪いと言われた壁紙は色褪せ、床には細かな傷が経過した年月を教えるように刻み込まれている。
「いいんだ、私はすでに多くの物を得た。時期が来たんだ、私にもこの店にもね」
その言葉に何となく不穏なものを感じ、リウは恐る恐る口を開いた。
「もしかして、もうお店をはやらないんですか? ケビン君の病気が治ったとしても?」
「ああ」
「ど……どうしてですか? ケビン君の病気が治ったら、また……」
「気持ちは嬉しいがそういう問題じゃないんだ、言っただろう? 時期が来た、それだけなんだ」
ポートンが片づけをしている間、リウはシギと二人でこれからの話をしていた。
「やっぱりこのお金はポートンさんに渡すべきだよ、向こうもそうするのが正解だからぴったりの額を渡して来たんだろうし」
「いやいや待ってください、こんな事を言ってはなんですけどあまりにも安直すぎやしませんかね? あの成金に一泡吹かせるには、八十点じゃ駄目なんですよ百点の答えじゃなきゃ……」
「百点……」
リウはもうどうすればいいか分からなくなっていた、一番手っ取り早い使い方はポートンに一千万を渡すというものだろう。
それなら店は売らなくても良いし、ケビンも手術を受けることができる。
だが果たしてそれで本当に丸く収まるのだろうか? 店を手放し、思い出を売り渡してでも孫を救おうとしているポートンの決意、そこに至るまでの苦悩は並大抵のものでは無かったはずだ。
それを顧みる事もせず、ポンと金だけ渡したとしても彼はきっと納得しないだろう。
訳の分からない賭けの金を、渡されてもまずまともには受け取らない。
そういう人だという事に、リウは何となく気付いていた。
だから彼女は考えなければならない、自分の手の中にある金をどうすれば後腐れなく渡せるのかを。
シギは悩むリウを見て、答えはしばらく出そうにないと考えていた。
彼自身は、ポートンに金をポンと渡してしまえばいいと思っている。元々こちらにはリスクの無い賭けだ、この使い方にスクラピアが満足しなかったとしても特段ペナルティがあるわけでは無い。
仮に金を渡す事でポートンの心を蔑ろにしたとしても、それは仕方の無い事だとシギは考えている。
だがリウはそうはいかない、ポートンの苦悩や決意を尊重しつつどうにか気持ちよく金を渡したいと悩んでいる。
そういう人間だと、シギは知っていた。
「あ……」
リウがポカンと口をあけたまま、小さく声を漏らした。
「どうしました? まさか見つかったんですか、百点の答えが」
「うん、多分ね」
「……ええ?」
そんなわけが無いと、若干馬鹿にしたような口調で質問したシギの顔が険しくなった。
まさかそんなものがあるわけが無い、そんな思いとは裏腹に彼は心の中に小さな期待を抱いてしまっていた。
リウは目線をポートンが入って行った厨房の方へ向けてから、改めてエリオットの方を見た。
「その……どうしてポートンさんはお店を閉めようとしているんですか? 前にお話しした時はまだ続けたいと言っていたのに」
以前バグウェット達と初めてこの店を訪れた時、ポートンは経営が苦しいと言っていた。だがそれと同時に、本心ではまだ店を続けたいとも言っていた。
にもかかわらず、先ほどのエリオットの話し方を聞くに是が非でも店は閉めるという姿勢を見せていた。
なぜかリウはそれが引っかかる、自分たちに吐露したような感情をなぜ息子に隠すのかが。
「……やっぱりな、ったくそんなこったろうと思ったぜ。あの人がそう簡単にこの店を捨てれるはずがねえんだ……」
深いため息と共に、エリオットは自分の髪をくしゃっと握る。
その顔は悩んでいるように見えるが、それと同時にどこか嬉しそうでもあった。
それから彼は少し悩み、躊躇うような顔をしてからぽつぽつと話だした。
「……店をやめなきゃいけない原因は俺にあるんだ」
「あなたに?」
リウの言葉に小さく頷き、彼は二人に自分の息子の話を始めた。
名前はケビン、今年で六歳になる彼の息子は生まれつき心臓が悪くずっと入退院を繰り返していた。
走る事はもちろん、歩く事すら難しく。わずかに息が弾むだけでも動けなくなるほどで、医者には六歳まで生き延びたのは奇跡だと言われた。
「同い年の子供が楽しそうに駆け回る姿を、ベットから見る事しかできない現実にケビンはずっと耐えてきたんだ。ずっと……ずっとな」
そう語る彼の目には、じわりと涙が滲んでいた。
彼の息子は走りたい、どこか遠くへ行きたいと思ってもそれを彼や彼の妻に伝える事は無かった。
六歳にして、それを言ってしまったら両親が困るという事に気付いていた。
だからケビンは胸の中にある衝動を押し殺し、本が好きだと言って笑うのだ。その健気さ、そして六歳の息子にそこまで大人にならざるを得ない現実、それを前にして何もできない自分たちの無力さをエリオット夫妻はただただ呪うしかなかった。
「心臓を治す方法は……無いんですか?」
「難しい病気だ、完治は難しい。……はずだったんだ、つい先日まではな」
「というと?」
「人工臓器の事は?」
リウは分からず首を横に振り、シギを見た。
シギも特に詳しいわけでは無く、人並程度の知識しかない。
「詳しくは……ただ心臓はまだ実用段階では無いと……」
「そうだ、だが先月やっと使用認可が下りたんだ。ケビンと同じ年頃の子に適合した事例もすでにある」
エリオットの表情がにわかに明るくなる、興奮しているのか彼の声はやや上ずって聞こえた。
「でも人工臓器の移植には大金が必要なはず、部位によって値段は違うらしいですけど……心臓ならそれなりの額は必要なんじゃ?」
「人工心臓の移植に必要な額は一千万、俺たちの貯金を全部使っても足りない額だ」
一千万、その額に二人は小さく反応した。
彼らが求めているものと、同じだけの金が自分たちの手元にある。それを偶然だと思うほど、二人は馬鹿ではなかった。
「だからポートンさんはこの店を?」
「そうだ、親父はケビンに手術を受けさせるために、あの成金野郎にこの店を売るつもりなんだ。俺が……不甲斐ないばっかりに……ちくしょう……」
悔しさを滲ませ、エリオットは小さく机を叩いた。
彼の握った拳には行き場の無い怒りと、父親に対する罪悪感が嫌というほど見て取れる。
「すまない、話の途中だったな。他には何かあるか?」
「えっと……じゃあ最後に一つだけいいですか」
「ああ」
「どうしてそこまでお父さんにお店を辞めてほしくないんですか?」
「それは僕も気になりました、息子さんを助ける為にはお金が必要なんですよね? であればポートンさんの店を売るという決断に感謝するのが普通かと、怒鳴り合う理由が分かりませんね」
二人の言葉を聞き、エリオットは深く頷いてから口を開いた。
「君たちの言う事はもっともだ、確かにケビンを助けるためには金がいる。本音を言えば俺も一瞬あてにしてしまった。けどな、親父にこの店を売らせるって事は親父の生きてきた証を全部捨てさせちまうって事なんだ」
「生きてきた証?」
「ああ、この店は親父とお袋が始めた店なんだ。俺のお袋は料理もできたし、コーヒーを淹れるのが本当に上手かったんだ。だけど昔の親父は料理はまだしも、コーヒーを淹れるのがド下手糞だったんだよ」
「ええ? あんなに美味しいのに?」
「今はな、だけど昔はそりゃあひどいもんだった。客にコーヒーをぶっかけられた事もあったぐらいさ、だけど親父はなんとか美味いコーヒーを淹れようと毎晩遅くまでお袋と練習してたよ。その甲斐あって今じゃそれなりのコーヒーを出せるようになったんだ」
エリオットは今でも鮮明に覚えている。
毎晩客が帰った後、母に教えられながらコーヒーを淹れる練習をする父と、手厳しく教えながらもどこか楽しそうな母の顔を。
楽しい事や嬉しい事もあった、だがそれと同じくらい辛い事や苦しい事もあった。だが彼は両親がそれを乗り越え、踏ん張ってくれたからこそ今の自分がある事を十分すぎるほど理解している。
ろくに遊びもせず、自分と来てくれる客たちのために我慢を重ねていた事も知っている。
だからこそこれ以上、父に頼るわけにはいかない。
父が今は亡き母と紡いできた思い出の場所を、自分の不甲斐なさで奪いたくなかったのだ。
「ケビンのために店を売るって決断をしてくれた事に関しては感謝してる、だけど俺もいい大人だ。いつまでも親に頼りっきりってわけにもいかねえのさ」
そこまで言うと、エリオットは店の奥から出てきたポートンの存在に気付き席を立った。
「悪いが俺はそろそろ帰る、言えた立場じゃないがゆっくりしていってくれ」
そう言って店を出て行くエリオットに、二人は頭を下げて見送った。
それと入れ違いにやってきたポートンが持っているトレーには、料理が乗せれるだけ乗せてあった。
「さ、どんどん食べてくれ」
二人は先ほどのエリオットの言葉を思い出し、複雑な気持ちのまま食事を口に運ぶ。
気持ちが晴れず、もやもやとした気持ちを抱えているにも関わらずポートンの料理を二人は残す事無く平らげた。一日の疲れがあったという事もあったが、それ以上に彼の料理がただただ美味しかったのだ。
それなりの量の料理を食べ終えた二人に、ポートンはコーヒーを持ってきてくれた。
「そういえばバグウェット君はどうしたんだ? 今日は姿が見えないが……」
なんてことない彼の問いに、リウは顔を渋めて答えずらそうにコーヒーを飲む。
シギが小さくため息を吐き、口を開いた。
「ちょっと喧嘩中で……何と言うか……まあ意見の食い違いってやつですよ」
シギはそう軽く言ったが、リウは嫌な記憶を思い出したらしく先ほどよりも深く顔を歪ませた。
「ははは、そうかそうか。彼も自分を曲げない方だからね、よくある事だ」
「ポートンさんは、バグウェットと付き合いは長いんですか?」
「それなりにね、初めて会ったのが私が四十五の時だから……かれこれ二十年の付き合いになるかな」
二人の頭の中には、示し合わせたように昔のバグウェットに対する好奇心が生まれた。
リウはもちろんシギですら知らないバグウェットの過去、それは二人が興味を抱くには十分すぎた。
「昔のバグウェットの事、教えてもらえませんか?」
「昔の? 彼は何も変わっていない、昔からあんな感じだよ」
「そ……そうなんですか?」
「ああ」
リウもシギも何となく拍子抜けしてしまい、それ以上は何も聞かなかった。
三人はコーヒーを飲みながら、穏やかな時間を過ごした。
「やっぱり美味しいですねこのコーヒー」
「ありがとう、これの淹れ方は妻が教えてくれたんだ。バカ息子から聞いてるだろうがね」
「聞こえてたんですか?」
「まだまだ耳は衰えていないからね、まあそうでなくともあいつがあんな顔で話す内容は何となく分かるもんさ。あいつは私より妻の方が好きだったからね」
そう言ってポートンは少し寂し気に笑い、二人のカップにコーヒーを注いでくれた。
「ポートンさんの奥さんはどんな方だったんですか?」
「……とても厳しい人だったよ自分にも人にもね、口が悪いからよく客や従業員と喧嘩してたもんさ。私も何度も泣かされたよ、だがね彼女以上に美味いコーヒーを淹れれる事のできる人間を私は知らない」
彼の妻であるミラは、彼曰く料理の鬼だったらしい。
一切の妥協を許さず、常に最高を求め続ける彼女の生き様は凄まじいものだったそうだ。
普段はまだしも、こと料理に関してはとにかく厳しくポートンにもよく文句を言っていた。だが彼はそれが全て、店に来てくれる客の為を思っての事だと知っていた。
だからこそ、彼は彼女と共にこの店を開き生きてきたのだ。
「だが十五年前、妻は病に倒れた。あいつは……息子の事を何か言っていたか?」
「……病気の事は聞きました」
「そうか……妻もね心臓の病気だったんだ」
リウはハッと息を飲んだ、ポートンの表情は辛く悲しく険しいものになっている。
本来であれば、二人が聞いていいような話では無いはずだった。彼が喋る内容は忘れる事はできないにせよ、ポンポンと人に話すような事では無い。
だがだからこそ、リウはポートンの言葉を聞き逃すべきではないと思った。
「病気に気付いた時はすでに手遅れでね、私は日に日に弱っていく妻をただ見ている事しかできなかった。だから今度は何かしたいんだ、この店を失ってでもな。それが何もしてやれなかった妻と息子への贖罪なんだ」
「いいんですか……? それで」
ふうと息を吐き、ポートンは店を見回した。
妻と選んだイスやテーブル、センスが悪いと言われた壁紙は色褪せ、床には細かな傷が経過した年月を教えるように刻み込まれている。
「いいんだ、私はすでに多くの物を得た。時期が来たんだ、私にもこの店にもね」
その言葉に何となく不穏なものを感じ、リウは恐る恐る口を開いた。
「もしかして、もうお店をはやらないんですか? ケビン君の病気が治ったとしても?」
「ああ」
「ど……どうしてですか? ケビン君の病気が治ったら、また……」
「気持ちは嬉しいがそういう問題じゃないんだ、言っただろう? 時期が来た、それだけなんだ」
ポートンが片づけをしている間、リウはシギと二人でこれからの話をしていた。
「やっぱりこのお金はポートンさんに渡すべきだよ、向こうもそうするのが正解だからぴったりの額を渡して来たんだろうし」
「いやいや待ってください、こんな事を言ってはなんですけどあまりにも安直すぎやしませんかね? あの成金に一泡吹かせるには、八十点じゃ駄目なんですよ百点の答えじゃなきゃ……」
「百点……」
リウはもうどうすればいいか分からなくなっていた、一番手っ取り早い使い方はポートンに一千万を渡すというものだろう。
それなら店は売らなくても良いし、ケビンも手術を受けることができる。
だが果たしてそれで本当に丸く収まるのだろうか? 店を手放し、思い出を売り渡してでも孫を救おうとしているポートンの決意、そこに至るまでの苦悩は並大抵のものでは無かったはずだ。
それを顧みる事もせず、ポンと金だけ渡したとしても彼はきっと納得しないだろう。
訳の分からない賭けの金を、渡されてもまずまともには受け取らない。
そういう人だという事に、リウは何となく気付いていた。
だから彼女は考えなければならない、自分の手の中にある金をどうすれば後腐れなく渡せるのかを。
シギは悩むリウを見て、答えはしばらく出そうにないと考えていた。
彼自身は、ポートンに金をポンと渡してしまえばいいと思っている。元々こちらにはリスクの無い賭けだ、この使い方にスクラピアが満足しなかったとしても特段ペナルティがあるわけでは無い。
仮に金を渡す事でポートンの心を蔑ろにしたとしても、それは仕方の無い事だとシギは考えている。
だがリウはそうはいかない、ポートンの苦悩や決意を尊重しつつどうにか気持ちよく金を渡したいと悩んでいる。
そういう人間だと、シギは知っていた。
「あ……」
リウがポカンと口をあけたまま、小さく声を漏らした。
「どうしました? まさか見つかったんですか、百点の答えが」
「うん、多分ね」
「……ええ?」
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